世界よ、逆流しろ


4-2



 月の美しい夜――そういえば、《あの日》も今夜のように月が美しい夜であった。

 あの日、彼女はふと月が見たくなり、寒々とした夜の中に出た。特にゆく当てもないし、館から出る事を禁じられている為、彼女は外に出るとそのまま玄関でちょこんと座った。雲で隠れた星もなく、満月が青白い光でエジプトの町を照らしていた。

「こんなところでどうした?」
「あ、DIO……」

 しばらく物思いにふけっていると、ふと頭上から声が聞こえた。見上げれば、金糸のような美しく艶のある髪に血のような真っ赤な瞳、陶器のように滑らかな肌を持った男・DIOが立っていた。普段の薄着とは違い、黄色のジャケットを本日は羽織っている。

「ちょっと夜風にあたってみたくって」
「そうか……風邪をひくなよ? 人間は脆弱だからな」
「大丈夫。ほら、ちゃんと上着着てる」
「下は薄い夜着じゃあないか」
「大丈夫だって。これでも結構、丈夫なんだよ?」

 にい、と笑みを見せると、真後ろに立って見下ろすDIOもにい、と妖艶な笑みを浮かべ、彼女の横に腰を下ろした。

「幸子」
「なに、DIO?」

 ぼーっと月を眺めながら、幸子は返事する。

「君の好きなものを教えてくれないか」
「好きなもの? なんでもいいの?」

 あまりに唐突なその問いかけに、思わず彼を振り返る。月を同様に仰いでいた彼の横顔は、まるで彫刻のように美しく、温度がなかった。

「ああ。食べ物、趣味……何でもだ」
「じゃあ日光浴」

 冷たく美しいその存在に、温かな金色の光を当てれば、きっと、今ある秩序は崩壊してしまうだろう。けれども、幸子な何故か、今、とても、目の前の存在に光を当ててみたいと思った。青白く冷たい月明りでなく、赤く燃えるような光を。

「……」
「ごめん、たとえDIOが嫌でも私は愛してるの」

 無表情、無言を返されてしまった幸子は、禁句だったかと罪悪感と焦燥感を抱きながら深く謝罪する。すると、DIOは口角を上げ、鋭利な牙を見せて笑う。

「……言葉だけなら愛の告白だな」
「なッ!?……ちっ違うよッ、日光浴の話ッ!」
「ああ、分かっているさ」

 慌てふためく幸子に、DIOはくつくつと含み笑いを浮かべた。いつまでも笑みを止めない彼に、幸子はふて腐れたような顔を浮かべてそっぽを向いた。しかし、「あ」と頓狂な声を上げると再びDIOの方へと顔を向けた。

「……一つ聞いていい?」
「なんだい?」
「どうして私の好きな物を聞こうと思ったの?」
「なんてことない、ただの気まぐれさ」
「……へぇ」
「なんだ? 不満か?」
「いいえっ、何でもないですよ〜」

 少々期待した自分が馬鹿でした、なんてDIOに気づかれぬようこっそりふくれっ面になる。しかし、そんな彼女の態度を目敏い彼が気づかぬわけがない。彼こそ彼女に気取られることなく優美に笑った。

「あ、もう一ついい?」
「ああ」
「私とこんなところで雑談してていいの? DIOの貴重な夜の時間が無駄になっちゃうよ」

 見上げるDIOは、とても楽しそうに見える。何が面白くてそのような表情を浮かべているのか幸子には分からなかった。
 問いかけると、彼は少々目を丸くした。しかし、すぐに元の鋭利な瞳に戻る。

「何を言ってるんだ。君との会話は無駄なんかじゃあない。むしろ、貴重な時間さ。あのときから、君ともっと話をしてみたいと思っていた」
「天国の話?」
「そう……なかなかに面白い考え方だったからな。それでなくとも、今、この時が有意義に感じる」
「……褒め過ぎだよ、DIO」
「フン、照れているのか? 幸子?」
「フフッ、そうかもね」

 照れているのか、頬を赤く染めてクスクスと含み笑いを浮かべる。実に楽しげだ。そんな彼女をじっと見ていたDIOはふと何を思ったのか、体を彼女の方へと傾ける。
 彼の動きに気づいた幸子は含み笑いをとめ、彼を見つめる。

「DIO?」

 気づけば、互いの距離が縮んでいた。目と鼻の先、ほんの数センチ先にDIOの恐ろしく整った顔があった。真摯な光を帯びた緋色の鋭い目に囚われたかのように体を硬直させた幸子はハクハクと唇を動かすも言葉が出ない。
 あと少しで鼻先が触れる。そんな時にDIOはクスリと笑みを浮かべるとゆっくりと離れて行った。

「何だそのマヌケ面は」
「まぬ……酷い言い草だ」

 間抜け面と言われ、少々傷ついた幸子は肩を落とした。不貞腐れた顔をし出す彼女を見下ろしながら、愉快に、優美に微笑むDIO。しかし、ふとその笑みを引っ込めると彼は徐に言った。

「君となら、永遠を生きるのも悪くないかもな」
「え?」

 茫然とする幸子の腕を恭しく取るとそっと己の口元に寄せ、手の甲にキスを落とした。その流れるような一連の動作は100年も前の英国紳士を彷彿とさせるようだった。

「でぃッ……」
「私は吸血鬼だ。ゾンビのエキスを吸血するときに循環交換させれば君も永遠の命を得ることができるぞ」

 顔を赤くして焦る幸子の制止の言葉を遮り、DIOは言った。彼は真っ赤な唇を手の甲からゆっくり手首へと滑らせると、はむり、と甘噛みする。ソレを見ていた幸子は更に頬を熱くさせた。

「どうだ? 試してみるか?」

 誘うような目つきで見上げ、甘い声で囁く。それはまさに、毒。甘美な匂いと美しい容姿で周りの者を虜にし、我が物とする、狡猾で優美な毒。その毒牙をDIOは困惑する幸子に突き立てたのだ。
 彼を見下ろしていた幸子は何かを振り払うかのように頭を数回振ると、薄い桃色の唇を震わせながらこう返した。

「遠慮しておくよ……DIOと一緒なら退屈しなさそうだけど、今はまだいいかな。もう少し、太陽の光を感じていたいから」
「フン、くえぬ奴よ……しかし――」

 DIOは持っていた幸子の腕に鼻を寄せると、匂いをかぐ。不可解な彼の行動に、まさか臭っているのかと心配になる幸子。しかし、彼女の心配は杞憂に終わる。彼の、一言で。

「このえも言えぬ香りはなんだ?」
「香り?」
「とても高貴な香りだ……美味なワインを前にした時のような気分になる」
「え、そっそう? 私自身じゃあ分からないけれど……」

 空いている手を自分の鼻に寄せて匂いを確かめてみようとするも、自分では分からなかった。一体、何が「高貴」な香りを発しているのか、気になって仕方がない。懸命に匂いの原因を探ろうとしていると、不意にDIOが幸子の頬に手を当てて問うてきた。

「幸子、君、破瓜の経験は?」
「……は、か?」

 彼の言葉が理解できないのか、ポカンとした顔で見上げる。

「まさか、知らないだと?」
「あ! その人を小馬鹿にしたような顔やめてよっ、傷つくからっ! 確かに結構世間知らずだとは言われるけれど、馬鹿じゃないよ!……多分」
「ふむ、ならば言い方をかえよう……君、「処女」か?」
「ぶふっ!?」

 吸血鬼とは、処女の血を好むというだろう? 優美に妖しく微笑むDIOは悠々と言った。
 対して、幸子は噴き出すと慌ててDIOの腕を振り払い、立ち上がる。勢いのまま立ち上がったためか、ふらふらと覚束ない足取りで後退する。そんな彼女にDIOは手を伸ばして名を呼ぶが近づくなと言うように幸子はソレを拒む。そして――

「うわあ!?」

 段差があることを忘れていたのか、彼女はひっくり返り、玄関を転げ落ちた。とはいっても、ほんの二、三段の低い会談だった為擦り傷程度ですんだ。
 腰を強かに打ち付けたのか、痛みを訴えるようなうめき声を上げながら彼女は起き上がる。

「フン、間抜けが」

 呆れたような声音で、DIOは言うと彼女に手を差し出す。その手を躊躇いもなく掴めば、ぐいと引き寄せられてそのまま彼女はDIOの腕の中にポスン、と収まったのだった。

「DIO、ナニコレ」
「ふふ……その様子を見る限り、未経験のようだな幸子」
「っ……」
「どうした、幸子? 耳が弱いのかい?」
「っ〜〜〜……」

 ふう、とDIOの吐息が幸子の耳に吹きかけられる。どうやら耳が敏感のようだった幸子は、色香ある声もあってかゾクゾクと身を震わせた。首まで真っ赤にした彼女は、耐えるように、ぎゅうと目の前で己を閉じ込める男の服を握った。
 幸子の反応に気をよくしたのか、DIOは彼女を抱く腕に力を込めると耳たぶを甘噛みし、そっと囁く。「可愛いな、幸子」と。

「わっ私は大切な時の為にとっておくのっ!」

 顔を茹で上がったタコのようにしながら、吠えるようにしてDIOの腕から逃れようともがく。

「大切なときとは?」
「結婚とか!」
「できるのか?」
「今は無理だねー……って違うそうじゃなくて取りあえず離れて放してDIO」
「そんなに嫌がることはないだろう」
「なんか色々とダメな気がするから、はなして」
「……しかたないな」

 やれやれと諦めたようにDIOは幸子を解放した。しかし、人ひとり分の距離を置こうとすると止められ、再び玄関にて隣に座るよう促された。大人しく彼のなすがままに腰を下ろすと、DIOは機嫌よさそうに笑った。

「彼氏とか恋人とか、興味はあったけれど相手がいなくて……うちのパパ、元軍人でさ。とってもハンサムで強いの。DIO程じゃあないけどさ」
「ほお?」
「DIOはとても綺麗だね。それでいて幻想的」
「幻想か……あまり好まんが……君に言われると何故か心地よく思えるな」
「フフッ、ありがとう」
「礼として、君の血をぜひとも味わいたいのだが」
「だーめっ!」

 夜空に瞬く数多の星々の中で月がそれらをかき消すような光を放つ。そんな空の下で、二人はただただ笑いあい、語り合った。


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