世界よ、逆流しろ


4-1



〜第4話〜
少女は闇を見た
そして次に光を見る



 朝――
 幸子はベッドの上で昨夜の出来事を思い出す。憂鬱な気分を抱えたまま、しかし気になるその廊下へと足を運ぶとそこにあった筈のモノは既に無く、血痕すら跡形もなく、綺麗に『掃除』されていた。そこに存在する事すら、烏滸がましいとでも、言われているかのように綺麗に抹消されているのである。
 哀れな女へのせめてもの手向けに、手を合わせて冥福を祈ると、幸子はその場を後にした。下ではすでに執事のテレンスが朝食の準備をしており、幸子が姿を見せると恭しく椅子を引き、着席を促す。いつものようにその席に座ると、彼女は朝食を始めた。
 彼女は、朝食をそそくさと済ませると、すぐに館内のから出て庭の隅の陰に座り込む。そして、快晴の空を見上げたまま意識をどこへ飛ばしているのか、ぼうっと無気力な表情をしたまま座っていた。

(死ぬのは怖い……けれど、あんなの、納得できない)

 幸子は昨夜の出来事を思い出していた。いや、頭から離れないというのが正しいだろう。彼女は、見知らぬ女に命を狙われた。おそらく女はDIOの夜のお相手だろうという事は大体検討が付いており、それには人間――彼は吸血鬼だがもとは人間なので――仕方のない事だと割り切っている。同性としては怒りを覚えなくもないが女側が了解しているのならば、それでいい。
 可愛いとは言えないが、たかが嫉妬心、それもDIOの女と言う勘違いで生まれた事故なのだから話せば解決したのではないか。幸子はそう考えていた。しかし、誤解を解く前に女の命はDIOによって呆気なく摘み取られてしまった。吸血鬼の、養分として。
 初めて見た。命をDIOが奪う瞬間――そして、こと切れた女と重なるのは、幸子の大切な家族。蘇る家族の亡骸に、泣きそうになった。
 女は自ら命を差し出したようなものだが、やはり納得する事が出来ない幸子。そしてそれ以上に、何も言い返せなかった自分が許せなかった。

(行き場を失った私を拾ってくれる人だもの、きっと、話せば分かってくれるはず……)

 幸子は希望を捨てずに、挑むことを決意する。友人なのだからきっと話を聞き入れてくれる筈だ、と思っての試みだ。
 大丈夫、大丈夫、と未だ心のどこかで不安がっている自分を奮い立たせるように胸の内で何度も繰り返す。そうしていると、不意に見上げていた空に影が差した。シルエットは人間、だが逆行で顔は見えない。

「幸子様?」
「マライヤ、さん?」

 目が慣れてくると、見下ろしてきているのがマライヤだと認識できるようになった。茫然と彼女を見上げていると、ハッと彼女は我に返ったように表情を硬直させるとすぐさま膝をつき頭を垂れる。

「申し訳ございません、とんだご無礼をっ」
「あっ、い、いえあの、そんな……かっ顔を上げて下さいマライヤさん!」

 頭を下げられるような人間ではないと主張する事に躍起になる幸子は、あーだこーだと己の欠点を暴露しだす。ニンニクが苦手だ、辛いモノが苦手だ、小さい頃に花瓶を割って叱られた、大型犬に追いかけられて泣きそうになった(でも彼女は犬が好きである。特に小型犬)、鉄棒の逆上がりだけがどうしてもできなかった――等々。すると、彼女の目の前で茫然としていたマライヤは失笑する。目に涙が浮かぶほどに笑い出したのだ。

「やっぱり面白いわ、貴方」
「えっ、面白い?」

 ぽかん、と呆けた顔を下げていると再びマライヤが笑う。そこにはもう彼女への敬いなどはない。いうなれば、友人と会話を楽しむ一人の女性、であった。困惑する彼女に対して、「ごめんなさいね」と優雅に微笑む。

「貴方は、綺麗ね」
「へっへえ!?」

 幸子は思わず飛び上がる。そんな彼女の反応を面白そうに微笑みながらマライヤは彼女を指さす。

「私達には眩しいくらい……どうしてDIO様は貴方の様な存在を連れてこられたのか信じられないくらいよ」
「え……」
「住む世界すら、違うのに」
「え、え……」

 マライヤは独り言のように言うと、クルリと背を向けてしまう。そんな彼女の背中へ手を伸ばし、止めようとするも何故か言葉は出てこなかった。
 去ってゆく背中を見送り、幸子は肩を落とした。

「……どういう、意味なのだろう」

 その時の彼女には分からなかった。その時の彼女には気づけなかった。
 どういう意図があったのか。どういう目的でここに連れてこられたのか。
 愚鈍な彼女には理解できなかった。


 * * *


 日光浴を終えて館内に戻る。相変わらず薄暗く、気が沈みそうになる。ロビーにある肘掛け椅子の一つに幸子は腰を落ち着けて一息つく。高い天井を仰ぎ、マライヤとDIOの事について考えた。

(彼らは……私が思っているような人達じゃないっていうの?)

 胸にモヤモヤと渦巻く疑念――いや、もう本当は半分ほど気づいているのかもしれない。しかし、己の弱い心の部分が恐れて『見ない』ようにしているのかもしれない。

「あー……」

 ふるふると頭をフリ、彼女はすっくと立ち上がる。
 自室に戻ろう。今は誰にも会いたくない。彼女は憂鬱になりそうな気分を奮い立たせて身体を動かした。

「なあ、知ってるか?」

 ふと、ある角を曲がろうとした時に、声が聞こえる。彼女がいる場所から、丁度角を曲がってすぐのところである。まるで聞かれてはまずい事を話すような雰囲気に、幸子は知らず知らずのうちに息を潜めて聴き耳をそばだてていた。

「DIO様が連れてきたあの『お気に入り』の事なんだがよォ〜」
「お気に入りっつーと、『幸子様』の事か?」
「そうそう」

 どうやら、話は幸子自身の事であった。そうなるとますます気になり、じっと息をひそめて様子を伺った。

「なんでも、DIO様が連れてくる為に家族全員皆殺しにしたんだってよ」
(え……)
「ひえ〜っ! DIO様もなんと惨い事をするねェ〜」
「しかも、両親や親族だけでなく、交流のあった他の人間までも殺しまわったらしいぜェ〜」
「っつー事は『幸子様』は事実上存在しない人間ってことか?」
「そうなるな。もはや死んだ人間同然さぁ。ニュースじゃ"村一つ消失する事件"ってーので片づけられてるぜぇ」
「死体はどうすんだよ? 幸子様がいるっつーことは、一つ足りねえって事じゃあねーか」
「そこは幸子様と同年代で背格好も同じ女連れてきて代わりに死んでもらったんだよォ。ま、ソイツは行方不明ってぇことになってるだろうけどなァ」
「ヒューッ! さっすがDIO様、俺達が出来ない事を平然とやってのけるゥ!」

 目の前が真っ暗になる気がした。四肢の力が抜けてゆき、幸子は冷たい床にヨロヨロとへたり込む。
 助けてくれたと思った人が、実は犯人で、実行犯はならばDIOに命令されて行っただけ?
 いや、彼らはDIOの顔を知らなかった。
 もしかして、部下に命令させて雇っただけだとか。
 父が呆気なく殺されたのも、祖父母が虐殺されたのも、母が死んでからも屈辱を受けたのも、村の人々が犠牲になったのも、全部全部――

(DIOの、しわざ……)

 何故何故、何故だ。何故彼はそのような事を行ったのか。

「私の、所為だ……」

 DIOは力を欲していた。何故自分のような《スタンド》の力が必要だったのかは分からない。けれども、彼の目的はただ一つ、『幸子を攫う事』だったのだ。
 父が死んだのも私のせい、祖父母が死んだのも私のせい、母が辱められたのも私のせい、村人が殺されたのも私のせい、村がまるまる消失したのも私のせい。
 学校の手続きも嘘、引き取る手続きも嘘、館から出さないのは、世間のニュースを万が一でも耳に入れないようにするため。
 全部が嘘で塗り固められていた世界に、その甘美な毒が充満する空間に、幸子は囲われていたのだ。

(もう、何を支えに生きて行けばいいのッ……)

 男たちの足音が遠ざかってゆく。
 幸子は足音が完全に聞こえなくなるまで、手で口を覆い、嗚咽が漏れるのを抑えていたのだった。


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