世界よ、逆流しろ


3-2



 夜――
 幸子はテレンスの作ったデザートを幸せそうな顔で口に運んでいた。スプーンですくった一欠片をパクリと食むと、甘酸っぱいソレを舌の上で転がし堪能する。その後はのど越しもいいソレをコクンと飲み込んだ。瞬間、蕾が花開くような可愛らしい笑顔を見せる。

「面白い奴だな、ころころと表情を変えながら食すとは……」
「だって、とっても美味しいんだよ! テレンスさんは料理上手で羨ましいなあ」

 日の光を浴びて元気になったのか、館に初めて訪れてからずっと日の光を浴びる事のなかった日々よりも随分と表情が明るかった。まるで、彼女自身が輝いているようにも、彼女の前の席に座るDIOは見えた。

「DIO! 許可を出してくれてありがとう」
「……フン。幸子、君はこのDIOの大事な客人であり友人だ。当然の事をしたまでさ」

 ゆるりと微笑を浮かべる、氷のように鋭い美貌を持つ色男、DIO。彼が口を開くたびに覗く鋭利な牙は、彼が浮世からかけ離れた存在だという事を顕著にしている。

「ねえDIO、少し聞いていい?」

 幸子は、デザートを食べる手を一度止めてDIOを見つめながら言った。なんだい、と彼は問う。
 彼女は、己の首回りを撫でる。

「その首の傷、一体どうしたの? 古傷っぽいけど……」
「ああ……」

 指摘されたDIOは長い爪で首回りの傷を撫ぜる。その傷はまるで《切り落とされた》ように首をグルリと一周してあり、生々しい。
 痛む? と幸子は心配そうな表情でDIOを見つめる。彼は鮮血色の瞳で彼女の海色のソレを見つめたまま薄く笑うと首を振った。時々疼くときはあるものの、さほど痛みはないらしい。幸子は、何故自分は『10秒』でしか治せないのか、と悔いた。もしどんな状況でも治せたのならば、便利なのに、と。そんな彼女の心境を察したのか、DIOは太く逞しい腕を彼女に伸ばすと、頬にそっと触れた。

「君が気にする事はないさ、これはゆっくりと生き血を吸って治して行っているんだからな」
「……そっ、か……」

 幸子は思う。本当は、DIOに人間の血を飲んで欲しくないと。けれど、そうすればDIOが飢えてしまう。空腹は生き物の敵だ。抑える事などできない。だから、最低でも、DIOに命を奉げる者たちへの敬意を、払っていれば。人間が、牛や鳥、草木を食べるときに敬意を表するように。日本人は、血肉となる食物へ手を合わせて「いただきます」と言い、感謝の意を示す。だから、DIOも、同様に命を奉げる人間へ感謝の気持ちさえ示して食していれば、それでいいと幸子は考えていた。

(……でも……ううん、私を拾ってくれるような人だもの、きっと、きっと……)

 幸子はDIOを信じる事にした。例え、吸血現場を目の前で見せられた経験があったとしても。

「あとさ、珍しいアザもあるよね、首の後ろの左肩に」
「ああ……これは、因縁さ」
「いん、ねん?」
「そう……ジョースター家と、私のな」
「……そうなんだ」

 幸子は、もうそれ以上聞こうとは思わなかった。DIOが言う因縁が、とても大きなものと感じたからだ。彼の書いた天国への行き方もそうだが、DIOを取り巻くものは常にスケールが大きい。彼女は自分の立場というものも起因し、あまり大事には関わり合いたくないと思った。
 幸子は止めていた手を再び動かした。さっさと食べて今日は寝てしまおうと考えたのだ。

「DIO」
「なんだ?」
「……やっぱり何でもないや」
「そうか」

 聞けない。いや、聞きたくないのだ。彼女は、聞くのが怖い。
 血を奪う人間への感謝の気持ちはあるのか、と聞くのが怖かったのだ。

「ごちそうさま」

 幸子は食べ終えると手を合わせて言った。出来うる限りの、感謝をこめて。


 * * *


 (ある意味で)DIOとの食事、を終えた幸子は与えられた部屋をめざし、ほの暗い廊下を歩いていた。喧噪からかけ離れた静寂を漂わせる館内は白い霧のようなものが廊下を這っているような気さえ起こす。カツーン、カツーン、と靴が床を叩く音だけが聞こえた。

「ん?」

 部屋まであと2メートルという地点で彼女は足を止める。不意に、木が折れるような「バキッ!」という音を耳にしたからである。およそ下階の方だった。好奇心が、朝から昼まで外で走り回った疲労よりも上回り、幸子は正体を確かめるべく廊下の手すりに身を乗り出した。その瞬間ッ、手すりが外れ、彼女の体重を支えられなくなったソレは前へと倒れる。突然な事に反応が遅れた彼女はそのまま前のめりになった。彼女の眼下には、約10メートル以上離れている屋敷の床が広がる。彼女は咄嗟に手を伸ばし何かに掴まろうとしたが、運が悪い事に近くに掴まれるようなものがない。
 頭が真っ白になった。瞬間、腹部になにか硬い物を感じた。それは、風前の燈火のように危うかった彼女の命を縄で繋ぎ止める。

「え……」

 恐怖で無意識に閉じていた目を開き、彼女は眼下を見る。そこには、約10メートル以上離れた床があった。背後には、分厚く薄い鉄板よりも硬く温度のあるモノを感じる。

「怪我はなさそうだな」
「DI……O」

 落ちる寸前、DIOが幸子の腰に腕を回して抱きとめたようだ。彼女の場所まで距離があるにもかかわらず、彼は彼女の背後に回って一本の腕で支えている。どうやってきたのか、今は幸子にとってそんな事どうでもよかった。ただ一つ、「命拾いした」事が重要であり、それがDIOによるものだと分かると彼女は、腰に巻きつく腕を抱くようにしてしがみ付いた。
 相当の恐怖を覚えたと把握したのだろう、DIOはゆっくりと彼女を現在地から後退して遠ざかる。ある程度手すりの位置から離れると彼は手を放した。
 危機から脱出した事を実感した幸子は、力なくその場にヘナヘナと座り込んでしまった。彼女は深呼吸し、幾分か落ち着きを取り戻すと、自分を見下ろす190以上はあるだろう大きな男、DIOを見上げた。首が痛くなった。

「ありがとう、DIO……おかげで助かった」

 たとえ首が痛くとも、彼女はお礼を述べ、そのまま彼を見上げていた。

「構わんさ……君のお蔭で『時間』が『伸びた』のだからな」
「そう、よかっ……え? 時間が伸びた?」

 危うく聞き流すところであった。やけに上機嫌な彼は、彼女の些細な疑問に答えると思われたがしかし、こっちの話だと言って教えてはくれなかった。言い濁すような内容を、ワザワザ聞き出そうという気はない幸子はただ「そう」と頷いた。それから、彼女は彼と別れて部屋へと戻る。部屋に着いた彼女は、去り際、彼の言い残した「部屋の鍵はしっかりと閉めるように」という言葉を思いだし、重厚な扉の鍵をしめたのだった。


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