世界よ、逆流しろ


2-4



 夜――
 幸子は言われた通り、DIOの部屋へと向かった。テレンスに教わっていた通りの道順で行くと、よく知る扉の前『DIOの部屋』の前に出た。女と行った「部屋」とは違っていた。

(じゃあ、なぜDIOさんはあの部屋から……しかも半裸で……)

 幸子は首を傾いだ。

「どうした、入らんのか?」

 びくり、と肩が震える。勢いよく背後を振り返れば、やけに顔が近い位置でDIOが居た。数歩、距離を取る。

「あ、ええっと……昼ごろに会った時は、この部屋じゃあなかったような気がして……どうしてだろうと考えてたんです」
「ほう、それで?」
「へ?」
「分かったのか? なぜ違うのか」

 にんまり、とあくどい笑みを浮かべて問いかけてくる。幸子は少し思案したのちに、首を横に振った。すると、今度は「知りたいか?」と問われる。一歩、前に踏み出して。聞いてみたい。そう言おうとしたのだが、彼の意味深な微笑に言葉をいったん飲み込んで再び思案する。ただの勘であるが、何か嫌な予感がする。

「遠慮させて、もらいます」
「……フン、敏い女だ」

 その後、二人はDIOの部屋に入った。幸子は促された席に腰を落ち着かせると目の前にいる彼を見た。自分は、一体何のために呼ばれたのか。

(ん?)

 幸子は目の前のテーブルに置かれている一冊のノートに目を止めた。

「それが何か分かるか?」

 ノートに目が行っている事に気づいたDIOは問う。彼の問いかけに首を振って「NO」と答えた。中身も見ていないのに、分かるかと聞かれても判断できないからだ。

「天国へ行く方法が書かれている」
「てん、ごく?」

 開いて読んでみろ。そう言われ、幸子はノートを手に取り、開いてみた。文字は英語であった。アメリカ人と日本人のハーフであり、日常でも英語と日本語を両方使っていた彼女にとっては、読めない事などない。彼女は冒頭部分を読み、これはDIO自身が書いたものだという事を理解した。
 暫く、部屋は静寂していた。その中で唯一、黒の模様を何行にもわたって描かれる真っ白な一枚を捲る音だけが聞こえた。そうして、全てを読み終えた彼女は、パタリと本を閉じて再びテーブルの上へと戻した。

「君は、このノートを見てどう思う? 君の意見を聞かせてほしい」

 真剣な眼差しで幸子を射抜くDIO。その彼に、幸子はふう、と息を吐いてから真っ直ぐに彼を見返した。

「まずは、一番最初に思った事を……これは意見というよりもただの感想なので余り気にしないで下さい」
「ああ」
「このノートにある『一巡』の意味……仏教の『輪廻』とよく似ていると思いました」

 人は死ぬ。その後、また時を経て現世に生まれ変わる。別人として。連綿と続いていくその『輪廻』は終わりのない事から『円』で表される事が多い。

「ふぅむ……確かに似ているな」
「それで、ここから私の意見なのですが……私はこの方法では『天国』へは行けないと思います」

 DIOは押し黙る。幸子は、それでも彼を見つめ続けた。彼は一瞬表情を歪めるも、次に「ならば説得してみろ」と言いたげな表情でふんぞり返った。

「私は、魂には『重さ』があると考えます」
「何故そう考えるのだ?」
「そうですね……天国は文字通り、『天』にある『国』……つまり、上、『頂点』です。対して地獄は『地』の『獄』……つまり、下の下、囚人や『下僕』です」

 人は死ねば肉体から魂が抜け、地獄か天国へ行く。

「物理法則と同様です。軽ければ天に上り、重ければ地に沈む」
「つまり、君は魂が重ければ地獄、軽ければ天国……つまり高見へと行けると言いたいのかね?」
「はい」

 ならば、その魂が天へ上がる時の足枷となる『重さ』の正体とはなんであろうか。幸子はDIOを強い眼差しで見据えたままその正体を明らかにした。

「『借り』です」
「借り?」
「自分が得た他人からの『借り』です。それが大きければ大きい程、魂は重くなると思います……このノートで言う魂の『エネルギー』の強さ、でしょうか」
「つまり、『悪人』の『魂』という事か」
「YES」

 力強く幸子が頷けば、DIOは難しい顔をする。無理もないだろう、彼が考えていた事が180度真っ向から否定されているようなものだ。彼女の言っている事は、全くの逆を言っているのである。

「だから……DIOさんのお母さんは、天国へ行ったと思いますよ」
「……あの、愚かな母親が、か」

 どうしようもない男――つまり、DIOがディオであった時の父親――に付き添い、ゴミ溜めのような町で気高く生きようとした愚かな女を、DIOは天国には行けなかっただろうと思っている。しかし、幸子は反対に行けたと肯定していた。

「あえて、です。DIOさん……『あえて全てを手放した者が全てを手に入れる』んです」
「君の言う『借り』を相手になすりつけるのか?」
「いいえ、なすりつけては意味がありません……『与える』んです」
「ならば、初めから『持っていない』者はどうする? 奪うしかなかろう」
「でも、もうDIOさんは『持っている』じゃあないですか……私は、与えて貰いましたよ。『場所』も『服』も『食べ物』も」

 彼女は言って、ニコリと微笑んだ。それはまるで、日本の美の代表ともいえる『桜』のように儚く、美しかった。

「でも、これを読む限り、多くの物をDIOさんは『借り』ているようですね……追いつくかどうか」

 彼は極悪非道な事をしてきた。義兄弟であるジョナサン・ジョースターの愛犬を手に掛けたり、大けがを負った際に回復するためとはいえ村の住民を丸ごとゾンビにしたり――でも、何故か幸子には全てそれらがまるで絵本の物語の出来事のように遠い存在のものにしか感じられなかった。
 昔の彼は、非道の限りを尽くしたのかもしれない。けれども、もう100年程前の話だ。今は今、である。今の彼が、天国にいくためにこの"借り"を返していくのか、はたまたまた別の考えをもつのか――分からないが、たった一つ確かな事がある。揺るがない事実がある。それは、このDIOが幸子を助けた恩人だという事だ。

「ふん……吸血鬼は空腹を満たすために人間の血を啜らなくてはならない。これでは、『貸し』は大きいな」
「ふふっ……そうですね……でも、DIOさんは太陽の下に出ない限り絶対に死にそうにないですから余り関係ないんではないでしょうか?」
「それはどうだろうな? このDIO、太陽の下に出るというヘマはしないが、万が一、というものがある」
「……DIOさんでも、恐れる事があるんですね」
「ああ……しかし、ほんのちっぽけの恐怖をも持たぬようになれば、私は本物の『頂点』へとたどり着けるだろう」

 その後、二人はノートの事についていくつかの意見を交わした。そして、殆ど話題が出尽くすと、間に沈黙が腰を下ろした。
 幸子はふと、わきに置いてある時計を見た。そろそろ、彼女が眠る時刻である。

「なかなか、面白い話が出来た」
「!」

 時計からDIOへと視線を移すと、彼は満足そうな笑みを浮かべていた。ノートの内容を否定された時とは、打って変わって上機嫌に見える。

「君の意見は私のと似ているようで180度違っている。そこだ、そこがまた面白い」
「お役に立てましたか?」
「ああ、十分だ。十分に役に立ったぞ」
「DIOさんのお役に立てれば……良かったです」

 仕事のない幸子にとって、「役に立った」という言葉は、どんな褒め言葉よりももっとも欲しい言葉である。嬉しくなった彼女は、この館に来て一番の笑顔をDIOに見せた。それを眺めていた彼は、一言。

「……DIOでいい」
「へ?」
「その敬称をやめろと言ったのだ。敬語もよせ。お前と私は『友達』じゃあないか」
「え……あ、は、はい……じゃなかった、うん」

 唐突な彼の物言いに、戸惑いつつも、幸子は彼の申し出に答えた。それがまた良かったのか、彼は目に見えて上機嫌となったのだった。


 * * *


 やはり、彼女を連れてきたのは正解だったと、DIOは思う。
 幸子が眠りに出て言った部屋で一人、DIOは優雅に微笑んだ。

「能力も、考えも……私の求めるモノと正反対であるのに似ている」

 まさに理想的な存在だった。それだけでなく、彼女自身《スタンド》とは別の《力》があるようだった。それはきっとこの己の為の人柱となってくれるだろう。
 漸く見つけ、逃げないように全てを《奪った》りまでしたのだ。絶対に逃しもしないし、自ら手放しもしない。彼女自身も、離れがたく思っている――が、もっと、もっと繋げておきたい。大きな鎖で雁字搦めにして、絶対に逃れる事が出来ないようにしなければ。
 だが、肉の芽を植え付けるマネはできれば取りたくない。精神力を操る事が出来る分、《スタンド》の力に悪影響を及ぼしてしまう。そうなれば、彼女自身の持つ《力》が失われてしまうかもしれない。それだけは避けたい。

「さて、どうするか……」

 悪魔をも恐れてしまうような邪悪な笑みをDIOは浮かべながら、今宵も美しく舞う蝶から生きた赤をすする。


.

戻る 進む
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -