世界よ、逆流しろ


2-3



 もっさもっさと幸子は行儀よく座り朝食をとる。彼女の目の前には、香ばしい香りで食欲をそそる温かなスープと焼き立ての柔らかなパン、そして近くにはジャムとバターもある。
 ごっくん、と彼女は先ほど咀嚼していたサラダを飲み込む。そして、次にふわふわのパンを手でちぎってそこにバターとジャムを丁寧に塗った。丁度良く、好みの比率に塗られたパンを口の中に放り込む。そして、心底幸せそうな表情で咀嚼してゆくのだ。
 己がこの館に来て、何日経ったのだろうか。ふと彼女はそんな事を思い、日数を数えてみた。1,2,3,4……――1週間ほど経過したか。その間に、ここで出会った《スタンド使い》は一体何人になっただろう。再び数えてみた。1,2,3,4,5……――面倒なので数える事をやめた。
 DIOとそれとなく話をして、学校の事などを相談した。すると、ここでは学校よりも家庭教師を雇うとDIOは言う。女の子は館でお勉強にお稽古――って、いつの時代のお嬢様だろうか。
 もう少し何とか――前に通っていた学校の手続きなど――ならないのか、言いたかったけれども、そもそも行き場のない自分を引き取ったのはDIOだ。彼に余り大っぴらにわがままは言えない。

 しかし、この1週間、幸子は暇で暇で仕方がなかった。1日や2日ほどは、マライヤとミドラーが選んでくれた大量の服をためしに色々と着まわしてみたり、靴を履いてみたりして暇を潰していたのだが、それ以降はどうにも手持ち無沙汰で仕方なくなる。そこで、今度は真っ暗闇の探検に出かけようとした。しかし、それはテレンスに発見された途端に却下されてしまい5分も潰せなかった。
 部屋にこもっていても、テレビゲームやボードゲームなどの類はないし、館から極力外出する事を避けられている上に、探検も出来ないとなると、正直堪えるものがある。暫くはストレッチなどをして体が鈍り、肥満体系にならないよう心掛けていたが、そればかりやっているとそろそろ飽きが来る。
 なにか、欲しい。なんでもいいので、なにか刺激がほしい。

「はあ……」

 嘆息して、持っていたスプーンを皿の上に置いた。

「お気に召しませんでしたか?」
「えっ……あ、いえッ、とっても美味しいですよ」

 これは本心である。テレンスの料理はどれもプロ級の美味しさなのだ。流石はDIOの館の執事、と言ったところだろうか。

「では何か悩み事でも?」
「何も……ない事が悩みですか、ね」

 何か仕事が欲しいんです。そうポツリと呟く。しかし、「貴方はお客様だから」とクドクド、テレンスはもう幸子が耳にタコができる程に聞いてきた言葉を繰り返す。

「では、ほんの少しだけでも外出をしてみたいです。周辺のお散歩だけでも変わると思うんです」
「それはなりません。貴方様はDIO様のおそばにいなければならない身ですから」
「……」

 けち、と幸子は胸の内でひとりごちた。
 彼女は、ほんの少しだけでも外の空気を吸いたかった。ここに訪れて一度マライヤとミドラーと共に買い物へ出かけて以来、一度として外出などしていない。そろそろ、日の光を浴びたいものだ。ただでさえ色白なのだから、これ以上日に当たらないでいると血色の悪い人間になってしまう事必至だ。
 館の主、DIOに相談してはどうだろうか。まだ彼に一度として相談はしていなかった。もしも、彼が許可するのならば誰も文句は言うまいて。

(まだちょっと怖いけれど……私の居場所はどうせここにしかないし、逃げもしないからきっと許してくれる、よね)

 思い立ったが吉日、幸子はそそくさと朝食――けれどもきちんと「御馳走様」は言う――を済ませると、DIOが目が覚めるまで待つことにした。流石に睡眠の邪魔をするような無粋なマネはしない。

(早く夜にならないかなー)

 DIOはまるで吸血鬼のような生活習慣を送っていた。自称吸血鬼というだけあって、彼は夜に活動し、日が出る朝やお昼、夕方などはずっと館の中にいた。
 朝食を済ませた幸子は、館のホールへと降りる。そこで彼女は、置かれているソファに腰かけて一人、ブラブラと暇を持て余すのだ。

「おや、幸子様、ここにいらしたのですか」
「あ、テレンスさん」

 ホールに来てから約5分程経過したのちに、テレンスがやってきた。なんでも、これから少しの間出掛けるようだ。ついていきたい衝動に駆られたが、ここはグッとこらえて彼を見送る事にした。お昼までには帰ってこれるらしい。

「なにかあればヴァニラに申し付け下さい」
「分かりました…………あ、テレンスさん」
「はい」

 幸子は、ふと、思ったことを口にした。ただ、それだけだった。

「そのカバンよりも、もう少し大きめのを持っていく方がいいと思います」
「……なぜ?」
「なんとなくです」
「……わかりました、そうしましょう」

 テレンスはその後、先程よりも大きめのバッグを持って出て行った。

(何か買い出し、とかかな?)

 何のために出て行ったのか来ていない幸子には、想像する事しかできなかった。


 * * *


(暇だあ……暇過ぎてどうにかなりそうだよおお……)

 はあ、と嘆息する幸子。かれこれもうテレンスが出かけてから30分近く経過している。そろそろここで惚けているのも飽き飽きし、幸子は重い腰を上げて階段の方へと歩き出す。

(部屋に戻ったら何しよう……ストレッチ? でも、あれも飽きたからなあ……)

 今日何度目になるのやら、嘆息する。これほど夜が待ち遠しくなるとは思わなんだ。
 暇つぶしの中の暇つぶし、彼女はひょいひょいと階段を二段飛ばしで上り始める。順調にテンポよくトントンと彼女は上って行った。そして、右足が踊り場へと上がった時――

「えっ……」

 右足を掬われた。全身がそれにかけられていた為、彼女の体は簡単にバランスを崩し、後ろへと倒れてゆく。まずい、受け身をとらねば。そう思って体を捻った彼女の視界には、ぎっしりと階段の上に並べられた画鋲。もちろん、それら針は全て天井を向いていた。いつの間に並べられていたとか、そんな事は脳の隅に追いやる。
 彼女は階段の端を左足で思いきり蹴った。すると作用反作用の法則で彼女の体は飛ぶ。彼女の飛んだ先は、画鋲のない段。そこまで飛ぶと、空中でとっていた受け身のままゴロゴロと階段を転がり落ちる。

「ッ〜〜〜〜!! で、も……生きてるからッ」

 意識のあるうちに、幸子は己の傷を《クリア・エンプティ》によって『治す』。打った頭に出来た額の傷はみるみる塞がり、打った脇腹や足、腕の痛みはウソのように消えた。瞬間、彼女は床からすっくと起き上がり、辺りを見回した。暗闇の中に潜む気配を感じ取ろうと意識を集中させながら。

(ちょっと、気合いれなきゃあダメかも)

 そう思うと、彼女は服のポケットから青い紐を取り出す。そして、それを口で咥えると自身の長い髪を後ろで一つに束ねるとその青い紐で結った。サラリと流れる漆黒の髪は辺りを仄かに照らすランプの光を時折反射して、まるで光がさざ波のように波打っている様に見える。彼女の青い瞳は、覚悟を決めた色をしていた。
 戦う、女の顔であった。

「ッ!」

 彼女の頬に何か鋭利なモノが掠めた。瞬間、熱く、そして次にはじんわりと痛みが広がって行った。

「ううッ……!」

 幸子は、頬を手で押さえたまま走り出した。

(さっきのは、刃物……ナイフ?)

 狙いは微妙で、ほんの少し掠れた程度であった。直ぐに、《クリア・エンプティ》によって傷は塞がれる。

「誰ッ?」

 鋭い声音で彼女は暗闇に問う。しかし、それは広いホールに反響しただけだった。

「ッ!」

 幸子は暗闇に動く存在を視界の端で捉えた。すると彼女は《クリア・エンプティ》でその影を追う。そして、追いついた影の傍にあった花瓶をひっくり返したのだ。

「キャアッ!」

 割れた花瓶に驚き、足を縺れさせたのだろう。転倒した影から悲鳴があがる。幸子は、今度は《クリア・エンプティ》で花瓶を『直し』た。

「犯人は……貴方ですね」


 幸子は静かな声音で影に語りかけながら歩み寄る。彼女の表情は既に柔らかい物になっていた。もう、彼女に戦う意思はない。彼女の中で、すでに戦いは終わってるからだ。彼女はテーブルにあった燭台を持って近寄る。相手を刺激しないようにか、ゆっくりとだ。温かな光が灯る燭台を持って歩み寄ると、その光で影の正体が明らかになる。その正体を見た瞬間、幸子は思わず息をのんだ。女という事は悲鳴からすでに分かっていた。問題は、その者の格好であった。
 女の格好は薄い下着用のようなドレスのみ。ブラジャーやショーツさえも身に纏っていなかった。何故このような人間がこの館にいるのだろう。幸子は驚きで硬直してしまった。

「あ、の……大丈夫ですか」
「……ん……の……」
「え?」

 ウェーブするブロンド色の髪から覗くその容姿は誰もが羨むような美貌。マライヤとミドラーに負けず劣らずといった程だ。そんな女が、憎くてたまらないといった表情で見上げてきている。

「何で、アンタみたいな女がッ! DIO様の傍に居るのよォ!!」
「DIOさん?」

 もしや、と幸子は女の言わんとしている事を予測する。

「何か勘違いしてません、か?」
「なによ! 私より自分の方が優れているとでも思ってるのッ、このビチクソがァ――ッ!」
「び……うん?」

 最後の言葉、幸子をなじるような言葉だったとこは分かったのだが、いったいどんな意味を含んでいるのか分からなかった為、いまいち怒りが湧いてこない。

「違いますよ。私はDIOさんに拾われてここで養ってもらっているだけです」

 近々、仕事を貰って恩返しをするつもりだけれど。そう説明すれば、まるで毒気を抜かれたように女は大人しくなり、表情からも憎悪が消えていた。

「それ、ほんと?」
「はい、本当ですよ……仕事がなくて暇を持て余してばかりですが、いつか必ずちゃんとした仕事を貰って恩返しをしたいだけです」

 燭台を床に置き、茫然と見上げてくる女の前に膝をついて視線を合わせる。そして、ニッコリと彼女に微笑み、手を差し出すのだ。

「DIOさんと私はただの恩人と客人の関係です。きっと、DIOさんが見ているのは貴方だけですよ」
「……そ、そうよッ……当たり前じゃない」

 女は強気なセリフを吐き出しながら、差し出された手を取った。素直何だかそうでないんだか、いまいち微妙な態度に苦笑をもらしながらゆっくりと彼女を立ち上がらせた。

「お部屋までお連れしましょうか?」
「ええ、頼むわ」

 まるでお姫様になったかのような女の態度に、再び苦笑がもれた。DIOはこの館ではとてもモテモテだな、と思いながら、女をエスコートする。目指すは、DIOの部屋である。

「そっちじゃあないわ。こっちよ」
「あれ?」
「もう、この館にいる癖に、何も知らないのね」
「え、あれ?……う、う〜ん、未だにこの館の見取り図も貰っていないし、探検もさせて貰えてませんからよく分からないんですよ」

 DIOの部屋は覚えたはずなのだがなあ、なんて首を傾げながら、幸子は女をエスコートする。時々、「そっちじゃあない」なんて指摘されながら。
 漸くたどり着いたのは、一度も訪れた覚えのない場所であった。おかしいなあ、なんて胸の中で一人首を傾いでいると、突如、部屋の扉が開く。中から出てきたのは――上半身裸のDIOであった。

「ッ!!!?」

 幸子は条件反射的に後ろを向いてDIOに背中を見せた。女の方は、甘えるような声をだして彼にしな垂れる。
 なぜ、夕方の時間もまだまだであるにもかかわらず彼が起きているのだろう、とか何故この部屋にいるのだろうとか、そんな事は一切気にならない程に彼女は半ばパニックになっていた。

「おいおい、どうした幸子、耳が真っ赤だぞ」

 クツクツと至極愉快そうな声音でDIOは言った。そんな彼に、彼女は静かに「服を着て下さい」と返した。

「破廉恥です、恥ずかしい人です」
「これくらいで狼狽えるようでは、まだまだ子供だな」
「破廉恥になる事が大人になるという事なら一生子供でいいです」
「むくれるなよ、幸子」

 何が楽しくて彼は笑っているのか。ああ、恥ずかしがっている己をあざ笑っているのか。幸子は直ぐにでもこの場から離れたくてたまらなかった。彼女は早口に「失礼します」と言って足早に部屋を離れていく。そんな彼女の背中に、DIOの魔性の声がかかった。誰もを魅了し、誰もを惑わす、甘くとろけるようで美しいその声は確かに言った。

「今夜、私の部屋に来い」

 ちゃんと服を着ているのならば、と心の中で思いながら「はい」と答えた。


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