世界よ、逆流しろ


2-2



「……」
「……」

 沈黙が続く。

(……あれ、私なんのために呼ばれたんだろう)

 重厚な沈黙に、幸子はダラダラと冷や汗が噴き出る。別に沈黙は苦ではないのだが、相手が相手なだけに少々……いや、だいぶ息苦しい。
 ここは自分が切欠を作らなければならないのだろうか。幸子は、自分の膝にのる手をいじりながら思う。

「あ、あの……」
「来たか」
「え?」

 勇気を振り絞って発せられた言葉は、DIOの一言によって霧散する。二人のいる薄暗い部屋に訪れたのは、一人の老婆――エンヤ婆である。

「お呼びでしょうかDIO様」
「ああ、彼女を見てほしい……昨日は時間がなかったからな」
「ほほう……ではでは、失礼して」

 DIOにニッコリと微笑んだのち、エンヤは幸子の前に出る。幸子も、相手が年寄なのを気遣って彼女の視線に出来るだけ合わせようと少し屈んだ。これから何が行われるのか、彼女は全く分からないが、とりあえず、話が聞きやすい姿勢を取ったつもりなのだろう。
 しかし、これから行われるのは「会話」ではなく「占い」の類に似たような物だった。エンヤは暫く幸子の顔を見たのちに、ニンマリと皺くちゃの容貌を更に歪めて笑った。

「この娘……なかなか面白い相をもっておられる」
「え……」
「ほほう……して、その『相』とは?」
「はい……彼女から『幸福』の相が見られます。しかも強大な! 自分のみならず、傍に居る者すべてに『幸福』を与える力をもっておられますじゃ」

 エンヤの言う『幸福』と聞き、幸子はハッと息をのんだ。慌てて取り繕うも、敏いDIOがその変化を見逃すはずがなかった。

「どうした、幸子……何か思うところがあるのかい?」
「え、あ……いえ……むっ昔からある、ジンクスと一致するな、と……」
「ほう」

 キラリ、とDIOの真紅の瞳が光る。彼の不敵で興味深々といった表情を見て、幸子は慌てて首を振った。

「あ、いえ、でもっ、ただの噂みたいなものですし!」
「『火のない所で煙は立たぬ』……噂ができるのだ、そういった事もアリだろう。エンヤ婆の占いとも一致する」
「……あ、う」
「実際、『あった』んじゃあないか? そんな噂ができるような数々の奇妙な出来事が」

 幸子は、DIOの問いかけにもう首を横に振って否定するような事はしなかった。実際に、幾度となく体験したからだ。とても数奇で、奇妙な、『幸運』を。

「DIO様、絶対に、ぜっっっったいに、幸子様を手放してはなりませぬぞ! 彼女は必ずやDIO様に栄光を与えて下さりますじゃッ」

 エンヤは興奮気味に言う。そんな事をしていては血糖値が上がってしまうのではないかと幸子は横目で心配そうにしていた。自分の事についてとんと無頓着なのかそれとも謙遜するのを諦めたのか、彼女はただただエンヤの血糖値を気にしている。そんな彼女の事を知ってか知らずか、DIOは実に満足そうな笑みを浮かべて――

「ああ、さらさら、手放しはせん」
「えっ」
「そもそも、幸子、君は『どこにも』行く場所がないだろう?」

 彼は口角を上げて言う。その言葉に、ハッと幸子は表情を硬くする。しかし、すぐに――まだ強張りはあるものの――ゆるりと微笑んで頷いた。

「……そう、ですね」
「……」

 微笑した瞬間、DIOから笑みが消える。

「それでは、これにて失礼いたします」
「ああ、ご苦労だった」

 エンヤは、静々と部屋を退出した。残されたのは、DIOと幸子のみ。
 再び、静寂が訪れた。

「何故だ」

 沈黙を破ったのはDIO、部屋の主である。
 彼の問いが理解できなかったために、少々首を傾げる。

「君は全てを失った筈だ……それなのに、何故そう笑っていられる?」

 至極、不思議そうな表情を浮かべるDIOに、幸子は目を点にしてしまった。しかし、すぐに彼女は照れくさそうな表情を浮かべると、ここが『闇』であるにもかかわらず、朗らかな微笑みをたたえながら理由を述べるのだ。

「思い出、ですかね」
「思い出?」
「しいて言えば……『両親の愛』でしょうか」
「……」

 幸子は、嬉々とした表情で語りだす。楽しかった思い出の数々――自分が、二人に愛されていたという証。

「そんな事でか?」
「私にとってはとても大きな事だったんですよ」

 己はこんな素敵な人に愛されていたのだと、己はこんなにも温かな家庭の中で育ったのだと――そう自覚した時、ああ、自分は何て幸せ者だったのかと理解した。

「犯人はもう捕まりました……まだ、父と母や村のみんなを弔っていませんが、こっこれからやっても、いいですよね……?」
「ああ。しかし、もう私たちが済ませてしまったのだが……」
「あ、ああああの、村に連れて行ってもらえれば――というか、そこまでしてもらって本当に申し訳ないですっ」

 幸子はへこへこと頭を下げた。

「そ、それに……今こうしていられるのはDIOさんのお蔭でもあります」
「私?」
「はい……あの時、貴方が助けて下さったから……今の私があります。わたしは、生きていられるだけで、満足です。全てに、満足します」
「フン……理解できんな……父親の愛も、尊敬の念も、欲のなさも……」
「ははは……そう、ですか。私もちょっと恥ずかしいです、こんな話」

 恥ずかしい、と言っている割には羞恥心よりも楽しさの方が勝っているように、DIOは見えた。彼の眉間に、皺が寄る。
 ――……下らん。こんな世迷言、聞いてなんになる。予想できたはずだ。
 彼は頭(かぶり)を振ると、気を取り直す。今はこのくだらない話をさっさと終わらせて次の重要な点に触れなくてはならない――目的の為に。

「幸子」

 DIOは優しく語りかけるように、名を呼んだ。甘い甘いはちみつのように、見る者を魅了する薔薇のように。するとどうだろうか、どこの女も男も――否、老若男女問わず誰もが恍惚とした表情で、気を許し、全てを明かしてくれるのだ。

「はい、なんでしょうか」

 しかし、今目の前に座る少女はどうだろうか。全く、動じていないのだ。先程の家族の話題の所為か、それとも彼女にもともと『闇』が薄いのか――理由はなんにしろ、それでも聞いておかなければならない物がある。

「君の《能力》を少し見せてほしいんだ」
「《能力》……《スタンド》ですか?」
「ああ」

 いかにも、と頷けば、案外あっさりと彼女は了解した。

「まずは、これが私の《スタンド》である《クリア・エンプティ》です」

 すう、と幸子にしな垂れながら現れたのは人型のスタンド。手にはシックな針時計が抱えられており、彼(か)の瞳は虚空の闇一色。そのボディは薄皮のように半透明であるが、決して平たい訳ではなかった。まさに、名前の通りである。

「能力は『治す』」
「治す? どんなものでもか?」
「はい、どんなものでも……『10秒以内』ならば完璧に『治す』事ができます」
「それが過ぎると?」
「不完全な形で……完璧に『なおる』事は不可能になります」
「なるほど」

 DIOは試しに、と机の上に置いてあった花瓶を右手で割った。すると、DIOの手の平は花瓶の破片で傷つき、血が流れる。すると、ほとんど条件反射的なスピードで幸子の《クリア・エンプティ》が動く。一瞬、花瓶とDIOの右手の平が半透明な薄膜に包まれたかと思えば、あっという間に傷は『治り』、花瓶も元通り『直って』いた。
 ニンマリと笑みを深める。まさに、彼が予想していた通りの力、彼が欲していた力だったからだ。
 しかし、予想外だったのが一つあった。それを教えなければ……彼女は『成長』出来ないだろう。けれども、DIOは彼女の能力を成長させる訳ではない――『封印』と『研究』するのだ。そんな思惑を秘めているとはつゆ知らず、幸子は少しずつDIOを信用し始めて来たのか、初めの頃よりも随分と緊張がほぐれてきていた。

「あ、あの」
「ん?」

 おずおず、と言った感じで声をかけてきた小さな存在。そんな彼女に、DIOは穏やかな声音で「どうしたんだい? 言って御覧」と促す。すると、小さく弱いその存在は、ふわりと柔和に微笑みながら、一言。

「ありがとうございます」

 唐突だった。
 なにに対して、は一瞬思案したのちに把握した。

「どこにも行けなくなった私を拾って下さった事、部屋を与えて下さったこと、服や食事を与えて下さった事……こうして落ち着ける場所があるのは全てがDIOさんのお蔭です、だから、ありがとうございます」
「フン……ならば、このDIOの為におおいに働いてもらおう」
「はい、よろこんで!」

 こうして感謝され、尊敬の念を抱かれ、盲目的に信仰してくれるのは悪くない。むしろその方が利用しやすい。
 哀れだ、と彼はクツクツとあくどい笑みを腹の中で浮かべながら思う。何も知らない、まるで森の真の恐怖をしらないで入った、無垢で誘惑に弱い赤ずきんのようである。

 ――さて、どうして食べようか。

 血のように真っ赤な舌でペロリと唇を舐めると、鋭利な瞳で無知で無垢で愚鈍な少女を見据えた。

「あ、あのっ、どんなことをすればよろしいでしょうか!」
「とりあえず何もするな」

 爛々とする双眸で見上げてくる幸子に、ゆらり、と立ち上がって彼は言った。予想外な答えが返ってきた事で、幸子は目をこれでもかと言う程大きく見開いた。彼女は、立ち上がって歩み寄ってくる彼を見つめたまま、今度は困惑した表情を浮かべる。

「ええッ、い、いい今さっき働いてもらうって……」
「お前は……」
「ッ!?」

 幸子は仰け反る。DIOが真正面から迫ってきたからだ。近づく彼の端整な顔から逃げるように、彼女は頭をソファの背もたれに埋めていった。
 ついに逃げ場をなくした幸子は、動揺で瞳を揺らしながらDIOを見上げた。そんな彼女を、彼は至極愉快そうな笑みをたたえながら見下ろす。大柄な彼が――日本人にしては大柄だが――比較的に小柄な彼女の上に覆いかぶさるようにしている様は、傍目から見ても彼女から見てもDIOが襲っているようにしか見えない。
 体全身が、震えた。

「怯える必要はない、幸子……友達だろう?」

 見かねてか、耳元で囁いた。
 DIOの囁きを聞いた幸子は、緊張で心身を強張らせるが、一方で奇妙な安心感を抱く。彼の声は安らぎを与えてくれる、妖しい魅力があった。
 漆黒の髪を愛でるように梳く彼の大きな手は青白く、そして鋭利な爪が頬の上を何往復も横断していた。そうしているうちに、少しずつ彼女の震えはおさまってゆく。頃合いを見て、彼は再び、彼女の耳元に唇を寄せて囁いた。

「私の傍に居れば良い」

 こうして赤ずきんは狼よりももっと恐ろしい存在に捕まった。捕まったという自覚もないうちに。


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