世界よ、逆流しろ


1-3



 混沌する意識の中、彼女は体が誰かに運ばれてゆらゆら揺れている感覚がした。焦げ臭いにおいの代わりに、ふわふわと香水の匂いが鼻をくすぐった。ゆっくりと目を開けば、真っ暗闇の空に月のように金色に輝く金糸が目に飛び込んできた。

「おや、お目覚めかな?」

 びくり、と肩がわなないた。突然落とされた低く良い声に思わず驚いてしまったのだ。――否、それだけではない。突然落ちてきたその声に、なんだか心臓が鷲掴みされたような感覚を覚えたのだ。
 煌々と照らす光の下で、夜のひんやりとした風を受けながら歩く男は、暗い中でもはっきりとわかるほどに、この世のものではないかのような冷たい美貌と、筋骨隆々なのにため息の出るような肉体美を持っていた。このような男に、自分は今抱きかかえられて運ばれているのだと思うと、妙な感じがした。
 幸子は「貴方は誰?」と尋ねた。すると、男は悠々とした笑みを浮かべて真っ赤な瞳に彼女を映す。そして、ゆっくりと彼女にその端整な顔を近づける。なんて威圧的なのだろう。

「DIOだ」
「でぃ、お……さん?」

 鋭利な瞳がすぅと細められ、彼の口角が上がる。するとこれまた鋭利な牙が分厚い唇から覗く。まるで――

「人間じゃあないみたい……」

 世にも珍しい男を、幸子は目を丸くして見上げる。余りにも現実離れした雰囲気を持つ男だったので、思わずそう口に出てしまった。すると、男は不敵な笑みから何やら驚いたような表情に変わる。突然の変化に幸子が首を傾ぐと、男は整った唇を動かして言葉を紡ぐ。

「ほう、勘のいいやつだ」
「えっ……?」
「無意識か? それとも……」
「あっあの、さっきの言葉に気を悪くしたのならごめんなさい。貴方が余りにも人間離れした美しさだったから……」

 ――思わず口に出てしまいました。
 しゅん、とDIOの腕の中で小さくなる幸子。そんな彼女を見て「なるほどな」と彼は返した。

「人間離れしている、とは言い当て妙だな」
「……? どういう……」
「当たらずとも遠からず、だ……私は――」

 DIOは、ニヤリと口角をあげる。すると、彼の分厚い唇から鋭利な牙が月光を反射する。血の色のように紅い瞳は真っ直ぐに幸子の海を思わせる青い瞳を射抜く。
 見下ろしてくるDIOは、丁度幸子から月を背負っているようなアングルになる。彼女から見た光景はなんとも幻想的だった。

「吸血鬼だ」
「ヴァ……ヴァンパイア……」
「私が怖いかね?」
「……とって食べられてしまうのでしょうか……?」

 胸の前で両手を握り問う。すると、DIOは一度天を仰ぐ。

「いいや。私は絵本などに出てくる吸血鬼とは違うのでね」
「じゃあ、余り怖くはないです」
「ククッ、そうか、そうか……」

 くつくつと笑いをかみしめるDIO。ここにきて、初めて彼が威圧的でない笑みを浮かべる。こっちの方が割かし好きかもしれないと、幸子は思った。好青年のような笑みを浮かべるDIOをまじまじと見上げていると、ふと彼と視線が交わる。

「このDIOを目の前にしてそのような顔をするとはな……ますます興味が湧いた」
(そのような?……って、どんな顔?)

 DIOはまた楽しそうにくつくつ笑う。そして改めて幸子を見下ろすと、彼は言った。

「君のご両親の事は残念に思うよ」
「あ……」

 そうだ、自分は、自分の家族は、あの男たちに――

「偶々近くを通ってね、何か様子がおかしいと思って来てみたら、村が襲われているじゃあないか」
「……あっあの、私以外の人はっ……!」
「残念だが、君以外の生存者はいなかったようだ……君が屋敷に飛び込むのを見て驚いたよ。もう手遅れになるかと思ったさ」
「ごっごめんなさい……パパとママを助けなくちゃと思って……あの、助けて下さってありがとうございます」
「いや、いいさ」

 DIOは綺麗に微笑んだ。

「……あ、あの、DIOさんはどうしてこんな小さな村に……?」

 そもそも吸血鬼なんて絵空事みたいだと、余り信じる方ではないはずだったのだ。DIOの存在すら怪しい。出来過ぎているじゃあないか。近くを近くを通りかかったら惨事に出くわす、なんて。

「仲間を探していたのだよ」
「なか、ま……?」
「ああ」

 仲間を探していた、とは――?

「そうだ、行く当てがないのなら、私の屋敷に来ないかい?」
「DIOさん、の……?」
「ああ。ここで会ったのも何かの縁だ。それに、おそらく私と君は《同じ力》を持っているだろうからね」
「お、同じ力、って、一体……」
「フッ……その前に暫く君は休んだ方がいい」

 言って、DIOは幸子を片手で抱えなおすと、開いた方の手で彼女の顔を覆う。そして、囁くように彼は言った。

「おやすみ、幸子」

 何故名前を知っているのか、とか同じ力とは果たしてなんなのか、とか――疑問は尽きなかったが、とにかく彼女は疲れていた。ドライブに行ってはしゃぎまわっただけでなく、大事なものを全て失ってしまったのを、まざまざと見せつけられてしまったからだ。もう自分にはどこに行けばいいのか分からない。日本に帰っても、母の実家は、アメリカ人と結婚すると聞いて勘当されてしまったから、頼れるわけがなかった。
 このDIOという男だけが、幸子の頼りだった。

「おや、すみなさい……」

 ふっと意識が再び闇に飲み込まれる。素直に従って眠った幸子を見て、DIOは満足そうに笑った。


 * * *


 次に目を覚ました時も、真っ暗な闇が広がる時間だった。

「随分ぐっすりだったじゃあないか。このまま目を覚まさないのかと思ったよ」
「DIOさ、ん……」

 時間間隔が狂いそうになったが、一日中寝ていて、今DIOに抱えられているのは、これから丁度、そう――この目の前にある大きな屋敷の中に入ろうというところだったからだ。

「こっここは……」
「エジプトだ。そして目の前にあるのが私の屋敷だ」

 立派な家に、ごくっと喉を鳴らし、緊張する幸子。

「大丈夫さ、何も恐れることは無いんだよ」

 そっとDIOは幸子をその場に下ろす。そして、震える彼女の肩に両手をそっと添えた。

「DIO、さ……」
「んー?」
「わっ、私、今更こんな事をいうのは、いけないと思うの、ですがっ……」

 緊張で手を震わせる幸子は、乾いた唇を舐めて湿らせる。

「わっ私、見えないものが、見えるんです……だっだから、もしかしたら、それで、貴方に何かご迷惑を……」
「なんだ、そんな事か」
「え?」
「そういう事なら気にしなくてもいいさ。言っただろう。私は君と同じ力をもつ、と」
「えっ、まっまさか……!」
「君の傍にたたずむソレは、《スタンド》という」
「す、すたんど……」
「君を理解できるのは私だけだ。ご両親も理解できなかったことを理解できるのは、同じ力を持つ私だけだ」
「DIOさん、だけ……」
「そうさ。それに、私なら君の生活を保障できる……さぁ、私と共に行こうじゃあないか……幸子、友達になろう」

 手が差し伸べられた。温度を感じない、真っ白な手であった。
 幸子は一瞬躊躇した。何故かはわからないが、彼の手を取ってしまうと何かが終わってしまう気がしたのだ。本能的に、ついて行ってはいけない、と思ったのか。
 けれど、これからどうする? 彼について行かないで、いったいどこに自分が安らぐ場所があるだろうか――否。

「……は、い」

 幸子はその手を取る。大きく、冷たい、その手を。
 男が、悪魔のように笑うのにも、気づかずに――


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