世界よ、逆流しろ


1-2



 幸子の一日は、朝の不吉な風を除いては至って普通であった。もしや、杞憂であったのかという程に、楽しいドライブの日であった。照りつける太陽の光は素敵であったし、友人たちが連れて行ってくれたアメフトの試合観戦はちょっと自分には激しすぎて苦笑ものだったが、それがアメリカの特徴であればそうなのだから気にしないことにした。
 何気ない一日が過ごせたのはきっと《クリア・エンプティ》が守ってくれたのだ、と彼女は思った。彼女にとって、傍にたたずむ《クリア・エンプティ》の存在は守り神や守護霊と同等だったからだ。いつでも、どこでも、必要な時に傍にいてくれる、家族とや友人とはまた違った大切な存在である。

「またねー」
「うん、またねみんな」
「マイクが今度貴方をデートに誘いたいってー」
「ばっ!? おいケシー何を急に!」
「うーん、パパが許してくれるかなぁ」
「家についたらでいいから返事をくれ!」
「Ok, 考えておくよマイク」

 幸子は、村に入る手前の道のところで友人たちに車を下ろしてもらうと、手を振って別れた。さりげなくデートのお誘いを受けた。それには返事を曖昧にしておいて、家に帰る途中でじっくり考えようと思い、幸子はぽつぽつと歩き始めた。

(今日の夕飯は私の好きなちらし寿司だし、不吉な予感も気のせいだし、大丈夫大丈夫)

 鼻歌を歌うことにした。最近聞いた、お気に入りの曲のサビをテンポよく歌い始める。心なしか足取りも軽くなっていった。

「ん?」

 悲鳴が、聞こえた気がした。村の中からだ。
 ふと、幸子は妙な胸騒ぎがよみがえって来る感覚がした。空を見上げれば、夕日に混じって何かちりちりと赤いものが飛んでいる気がする。
 慌てて駆け込めば、そこには想像を絶する光景が広がっていた。
 阿鼻叫喚の嵐に、家々を飲み込むかのような轟々とした炎、絶望を嘆くような鳴き声があちこちから聞こえてきていた。

「な、なに、なんなのこれっ……!?」

 幸子は家まで走った。パパ、ママ、おじいちゃん、おばあちゃん――!
 家が見えて来た瞬間、幸子は「最悪」を想像してしまった。

「私達の家が燃えてる……」

 舐めるように揺らめく炎、立ち込める煙、あちこちからガラスの砕ける音が聞こえる。

「《クリア・エンプティ》!」

 自分のいつもそばにいてくれる「存在」を呼び、幸子は水を被ると屋敷に突入した。

「けほけほっ……ママっ、パパっ……!」

 ごうごうと辺りを飲み込んでいく炎を《クリア・エンプティ》で退けて進む幸子は、必死に両親を呼んだ。

「おじちゃ……っばちゃっ……! 返事して!」

 物が落ちてきそうになったが、ギリギリのところで避ける。

「ぱぱっ、ままっ……!」

 悲痛な叫びが届いたのか、ふと奥の方で物音が聞こえて来た。扉はしまっている。幸子は意を決して、一度扉から距離を取ると、助走をつけ、扉に体当たりをしたのだ。

「ぱぱ……!」

 扉を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、床に伏す父親だった。軍人上がりの彼がどうして地に伏せた状態なのか、信じられなかったが、疑問に思っている場合ではない。すぐさま父親を助けなければと幸子は彼に駆け寄った。

「パパっ、パパっ、しっかりして……お願い起きて、ねえぱっ……」

 ふと、幸子は父親の下に何かあることに気づいた。床に流れる、真っ赤な――

「ひっ!?」

 喉を引き攣らせ、幸子は父親から距離を取った。自分の手を見て見れば、真っ赤に染まる、それ。

「あ、こ、こ、これっ、血、血がっ……」

 父の顔を見れば、青くなっていて、既に息をしていなかった。ふと周りを見れば、父の傍には、仰向けになって腹から"何か"を出している祖父の姿があった。祖母は、そんな祖父の近くで腰から下を無くして横になっている。

「うっ、あ、がっ……オっ、うっ」

 急に胃からすっぱいものが逆流してくる感じを覚え、幸子は口にたまったものを思わず吐き出してしまった。

「そんな、だれが、こんなこと」

 ガクガクと足を震わせながら幸子は立ち上がり、今度は母親を探した。もう一つ奥に続く部屋の扉が開きっぱなしになっていて、そこにいるのではとフラフラした足取りで近づく。近づくにつれて、話し声が聞こえて来た。

「おい、本気かよ」
「まだ温かいから平気だって」
「趣味わりーな」

 ぼそぼそと聞こえてくるその声に、恐怖を感じながらも幸子は部屋を覗く。そして、彼女は後悔した。

「ま、ま……」
「あー?」

 その場にいる者が一様に振り返る。全員男だった。そして、そのうちの一人が、見覚えのある女性の両足を開かせて何かをしている最中だった。
 女性は、母。そして、彼女は既に白目をして死んでいた。

「ほぉー! こりゃ別嬪さんじゃあねーかー!」
「ハーフってマジだったんだな。すげぇ」
「ひっ……」
「怯えちゃってるぜぇ?」
「そりゃお前、死体に対してこんなことしてるトコみりゃ誰だってそう思うだろ」

 母を殺した。
 殺した母の体を汚した。
 自分の欲望の為に。
 自分の自己満足の為に。

「っ――!」

 自分の中で何かが振り切れる音がした。男たちがこちらに気かづいてくる。母を汚した男も、汚らわしいものをそのままにして近づいてくる。

「さーて、お嬢ちゃん、痛い思いしたくなかったら……」
「どうすると言うのだ?」

 ふと、下卑た男たちとは別の、上品で位の高そうな声がした。静かに落ち着いたその声は、この場には余り相応しくなくて、とてもシュールだったが、男たちの動きはそれで止まった。茫然自失としていた幸子さえ、その声に引き付けられ、声を探すことになる。

「だ、誰だお前!」
「どこから入った!?」
「テレンスの奴は上手くやったみたいだな」
「あ? んだ? もっとはっきりチャベリやがれよぉ!」

 真っ赤に染まりつつある景色の中でも光を集めて輝く金糸に目を奪われる。男たちが、金目当てに、その品格のある青年を脅すも、青年は全くそれを意に介さずに、幸子を真っ直ぐに見つめている。

「そこのお嬢さん」
「っは、はい……」
「助けてやろうか?」
「えっ……」

 青年の思わぬ言葉に、最初は何を言っているのか分からなかった。彼は、勝てるというのだろうか。この武器を持った大人数の男たちを相手にして。けれども、青年からは何故かは分からないが底知れぬものを感じた。体格だって凄まじい。丸太のような足に均整の取れた肉体美はミケランジェロ以上かもしれない。

「はー! 女の前で恰好つけんなこの二枚目がー!」

 一人が青年に向かってゆく。しかし、男の持つ武器が青年の体に届く前に、男は首を無くしてたおれていた。

「……えっ」

 どういう事。訳が分からない。瞬きの間に、いつの間にかすべては終わっていた。

「さて、お前たちはどうする?」

 ゾッとするような冷たい笑みを向けられた男たちは恐怖し、部屋を出ていく。残された幸子は、今までのショックや、部屋に充満する煙の所為で気絶してしまったのだった。


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