風邪をひいてしまった。
もともと、体が弱いわたしはちょくちょく体調を崩してしまうことが多かった。最近までは優しい友人たちのお蔭で身体の調子も気分も良かったのだけれど……ある日を境にわたしの体調は坂を転げ落ちるようにして急降下していったのだ。
それは、仗助くんが大けがを負って病院に運ばれた日のことだ。彼は、何故か脇腹や頭を大きく負傷して血を流していた。それを見た瞬間気が遠くなりかけた。
しかし、いつも励まして貰っているわたしが、今ここで彼を励まし返してあげなければどうする、と己を奮起させ、怪我を負った彼が元気になるようお見舞いによく行った。嬉しそうに「よう!」と返してくれるから、初めはムリしてるんじゃないかと思った。けれど、そうでなくて、本当に喜んでいるみたいだからワタシも嬉しくなった。
暫くして彼が元気になり――わたしは、緊張の糸が解けたのか疲労感と今までの身体の不調が一気に圧し掛かって来て、倒れてしまったのだった。
誘発的に熱を出し、学校を休まざるを得なくなる。医師の診断によれば、一週間はベッドの上でよくよく休養を取るのが大事なのだそう。
でも、三日も寝たきりとなると、こういう状況には嘆かわしいことに慣れている、とはいえ……賑やかな空間を知ってしまったわたしにとって、平坦で周りに大きな声が聞こえない日々が苦痛でしかなかった。
(暇だなあ……)
身体を起き上がらせることすら億劫だから、ベッドに横になったまま窓から差し込む光を眺めるほかない。今日は憎いくらいに天気は快晴で、わたしは外へ出かけたい衝動に駆られる。
会いたいな。そう思ったときに、ふと浮かんだ顔は――
ぴんぽーん。
みょうじ家に鳴り響くインターホン。ワタシの代わりに母が玄関に出るだろう。
暇だ暇だと嘆きながら、早く身体が良くなることを切実に願う。そんな時だった。かちゃり、とワタシの部屋の扉が開く。でも、振り返るのが億劫で、どうせお母さんだろうと思いながら目を瞑っていると、不意に声をかけられた。
「なまえ」
どき、と心臓が跳ねる。
心地よい低い声は――
「仗助くん?」
「起きてたか」
ホッとしたような顔をして、彼は静かに近寄ってきた。顔を覗き込むようにして私を見たのち、彼は床に座り込む。目が合うと、二カッと笑みを向けられた。
「思った以上に……悪そうだなァ」
「そう、かな?」
「おう。声がいつもよりかれてるぜ……」
「まあ、風邪ひいてるし」
うつらないよう、余り近づかないでね。そう忠告すると彼は眉間に皺を寄せた。そして、逞しい腕をこちらへ伸ばすとポン、と頭を撫でてきた。
ナデナデワシワシと髪の毛を弄る彼の手が、気持ちよくて睡魔が突如迫る。けれど、せっかく彼が来てくれたのに、もったいなくて、意地でも眠るまいと目を開いた。
「つれーだろ……寝とけよ」
「勿体ないから、いやだ」
「なんだよ……そんなんじゃあ良くなるもんもならねーよ」
「いやだ」
「んじゃあ……」
「いやだ」
「……我が儘だなァ、オメーはよ〜〜」
困ったように笑う仗助くん。困らせてしまった罪悪感と、彼との時間を独り占めできている優越感が己の中でせめぎ合う。
「ったく、しょ〜がね〜なァ〜」
仗助くんはそう言って、鞄から色んな物を出してきた。今気づいたけど、珍しくぺったんこ鞄が膨らんでいた。
鞄から取り出したのは、冷えピタ、スポドリ、ゼリーに康一くんから借りたのだろう漫画本数冊。わたしが気になっているものだと康一くんから聞いたのだろう、丁度読みたい奴だった。ナイスチョイス康一くん。
仗助くんはそれらのウチ、スポドリを手に取ってキャップを取るとわたしに渡してきた。
「ホラよ。喉が嗄れてる……飲んどけ」
「……うん、ありがと」
声がかれていたのは、多分丁度喉が渇いていたからだと思う。彼の大きな手からスポドリを受け取って呑む。冷たい液を喉に流し込む度に、気持ちのいい感じがした。
お礼を言うと、彼はさり気なくボトルを取ってキャップを閉めた。ううん、カッコイイ。
「腹は?」
「ちょっと小腹すいてる」
「ならコレだな」
そう言って彼がゼリーのふたを開ける。スプーンですくわれた固形はぷるりと震える。
「ホレ」
「……」
「食えよ」
「じ、自分で……」
「折角、仗助クンがなまえチャンの為に『あーん』してやろうと思ったのによォ〜〜。フラれたオレ悲しいぃ〜〜」
「えっ、あっ、ごめっ……――あむっ!」
普段ならそのセリフを吐いて意地悪な顔をするのに、今日に限って困ったように笑うから、戸惑ってしまう。悲しい顔をさせたくなくて、「どうにでもなれ!」と目の前のスプーンに飛びつく。ゼリーはイチゴ味だった。
「うンまいか?」
「……うンまいです」
イチゴ味が好きなの、誰から聞いたんだろう。彼には、言ってなかったと思うんだけど。
どうしよう、どきどきが止まらない。顔が熱いのは、風邪で引き起こされる熱のせいだけじゃないよ。
ゼリーを完食するまで、わたしは仗助くんに『あーん』されてしまった。彼は、わたしが慌てて食べないように、食べやすいように、食べるのが苦痛にならないように、気遣ってくれた。時々休んでお話しして、また食べて、ちょこっと漫画を読んで。
……なんだか、雛鳥になったみたいだ。
「ホントはよォ、トニオんとこ連れていってさっさとこの風邪直してやりてートコなんだが……」
「トニオさんの作るお料理は本当に美味しいからまた食べたいねえ」
「……おう」
あれれ、ほんのちょこっと、仗助くんが不機嫌になちゃったぞ。
トニオさんの作るお料理は不思議な事に、身体の悪い所が全て直ってしまう。彼が、お客の身体に合わせて料理を作ってくれるからだ。一度、トニオさんの店の道中で発作を起こして苦しんでいる所、彼の店に連れて来られ、治してもらった事があった。
命からがら食べて、それで美味しくてとまらなくて――ってしていたら、急に心臓が飛び出してきたのだ。自分のが、物理的に。
信じられないホラーなその光景に吃驚してパニックになっていたら、いつの間にか心臓が飛び出した胸は元通りになっていて、気が付けば発作もおさまっていた。
家に帰ってから気づいたが、発作が治まっただけでなく、なんともともと心臓の病気持ちだったわたしは、いつの間にかそれすらも治ってしまっていた。きっとこれはトニオさんのお蔭だと思い、仗助くんに頼んで彼にもう一度会ってお礼を叫んでしまった。
(でも、どうしてトニオさんのお料理が美味しいって言っただけで機嫌を損ねてしまったのだろう? うーむ?)
ベッドに横になって、仗助くんに頭を撫でて貰いながら考える。
(思ったけど、わたしの身体が弱いから、今こうして彼がここにいるんだよね……)
昔は自分の身体の弱さが恨めしかった。健康体である周りの人達も同様に恨めしかった。
でも、今は……今この仗助くんを独り占めできているこの瞬間だけは、身体が弱いから風邪をひいてしまったことに良かったと思う。我ながらゲンキンな奴だ。
「仗助くん……」
他のみんなとはちがう、キラキラと宝石のような瞳を見つめながら、わたしは思うのです。
「今ちょっとだけ、今だけ体が弱くて良かったなって思ったよ」
それは、君がここにいるから。心配して、貰えるから。
そう言うと、仗助くんは一度目を大きく見張り、そして顔を俯かせたと思えば長い溜息をついた。
「言っとくけどよ〜……オトコがオンナの見舞いに行くのは二つの感情があるからなんだぜ〜〜」
「?」
仗助くんは顔を上げる。気のせいか、仄かに顔が赤い。風邪をうつしてしまったのかと、やきもきしていると、彼は厚みのある唇を尖らせていうのだ。
「男なんてなァ、親切心と一緒に下心があるに決まってんだよ」
――ああ、何故彼は簡単にそのような言葉を吐くのだ。
――甘い、甘い。身体にはちょっと刺激の強い。
――とろとろの蜜。
――――
あとがき
前々から主人公に思いを寄せちゃったりしちゃったりしている仗助くん。
という設定。
のん様、遅れてしまい大変申し訳ありませんでした!
風邪っぴきで身体の弱い主人公を大事に大事に書こうと思ったしだいですッ。
よろしければ受け取って下さいませ!
更新日 2014.04.20(Sun)
親切心と下心
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