みょうじなまえには、秘密があった。誰にも、言いたくても言えない秘密があった――いや、秘密というよりも、悩みといった方が的確だろう。
彼女には、悩みがあった。
「よォーなまえ」
「おはよう、東方くん」
東方仗助、この男は彼女の通う学校では有名である。
日本人離れな堀の深い顔に、まだ無邪気さは残るが大人びたハスキーボイス、180センチ越えという高身長に加え、人当たりの良い性格と来た。同学年(特に女子)からの人気絶大な彼は、独特なリーゼントと改造学ランを着こなす不良であった。
そんな異様な雰囲気をもつ彼とは、かけがえのない友達である。きっかけは取るに足らない日常の一コマのようなものだ。ここで取り上げる程ではない。
「最近、元気ねーけどよォ、なにがあった?」
「え?」
まるで、確信を持っている仗助の言葉に、なまえは困惑した。戸惑いながらも首を振り、なんでもないと答える。すると、宝石のように綺麗な彼の瞳が不機嫌な色をし出した。彼は、分厚い唇を突出して屈むと、ぐっと顔を近づけてくる。リーゼントの先が、ちょこん、となまえの額に着いた瞬間、教室中に黄色い悲鳴が轟いた。
仗助は人気者である。女子からのラブレターやら告白は絶えない。しかし、仗助自身、恋愛に無頓着であるのか、甘い声で誘われてもポケーっとした顔で回避してしまうのである。そんな彼が、一人の女子に詰め寄り、ありえない距離まで来られれば、周りの女子はさぞ悔しかろう、悲しかろう。嫉妬心からくる鋭い視線が、なまえに突き刺さる中、仗助は苛立たしげな表情のまま話しを続けた。
「そーやって誤魔化そうとすんじゃあねェ、こっちは日に日に濃くなってくアンタの目元見んのが辛いんだからよ〜〜ッ」
「え……」
どきり、と仗助の言葉に心臓がうなる。目が合わせられなくなり、彼女は視線を横へと泳がせた。
「ほんと、なんでもないんだってば……もう、心配し過ぎだよ、君は」
この問題は、周りに影響するかもしれない。だから、怖くて相談なんて出来ない。あのように奇妙奇天烈摩訶不思議な現象は、誰にも信じてはもらえまい。
「……なんかあったら、絶対、悪くなる前におれに言えよ」
「え?」
「絶対だぜ、分かったな!」
「……」
「返事!」
「は、はいぃ〜〜っ!」
最後まで渋ろうとするなまえに痺れをきらしたのか、仗助は目を三角にして声を張り上げた。至近距離でドスの利いた怒声を浴びせられ、ましてや威圧感のある顔で迫られれば、涙を浮かべながら頷くほかない。納得はしていないが今日はこの辺で見逃してやる、だなんて言いながら、彼は颯爽と親友億泰のもとへと去って行った。
* * *
放課後、遅くなって一人で暗い町を歩くなまえ。住宅街を歩いているため、チラチラと窓にかかるカーテンの隙間から零れる光が夜道を照らしていており、足もとは明るい。それでも、彼女は不安げに辺りを警戒しながら、足早に我が家を目指していた。
なまえの心臓はやけに早く拍をうち、背中にと額には冷や汗を浮かばせている。不安に揺れる黒い瞳は、影の中に何か潜んでいるのではと疑心暗鬼している。
ローファーの足音だけが、彼女の耳にこだまする――
クラスメイトで仲のいい男友達である虹村億泰と東方仗助の家を過ぎ、女友達の家を二つ程過ぎた頃、漸く彼女の家の明かりが見えてきた。そのことに、ほう、と安堵の色を浮かべたなまえは歩調はそのままに気分をいい意味で高揚させた。
「っ!」
しかし、家の玄関まであと数メートルといったところで、彼女の足音とは別のソレが聞こえてきた。彼女が速度を上げれば速度を上げ、下げれば下がる。一定距離を保ったままに足音はついてきていた。
いつ、どこから、どうやって、彼女が感知するテリトリーまで姿を見られずに近づいたのだろう。聞こえるか聞こえないかの微妙なラインをキープする足音は、彼女の不安をかき立てるには十分すぎた。
落ち着いてきていたはずの心臓の鼓動は加速してゆき、暴れ過ぎて彼女の口から飛び出てしまう程だ。息苦しいほどに、仕事をする心臓のせいで、呼吸は乱れ、吐く息は荒い。
なまえは走った。あと少し、あと少しで玄関なのだ。
ドアに体当たりするような勢いで玄関を照らすライトの下へとたどり着くと、ガチャガチャとドアノブを必死で回す。しかし、鍵がかかってそのままでは開かない。なまえは次に、鍵を取り出そうとした。しかし、いつも入っている筈のポケットの中になかった。
「ここだよ」
「っ!?」
耳に纏わりつくような声に、体全身が金縛りにあったかのように硬直し、身動きが取れなくなる。ぞわりぞわりと首の後ろの毛が逆立っているようなかんかくに、警戒心剥き出しの猫になった気分だ。
背後に、いる。すぐ、そこに、呼吸を感じる。
声は、初めて聞く。
男、だった。
(う、そ……)
ちゃり、と音がしたと思えば、眼前に出される見覚えのある形と人形が付いている鍵。それは、まさしく彼女の探し求めていた家の鍵だった。
「ポケットにいつもお気に入りのキーホルダーのついた鍵を入れていること、知っているよ」
「あの、右から二番目の二階の窓があるのが君の部屋だっていうこと、知っているよ」
「ご飯を食べた後にお気に入りのバラエティを見てからお風呂に入っているのを、知っているよ」
「君が何を好きで何が嫌いか趣味の数はいくつか、自分でも気づかない癖はなにか、寝ている時の体勢はどんなのが好きか、全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部ぜぇ〜〜〜〜っっっんぶッ、知っているよ」
なまえは生理的に涙を流す。恐怖と嫌悪、気味悪さと気持ち悪さ、そういった負の感情が一つの心と言う鍋の中でぐちゃぐちゃに混ざり合ってしまった結果だ。
ぶるぶると足は生まれたての小鹿のように震え、呼吸は上手くできずに喉でつっかえる。耳元で、男の生ぬるい息が当たるたびに背筋が凍る。
(やだ、やだ、だれか、助けてっ……お願い、神様、なんでもするから、だから、どうか、助けて下さいっ)
いまにも泣きじゃくって切願したい気分だった。
ドアノブを掴んだまま硬直する彼女は、男から見ればさぞ滑稽だろう。男は、ニヤリと口元を歪めて、無防備に晒されているなまえの項に噛みつこうとした。
「えっ」
突如、「ドラァッ!」という雄々しい叫びが聞こえたかと思えば、背後にあった嫌な気配は掻き消えていた。そして次の瞬間、見覚えのある逞しい腕が後ろから回され、後ろへと引かれた。とん、と背中に当たったのは硬くもぬくもりのある壁。思わず見上げれば、鬼のような形相で彼方を睨む仗助の顔が間近にあった。思わぬ至近距離に、なまえの心臓はさっきまでとは別の意味ではねた。
彼の睨む方を見れば、誰かが倒れていた。残暑が厳しい時期に、分厚いジャケットを着こみ、ファー付きフードを目深に被る。ズボンはだぼだぼで汚らしく、全体的に見て不衛生な印象を与える男だった。
「もう聞こえちゃいねーだろうが言ってやるぜ。てめーのやわな《スタンド》じゃあ人に嫌がらせすんのが関の山だろうがよォ、ここいらでちょいとヤキいれてやるぜ……ったく、誰の許可得てコイツに手ェ出してんだあ? コラッ?」
不審者に対する仗助の態度は容赦ない。
なまえは、初めて彼が激高している姿を目撃した。
「ケーサツ呼んであっから、おれらはこの場を離れようぜ」
「う、ん」
仗助は、なまえの腕を引くとそのまま歩き出す。どんどん彼女の家から遠ざかってゆくが、彼女はそれを気にも留めず、いや、気にするほど頭が回らないのだ。ただただ、ついていった。
「東方くん、ありがと……」
腕を引かれながら、ポツリと呟いた。仗助は、前を向いたまま返事をしない。
「神様に、なんでもするから助けてって、お願いしたの。怖くて。そしたら、君が来てくれて、ホッとした。ありがと」
「おう」
暫く歩くと、オーソン前。仗助はそこに迷うことなく入ると、あんまんと肉まんを購入した。ほっかほかの二つが入った袋を手にさげながら、再び歩き出した。
着いたのは、公園だった。しん、と静寂に包まれたそこは、いつも見る風景とはまた違って見える。二人は、この公園にあるベンチの一つに向かう。どかり、と仗助が座り、彼が腕を引いて催促しながらなまえも横に腰を下ろした。
「ほれ」
仗助があんまんを差し出した。
「え……でも、」
「好きだろ? いーから食えって……なんでも、するんだろ?」
「へ?」
「神様になんでもするって誓ったんだろ? それじゃあ、おれがせっかく買ったあんまんを食ってくれよ」
「あ……」
目に見えない神様の代わりに、仗助の言うことを聞く。そういうことだろう。そうやって、人に物を頼むことが苦手な彼女を、気負いせずに甘えるよう立ち回る彼は、なんと紳士なことか。
なまえは頬を染め、頷いてから彼が差し出すあんまんを手に取った。ほかほかと温かい、そしていい香りのするあんまん。ゆっくりと口を開けてパクリ、とかぶりつく。フワフワの生地のなかに仄かに甘い餡子を咀嚼すると、彼女の胸に熱いモノがこみ上げてきた。
嚥下する間もなく、彼女の双眸からは大粒の涙がこぼれ始めた。ボロボロと止まることなく流れ続けるそれは、とてもしょっぱい。
うまいか、と問う彼になまえは嗚咽をこらえることなく、何度も何度も頷いた。
「これも食えよ」
あんまんを食べ終えて涙もそこそこに落ち着いてくると、今度は肉まんを差し出された。ほんの少し冷めてしまった肉まんだが、ほかほかと温かそうな湯気は健在だった。
柔らかい笑みで言うものだから、なまえは彼の手から肉まんを受け取る。そして、ぱくり、と一口食べる。また、涙がぶり返してきた。
「泣くほどうめーかよ」
「だっ、て……今なら、東方くんの差し出す食べ物ぜんぶ泣きながら食べれる自信、あるよっ」
「ハハッ、ンだよそれ。おもしれェー」
ばふばふと肉まんを頬張るほどに詰め込む。鼻をすすりながらもっちゃもっちゃと咀嚼した。
「一口くれ」
仗助は、なまえの手首を掴むな否や、それを引き、顔もそっと寄せて大きな口をあけた。呆気にとられている彼女をよそに、大口で彼はなまえの食べたアトのある部分を覆い尽くすようにして齧り付いた。
「うンめぇ〜〜」
口に付着したカスを指で払いながら彼は言う。満足そうな顔をしている彼の隣で、肉まんを握るなまえの顔は真っ赤に茹で上がっていた。
(かっかかかか間接っ、きっす……!)
実は、仗助に想いを寄せていたりしちゃったりしているなまえ。仗助の先程の行動は彼女の心臓に相当堪えただろう。余りの気恥ずかしさから、赤い顔で俯いてしまう。そんな彼女の様子に、仗助は穏やかな笑みを浮かべたまま嬉しそうにしていた。
「もう、困ったことがあったら隠すなよ」
肉まんを平らげると、仗助がおもむろに言った。なまえは答えない。
暫く静寂を挟んだのち、彼女は漸く口を開いた。
「迷惑、じゃない」
ぽつり、と二人の間に落ちた声。そこからまた、静寂が訪れる。
仗助は長い溜息をつく。そして、大きな手をなまえの頭の上に乗せてぐりぐりと手のひらを押し付けると、眉間に皺を寄せながら言う。
「迷惑だなんて思うかよ……心配、するだろ」
「……」
ああ、なんて優しいのだろう。なまえは、胸がじん、と疼くのが分かった。
見た目は不良っぽいし、口調だって乱雑で荒っぽい。よくバカみたいなことに盛り上がっているから時々ついて行けなくなる。けれど、一方で、困っている人間を放っておけなかったり、友人想いだったり。見た目はどうであれ、彼の心はとても澄みきっている。
「女の子が無理するもんじゃあねーよ。おれら、友達だろ? これくらい、頼れよ」
「……うん」
摩訶不思議な現象を引き起こす不審者に付け回されていて、誰にも相談できなかったなまえであった。しかし、いま、目の前にいる心優しき不良には、なにか《不思議》な力があるのか、摩訶不思議な現象をおこす不審者をなんとかしてくれるという期待を抱ける。事実、彼は不審者を一発でKOしてくれた。
「ありがとう」
「おう」
ニッと人好きする笑顔を浮かべる彼が、とても眩しく見えたなまえであった。
――――
あとがき
友達以上恋人未満な感じ(?)
そんな関係のときの関節チュー……わたしにとってはとても萌えなポイントなのですが……いかがでしょうか。
とりあえず、夜の冷えた空気に肉まん(あんまん)はバカうまってことをいいたかっ(んなわけあるかいな)
仗助くんはきっと、甘やかすのが上手かなーっと思います。
そら様、どうもリクエストありがとうございました^^
2013.09.06(Fri)
迷惑なんて言うな
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