鉄壁の少女 | ナノ

15-4



 下校途中――
 仗助と億泰は本屋に来ていた。康一が、欲しい本があるとのことで、それに付き合っているという訳だ。彼の用事が済むまでは結局暇なので、場違いながらも適当に店内を適当にブラブラと見て回っていた。しかし、漫画などには興味ない上に、そこまで勉強熱心という訳ではないので参考書等のコーナーも見ない。そうなると結構よる場所も限られてしまう。億泰の方は面白い雑誌を見つけたようなのでそれに夢中である。暇を持て余している彼も、適当な物を見つけて読もうと思った。その矢先――何か見えない糸に引っ張られるかのように彼は振り返った。特に意味はなかった。しかし、その時に目に留めた人物に彼は自分の行動に何か意味を感じた。
 メモ帳を見ながら、相変わらず眠たそうな表情で参考書のコーナーに向かった桔梗の姿。トボトボという覚束ない足取りが不安を少々煽る。彼ははやる気持ちを抑え、彼女の後を追った。
 角を曲がると、彼女は以前どこかで見た事があるような状況になっていた。一番上の棚にある目的の本に、精一杯踵を上げて手を伸ばしてもなかなか取れない。踏み台は不親切な中年オヤジの下敷きになっている。

(うしッ)

 今度こそ、と仗助は桔梗に歩み寄り、目的の物であろう本を横から取った。それを、驚いている彼女の目の前に差し出せば、シドロモドロになりながらお礼を返される。

「なあ、一人か?」
「へ? あ、うん」
「じゃあよ、一緒に帰ろうぜ」
「あ、うっうん……あ、で、でも……」

 何か言いかける桔梗の手を少々強引に取るとそのまま手を引いてレジの方に連れてゆく。会計を済ませるとさっさと店を出た。
 これはチャンスだ。何故かそう思った。

「あ……」

 二人が店を出てゆく姿を、康一は見ていた。丁度、レジに向かおうとしていたからである。

「よォ〜、康一ィ〜〜仗助が見当たらねーんだが……」
「おァあああ〜〜〜〜っ!」

 康一は小さな体を懸命に動かして億泰を誤魔化そうとしていた事を、店を出て行った二人は知らない。

 当の二人と言えば、商店街をさっさと抜けていた。
 桔梗は、斜め前を歩く仗助を見やる。彼の背中は大きく、見上げたとしても表情はうかがえない。彼女は、思い切って彼に声をかけようとするが、不意にクルリと仗助が振り返る。中途半端に口を開いた表情でバッチリ彼と目が合ってしまった。しかし、彼はあまり気にしていないのか、少々目を丸くしただけであった。

「ちょっと公園よらね?」
「ん? うん」

 丁度通りかかった公園を指さして言う彼に、桔梗は頷いた。昨日から殆ど眠れていない彼女としては、すぐにでも帰って仮眠を取りたい所であろうが、仗助が理由もなく誘うとは考えられないのだろう。
 公園に入った彼らは、近くのベンチに腰かけた。二人の間は子供が一人座れる程のスペースがある。二人の目の前には、元気にボールを追い掛け回す小さな子供たち。そんな、ありふれた日常の風景を眺め続ける彼らの間には、未だに沈黙が居座っている。桔梗は、顔を子供たちに向けつつ隣の仗助を盗み見た。彼女は考えていた。これは、チャンスなのではないかと。思いのたけをぶつける、チャンスなのではないかと。
 「仗助君」と桔梗は呼んだ。すると、ピクリと肩を跳ねらせて視線を向ける彼。その翡翠の瞳から発せられる強い光に眩しさを覚えつつも、彼女は視線を絡めた。

「どうやったら、私は君に……頼ってもらえる?」
「え?」

 仗助は鳩が豆鉄砲を食らったような表情になった。そんな彼に苦笑しつつ、桔梗は話を続けた。

「確かに、私の《スタンド》って戦いに向いてないし私自身も喧嘩とかそーいうの特にした事ないから、戦い方っていうのがイマイチ分からないから、戦力にならないかもしれないけど……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ……『頼る』って?」
「そのままの意味だよ? 戦闘向きじゃない私の事を考えて事件から遠ざけようとしてくれたのは嬉しいけれど、私も大切な友達の『重ちー』君を失って悲しいし、殺人犯をどうにかしたいっていう気持ちがあるの……まあ、捕まって一番傍に居たくせに、何も出来なかったけど、さ……」

 居た堪れなさに、顔を上げていられなくなったのか、彼女は彼の視線から逃げるように顔を逸らすと、自身の膝の上へ視線を落とした。彼女の膝の上にある、学生鞄の柄を握る手に「キュウ」と力が入る。

「……私は、頼りない、かな」

 視線を落としていた膝から、再び彼の方へと向けて問う。その姿からは、「慰めや誤魔化しでも言って欲しい」という物は感じられなかった。むしろその逆、彼女は正直な答えを欲していたのだ。仗助は、真摯な光を宿すその目に、たじろぐ。しかし、「ふう」と嘆息すると首を横に振った。

「普段は頼りねーよ、オメーはいつもノンビリしてるし呑気だしよ〜〜」
「……そう、だよね」
「けど……」
「? け、ど?」

 そこで、仗助はニヤリという表情になった。彼を見つめていた桔梗は、彼を見て目を丸くする。

「いざという時は誰も思いつかねー事をやってのけたりよ……普段はそんな素振り一切見せねー癖にやる時ゃやるじゃねーか」
「あ、う……」
「なっさけねーよなあ……遠ざけるどころか一番危険に晒しちまってよ〜〜」
「じょう、すけく……」

 互いに互いへの思うところを吐露し合う。なんとなく察していたが、それでも知らなかった互いの想いに、双方驚きを隠せなかった。
 再び、沈黙が訪れる。しかし、先程よりもどことなく軽快で爽やかだった。

「頼りにならないわけじゃあないんだ?」
「おう」
「へへへ、そっか」

 嬉しそうに笑う桔梗に、つられて仗助も笑った。

(ん? 待てよ……)

 ふと仗助は思った。今ならば聞き出せるのではなかろうかと。横にいる桔梗は、今日一番の笑顔(当社比)だが、まだ、まだ足りない。いつもの何が楽しくて笑っているのかさっぱりなのに満面の笑みを浮かべ、溢れんばかりの眩しさをたたえたあの表情には程遠い。何かが、足枷になっているのだ。それを取り除かなければ、二度と戻ってこないのだと、その時彼は悟る。
 含み笑いをする彼女に、彼は「なあ」と声をかけた。すると、まだ少し眠たげな顔の彼女が「なに?」と振り返る。

「『奴』の家に居る時の事……話せねーか?」
「……い、ま?」
「おう」

 それが原因で眠れてねーんだろ。そう言えば彼女は図星なのか、表情を曇らせる。仗助の胸はとある危惧の念を抱いた。

「縹にすら言えてねーんだろ? 俺とか、なんなら由花子とかにも言ってみりゃあ――」
「言えない、言いたくないよ」

 言葉を遮って放たれた彼女の吐露は、完全に真実を話す事を拒むものだった。「……俺にもか?」思わずそう問えば、なんと彼女は「仗助君だから、だよ」と答えた。

「嫌われたく、ない……みんなにも、だから、言えないよっ」

 制服のスカートに皺ができる事などお構いなしに、桔梗は強く握りこぶしを作った。そんな彼女の目の淵にはじわり涙が滲む。その姿に、仗助の危惧は確信に変わって行った。――ああ、まさか、やはり。
 桔梗は、真実を話して仲間に軽蔑される事を恐れているのだ。今の荒れ狂った心境では、言いたい事と言ってよい事を上手く分けて報告するなんてできず、かといってこのままでは仲間に心配させるだけだ。更に、吉良の家であった事が、大きな心の足枷になってしまっている。
 兄弟にすら言えず、仲間にも怖くて言えず、たった一人で抱えているだなんて――全く何て馬鹿な事を。

「嫌わねーよ」
「……聞いたら気持ちがかわるよ」
「ないな」
「なんで、そう言い切れる、の?」

 分からず屋な彼女に、「やれやれ」と仗助は頼れる甥の口癖を思わず口にしてしまった。全く、分かっていないと。

「大体察しはついてるぜ〜〜、お前の態度を見てたらよ〜〜」
「……仗助君」
「確かに、考えたら絶対に話したくないのは分かる。けどよ、いつまでも周りに秘密にしておくのも、辛いだろ?」

 仗助の問いに、桔梗は静かに頷いた。人間、秘密を抱える事は苦しい。とくに、たった一人で大きな秘密を抱えている事は。だからこそ、誰かが肩を貸してやらなければいけない。そうでもしないと、きっと余りの大きさに潰れてしまいそうだから。

「誰かに話せば整理もつく。俺、承太郎さんみたいに頭良くはねーけどよ〜〜、一緒にこれからどうすっか考えてやるぜ、仲間じゃあねーか」

 本当の仲間は、「ソレ」くらい受け入れるもんだぜ。その言葉が切欠だったのか、堰を切ったように桔梗の瞳からボロボロと大粒の涙があふれ出てくる。彼女は何度も何度も「うんうん」と頷きながらひたすらに「ありがとう」と繰り返した。おそらく、ろくに泣いてもいなかったのだろう。まったく、変なところで我慢強い以前に意固地な女子である。
 桔梗は泣きながら話した。誘拐されたその日、吉良の部屋で突然背中から『矢』に刺された事――仗助は驚いたが、話の腰を折りそうなのでとりあえず黙っていた――、その前に縄で縛られて赤くなった手首を舐められた事、お風呂やトイレなどは吉良の父親にずっと見張られていていた事、吉良は殺した女性の手を一定の期間でとっかえひっかえしている事、その手の事を『彼女』として愛でている事――等々。余り手がかりにはならないと思う、という切り口から彼女はそう語った。

「あと膝枕とかして耳かきとかネクタイ絞めてやったりとか、よく分からない事してたかな」
「……ええっとー……それ以上の事は?」
「それ以上? ケーキを手で食べさせた時にその手を舐めまわされたり、とか?……うーん、あとはもうないかな」
「お、おお……『それ以上』ないなら……まあ、いいんだ」
「?」

 仗助は、全てを聞いたのち思わず安堵してしまった。確かに彼女の口から聞いた吉良との生活は壮絶なものであったが、危惧していた事がただの杞憂に終わった事、それが一番の嬉しいニュースであった。……膝枕やお風呂覗きはさすがに羨ましいとは思ったけれども。
 横にいる桔梗は、なんだかつき物が落ちたような爽やかな表情をしていた。何でも、漸く吉良の家から抜け出して戻ってきたという実感がわいたのだそうだ。ずっと彼女が『あの場所』に今の今まで囚われていたのだと思うと、密かに怒りが湧いてくる。自分にも、吉良相手にも。

「よし、なら行くか!」
「行くって……どこに?」

 ついて来いと言わんばかりに桔梗の手をとって立たせる。どこへ行くのかと尋ねる彼女に彼は「気分転換」だと答えた。『矢』の事や吉良の事などしめっぽい話はここで終わらせ、今はせっかく帰ってきたのだから楽しい事でもなにかしようという事なのだろう。

「ほら、寝不足だろ? トニオの店でも行って治して貰おうぜ」
「治せるの!?」
「悪い所は全部治せるんだぜ〜〜ッ、億泰がいい例だ」
「なっなるほど……」

 「俺に任せろ!」と意気込む仗助に、桔梗は彼に身を任せてもいいかもしれないと考えた。折角帰ってきたのだ、何も考えずにこの取り戻した日常を楽しみたい。
 桔梗は頷く。すると、横にいる大きな彼は「そう来なくては」と嬉しそうに肩を抱いてきた。途端、煩くなる彼女自身の心臓。嬉しいやら迷惑やら――もちろん、嬉しいが勝っている。心臓がもたなくてかなわないという迷惑だ。

「ん?」
「?」

 ふと、二人は視線を感じ、その方へと顔を向けた。するとそこには、先程まで遊んでいたであろう小さな子供たち此方を見つめて立っていた。彼らは目が合うと、ヒソヒソと耳打ちし合う。しかし、秘密話をしている割には大きく、こちらまでその内容が聞こえてきた。

「恋人?」
「いちゃいちゃしてる」
「いちゃいちゃっていうかさ、あーゆうのラブラブっていうんじゃない?」
「あーなるほど」
「ラブラブか!」
「ラブラブだ!」

 何やら恥ずかしい内容だ、彼らにとっては。

「やーい、らーぶらぶ!」
「へいッ、らーぶらぶ!」
「えッ!?」
「んなッ!?」

 突如、何が楽しいのか、幼い子供たちはからかうように手拍子しながら「ラブラブコール」を始めた。途端、桔梗と仗助の顔は真っ赤になって狼狽え始める。別に二人はそういった関係ではない。けれど――

「……」
「……」
「ッ……!」
「ッ!?」

 ちらり、と二人は互いの表情を探るように見る。しかし、互いが互いを伺っているとは思ってもみなかったのか、目があった瞬間にどちらからともなく慌てて逸らした。

「こォ〜〜るあアア〜〜〜ッ!! テメーら、この仗助さんをおちょくるとはいい度胸じゃあねーか〜〜!!!!」
「ぎゃあ!」
「きゃあ!」
「来たァ――ッ」
「逃げろォ〜〜!!」

 タッパの張った大柄の仗助がズンズンと迫ってきたので、小さな少年少女達は可愛らしい悲鳴を上げながらチリジリになって逃げまわる。そんな彼らを追う仗助の耳は、後ろで茫然と置いてけぼりをくらっている桔梗からでも、真っ赤になっている事がよく見えた。

「……ぷっ、ははっ、あははははっ」

 本気で怒っていない仗助は、完全に子供たちに遊ばれている。そんな風景を目にして、桔梗は抑える気もさらさらなく、腹を抱えて大いに笑った。


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