鉄壁の少女 | ナノ

15-2



 吉良吉影の父親である、『吉良吉廣』は、浅い呼吸をしながら、驚愕に顔を歪め、床で血を流しながら気絶している少女・山吹桔梗を見下ろしていた。彼女の傍に落ちている写真には、腕を切り落とされた彼女の姿が写されているが、実際の彼女の手首は傷が深いものの、腕とまだ繋がっていた。

「どッ……どういう事だ……」

 写真には、彼の姿はない。
 彼の《スタンド能力》は、自分の写る『写真の空間』を支配する事が出来た。それは彼の独壇場であって、何物にも邪魔されずに、確実に敵を仕留める事が可能である――言わずもがな、彼はこの能力で桔梗を、入浴やトイレ問わず監禁していたのである――。しかし、彼は今写真の外にいた。彼女の傍に落ちている写真の中に入っていた筈なのに、いつの間にか外に追い出されていたのだ。
 まさかあの『矢』の所為ではなかろうか。吉廣は瞬間的にそう思った。射抜かれて生き残った者は特殊な《能力》を得る。それは彼と、彼の息子・吉影も同様であった。

(今ならば確実に仕留める事が出来る……吉影の為にも、この小娘は絶対に生かしてはおけんッ)

 相当に溺愛していたが、状況が変わった。ここで残しておけば、もしかすると足がかりになってしまいかねない。大事な息子がこれからも健やかに過ごしてゆく為には、そんな危険を犯すわけにいかん。吉廣は再び包丁を手に取る。今度は気を失っているので態々写真の中には入らず、そのまま首を落としてしまえばよい。
 彼が包丁を振りかざすと、ギラリと蛍光灯の光で鋭利に光る。

 ――死ね!

 吉廣が振り下ろそうとした瞬間、突然、玄関の戸が開く音が聞こえてきた。そして、数人の足音――全員男のようだ。
 状況が変わった。今は、どうせ死んでゆくだけの小娘相手よりももっと重要な使命が出来た。桔梗の手首は動脈が切れているので、出血量が尋常ではない。あと数分すれば致死量を越えて命を落とすだろう。吉廣は、無遠慮な来訪者を迎え撃つべくその場から離れた。


 * * *


 私は、騒々しい足音ど怒声で闇に沈んでいた意識をふと浮上させた。……いや、させられたという方がしっくりくるなこりゃ。なんとなく聞き覚えがある声なんだが、どうにも意識がはっきりしなくて判別できない。けれど、一番怒声を上げている人物は、相当に感情を高ぶらせているというのが分かった。怒っているようで焦ってもいるような声音に、どうしたのだろうと心配する私ってやっぱり呑気な奴なのかな。目の前には、自分の血が致死量といっても過言じゃあない程に畳に広がっているのだ。自分の頬の下にも、制服にも浸透して行っている。

(死んじゃうのかなあ……私……)

 写真の中にいたお爺さんの攻撃を何としても防いで、この家から生きて出たかった。その思いが爆発した瞬間、突然目の前が真っ白になって気が付けばこのざまだ。手首は深々と包丁で切り付けられており、どくどくと勢いよく温かな鮮血を噴き出していた。まるで噴水のようだった。
 目の前もだんだんと霞んで行き、きっとこのまま目を閉じてしまえばあの世に旅立ってしまう事間違いなし、見事フライ・ア・ウェイするってわけだ。……何言ってるか自分でもさっぱりだぜ。

(せめて、仗助君に一言、ごめんって謝りたかったなあ……気まずくなったままじゃあ、死んでも、死にきれない、や……)

 重くなってゆく瞼に従ってだんだんと狭まってゆく視界――ついに完全に目を閉じた時に、ほろり、と一筋の涙が目から零れ、血の海に落ちた。
 ――と、その時だ。私が背にしている扉が勢いよく開け放たれた。誰だろう、吉良さんかなあ。体を動かすのも目を開けるのも億劫で確かめたいと思う反面、体は全く動こうとしなかった。

「仗助ッ!」

 ついに私の脳みそは、死に際、とんでもなく都合のいい幻聴を聞かせてくれたらしい。『聞こえた』その鋭い『声』は……ええっと、承太郎さん、かなあ。その声に反応して慌てたように駆け寄ってくるのは誰だろう、仗助君かなあ。

「桔梗ッ!」

 最後の最後に、大好きな人に名前を呼んでもらう――たとえ幻聴でも嬉しいなあ。 

「慌てるな、まだ息はある。直ぐに《クレイジー・ダイアモンド》で治すんだ!」

 落ち着いているけれど、圧力のある声音だった。それが聞こえたとほぼ同時に両手首の痛覚がすっと消えて、かと思えば逞しい腕に状態を抱き起されていた。くらくらとする脳みそが耳という器官から受け取る情報からは、どれも聞き覚えのある声ばかりだった。康一君の「気が付いて」という声や、「さっさと起きろ」と台詞の割に震えている億泰君の声。そして、肩を抱く大きな手に背中を支える逞しい腕、久々に嗅いだ大好きな人の匂い――

「うう……」

 妙なうめき声をあげながら、私は重い瞼を上げた。このまま、眠ってしまってもよかったのだが、今じゃなきゃ……今、目を覚まさなきゃいけない気がしたんだ。

「み、ん、な……?」

 なかなか合わない焦点で、大好きな仲間たちの顔を確かめようと躍起になった。漸く、一人ひとりの顔を識別できるようになると、胸に込み上げてきたのは、言葉では言い表しきれない喜びだった。
 私は徐に手を動かし、自分の頬をこれでもかと言う程に強く抓ってみた。物凄く痛かった。「痛い、とっても痛いよ」なんて言いながら笑ったら、目から熱い物が溢れ出て、止まらなくなってしまった。ああどうしよう、こんなみっともない顔、康一君や億泰君、仗助君だけでなく承太郎さんにまで見られてしまったなあ。恥ずかしいや。でも、それも今はどうでもいいな。今は、みんなと生きて会えたこの喜びを噛みしめたい。

「……億泰、康一、さっさと部屋ン中探そうぜ。桔梗も、あんまこの家には居たくねーだろーしな」
「え……あ、うっうんそうだね、行こう億泰君」
「お、おう?」

 仗助君は、私から離れるとすっくと立ち上がって、となりの部屋へ行ってしまった。微かに感じるほんのり温かい体温を残して、彼は大きな背中を見せて行ってしまったんだ。億泰君と康一君も、先程この部屋に入って来る前の部屋へと向かって行った。
 寂しい。私は触れられていた肩に手を当て思った。そんな私の頭の上に、大きくて温かかくてゴツゴツした何かが置かれる。それが承太郎さんの手だという事に気が付くと、抱いていた寂しさと不安感がほんの少し薄れた気がした。

「よく、この家で孤独に戦ったな」
「……いえ、私はただ……みんなに会いたくて、その……わッ!?」

 どう自分の気持ちを説明すればいいのか分からずシドロモドロになっていると、優しく置かれていた手が不意にグリグリと乱暴に頭を撫でまわしてきた。吃驚して小さな悲鳴と共に承太郎さんを見上げると、彼の不敵な笑みを拝む事ができました。久々に見た、彼の意志の強い光を宿した翡翠の瞳は、吉良さんの目がどれくらい綺麗だったかをすっかり忘れさせられる程に眩しい美しさだった。……くそう、イケメンだ。

「あいつも、なかなかどうして素直じゃあねーな」
「あいつ? も?」

 承太郎さんが顎で指す方へと向けば、そこには年期の入ったタンスを物色している仗助君の背中とご対面。
 優しい彼の事だから、きっと仲間が攫われたとかで心配してくれたんだろう。けれど、そんな様子をちっとも本人――つまりは私――に見せる事なく淡々とした態度で作業をこなしている。それが、素直じゃない、と承太郎さんは言いたいのだろう。それはなんとなく察する事が出来た。けれど、一つ、分からない事がある。承太郎さんは「も」と言った。だからもう一人、「素直じゃあない」人がいるのだ。誰だろうか。それを問おうとした時、隣の部屋を調べている億泰君と康一君のやけに大声でのやり取りが聞こえてきた。何をやっているのだろう、かなり騒がしい。
 私と承太郎さんで、隣の部屋を気にしていると、康一君が「承太郎さんッ、逃げられた!」と突拍子もない事を叫びながらやってきた。逃げられた? なにが? なんて疑問符で頭をいっぱいにしている私に対し、承太郎さんは康一君に呼ばれるままに隣の部屋へと向かった。私も、未だフラつきながらも立ち上がり、よろよろと承太郎さんと康一君の後についていった。

「騙されたなッ! 間抜けがァ〜〜〜〜ッ。『すき間』程あればこうやって逃げ出せるんじゃよ――ッ!」

 私は驚いた。聞こえてきたのは、あの写真のお爺さんの声だったからだ。その彼はなんと、折られた跡のある一枚の写真に「入って」おり、自分のパジャマの袖の糸を解いて作った紐で億泰君の手から脱出していたところだった。彼は、心理がちだと言い残し、壁のすき間の中へと写真ごと入って行ったのである。後から康一君に聞いたのであるが、彼は吉良さんの『父親』で、すでに故人。魂のエネルギーとなってこの世にとどまり、吉良さんをずっと守ってきていたそうだ。一度は彼の能力に嵌った承太郎さんと仗助君だが、承太郎さんの機転によりなんとか切り抜け、父親を捕獲したらしい。今さっき逃げられたけど。

「仗助! 気をつけろ、吉良の父親が逃げた!」
「え…………ん!?……なにッ」

 承太郎さんが注意を促したけれど、仗助君は何故か天井を見上げて一人、慌てていた。どうしたんだろう、と承太郎さんと二人で不思議だと言わんばかりに彼を見つめていると、彼はなんと「ここに『弓と矢』があった」と言い出した。けれど、それは承太郎さんがSPW財団に渡し、そこで厳重に保管されているはずだけれど……――

「あったんスよ! 今! 何故か、もう『一組』あったんスよーッ!」

 仗助君はそのペアだった「弓」をぽいと投げ捨てて叫びながら、部屋の外へと駆け出してゆく。そんな彼を私達は追う。彼は、どこへ逃げたのかと天井を見上げながら、私達に言うのだ。吉良さんの父親が承太郎さん達に「隠したかった物」とは、《スタンド能力》を引き出す『弓と矢』の事だったのだと。
 はっとした表情になる私達一同。その時、異様なカラスの鳴き声が聞こえてきた。まさか、と思って外へ出てみれば、嫌な予感は的中しており、吉良さんの父親は解いた糸をカラスの首に巻きつけるとそのままどこか遠くへと飛び去ってゆこうとしていた。外へ出た私たちは、遠くなってゆく吉良さんの父親をただ見上げる事しかできなかった。その時には、もう何百メートルも先に行ってしまっており、康一君の《エコーズ ACT1》の射程距離外であった。

「くっクソ〜〜ッ、おっ俺の所為だ……俺が、写真のテープを開けたりしなければ!」
「億泰君……」

 後悔と罪悪感に苛まれているであろう億泰君の背を、私は居てもたってもいられずに、トンと触れた。

「いや、億泰……奴の方が「上手」だった」

 承太郎さんは言う。あの父親にしてあの息子アリ、だと。吉良家の決して諦めない生き延びようとする執念にしてやられたんだ、と。吉良さん並びにその父親にさえ、私たちは捕まえたと思っても土壇場で逃げられてしまったのだ。

(ん?……というか、吉良さん逃げられたんだ……あれ、それって私にとって色々とヤバくないかな?)

 冷や汗が噴出してきた。なんでも承太郎さんや仗助君達から逃げる為に、吉良さんは顔とか指紋とか頭皮とかまで別人に変える事の出来るスタンドを持つ《シンデレラ》という《スタンド》を持つ女性によって、全くの別人として生きるようになったらしい。これで、顔も名前も何もかもが、別人、別物。だから、バッタリ交差点で出くわしたとしても、吉良さんは分かっていてもこちら側では全く敵に遭遇していると気づく事の出来ないという不利な状況になってしまっているのだ。それはつまり、私も再び監禁されるか殺されるかいう危険があるという事だ。
 また、恐ろしいのはそれだけでは留まらない。殺人鬼である吉良さんを守るがために、さっきの『矢』をあの写真のお爺さんが確実に使う、つまり刺客を送り込まれるという事だ。際限なく、『矢』が使用され続ける限りに。
 私は、ブルブルと笑いが止まらなくなりそうな足を必至に抑えるだけで、精一杯だった。


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