鉄壁の少女 | ナノ

13-4



 いつもよりも随分と早く家に到着したものだ、と時計を見て思った。商店街を過ぎて住宅街らを通るときに、急に涙がボロボロと零れてきてしまい、家に来て今ようやく止まった。強引に制服の袖でぬぐっていたから、かなり目元が赤い。
 家には、木賊が一人だけいた。蒲公英は友達の家だと彼から聞いた。
 彼は、私がいつもより大分早く帰ってきた事よりも、私の赤い目元を見て心配そうな表情を浮かべながら「どうしたんですか?」なんて何度も聞いてくる。あんた、いつかいい男になるよ。女の子に気配りできる男はそれなりにモテるぞ。……多分。まあ、赤い目元については適当に笑って誤魔化させてもらった。恥ずかしくて言えたもんじゃあない。

「木賊」
「はい」
「いま、暇?」
「うん、暇!」
「じゃあさ、お姉ちゃんいつもよりだいぶ早く帰ってこれたし、一緒に買い物行こうか。おもちゃ買ったげる」
「やった! いく! 行きます〜〜!」

 気分転換したかった。
 私は、冷蔵庫の中身を見て、足りない食材は無いかと確認してみた。……ふむふむ、牛乳と卵が切れかかっているな。
 私は、置手紙を書こうとメモとペンを取り出した。

「ええっと……『いつもより早く帰宅出来たので、木賊とお買いもの行ってきます。』っと」

 最後に、不細工なクマの顔を書いてリビングのテーブルの上に置いてあるプラスチックの鉛筆立てにテープで張っておいた。その後、もたもたしている木賊のおしりを叩いて急かせ、戸締りを確認した所で出発した。


 * * *


(あたったら砕けちゃったよ、って由香子さんに報告しなきゃなあ……)

 買い物袋を両手に下げて、私は思う。若干ブルーになっている私の横では、新しくおもちゃを買ってもらってほくほく顔な木賊が歩いていた。「びゅーん」やら「どーん」やら激しい効果音をつけながら彼は買ったばかりの小さな車を空中で旋回させたり蛇行させたりと遊んでいる。小さい子供は呑気で羨ましいよ。

「はあー……」

 このまま家に帰ってもいいが、そうすると必然的に仗助君の家が目に映る。彼の存在を感じるだけで、どうしても胸がぎゅうぎゅうと締めつけられて苦しくなってしまう。……嫌だなあ。

「木賊、公園いこう」
「はーい」

 私の心境なんてまるで知らない木賊は、素直に喜んで公園へと向かった。そんな能天気なあんたが好きよ。私達の向かう公園は、人の出入りも少ないし、この時間帯は子供もほとんど利用していない。静かな時間が過ごせそうだ。今は、騒がしくなるより、静かな空間で、なんというか……悟りたい? いや、黄昏たい、か?
 まあ、あれだ……適当にベンチに座って、先程スーパーで買ったお菓子でも食べよう、そうしよう、今日はやけ食いじゃああああッ。本日は太ってもオーケーな日にしよう、そうしよう。だからいっぱい食べても問題ないもんねーだ。
 私と木賊の腕を引き、ベンチへと向かう。公園の公衆トイレを過ぎて、青々とした草の生い茂る花壇で可愛らしい花々を眺めながら、ぎゅうぎゅうと強く握ってくる木賊の手をさり気なく緩める。

(もう、だから木賊と手を繋ぐのはちょっと窮屈なん――)

 私は忘れていた。……いや、まさか自分ではないだろうと高をくくっていたのかもしれない。
 「その」光景を視界にとらえた瞬間、私は無意識に《レディアント・ヴァルキリー》を出して手を強く握る木賊の口を塞いで抱え、そのまま後方の公衆トイレまで一気に連れて行った。その場に、自分を置いて。

「おや……」

 私の目の前には、一人の男がいた。彼は、わりと整った顔立ちをしており、とても……優しそうだった。

「見て、しまった様だね……」

 男は、穏やかな口調で言う。けれども、そんな声音とは裏腹に、彼の目は鋭くギラついていた。彼は、買い物袋を落とした私の前まで歩み寄ってくくると、もっている「本物の手」を上着の内ポケットに収納した。その手は、先程まで「女」だったモノの手だ。猫のようなスタンド――たぶん、それが彼のスタンドな筈だ――が触れた瞬間、「女」は煙となって消えた。残されたのは、手だけ。
 生の手を見た瞬間、私はピンと来てしまった。こいつが、鈴美さんの言う『殺人鬼』なのだと。

「ムッ、その手……見覚えがあるな」
「ッ!?」

 男は、へたり込む私の前に膝をつくと、まるでピアニストのような綺麗な手で私の手を取った。スルゥリ、と愛でるように、手を這わせて来る。

「ああ、この手……君は『あの時』に『時計を一緒に探し』てくれた彼女だね」
「う、え……」

 嘘だろ。まさか、そんなまさか――すでに、私は『殺人鬼』と出会っていたなんて。しかも、その存在を知る前からッ!
 私は怯えた。殺される、と思ったからだ。私の《スタンド》は戦闘向きではない。殺しなんてもってのほかだ。しかも、今は木賊を隠している為に私の傍にいない。彼には、木賊の存在を悟られるわけには、行かないからだ。
 どうにかして、木賊だけでも生き延びらせなければ。だって、もともと私の《レディアント・ヴァルキリー》は戦いに向いていないのだから、目の前の男と闘うなんて出来ない。木賊の能力で何とかなりそうな気もするけれど、私は既に彼に顔を見られてしまっている。重ちー君の《ハーヴェスト》をたった五分の間に倒して殺害した相手だ。彼の正体を知った私や木賊の顔が分かった途端、生きては帰さないだろう。だったら、私が陰になって見えていなかった木賊を逃がして承太郎さんや仗助君に情報を伝える方が優先だ。

「君、一人かい?」
「……はい」

 鋭い目に射抜かれながらも、私は静かに頷いて答えた。どこかの刑事ドラマを見ながら、お婆ちゃんが言っていた「人質になったら、静かにするんだよ。暴れたら殺される」と。……あれ、私人質じゃあないよね?

「そうか……私の名前は『吉良吉影』、年齢33歳……君は?」
「……山吹、桔梗です……」

 男の人はきょろきょろと辺りを見渡したのち自己紹介を始める。
 彼・吉良吉影の自宅は、杜王町北東部の別荘地帯にあり、結婚はしていない。仕事は『カメユーチェーン店』の会社員で毎日遅くとも夜8時までには帰宅する。タバコは吸わない、酒はたしなむ程度。夜11時には床に就き、必ず8時間睡眠をとるようにしている。

「寝る前に温かいミルクを飲み、20分ほどのストレッチをして体をほぐしてから床に就くと、ほとんど朝まで熟睡さ……赤ん坊のように疲労やストレスを残さずに朝、目を覚ませるんだ……健康診断でも異常なしと言われたよ」

 この人は一体、何を言っているのだろう。これから殺すだろう相手に向かってだよ? 異常としか言いようがない。例え、身体の健康状態は異常なしだとしても、精神の健康状態は異常ありまくりじゃあないのか。
 吉良吉影は、彼が握る私の手に頬擦りする。スリスリ、スリスリ、と甘えるようにだ。それがなんとも気色悪く、なんとも嫌悪感に身を震わせているのか、彼はまったく気づきもしない。

「私は常に『心の平穏』を願って生きている……桔梗さん、君をここで逃がしてしまえば、それが『阻害』されてしまうんだ」

 ごくん、と私は生唾をのむ。
 ああ、つまり彼は、「自分は『心の平穏』を願って生きている人間だと説明した。だから邪魔になる私を始末させてもらう」と言いたいのだろう。理不尽な物言いだと言いたいところだが、一理ある。その犠牲になるのは癪なので、木賊に彼の正体を知らせてくれるよう期待して生き残ってもらおうと必死なのだけれど。

「ああ、だが……この可愛い手、この温かくて柔らかな手……これを失うのは非常に惜しい。滑らかで柔らかく、美しい曲線を描く魅力的なのに、まだ若々しいさというか、初々しい感じが残っていて非常に可愛い、可愛いんだ」

 吉良吉影は、私の両手を取ると、それを自分の頬に当てて、更にスリスリと、猫のように甘えてくる。瞬間、ゾリゾリと背中を悪寒が這う。

「静かな君も……」
「ッ!」
「可愛いよ」

 ピアニストのような手が――きっと、何人もの人間がこの手によって殺されたんだ――私の顎を掴んで上を向かせる。まるで、もっと顔を見せてほしい、と言いたげな表情を彼はしていた。
 私、今すっごく情けない顔になっているんだと思う。自分でも分かるくらいに、目の前の男に恐怖して、その大きな絶望感に押しつぶされそうになっているんだ。どうしようもなく震えているのが、自分でもわかる。彼は、女の人を屈服させるのが趣味なのか? 私が怖がって情けない顔になればなるほどにイキイキとした表情になっていっている気がする。

「大人しいね……そういう子は好きだよ。あともう少し、大人だったら妻にでも欲しいくらいだ」

 どうすればいいのか。どう反応すればいいのか。さっぱりわからない。変人に三年くらい追い掛け回された経験はあるけれど、この人はその比にならない程、異常だ。
 私は、恐怖で声すら出せない。ただただ、目の前にいる殺人鬼、吉良吉影を情けない顔で見上げる事しかできないでいた。すると、彼は至極愉快そうな表情になる。そして、どこから持ち出してきたのか、ロープを取り出す。そして、怯えて動けないでいる私の手をそれでしばりつけ始めるではないか。

(え、なっなに? どういう事?)
「近くに車があるんだ」

 ……え? どういう事?

「これから私の家に行こうじゃあないか……彼女と、一緒にね……」

 柔和に微笑む彼だが、今の私には悪魔の微笑みにしか見えない。
 一応は、命を繋ぎ止められている、という事だろうか。分からないけれど、彼に立たされた足がガクガクと生まれたての小鹿状態で、結局彼に手を貸してもらいながら車の方へと向かった。以外に優しいかと思いきや……流石は殺人鬼、まさかトランクに詰め込まれるとは思ってもみなかったよ。

(木賊、絶対に承太郎さん達に知らせてね)

 私はトランクに詰め込まれてから、ずっとその事ばかりを考えていた。車が発進し、私の射程距離である4, 5メートルを過ぎて自然に《スタンド》が消滅するまで、ずっと《レディアント・ヴァルキリー》の手で木賊を抱えて公衆トイレで息をひそめていた。彼の体は、スタンドを通して、とても震えている事が、よく分かった。


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