11-3
けれどいくら考えてみこの《迷路》から脱出する術がない。ひとまず私達は、鈴美さんについていく事にした。少し歩いた所で、彼女は私達にポッキーを進めてきた。けれど、そんな気分ではなかったので三人揃って首を振る。すると、彼女は露伴先生に、試しにポッキーの端を持ってみてと言う。彼女の言葉に素直に従って彼が端を持つと、ポキィッ、と手折られた。
「あっあ〜♪ 貴方女の子にフラレるわよっ」
え、なになにどういう事?
私と康一君、そして露伴先生が茫然としていると鈴美さんが教えてくれた。ポッキー占いと言うらしく、折れた感じで占うらしい。結構アバウトだなあ。
「貴方、我が儘でしょう? それも結構人を引っ掻き回す性格ね。フラレる原因はそれよ」
ドンピシャァアア――ッ!
まさに、「我が儘」「人を引っ掻き回す」が、まさにそれ。あってる、当たってる。あっ侮れないポッキー占い。……私も占って欲しいなあ。
「『ポッキー占い』だァ? 聞いたか康一君、全然当たってないよなあ〜」
肩を組まれている康一君は露伴先生の言葉に返事をせずに引きつった笑みを浮かべているだけだった。そりゃそうだ、『占い』が的を射すぎているんだもの。
仕返しにか、露伴先生は得意げな顔で、鈴美さんの手を指さして言うのだ「薄いピンクのマニキュアの女の子は『恋に臆病』、『肝心な所で本当の恋を逃す』」と。ううむ、露伴先生の口から『恋』というワードが飛び出てくる事に私は吃驚だ。
「……ウソよ……」
鈴美さんは、急に焦ったような表情でいう。当たっている、のか。露伴先生のは所謂「心理テスト」みたいなもんらしい。
「恋でなくても今、何かを恐れているだろう?」
先生のこの問いには、鈴美さんは答えなかった。ただ、クルリと方向変換をして顔を逸らしただけだ。彼女の様子を不審に思ったのは、私だけじゃあない。康一君と先生もだ。けれど、これと言った確証が持てない今、彼女についていくしかなかった。
「ここ家ね、15年程昔に殺人事件があったんですって」
鈴美さんが指さすのは、犬小屋のある大きな家。窓が割られ、空き家になっている分、雰囲気はバッチリである。
私は、康一君と共にブルリと体を震わせた。
「これ、隣のおばあちゃんから聞いた話よ」
前置きして、鈴美さんは語りだした。
――その事件の真夜中、家の住人の一人である女の子が自室のベッドで寝ていると、彼女の両親の部屋の方から『ピチャリ!』『ピチャリ!』という何かが滴る音で目を覚めたそうな。
鈴美さんは、女の子の部屋、そして両親の部屋をそれぞれに指さして語りを続けた。
――何の音だろう? 女の子は「パパ! ママ!」と呼んだ。しかし、返事はなかった。けれども、女の子はそんなに恐怖を抱いてはいなかった。
何故なら彼女の傍には愛犬が居たのだ。大きな番犬、頼りになる頼もしい彼女の騎士だ。暗闇の中でもベッドの下に手をやれば「ククーン」と甘えてペロペロと手をなめてくれた。女の子は思った「アーノルドがいるから安心だわ」と。
けれども相変わらず『ピチャ! ピチャ!』という音が何分も続いている……。彼女は「どうしてパパとママはあの音に気づかないのだろう?」と疑問を抱いた。
「ついに女の子は何の音か調べに行く事にしたのよ」
鈴美さんの静かな声で語られる『殺人事件の話』は、なんともリアリティがあってまるで現場を見ているかのような錯覚さえ起こる。
ごくん、と私は生唾をのんだ。心拍数は静かに、けれど着々と増えていっていく。手からは体温が失われていくようで、私は震える手で再び露伴先生の服の裾をほんのちょっぴり掴んだ。けれど今度は、話に夢中なのか嫌な顔をされなかった。
――廊下に出て、『ピチャ! ピチャ!』という音の意味が分かった時、女の子に初めて恐怖が襲って来た。
壁のコートかけには、愛犬アーノルドが首を切られ、ぶら下がって死んでいたのだ。その血が滴っていたのだ、ピチャリピチャリという音は。
私たちは驚いた、「犬」と聞いて。なぜなら、「犬」ならば女の子のベッドの下で彼女の手を甘えた声を出しながら舐めていたではないか。てっきり愛犬アーノルドと思っていた、そのベッドの下にいる存在は、なんだ?
――突然、ベッドの下から声がした『お嬢ちゃんの手ってスベスベしてて可愛いねクックックッ―――ン!……両親もすでに殺したぞ』
「そして! その女の子も殺されたのよォ――――ッ!」
「うわああああ」
「ひゃああああ」
大きな声でワッと詰め寄ってくる鈴美さんに、恐怖が最高潮となった康一君と私は思いっきり悲鳴を上げて露伴先生に飛びついた。先生は全く怖がっていないというわけではないが、「話だ」と割り切っているのか、作家根性というか、私達に比べて結構冷静だった。……ちょっとカッコイイと思いました。
康一君が、悲鳴を上げた後に「本当の話ですか」と叫ぶように言うと、鈴美さんは悪戯が成功した子供のように無邪気に「マニキュアの仕返しよっ!」と可愛く笑った。
「心臓に悪いなあ、もう〜〜」
「ほんとだよ〜〜、心臓止まるかと思ったァ〜〜」
露伴先生から離れた康一君と私は、それぞれ、溜まっていた息を外気に放出して深呼吸する。安心した私たちは、冷や汗を適当にぬぐって、今度こそ、鈴美さんについて行って出口を教えて貰おうと思った。
――ピチャリ、ピチャリ……。
思わず、私は足を止めてしまった。聞こえていたのは私だけでなく、露伴先生も、だ。音源を探ろうと家の庭に視線を移動させていけば、そこには大型犬が一匹いた。ピチャリ、ピチャリ、という何かが滴る音はこの犬から聞こえてきた。まさか、いやそんなまさかッ。私は煩くなっていく胸を思わず両手で押さえてしまう。
犬は、私と露伴先生を振り返る。ガクンガクンと不安定に頭を揺らしながら、振り返る。――首が鋭利な刃物でザックリと切られたような跡があり、そこからその犬自身の血が滴り出ていた。ピチャリピチャリという滴る音は、庭に落ちる血の音だったのだった。
私は犬のその光景にくぎ付けとなり、露伴先生は鈴美さんを勢いよく振り返る。
「こっこれはッ!?」
露伴先生の問いに、鈴美さんはゆっくりとした口調で答えるのだった。
「そう……その『女の子』っていうのはあたしなのよ……」
私は、鈴美さんの声に吸い寄せられるかのように彼女を振り返った。きっと、今、物凄く戦慄した表情になってしまっていると思う。顔の筋肉が物凄く強張っているもの。
脳裏に、一つの単語が浮かび上がった。嫌だ、と否定したくとも、目の前の少女の表情と庭にいる犬……アーノルドの存在がそれを許そうとしない。そして、彼女は、私が一番聞きたくない悪魔の言葉を、綺麗な唇で音としての形を作るのだった。
「『幽霊』なの……アーノルドとあたしは」
* * *
自分が恥ずかしい。露伴先生の背中に隠れながら思った。
幽霊だと告げられた私達はまずパニックになった。特に、康一君は恐怖で絶叫し、私なんて目の前が真っ暗になりかけた。最初に行動に出たのはやはり年長の露伴先生で、彼は絶叫している康一君の襟を掴みまた、気を失いかけている私の腕を引いて逃げようとしてくれた。……そこらへんの優しさはあるんですね。
覚束ない足取りで更に意識が飛びそうになっている私の体を支えたまま、露伴先生は康一君に《エコーズ》を飛ばして『道』を探すよう呼びかける。その声に我に返ったのかは不明だが、康一君は慌てて《エコーズ ACT1》を発現し、それを空に飛ば――さず、自分が飛びあがったのだ。《エコーズ》は地面にひたひたと触れていた。ふざけている様子はない。きっと大真面目だ。そして、鈴美さんは告げる。『ここ』を出る方法はたった一つ、そしてそれを知るのは彼女だけだと。
絶望した、どうやって幽霊と闘えばいいのだと。私の方は頭真っ白で必死に先生にしがみつく事しかできなかった。そんな私達三人に、鈴美さんは怒って言うのだ「人を怨霊みたいに言わないで!」と。その声で私達は目が覚める。そうだ、彼女とアーノルドは私達に何もしていないじゃないか。勝手に怖がっているのは私達のほうだった、と。
更に、私達を閉じ込めたのは彼女ではなく……ここはあの世とこの世のの境目ならしく、《スタンド》という特殊な能力の所為で紛れ込んだようだった。それでも疑り深い先生は確認するかのように「敵ではないのか? 本当に?」と再び鈴美さんに問う。そんな彼に彼女は呆れながらも「道を教えるったら教えるわよ」と返した。『話』が済んでからという条件をだして。
「それにしても、そこの女の子は彼以上に疑り深いのね」
「え、あ……いっいえ、そういう訳ではなくっ、『幽霊』の類が、苦手で……すいません」
「……こいつは一種のトラウマなんだ。気にしても時間の無駄さ……で、『話』っていうのは?」
露伴先生酷いッ。言っている事は正しいけれどもうちょっとオブラートに包んでほしかったッ。理想的には三重……いや四重だな。
無慈悲非道な露伴先生に対し、幽霊さんである鈴美さんは柔らかな笑みを見せると「気にしてないわよっ」と語尾にハートマークが付きそうなチャーミングな声音で言ってくれた。すっ素敵すぎます! 鈴美さん! 私、鈴美さんなら平気になれそうです!
再びニッコリと微笑むと、彼女は犬小屋のある家――彼女の家へと歩き始めた。『話』というのは、先程の、『15年前の彼女達が殺された話』の事だった。
「あたしね、『犯人』の顔を見る前に背中からナイフで切り裂かれたわ。夜中で暗かったし、逃げようと必死だったから……『犯人』まだ捕まっていないのよ。この杜王町のどこかにいるわ」
鈴美さんは……『地縛霊』というのか、この場所から動けない『幽霊』となってしまっているらしい。15年間、犯人の事を知らせなくてはと思い、様々な人間に訴えかけていた。けれど、幽霊の訴えを聞ける人間なんて極僅か。私達のようにたくさん話ができたのは、なんと私達が初めてだったらしい。
犯人が杜王町にいる、溶け込んでいる。それを知らせたかったのだ。捕まえるまでいかぬとも、警察や犯人を捕まえる事の出来る人間に教えてほしいのだ。
「おいおい、何故僕らがそんな事をしなくちゃあいけないんだ? 僕らが君になんか義理があるかい?」
「ろっ露伴先生!」
露伴先生の言い分に突っかかる康一君。けれど、先生は彼を黙っていろと制して話を続けた。冷静な意見を言いたいのだと。……冷酷の間違いじゃあ?
殺された事は気の毒に思う、それでも。しかしだからと言って何故、彼女の個人の恨みつらみの為に犯人を捜さねばならないのか。更に、殺人事件の時効は、15年――彼女が殺されたのは15年前。既に時効が成立してしまって、警察は犯人を公訴できなくなっている。つまり先生は、「この世」の未練を断ち切って「あの世」に行ってしまう方が幽霊として正しいあり方だと言いたいのだ。
「……貴方、この町の少年少女の行方不明者の数知ってる?」
露伴先生の言い分を聞いたのち、鈴美さんは剣呑な表情になると静かな声で言った。それに「いや」と先生が答えると、彼女はどこか彼方の方を指して言うのだ、「表のコンビニ『オーソン』で新聞の『犯罪白書』を読んだから知っている」と。
「誰も気に留めないようだけど、全国平均の8倍って数よ……」
(はち、ばいっ!?)
全員とは言わないがひっそりと殺されていると彼女は告げる。しかし、私達は信じられなかった。何故なら、彼女が『犯人』の顔を見ていないからだ。何故見ていないのに杜王町にいるのか、何故その犯行が分かるのか。
すると彼女は言った「私にはわかる」と。
「ここの上空を『殺された人』の『魂』がよく飛んでいくからよッ! これと同じ傷を負ってッ!」
鈴美さんは背を向けると上の服だけを脱いで、その背中を見せながら言う。彼女の背を見て、私達は戦慄した。なんと惨い、となんと深く、なんと長い、傷なのだと。これと同じような傷を負って、殺された人々はこの『境目』の上空を飛んでいくのだ。実際に飛んで行った魂を見たことはないが、想像するだけで胸が苦しくなった。彼女は、一日でも早く殺人犯を止めたいと叫び、今も誰かが狙われるのを死んだ自分は止められない事に歯がゆく思い、今度殺されるのはいったい誰なのかと不安に駆られ――
「貴方たち生きている人間が町の『平和』と『誇り』を取り戻さなければ、いったい誰が取り戻すっていうのよッ!」
涙。止めどなく溢れる大粒の涙は、彼女の柔らかそうな白い頬を伝い落ちて行った。純粋で健気な彼女の思いを如実に物語っている、涙だった。その美しい涙に、私は心を打たれる。出来うることならば、犯人を捕まえたい。私も、この杜王町が大好きだから。それを伝えると、康一君も「なんとかしなくては」と言って頷いてくれた。彼も、きっと彼女の真摯な思いに心打たれ、この問題は解決しなくちゃいけないと思ったんだろう。
しかし、露伴先生とはいうと、「いい子ぶるな、しんどい目にあうだけだ」と言って切って捨ててしまう。彼はクルリと背を向けてしまった。鈴美さんは表情を曇らせる。
「でも『犯人』を追って取材するのもいいかもな! 面白そうな「漫画」が描けるかもしれん」
彼は思案するような素振りで言った。途端、鈴美さんの表情がパッと輝く。けれど一応、康一君と私で彼女に忠告しておいた「根はいい人と思わない方がいい、信用していいのか灰色の存在だから」と。
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