鉄壁の少女 | ナノ

11-1



〜第11話〜
影は静かに忍び寄る




 朝――桔梗は機嫌がいいのか、鼻歌を歌いながら家を出た。すると、彼女とほとんど同じようなタイミングでお隣さんである仗助も家を出る。二人で朝の恒例のあいさつをすると肩を並べて登校する。

「昨日はありがとね。いっぱいご飯とかごちそうしてくれて」
「イイって事よ。俺だってお前に色々付き合ってもらったんだしよ〜〜」
「そう? 私はとっても楽しかったよ!」

 彼女は昨日、偶然、客が来るので家を追い出された仗助と出会い、そこから二人でお昼までぶらぶらと町の商店街を歩き回ったのだ。
 ショッピングモールやときにはコンビニ、本屋や桔梗にとって人生初のゲームセンター、等々――スーパーなどしかあまり足を運ばない彼女にとって、いくつもの新しい発見の連続であった。お昼ごろには二人で適当なレストランを見つけて共に、しかも仗助のおごりで食事をした。有意義な一日を過ごせた彼女は、だからこそ、このように上機嫌なのだ。ニコニコ、ニコニコと笑みが絶えない。下手をすれば一日中そんな表情で過ごしていそうなくらいだ。
 一方で、仗助の方はと言えば、内心ドギマギと落ち着いてはいられなかった。それはおそらく、昨日の、自分の行動だろう。木陰で居眠りをする桔梗に、自分から、まさかキスをしようとするなんて――思ってもみなかった。あの時、何故か……そう、何故か彼女のあの唇に吸い寄せられるかのように突然、「そう」したくなったのだ。言い換えれば、「魔が差した」という事だろうか。
 幸い未遂で済み、更に当の本人は眠りこけていて全く気がついてはいない。その点においては本当に安心した――……のにもかかわらず、どこかしら残念に思ってしまうのは何故だろう?
 横の、「定位置」で終始笑っている桔梗は、隣にいる同級生の男子が胸の内で悶々としている事に気づかず、呑気に本日の天気の事について話し出している。天気なんてどうでもいいから、彼女の私生活がちょっと知りたいと思う……のは何故だろう?
 やれやれ、我ながら呆れる。仗助は「フンス」と人知れず鼻から息をふきだした。暫く歩いてゆけば、億泰の家の前につく。いつものように呼びかけるのだが――

「ワリー、ちょっと手が離せねーんだ! 先行っててくれ」
「お父さんの事ー? 手伝おうかぁー?」
「いや、多分俺がやんなきゃいけねーよ。だから先に行っててくれ」

 ドタバタと忙しない彼の声と、何かがゴロゴロと転がるような音が外の二人の不安を煽るのだが、億泰が大丈夫というのならそうとしておこう。二人は彼に「遅刻するなよー!」と言い残して先を急いだ。

「どうしちゃったんだろうね?」
「さあなー。まっ、そんな大したことじゃあねーんだろ」
「ふ〜ん?」

 ちらりと彼女は億泰の家を振り返る。しかしすぐに前へと顔を戻した。

(なんつーか、ほんと久々だなぁー、こうして二人で登校すんの)

 ほとんど億泰とのセットで登校していたので、こうして二人きりで登校するのは久しぶりである。……妙に、嬉しい。

「あれ?」
「ん? どうした」
「あ、うん。仗助君何かいいことあった? ちょっと楽しそうな顔してる」
「そうか?」
「うん」
「……なんだと思う?」

 ――それはきっと二人きりで登校しているからだろう。

「分からないから聞いてるんだよ〜」

 桔梗は苦笑して見上げてくる。丸い頬が上がり、柔らかそうな唇が弧を描く。ムム、先程からほとんどソコにしか目が行っていないぞ、今日は。
 ……本人には、決して教えないが。


 * * *


 ある日の下校――桔梗は最近ご贔屓にし始めた本屋にいた。彼女はお目当ての本が見当たらないのか、あたりをきょろきょろと見回して探している。

(どこかな〜〜、確かここら辺に……)

 視線を上に向けると、彼女は見覚えのタイトルを見つける。漸く見つけた彼女の探し物は、どうやら参考書の用だ。内容は……高校物理。
 しかし、見つけたはいいのもも、彼女の身長ではちょいと届きにくい場所にそれはあった。しかも、薄いならまだしも、とても分厚い本だ。重い分、ほんの先をひっぱれたとしてもビクともしないだろう。更に、手前にもまた本が並ぶスペースがあり、そこがネックになっている。こうなると踏み台が必要だ。

(踏み台は、と……あッ……)

 ああ、と残念がる彼女の視線の先には、踏み台に我が物顔で腰掛ける男の人。本を読むなら立ち読みしろと言いたいところだが、いかんせん、彼女にそんな事を言える度胸はない。真面目そうなサラリーマンの顔の癖に公共マナーがなっていないとは、人間やはり見た目じゃあないなと改めて思い返した瞬間だ。
 ため息をつきつつ、彼女は再び目的の本である参考書を見上げた。目と鼻の先にいるというのに、身長が足りないというだけで諦めたくはない。彼女は「よし」と決心すると、ぎりぎりまで本棚に近寄って背伸びをし、本へと手を伸ばした。よろけて下にある本に倒れこまないようにも気を張る。

「う、お、ぉお……」

 中指がほんの少しかすった。けれどそれだけで届いたとは言えない。もう一度彼女は背伸びをして手を伸ばす。ここで諦めたら人生の恥だとでも言いたげに彼女は意地になっていた。

「あ、と、もう少しぃ〜〜〜〜っ」

 プルプルと指先が震える。指先だけでなく、彼女の足も震えている。彼女は力を振り絞るように目を強く瞑った。
 ひたり、と目的の物に再び中指が触れた――と、その時だ。ふと視界が暗くなる。そして、覚えのある香りが鼻孔をくすぐり、背後に何者かがいる気配を感じた。ばくん、と心臓が大きくうねる。

「これでいいのか〜〜?」

 彼女の背後からかけた声の持ち主は、そういうと彼女が伸ばしても届かなかった本をあっさりと取る。それを目で追って背後を振り返ると、そこには――

「じょっ仗助君っ!」

 馴染みのあるリーゼントに、翡翠の瞳、ふっくらとした唇はとてもセクシーで……とそこまで思って桔梗は急いでその考えを頭の中から追い出した。一体、何を考えているのだ、と。その所為で心拍数が余計に上がって顔に熱がたまっていくというのに!
 落ち着かない胸に手を当てて、彼女は見下ろしてくる仗助を見上げた。

「あ、そ、それっ、それで、いいの」
「おう」

 物理の参考書を受け取った桔梗は、それを胸の前で抱えた。

「にしてもおめー、参考書なんてカテーもん買うのかよ〜〜」
「あ、うん。塾とかにいけないから、良さそうな参考書を先生や図書館とかで調べて買うんだ」
「熱心なこったなァ〜〜」

 苦笑しか出なかった。まあ、自分には特に取り柄がないのでせめて人並みに勉強ができるようになりたいのである。けれど、なんとなく、そうなんとなく少しだけこんな勉強ばかりの自分が呆れられていないか心配になった。とくに、目の前に立つ彼に対して。更に、まさかこんな本屋で出会うとは思ってもみなかったので、動揺も共に大きい。
 誤魔化すようにして苦笑から照れ笑いになると、目の前に立つ仗助も笑った。

「ええっと、仗助君、一人?」

 桔梗はなんとなく聞いてみた。特にこれといった意味はなかった。
 一方、問われた仗助とは言えば、内心大きな荒波が起こっていた。彼女が問うてきた言葉の真意を考えているのだ。考える彼の眼下には、リンゴほっぺをほんのりいつもより赤く染めた桔梗の姿。その彼女の姿になにか胸に来る……そう、なにか「グッ」とくるものを抱く。
 これはチャンスだ――と頭の端で思う。仗助は、意を決して口を開いた。

「おう、まあな……桔梗、これからい――」
「ンなとこに居たのかよ仗助ェ〜〜〜〜! 康一が会計済ませ……っておおッ、桔梗じゃあねーか〜〜」

 億泰ゥウウウウウウ――――ッ!!!!
 仗助は近くの本棚に拳を突き――「ゴンッ」という音が鳴って棚が大きめに震えた――その拳に己の額を当てたまま胸の内で叫んだ、大いに叫んだ。髪の毛のセットもほんの少し崩れたが、暫く顔を上げられそうにない。桔梗と言えば、人知れず落ち込んでいる彼の背中を不思議そうに眺めていた。頼むから今だけは視線を逸らしておいてほしい仗助は更に顔があげられなくなった。
 折角、偶然にも会えた桔梗と二人で帰ってしまおうと考えていた所に、まさか、まさかッ、見つかってしまうとは。一緒に来ていたので仕方がないといえばそうとしか言えないのだが、どうしても恨めしく思わずにはいられないッ。結局、一緒に本屋を訪れていた億泰と康一を伴って彼女と共に下校する事となった。


 * * *


 私は、ときどきマヌケだ。突然なんだと言いたいところだろうけれど、本当に私は時々間が抜けているのだ。今だって、学校に数学の教科書とノートを置いて忘れてしまったので急いで家から戻って――その日の内に復習をするという習慣があるので、それをやらないとすっきりしないのだ――とってきたところだ。やれやれ、自分のことながら呆れてしまう。
 ため息を一つついて、私は商店街をさっさと抜けて家へと帰ろうとした。

(あれ?)

 前方に、康一君を発見した。けれど、別に私は彼を見つけたから首を傾げたわけじゃあない。学習塾に行くと聞いていたからね。問題は、彼と一緒にいる人物だ。特徴的な髪型とバンダナ、そして『露』と大きく入った不思議な服。そう、それはまさに私が少し苦手としている『岸辺露伴』その人だった。
 何故、彼と康一君が共にいるのだろうか。とても疑問であった。

「あ、桔梗さん!」
(……あ、)

 本当は、彼に関わるとなんだか厄介な事になりそうであったので、気づかなかったフリをしたままスタコラ退散しようと思っていたのに、自分の悪い癖である「気になったら目が離せなくなる」所為で、ばっちり康一君と目が合ってしまった。オー・マイ・ガッ!
 康一君は康一君でなんだか嬉しそうな表情を浮かべている。なるほど、君もこの状況から逃げたかったんだね。だからってそんな可愛い顔で駆け寄ってきても私は君の身代わりにはならないぞッ、絶対に! 一応話は聞いてあげるけどさ!

「おっお久しぶり? ですね、露伴先生」
「ああ、そうだな。君こそ相変わらず呑気そうな顔をしているな」
「お久しぶりと挨拶しただけなんですけど私ッ」

 露伴先生は話を自分のペースに持っていきたがるので、相手の方は本当に一苦労だ。かく言う私もこのざまです。仕返しに、今まで読んできたトコの『ピンクダークの少年』の感動した場面や驚いた場面を言った後に作者はこんな変な人なのにね、と嫌味を言ってや……りたい所だけれど後が怖いので黙っておく。
 まあ、きっとこんな人だからあんな凄い漫画が描けるんだろうと思う、うん。

「で、康一君と露伴先生は一体なんの話をしていたんですか?」
「ああ、康一君だけでよかったんだが……まあいい、君にも一応聞いておこう」
「……そうですか、きっと役立たずなので私は退さ――」

 去ろうとした私は不意に腕を「ガシィッ!」と鷲掴まれる。振り返ると手首を康一君、二の腕を露伴先生に掴まれていた。……なんなんだ貴方たちはッ! 変なところで息を合わせなくてもいいからッ。結局逃げられないじゃあないかああああ。

「僕は赤ん坊の頃から4歳ぐらいまでこの辺りに住んでいてね……その頃住んでいた所を探していたんだよ。『ノスタルジィ』って感情かな……子供の頃を思い出すのも漫画家の仕事なのさ」

 意外だ、と私は思った。まさか、露伴先生に懐古の情があるとは思わなかったからだ。先生は、3, 4歳の頃の記憶なためにほとんど覚えていない。……それだったら持っている地図を見ればいいんじゃあないかな? 康一君も康一君で自分の腕時計を見てポケ〜っとしている。ちょっとそこの君、面倒事を私に押し付けてばっくれちゃあ嫌だよ。

「いや、時間は取らせないよ。聞きたいというのは、この町内地図の看板なんだ……とても奇妙なんだよ」

 言って、露伴先生は私達の目の前にあった地図の看板に手を置いた。何が奇妙なのだろうか。一見すると普通の看板にしか見えないけれど。それは康一君も思ったらしく、私同様に首を傾いでいた。

「奇妙?」
「そう、奇妙なんだよ。いいかい?」

 露伴先生の長くて無骨な手が看板を指す。私達はその指の指す先に視線を集めた。そこは、私達のいるこの看板前……つまり「現在地」の道路の向こう側だった。露伴先生は、私達にしっかりと分かるようにゆっくりとハッキリとした口調で一つ一つ指で追いながら言う「そば屋『有す川』、薬屋『ドラッグのキサラ』、コンビニ『オーソン』――」

「――と、右から店がこう続いている」
「うん?」
「はあ……?」

 これだけでは分からない。私と康一君は生返事しながら首を再び傾いだ。そんな私達の事は特に気にした様子もなく、露伴先生は話を続けた。

「今度は実際の場所を見てくれ」

 私達は彼の言うとおり、背後を振り返って実際の場所を見てみた。露伴先生の指の動きに合わせて、ゆっくり、右から一つずつ、そば屋「有す川」、薬屋「ドラッグのキサラ」、そして……――

「あ、れ……?」

 私は思わず脳裏に浮かんだ言葉をそのまま声にして出していた。
 露伴先生の、次に指した先には一本の道があったのだ。

「――で左が『オーソン』、だ」

 看板の地図には乗っていない道。それがどこへ続くのかが分からずに、露伴先生は混乱しているらしい。確かに、初めて来たところで地図が役立たずだったら混乱してしまうのも無理ないと思う。私はあまり立ち寄った事ないから分からないけれど、康一君はよくあの道の左にある「オーソン」で漫画の立ち読みをしているらしい。不思議そうに「気づかなかった」と呟いた。……なんだか、奇妙だ。
 露伴先生の持つ、今年の4月に発行された国土地図図書発行『杜王町三千分の一』にも載っていないらしい。私と康一君は、先生の持つ地図を見せて貰ったがどこにも目の前にあるあの『道』については載っておらず、店同士はぴったりとくっついていた。康一君は、「凄い発見をした」「地図の間違いを見つけると図書券がもらえる」と言う。……初めて知った、覚えておこう。
 けれど、私は康一君のその言葉に驚きはしたものの、喜びも浮いた気分にもならなかった。何故ならば、あの『道』の存在があまりにも不気味だったからだ。どこへ行くのか不明な道は、なんだか不気味に見えたのだ。私はこういう時の勘が妙に鋭い。頭のどこかで、向こうへ行ってはいけないと警告をしている。きっと向こうへ行けば何かが変わってしまうのだ。そんな危うさが、あの小道には感じられた。

「康一君、ちょいと行ってみないか? この辺案内してくれるとありがたいんだが」
「露伴先生あの〜、今ぼく急いでいるんですけど……」

 私はここいらでお暇させていただこう。二人に気づかれないように、ゆっくりゆっくりと後退していく。

「この岸辺露伴が頭下げて頼んでいるのに……ふぅ〜ん、そうかい! 君はたった数メートル歩くだけの事を断るのか……いいとも! 人に冷たくしといてテストでせいぜいいい点とっていい学校へ入りたまえ!」

 嫌味たらたらに露伴先生は地図に載っていない『道』へと向かう。そんな彼に嫌味をさんざん言われた康一君はというと、肩をガックリと落としてため息をつくと「参ったなァ〜〜もう! 我が儘だなぁ〜〜」と言いつつ、ついていく。

「五分だけですよ! 先生〜〜。五分だけ!」
「ほうほう、それでどうして康一君は私の腕を引いているのかな。君だけだよね、御指名君だけだよね」
「一緒に来てくれよ〜〜。僕一人だけじゃあ相手しきれないんだよ〜〜」
「……はいはい、五分だけね、五分だけ」

 本当は、あの道に近づくことすら嫌なのに、私は結局康一君に連れられて露伴先生と共に『道』の調査をし始めるのだった。



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