鉄壁の少女 | ナノ

10-2



 ゼイゼイと肩で息をする桔梗を、同じく息を切らしている露伴がベッドの上から見下ろした。乱れた髪を苛立ちながら掻き上げて彼は息を整えてベッドに体を沈める。こちらが重傷なのにもかかわらず、ギャアギャアと喧しく「食え」と捲し立てながらフォーク片手に迫る彼女には少々冷や汗が出た。
 彼の口の中では、強引に突っ込まれた――まさかスタンドで強行突破して来るとは思わなんだ――ひと口サイズのメロンがムカつく程に果汁をたっぷりと出して甘くてジューシーな味を出している。

「ろっ露伴さん、意地張り過ぎです……食べさせるだけでどうして私こんなにも疲れているんですか」
「だったら食わせようとしなきゃいいだろ」
「食べたいと言ったのは露伴さんの方なのですがッ」

 リンゴほっぺの頬を更に赤く染めて荒れた呼吸を整える彼女は下から睨み上げるようにして見ている。そんな視線を一瞥したのちに彼は一度「フンッ」と鼻で笑うと適当にあしらった。すると、彼女は鼻で笑われたにも関わらず、特にそれに文句も憤りもせずにすっくと立ち上がるとニヘラと苦笑を浮かべながら洗面台へと歩み寄って手を洗う。そして次の果物を手に取って切り始めるのだ。
 誰もまだオレンジを食べるとは言っていないぞ。言ってやりたかったのだが、フンフンと鼻歌を歌いながら切り始める彼女を見ているとそんな気がうせ……ることはなかった。

「おい、僕はまだ食べるなんて一言も言ってないぞ」
「食べないんですか?」
「食べる」
「ならいいじゃないですか」
「良くない」
「なぜッ!」

 ああ、全くもって喧しい。本来ならばこの様な輩病室に招き入れるなんてマネはしなかったのだ。態々入室を許可したのは、彼女を「見たかっ」たからだ。彼女の「記憶」……正確に言えば「人格」に興味があったのだ。ライターの火を、友人の命を助ける為とはいえ、何の躊躇いもなく素手で消そうとしたのは初めて見た。離すまいと自分のスタンドまで使って手のひらを火に押し付けるあの姿に、感動さえ覚えた。そして、その悶える表情もなかなかに、良い、センスがある。
 広瀬康一の記憶をほんの少し読んで知ったのは、彼女が壮絶なストーカー被害に遭っていた事と後は世間一般的な彼女の印象程度。けれど、彼女はその壮絶なストーカー被害を経ても明るく、そして穏やかでどちらかと言えば気の弱そうな容姿な割には肝が据わっている。なかなかに、好奇心と好感を持てる。
 更に、山吹桔梗という女子はこの岸辺露伴の漫画が「好き」であるらしい。ならば、「波長」が合う相手かもしれない。

「よし、これでいいかな」

 かたん、と包丁を置いて皿に盛りつけたオレンジを持ってくる彼女は何が楽しいのか微笑を浮かべながら歩み寄ってくる。……油断している、完全に、この能天気な表情がその証拠である。いつもと同じ、とはいかないがこの呑気な人間相手ならば楽勝だろう。
 謀略を企てている事など全くもって気づいていない彼女は先程のパイプ椅子にストン、と腰を落とすとオレンジののる皿を差し出してくる。

「はい、どう……」
「おい、まだあれを片付けてないぞ。食べさせる気ならそれを片付けてからにしろよ」
「え?」

 顎で露伴はさす。その方向に彼女は首を回した。そして視界に入れたのは、先程メロンに使用していた紙皿、それに描かれた『ピンクダークの少年』の主人公だった。

「あッ」
「《天国への扉》ッ!」

 かかったな、と余にも予想通りな行動をしてくれる彼女に思わず口角が上がった。
 思った通り――いや、それ以上に彼女は『波長』が合った。あっという間に「本」になるとぐらりと体が傾き、そのまま重力に逆らう事なく彼女は床にすっころんだ。

「いててッ……ちょっ、ちょっと露伴さんッ、なぜ《ヘブンズ・ドアー》を!?」
「なんだよ、君だって僕にメロンを食わせる時に《スタンド》使っただろう?」
「貴方と私では、使用目的が全然違いますッ」

 これから何をされるのか、おおよそ理解しているようである。そこまで鈍くはないようだ。容姿は結構鈍感そうなものなのに。

「うあれ!? 体が勝手に動くッ!」
「僕に向かって歩くように書き込んだからね、今」

 よろよろと歩いてきて、ベッドサイドに腕を突き、顔を寄せてくるのは桔梗。しかし、彼女の意思ではない。露伴の《ヘブンズ・ドアー》の能力である。

「ひっ卑怯ですよ!」
「煩いなぁ〜〜、黙って読ませる事くらいしなよ」
「いやいやッ、どー考えてもおかしいですってソレ」

 ぷんすか憤る桔梗だが、いかんせん、今度は露伴が彼女の「顔の記事」の隙間に『体が動けなくなる』と書かれてしまっているので露伴がペラリペラリと捲る手をどかせる事も、彼から逃げる事もできないでいる。それをいいことに、「後で書き直すから安心しなよ」と露伴は遠慮なく彼女の『ファイル』を読み漁った。
 手はどうした、動かない筈だぞと思っていたようだった桔梗だが、露伴は彼女の不思議そうな視線を無視して「ページ」を進める。本をめくるくらいはできるのだ。彼は彼女の「生年月日」や「家族構成」、「癖」等と順々に見ていく。抵抗の出来なくなっている桔梗はもうこうなってしまっては手も足も出ない事を理解したのか大人しく、読み終わるのを待っていた。
 ぱらり、ぱらり……。進めていた手が、不意に止まった――と思えば、目を忙しなく動かして記事の文面を滑るようにして追いかけ始める。
 面白い、いや、凄まじい……。特に彼女の中学時代、これはなかなか体験できないホラーとアクションの折り重なったような体験だ。しかし、同時にちらりちらりと入る体験した桔梗自身の感情がまた――

「あ、あのろは……」

 桔梗は口をつぐむ。それは、きっと露伴の鋭く真剣な眼差しがそうさせたのだろう。ごくん、と彼女は生唾をのんだのち、どこへやったらいいのか所在なさそうに視線を宙へ彷徨い始めた。
 露伴は、ぱたむ、と「本」を閉じた。そして、能力を解除する。あっという間に動けるようになった桔梗は、勢いのなくなった露伴を不審に思ったのか眉間に皺を寄せて首を傾げた。

「泣き虫で……」
「へ?」
「怖がりで、いつも逃げ腰で喧嘩は嫌いだし勉強はできるけれどお人よしバカで、そして妙にどんくさい」
「え、あ、あの?」
「けれど、誠実で真面目で兄弟・友人想い、大切な人間に危険が迫れば立ち向かう勇気を持つ……ふむ、なかなか良い、常に弱腰なのに仲間の危険によって強かになる姿勢は読者に共感を得やすい」
「……はあ、そうですか」

 生返事を返す桔梗は、首を傾げたまま、ベッドに横たわる露伴を見下ろした。すると、露伴は眉間に皺を寄せる。彼は、上から見下ろされるのが嫌なのだ。特に、彼女のように能天気なような人間には――

「……嬉しく思えよ、やられキャラとしてだが出演させてもらえるんだぞ」
「どうせ私は弄られ兼下っ端ですよッ!」
「よく分かっているじゃあないか!」
「うわああ、自分で言ってって悲しいよーっ」

 腹が立つので嫌味を言ってやれば、彼女自身も自覚があるのか本気で嘆くようにして顔を手で覆った。

「……ってあーッ、もうこんな時間ッ、早く帰って夕飯の支度しなきゃ!」

 我に返って時計を見た桔梗はせかせかと荷物をまとめ始める。慌てていても失わない手際の良さは、常にこのような状況を経験しているというだけでなく彼女自身持ち前の「しっかり者」の性質なのだろう。

「あ、果物ここの冷蔵庫にしまっておくので、良かったら食べてくださいね」
「君は動けないこの僕に重労働をさせる気か? 体を起こす事すら億劫だというのに」
「……では、また来て果物を切ればいいですか?」

 呆れ顔でため息をつく勢いな彼女はあからさまに肩を落としながら問う。

「そうしてくれても構わないが?」
「……分かりました……あ、でも次は《ヘブンズ・ドアー》を使ってこないで下さいよ?」

 普通ならば、きっと来ない。だが、彼女は必ず再び訪れるだろう。露伴がベッドから動けるようになる日まで、必ず。彼女は、そんな性格なのだから。

「それでは、お大事に……露伴先生」

 ぺこり、と頭を下げて桔梗は病室を出て行った。彼女の姿が見えなくなったのち、露伴は「フンッ」と鼻を鳴らすと一言、

「彼女の性格にはなかなか見どころあるが……どうして『東方仗助』がいいのかさっぱり理解できん」

 訳が分からないと言いたげな表情で彼は天井を見上げたのだった。


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