鉄壁の少女 | ナノ

9-3



「仗助君は、貴方のその原稿を見ない為に、今隠れている」
「そうだな、正解だ。なかなかカシコイぞ」

 康一君が露伴さんの問いに答える。
 確かにそう、仗助君は露伴さんの原稿を見て「本」にされない為に隠れている。億泰君が露伴さんの術中に嵌ってしまったがそのおかげで露伴さんの能力の正体を知る事ができ、私も仗助君もこうして無事でいる。

「その点はマジにまずい事になった……いや、実際のところ、僕の方が相当不利のような気がする。そして東方仗助がドア陰から出てこない理由が他にもあるんだ」

 私は、露伴さんの言葉にうっと息を詰まらせてしまった。
 抜け目がない。この人、本当に一般人なのか――いや、今はスタンド使いだが……――本当に抜け目がなさ過ぎて怖い。漫画家というのはみんな「そう」なのかッ!? いや、あの『ピンクダークの少年』の作者だと言われると頷かざるを得ない。あのリアリティがある癖に「まさか!? そんな!」というアッと驚く展開が多い。あの作品にこの作者あり、という事か。
 何とかしなくては。私達は、『仗助君をどうやってでも外に逃がさなくてはならない』ッ!!
 私は未だ、椅子に腰かけてドアを見つめる露伴さんを盾の内側から見た。彼は、机の上の書き上げたばかりだろう原稿を左手で摘まんだまま、「どうやって仗助君をドア陰から引きずり出そうか」と考えている。

「てめーをどうやってブッ殺そーか考え中なんだよッ!」
「フフフフ、それもそれも正しいな……なだ正確な「答え」ではないよ」

 ああ、分かっている。この人は分かっている。分かっているから「あえて」、そう「あえて」言っているのだ。
 ぎりり、と私の握りこぶしが撓った。

「正確な答えはね……東方仗助は『このまま自分だけこの屋敷から逃げ出すのはどうか』と考えている!」
「逃げ出す!? 仗助君はそんな事はしないよ!」
「そうだな、康一君……君の「ファイル」には東方仗助が君たちを見捨てる事はしない性格だと書かれている……」

 ぺらり、と露伴さんは康一君の顔の一部のような「記事」を見ながら言う。きっとあれは康一君の記憶なんだ。《天国への扉》は、あの、露伴さんの描いた絵を見てしまった人を「本」に変えてしまうんだ。でも、それだけじゃあ説明できない事がある。
 記憶の一部を盗まれたくらいで、康一君が無力化できるだろうか。あの『やる時はやる』康一君が、何故、露伴さんに対して攻撃も防御もましてや助けを呼ぶ事すらできなかったのか……。

 ――私は今、恐ろしい考えをしている。

 ――まさか、そんな。

 ――これじゃあ、露伴さんの《天国への扉》はある意味最強じゃあないかッ!

「『逃げる』……そーか! そりゃあいいかもしんないっ! 承太郎さん呼べるしよお、由花子が康一の事を知ったらあの女怒りまくるぜェ〜〜」

 億泰君が素っ頓狂な声を上げると、素晴らしい考えに気が付いたと言わんばかりに目を爛々とさせながら言った。そう、露伴さんが言っていた仗助君の「他の理由」がこの事である。
 気が付いたら早いか、億泰君はドア陰にいる仗助君に向かって「そうしろ! 早く逃げろ!」と叫ぶ。ああもう、君は本当に――

「マヌケかッ! 『それをされない為に』おまえらに説明してるんだよッ!」

 がしりッ、と露伴さんが、床に投げられたまま転がっていた億泰君の腕をつかみ上げる。

「億泰君! 君の体にはすでに書き込んでおいたのだ!」
「――ッ!!」

 ああ、やはり、当たってしまったッ。
 ぼとり、と億泰君の手が康一君の目の前に落とされる。……これ、「本」にされていない手だったら物凄くホラーだったよ。
 落とされた億泰君の腕を見て、康一君の表情がみるみる青くなっていく。このまま熱をどこかへふっとばしてしまう程、真っ青に。

「そこの書き込んだ所を三人に読んで説明する事を許可するよ、康一君……」

 静かに、悠々と言う露伴さん。
 私は、億泰君が形兆さんの時の事を彼に嗾けられた時の怒りが再び沸々と自分の中で再熱していくのが分かった。彼に対しての激しい怒りが、活火山のマグマのようにぐつぐつと灼熱の炎をゆっくりと内側から天井へと押し上げていくかのように、静かにボルテージを上げていく。

 ――東方仗助が岸辺露伴を困らせた時 私は焼身自殺します。

 康一君が読み上げたその部分を聞いた時、徐に億泰君の右手がライターを握ったのを目にした時、私の心は決していた。岸辺露伴が、今、私の事を「甘く見ている」この瞬間、「見くびっている」この今ッ。絶好チャンスを、逃すわけにはいかない。
 私は《どで》……《レディアント・ヴァルキリー》を出したまま、岸辺露伴――ではなく、その足元にいる億泰君へと突っ込む。正確に言うと、彼が握るライターの……火だッ!


 * * *


 一同は唖然とした。
 部屋にいる億泰、康一、露伴、そして部屋の外にいた仗助までもが驚愕していた。
 岸辺露伴は、突如突っ込んできた桔梗に原稿を見せようとすぐに前に絵を出したのはいいが、その肝心の彼女は原稿を「見ておらず」、敵である彼の事などよりも、慌てる康一や億泰なんかよりも、火がつけられたライターを――いや、『ライターの”火”』を躊躇する素振りを一切見せずに自身の『素手』で握り消したのだった。

「ッ〜〜〜〜!!」

 桔梗は目に涙を浮かべて、痛みに顔を歪めても手を放そうとはしなかった。
 もちろん、「不本意に」焼身自殺しようとしている億泰の手は例え火を消されたとしても、何度も何度もライターを点火させ続ける。握力は普通に彼の方が勝っている為、させまいと手を抑え込もうとしても無駄である。よって彼女は必然的に火に手を炙られ続ける羽目になる。ちょっとの火傷程度では済まない。

「てッ……行って! 仗助君ッ、億泰君の手は私がずっと抑え込んでるから、早くッ」

 彼女は離さない。むしろ、自分のスタンドの握力――彼女は近接パワー型なのだ――で億泰の手を包む自分の手を握りこませた。

「ばっかお前! 手の皮膚が溶けちまうぞ!」
「煩い! 手の一つや二つがダメになろうがなんだろうが大事な友達が死んじゃうよりずっとマシッ、だから億泰君黙れっ」
「『黙れ』って……覇気のねー声で言ってっから全然怖くねー……」

 痛いくせに、すぐにでも手を放してしまいたい癖に、彼女は自分のスタンドで自分を押さえつけている。
 康一は驚いた。しかし、次の瞬間には納得した。
 山吹桔梗は、何人も友人や大切な人を亡くしている。それは彼女の所為ではない。けれど、彼女は心のどこかで自分を責め続けているのだろう、ずっと後悔し続けているのだろう。そして、彼女はもう二度と失うまいと必死になって戦っているのだ。そう気が付いた時、康一は自分の胸を熱く燃やす友情で息が苦しくなった。

「見くびってたな、驚いた、まさか山吹桔梗がそこまでする人間だったとはな……好感が持てるぞ……しかし、困ったな。これじゃあ東方仗助に逃げられてしまう。何か考えないといけないな。ああ、その前にその火傷に悶え苦しむ顔をスケッチしておこう。とてもいい表情をしている」
「な、なんなんだこの人……」

 珍獣を見るが如くの表情を浮かべて露伴を見上げる桔梗。丸い瞳には涙がボロボロと零れてしまうくらいに溜まり、眉間には皺が寄り過ぎて顔が皺くちゃだ。そんな表情も嬉々として露伴はスケッチした。

「さて、どうやって彼女に億泰君の手を放してもらおうか……ふむ、これならイイかもしれない」

 にやり、と露伴は口角を上げて康一の『ファイル』を読んだ。そして次に、彼は足元にいる彼女の顔を見て言うのだ。

「君、裸を『音石明』に見られたそうだね」
「……へ?」

 桔梗は、訳が分からないという表情で康一を見た。康一は、申し訳なさそうな、恥ずかしそうな表情で顔を真っ赤にしながら床に視線を落とす。

「風呂から上がろうとしたら下着がなかった時があったろう? その時、奴は《スタンド》で君の風呂場にいて覗いていたんだよ。君は全くその事に気が付かないから素っ裸で風呂場をうろうろと下着を探し回っていたそうじゃあないか」

 べらべら、べらべらと露伴は「ファイル」に書かれた事、全てを大っぴらに、しかも大きな声で言う。聞かされた本人である桔梗は、みるみる顔から首まですべてを真っ赤に火照らせて康一を再び凝視した。「本当なの?」と確かめるように。そんな彼女の視線を恥ずかしそうに目を逸らしたまま、彼はコクン、と頷いた。彼は実際、もっと凄い事を「音石明」に語られたのではなかろうか。
 露伴は、彼女の反応を見るべくじっと彼女を上から観察する。せっかく康一と仗助が彼女に気を使って言えなかった秘密を大暴露された桔梗は、康一から顔を逸らして伏せると、わなわなと体を震わせ始めた。カチカチと噛みあわない歯を鳴らし、「う、あ、あ……――」

「お嫁に行けないぃいいいい――――っ!!!!!!」
「ブぼォッ!?」

 訳の分からない事を叫びながら彼女は手の甲で億泰の顔面を攻撃、その後は両手で自身の真っ赤な顔を覆い隠して悲痛な叫び声を上げ始めた。

「嘘だぁああ、うわあああッ嘘だあああああ!!!! お母さんごめんなさい嫁入り前の癖に好きでもない男の人に裸みられてごめんなさい恥ずかしすぎて生きていけないいいいい〜〜〜〜ッ!」

 耳まで見事に真っ赤で、発火してしまうのではと思ってしまうくらいだ。そんな彼女を露伴は楽しそうに眺めている。

「離したな、手を……今、ライターを離したな?」

 ニンマリと笑いながら彼は指をさす。その先には自由になったライターを握る億泰の手。しまった、と康一が思った時には既に遅く、ライターの火は「本」となってしまっている億泰の体を焼き始めた。
 一方、桔梗は恥ずかしさと色んな意味での絶望の余り両手で顔を覆ったまま床に伏してしまっていた。無理もない、彼女には相当ショックだろう。

「あッ」
「あっ!」
「出て来たな!」

 そんな時、ドア陰に隠れていた仗助が姿を現す。これでは出てきたというよりは引きずり出されたという方が妥当だろう。しかし、彼もただのこのことドア陰から現れた訳ではない。両目を閉じていたのだ。
 すかさず原稿を見せようとした露伴の手も思わず止まってしまった。

「ホォ――ッ! 原稿を見ないように目をつぶっての攻撃をするつもりか……幼稚で単純だが結構効果があるかもしれないな」

 露伴の言うとおりだった。
 部屋は狭く、彼には逃げ場がない上に、一撃で倒せれば《ヘブンズ・ドアー》が解けて億泰は自殺しない。《ヘブンズ・ドアー》は彼の絵さえ見なければ無力なのだ。
 仗助は走り出した。同時に億泰に着いた炎も勢いを増す。その時には桔梗も漸く正気に戻ったのか、ハッと我に返って状況把握の為かあたりを見回している。これ以上時間をかければ逆に露伴の方が不利になりそうだ。

「――とすると、閉じている目をなんとかして開かせればいいわけだな」

 露伴はデスクの上に原稿を置くと、その手に取ったのはGペン。そしてそれをまるで手裏剣のように仗助の顔に向かって投げた。それは、目を閉じて突進する仗助の顔面に突き刺さった。目に刺さらなかった事が奇跡だ。
 仗助はうめき声をあげて少しふらつくが、持ちこたえて再び露伴へと向かう。

「こらえやがったぞ……普通、刺されるという恐怖で立ち止まるか何が飛んできてるのか見てしまうものだが……やばいな、このまま突っ込まれたらやられてしまうじゃあないか」

 ほんの少し焦りだした露伴。
 康一は攻撃できないので仗助を鼓舞する事しかできない。億泰は体のほとんどが巻物のような「本」にされているので動けず、さらに焼身自殺しようとライターの火で自分の「本」となってしまった体を炙り、そんな彼の行動を桔梗が止めようと必死になっている。
 仗助は急がなければならない。

「そうだ! 康一君の「ファイル」に何か書いてあったぞ『目を開かせる方法』が……えーっとどこだったかな……確か読んだんだ! えーっと……」

 露伴は不利な状況にも関わらず至って冷静だった。冷静に物事を考えて、この不利と言える状況を乗り越えようとしている。だからこそ彼はすぐに見つけた。「仗助の目を開かせる」方法を。

「『君のそのヘアスタイル笑っちまうぞ仗助ェッ! 20〜30年前の古臭いセンスなんじゃあないのォ〜〜〜〜!! カッコイイと思ってんのかよォ〜〜〜〜』フンッ……かな?」

 康一は「えッ」と目をこれでもかとカッ開き、億泰は表情を青くし、桔梗は「あッ」と素っ頓狂な声を上げて顔をひきつらせた。
 ぴたり、と仗助の足が止まった。
 岸辺露伴は知っていた。康一の「ファイル」を読むことで相手の性格を知りつくしていた。仗助が、髪型を貶されると「キレる」という事も。《ヘブンズ・ドアー》で得られた「ファイル」は嘘をつかない。信じられない事実だったとしても、そこに書いてある事は100パーセント真実なのだから。

「まっまさか〜〜!!」
「ああああっ! 嘘だろォ! こんな時にィッ」
「お、おわ、終わわっ……」

 「プッツ〜〜〜〜〜〜〜〜ン」という音が似あう程だった。
 三人の顔が青ざめる中、仗助の翡翠の瞳はカッと見開かれ、眉間には嫌に皺が寄り、怒りによって口がへの字に曲げられていた。

「もういっぺん言ってみろッ! コラアッ!」


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