鉄壁の少女 | ナノ

9-1



〜第9話〜
作品と作者はノットイコール




「はい、これありがとう康一君」
「ううん、いいんだ。どうだった?」
「うん……」

 神妙な面持ちになった後、私はニッコリと微笑んで言った。

「すっっっっご〜〜く面白かった!」
「良かったァ〜〜っ!」
「主人公の熱さといい、話のテンポや迫りくるスリルといい……本当に最高っ、面白かった!」

 私は康一君に借りていた『ピンクダークの少年』の感想を熱く語る。まだ三冊しか読んでいなかったけれど、そんな少ない巻数を読んだだけで作者の凄さがジワジワと伝わってきたものだ。『ピンクダークの少年』のような、漫画には初めて出会った。今まで読んできていなかった事が勿体なかったくらいだ。
 私達二人は共に下校していた。仗助君は、なにやらこの前『透明の赤ちゃん』を拾ったらしく、ジョースターさんと一緒にその赤ん坊の母親さがしに勤しんでいる模様。ジョースターさんにしか心を開いていないらしく、彼がいないと周りの物をやたらめったら透明にしてしまうので、ジョースターさんは暫く母親が見つかるまで滞在するらしい。
 また、その日を境にジョースターさんと仗助君のちょっとギクシャクしていた雰囲気は少し緩くなったみたい。よかったよかった。落ち着いたら、その『透明の赤ちゃん』に会ってみたいなあ。

「あ、それじゃ私はこれから用事済ませてくるから」
「ああ、お母さんに買い出し頼まれてるんだっけ? 大変だね」
「本当だよ、もっと労って」
「ははは。頑張ってね」
「うん、ありがとー」

 また明日漫画を持ってきてくれるようなので、それまで楽しみにしながら私は康一君と別れる。ちなみに、母親に頼まれた買い物は彼女の折れた歯ブラシだ。なんでも、落として折ってしまったらしい。全く、ちゃんとしてくれ母よ。
 渡された五百円で適当な歯ブラシを購入すると、私はそそくさと家へ向かって歩き出す。

「ん?」

 私は、気になる物を見つけると目が離せなくなる癖がある。現在、困っていそうな人を見つけた。木の陰で、草を分けながら何やら探し物をしているだろう男の人だ。
 こういう人を放っては置けない性質なので、私は恐る恐るだがその男の人に声をかけた。

「すみません、どうかしましたか?」
「ん?」

 男の人は振り返るが、ちょうど影が顔を隠しているので表情もどんな顔立ちなのかも分からない。けれど、ちょっと趣味の悪いネクタイをしていた。私が誕生日にプレゼントしたお父さんのネクタイはシンプルだけど会社でも評判いいっていうのを聞いたから、私のセンスは変ではない筈。ない筈なのに《ドデカ・マンジュウ》は却下されちゃったんだよなあ。

「なにか?」
「あ、いえ……困っているような気がして……その、探し物ですか?」

 ちょっと排他的な雰囲気に怖気づきながらも、放っておけない性分が自己を奮い立たせて来る。私は落ち着かない心臓に手を当てて男の人の返事を待つ。彼は、「ああ、大事な腕時計を落としてしまってね」と緩く微笑みながら答えた。
 私が手伝うと言うと、彼は少し考える素振りを見せてから、「じゃあお願いしよう」と頷いた。ご本人の了承も得たので、私は彼と一緒に腕時計探しを始めた。

「あっ」

 お互いに無言で行われた暫しの捜索後、私はちょっと高級そうな腕時計を見つけた。もしかしてこれなのだろうか、と思って拾い上げ、男の人に尋ねた。

(……?)

 私は首を傾ぐ。男の人がなかなか返事をしないからだ。じっと、私が持ち上げたままの時計を見ているだけだ。自分のかそうでないのか、判別しかねているのかなあ。もしそうだとしたら、邪魔しちゃあれなので私はずっと彼の返事を待っていた。

「……」
「……」
「あの、この時計は?」
「ん?…………ああ、それそれ、それだよ。ありがとう」

 男の人は、陰から出てくる事なく時計を受け取った。
 私は、彼に時計を渡した後、ふと、妙な視線を感じた。それは男の人の物だとすぐに分かったのだが、その視線の先が妙だった。
 ――手、なのだ。じっと彼は私の手を見下ろしているのだ。
 やだなあ、ちょっと手にコンプレックスがある身としては視線や見ていてその人が思っている事が気になってしまう。気分が、悪い。

「あの、私の手に……何かついていますか?」
「……いや」
「そう、ですか?」

 う〜ん。なんだろう、嫌な予感がする。ちょっとそろそろお暇させていただこうかしらね。
 私は男の人に愛想笑いを浮かべてその場から立ち去ろうとした。しかし、男の人は私の口が言葉を発しようとする前に、強くもないのに抵抗力を押さえつけられるような声音で言う。「この後、暇かい?」

「え?」
「手伝ってもらったんだ。お礼がしたい。カフェ・ドゥ・マゴでいいかな?」
「えっ、あっ、いや、そんなお礼だなんてっ……おおお気持ちだけでも、嬉しいです」

 この人とずっといちゃいけない。何故かその時の私はそればかりが頭の中で警報と共に轟き、心を急かす。母親に買い物を頼まれていると嘘じゃあないけどある意味ウソをついて、逃げるようにその場を去った。バクンッバクンッと、走る前から早鐘を打つ心臓の所為で喉に何かがせり上がってくるような感覚がする。
 爆発してしまいそうな胸に、学生鞄を押し付けて家まで一心不乱に走った。
 真っ暗な木の陰に残された男の人が、不穏な雰囲気を纏っているのも、気づかずに――


 * * *


 私は、昨日の出来事を誰にも話す事はなかった。それどころか、私はあの陰から顔を出さなかった男の人との出会いを、すっかり忘れてしまったのである。
 朝、いつものように仗助君と家を出て、億泰君の家へ行き、そこからは三人で登校する。今日の朝は暖かい季節でありながらもほんの少し肌寒かった。
 制服の上から腕をさすってなけなしに自身を温める。そんな事をしていると、私はふと、見慣れた人影を見つける。康一君だ。

「おい、ありゃ康一だよな?」
「おう、あれは康一だな」

 私達はいつもならば彼の背中に声をかけるのだが、どこか様子のおかしい彼に、私達は言葉をかける事はしなかった。私達は互いの顔を見やると、分かっているとでもいうように頷きあう。そして、糸に引かれていくように進む康一君の後を追った。
 康一君は鞄が重いのか、フラフラと覚束ない足運びで進む。彼が向かって行ったのは大きな一軒家だった。表札には『岸辺』と書かれており、その家の開いた玄関から康一君は吸い込まれるようにして上がった。

「おい見たかよ桔梗〜〜、億泰〜〜。康一の奴……学校と反対側へフラフラ歩いて行くから後をつけてみたらよ〜〜……何やってんだ? あいつ? あの家へ入っていったぞ!」
「誰ん家だ、あすこはよ〜〜〜〜。まさかとは思うが女じゃあねーよだろーな、女!」
「こっ康一君に限ってそれはないと思うけど……う〜ん?」

 私達は訝しむ。ここに来るまでの康一君の様子も少々気になっていたからだ。
 康一君の入っていった家へ近づいてみると、その一軒家は素人からみてもいい建物だという事が分かった。それ以外、特に他と変わった様子はない。ただ、なんとなく引っかかるのは表札だった。私はどこかで『岸辺』というこの二文字を見かけた事がある。しかも、最近。どこで見たのかさっぱり思い出せないのだが、思い出さなくてはいけない気がして、必死に思い出そうと頭を少し自分の手で叩いてみた。……ただ痛いだけだった。
 ――と、私が一人で馬鹿な事をやっている内に、仗助君が家のインターフォンを鳴らした。「ピンポォーン!」という馴染みのある音が『岸辺宅』に鳴り響く。しかし、家の人が出てくる様子はない。私はあたりをきょろきょろ見回してみた。億泰君は家の窓から中を覗いていたが、顔をこちらに向けて首を横に振る。……特に変わった所はないみたいだ。

「あれ〜〜っ? 億泰君と仗助君、それに桔梗さんじゃあないか! 何で僕がここにいるって分かったの?」

 出てきたのはここの住人ではなく、康一君だった。康一君は、のほほんとした表情で私達の前に現れたかと思えば、ここが誰の家で自分は何をしにきたのかを説明しだした。それで分かったのが、この家は漫画『ピンクダークの少年』の作者である「岸辺露伴」という男性の家で、康一君は彼の家で仕事の見学をさせて貰っているという事だった。
 ただ、億泰君と仗助君は『ピンクダークの少年』も「岸辺露伴」という漫画家の事もさっぱり知らないらしい。まあ、間田さんに「パーマン」を知らないってで馬鹿にされたくらいだしね、仗助君の場合は。

「でもまっ、おめーがフラフラして歩いてるから心配してつけて来たんだけどなんでもねーならそれでいいんだよ。安心したぜ〜〜」

 先生、仗助君が友達思い過ぎてハンサムです。安心した私は仗助君と康一君のやり取りを見ながら思う。

「中に入って一緒に見学しない?」
「いや、俺は止めとくよ……有名な人ってキンチョーすっからよ〜〜」
「俺も〜〜」
「私もー。あ、でも学校帰りだったら会ってみたいな」

 億泰君は、康一君が女の人に会っていないと分かっただけで十分、みたいな顔をしていた。まったく、億泰君は逆にどうしてそんなに女の子との出会いがないのだろうか。……あれ、今私、自分を自分で女じゃないって言ってる?

「そいじゃなー康一」
「うん」

 私達は康一君に手を振りながら一軒家から離れる。康一君も、私達に手を振りながら家に入っていった。

「すぐ学校へ行くからねー!」
「おう!」
「うん!」
「遅刻すんなよーっ!」

 にこやかな笑みを浮かべて大きく手を振る康一君に、億泰君と私は短く返し、仗助君は言っちゃあなんだが見た目似合わず学校に遅れないように返した。
 ばたむ、と質の良さそうなドアが閉じられた。すると、私達は顔を見合わせて頷きあう。
 くるり、と私達は『岸辺宅』を振り返った。


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