鉄壁の少女 | ナノ

8-2



 ピコピコ、ピコピコという電子音が鳴り響く。時折、部屋にうめき声やら自身を鼓舞するような声も上がった。

「う、う、うおおおっ!」
「やった――っ! 私の勝ちだ!」
「くっそォ〜〜、俺連敗じゃあねーかよ! カッコつかねーっ!」

 横に座る仗助君は項垂れた。反対に私はしたり顔になっている。
 学校から、私は家には戻らず仗助君の家にいた。ちゃんと彼の家にお邪魔しているという事は知らせてあるので大丈夫だ。
 先程まで対戦していたのは、一緒にやろうと約束していたゲームだ。やりこんでいると聞いて恐々としたものの、そんな感情はものの三分で吹っ飛んでいた。仗助君、意外とゲームへたくそなのね。そんな所も面白いからいいと思うけど。

「仗助君って意外と不器用なんだね」
「ちっちげーよ〜〜、これはそのなんだ……油断してただけだぜッ」
「今ので六回目だよそのセリフ」

 狼狽える仗助君も可愛いなあ。……最近、私彼に対して「可愛い」としか言っていない気がする。

「あ、もうこんな時間か……そろそろ帰らなきゃお母さん怒るな」
「そうだなぁー、外もこんな暗ェーしよォ〜〜」
「ゲームって面白いから時間とか忘れちゃうよね」

 無造作に置いてあった自分の学生鞄を手に取って私は立ち上がる。すると、仗助君もよっこらせ、という感じに立ち上がった。おじいちゃんになってるよ、君!
 いつかの日のように、仗助君は私を玄関まで見送る。靴を履いて彼を振り返ると、彼はニカリと笑った。

「次はゼッテー負けねーからよォ〜〜覚悟しとけよ」
「フフフ、楽しみにしてるよ!」

 私だって負けないよ。こう見えて結構負けず嫌いだからね。
 いつになるのか不定な挑戦状を受けて私は玄関のドアを開いた。

「気ィ付けて帰れよ、隣だけど」
「もちろん! 隣だけどッ」

 私たちはどちらからともなく失笑し、そして手を振りあった。

「じゃ、また明日なー」
「うん、また明日ね」

 なんか、胸がぽかぽかする。彼のお蔭かな? そう思った私は東方家の敷地を出ると一人、クスリと笑った。
 家に帰って夕飯とお風呂を済ませたら、英語の予習をしなくちゃな。


 その日の翌日――

「はい、これ。昨日言ってたやつ」
「おお! これが『ピンクダークの少年』の第一巻かぁ……なんだか私の知ってるのとちょっと絵柄が違う」

 今日は、康一君と下校した。
 仗助君と億泰君が寄り道をするのに対し、私の方は、兄弟におやつと夕飯を作ってやらなくちゃいけないのですぐに帰宅しなければならないからだった。康一君も家で遊びたいらしく、あと、私にとある物――『ピンクダークの少年』を渡す為に一緒に帰っていた。
 ……いつか、私も寄り道っていうか、学校帰りにどこかちょっと遠くへ遊びに行きたいなぁ。

「まあね。漫画家って書いているうちに絵柄とか変わってきちゃうから。でも、僕は今のもこの絵も好きだよ」
「へえ〜〜……最初がこの絵なら読めそうだなあ」

 康一君から借りた三冊の『ピンクダークの少年』、それは、お姉さんがくるんでくれたのか、綺麗で可愛い絵柄の袋に包まれていた。
 三冊の表紙は、全て絵柄が知っているあのメタルのような人間ではなく、柔らかい画風のような感じでちょっと安心した。はじめからあの絵を見ながら読める気がしなかった。ただ、ちょっと二冊目から筋肉ムキムキなんだけどね。
 彼から借りた本は、丁寧に自分の学生鞄の中にしまった。もちろん、――今日は帰り際だが――たとえ朝に借りたとしても漫画は学校では絶対に読まないよ。家に帰ってからじっくりと読むつもりだ。

「ちょっと残酷な描写とかあるけど……平気?」
「ああ、うん、そこらへんは平気だと思うよ。私、『はだ○のゲ○』を読んでから耐性が物凄い上がったから」
「えッ!? あのマンガ読んだ事あるの!?」
「うん。読んだのは一部だけなんだけどさ……小学6年かな? 教室に児童図書みたいなのがいっぱい置かれ始めてさ。卒業前に全部コンプリートしようと思って、その中の一種類に含まれてた『○だ○の○ン』を読んだんだー。正直初めて読んだときは夜眠れなくなった、怖すぎて」
「あれは事実をもとにしてるから……リアリティとか凄そうだね」
「うん、凄かった……ウジとかドロドロにとけた皮膚とか……うう、思い出すほど怖くなってきた」
「は、はは……でも、そんな調子なら大丈夫そうだね」

 にっこりと笑う康一君。やっぱり彼のこのギャップに引かれたのかな、由花子さんって。よく分からないけど。
 暫くして、康一君と別れ、家に到着すると私はまず鞄を部屋に置いてキッチンへ向かい、手を洗った。さて、これからが忙しいぞ。


 * * *


(なんか……足りね〜〜〜〜)

 仗助はぼんやりと思った。
 彼の言葉通り、彼自身の胸の中に、あったものがないような奇妙な感覚が胸を占めていて、久々に遠くへぶらぶらと遊びに行けた割には気分が上がらなかった。
 何かが足りない。あって当然だった物が、今、ないのだ。何が足りないのだろうか、それすら分からないような印象の薄いものな癖に、いつまでの引きずってしまうコレはなんなのか。仗助はますます分からなくなり、眉間に皺が寄り始める。気持ちも些か苛立ち始めた。
 隣にいる億泰と言えば、珍しい看板を見つけたと言ってはしゃいでいる。店の看板で、イタリア料理店、名前は「トラサルディー」だ。

「この先は霊園だぜ〜〜。こんな商店街から離れたとこに店出して客なんかくんのかよ〜〜」
「仗助〜〜、その通好みっぽいとこが逆にそそるるんじゃあねーかよ〜〜」

 今から何かを食いに行くというのか。仗助はあからさまに嫌な顔をした。彼は腹を空かせていなかったからである。それを言うと、今度は億泰がすね始める。彼は父親の世話や自炊をしており、確かにその歳では大変ハードな毎日を送っている。それをわかっているからか、仗助は彼を無碍に出来なかった。最終的に仗助の方が折れ、その「トラサルディー」というお店による事になったのだ。
 しかし、未だに違和感……いや喪失感の方が近いだろう。それがなかなかぬぐえない。
 一体何が足りないというのだろうか。仗助はウキウキと楽しそうな億泰を一瞥したのち、無意識に、そう、本当に、ある意味で「癖」のような感覚で斜め横を見た。――いない。

(あ、そー言う事かよ)

 仗助は、『空いた場所』を見て思った。『なかった』のではなく、『いなかった』のだ。いつも、何が面白いのかニコニコと平和の象徴であるかのような柔和で呑気で、それでいてほんのり小春日和のような笑みを浮かべる人物――桔梗が、いなかったのだ。
 つい最近まで、一緒に帰る事が当たり前だった。そこにいるのが当たり前だったのだ。それが、「ストーカー野郎」であった嬬恋晃の逮捕によって『当たり前』が『当たり前でなくなった』のである。それが、いい事であるのだが、一方で、寂しくも感じる。
 定位置にいない彼女。その空いた場所が妙にさびしい。明日の朝になれば、またきっとその定位置に彼女がいるのだろう。その時まで、この妙な感覚はぬぐえそうにない。

「何だかなぁ〜〜」

 仗助は人知れずため息をついた。そんな彼を見て、隣の億泰は何もわかってなさそうな顔で首を傾ぐのだった。


 * * *


「『トラサルディー』?」
「そうそう! そこの店長のトニオってんだがよ、そこの料理がスッゲーうめーのよ! しかもそこの料理を食うとなあ〜〜、体のワリーとこが全部治っちまうんだぜ〜〜!」
「うっわ、凄いねそれ! おいしい上に体の調子が良くなるって夢のような料理だね」

 昨日、寄り道をした億泰君と仗助君は、目新しい看板を見つけ、そこに書かれた店を訪ねた。その店はイタリア料理店で、トニオさんという人がたった一人で経営している小さなお店らしい。そこで食べた料理は全て美味しかったらしく、億泰君はもう、べた褒めだ。そんなに美味しいのなら、私も食べてみたいなあ。

「いいなあ、私もついていけば良かったなあ」
「まっ、お前は兄弟の世話があっからあん時ゃ無理だったがよ、また今度一緒にいこーぜ!」
「うん!」

 億泰君が物凄く気分よく話すので、私も彼につられて気持ちが良い。
 トニオさんが《スタンド使い》という事実に驚きながらも、彼の料理人の精神について尊敬していると、不意に、私は視線を感じた。なんとなくその視線の方を見れば、仗助君と目があった。

「?……どうかした?」
「あ?……いや」
「……はっ! まさか、寝癖? ちゃんと直してきたんだけどなぁ、今日のはいつもより頑固だったから……」

 億泰君に寝癖を見られてもいいけど、仗助君には見られたくないと思う私はどうしたのか。とっ兎に角、酷かった所を確認してみる。うっ、うう、手鏡が欲しい所だ。
 必死に髪の毛を撫でる私を見て、仗助君も何故か慌てたように「違う」という。じゃあなんだ、と問うと彼は私のいる所とは別方向へと視線を泳がせる。どっ、どうしたんだ!? まさか、社会の窓が全開だったとか!?……ああ、私スカートだから、裾がめくりかえっているとか。
 慌てて確認してみたけど、スカートは捲れ上がってもいないし、多分寝癖も大丈夫だった。じゃあどうして?

「何でもねーよっ」
「うわぁ!?」

 仗助君は突然私の頭に大きな手を乗せる、っていうか押し付けるとグリグリと乱暴に撫でる。痛い痛い痛い、今日の仗助君ちょっと変ッ!

「頭がグワングワン揺れるよおお……目が回るよおおお……」

 本当に、視界がグルグルして足元がぐわんぐわんと覚束ない。横で少しばつの悪そうに「わりィ……」と力なく呟く仗助君は、本当に一体何があったのだろうか。昨日何かあったのか?
 なんとなく億泰君に聞いてみると、彼は昨日、トニオさんの調理場に手を洗わずに入ったらしい。料理人にとって調理場は神聖な場所だったらしく、手を洗っていない仗助君をこっぴどく叱ってから、全て彼に綺麗に掃除をさせたのだそうだ。

「仕方ねーだろ? 億泰の奴の目から大量の涙が出たり野球ボールぐれーのアカが取れたり、虫歯が飛んだりしまいにゃ腸飛び出てきたんだぜ? 異常だと思って野郎をぶっ飛ばしに行くのは当たり前じゃあねーか〜〜」
「たっ大変だったんだね……私もその場にいたらパニックになってたかも……」

 悪い所を治すために色々妙な副作用があるらしい。彼らの話から察するに、億泰君だけが良い思いをしてきたのがうかがえる。仗助君、だからこんなに朝からお疲れ気味なのか。
 珍しくため息をついた仗助君に、私は苦笑しか返せなかった。


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