鉄壁の少女 | ナノ

5-1



〜第5話〜
少女、常に恋へ憧憬を抱く




 「彼」はギリギリと下唇を噛み締める。犬歯をこれでもかと言う程突き立てて、己の唇が切れて血が流れたとしても気に留めるようなそぶり等見せない。「彼」は虚空に血走った目を向けて、ブツブツとうわ言のように「僕のだ、僕のだ」とひたすらに繰り返していた。時折、「許さん、許さん」と混じる。
 震える肩を抱き、プチリ、と自身の指の肉を噛み千切ると彼は言う。

「「東方仗助」、「虹村億泰」、「広瀬康一」、「空条承太郎」……お前達は近づき過ぎた、「僕のもの」に近づき過ぎた……」

 ばり、ばり、ばり、と自分自身の爪で頭を掻き毟り、頬を引っ掻き、強い感情を傷と共に己の体に刻み付けるさまは、宗教じみている。

「ころす、コロス、殺す……僕の知る最も残酷で最も非道なやり方で、貴様らを葬ってやる」

 正気の沙汰ではない「彼」の様子は、誰の目にも留まらない。
 近くのデスクへとフラフラとした覚束ない足取りで近づくと、その上に置かれているたくさんの写真に目を落とした。すると、フッと「彼」は悪鬼のような形相から一変、恍惚とした笑みを浮かべ、散乱とする写真の一枚を手に取ると愛おしそうに、写る少女の絵を撫でた。漆黒の瞳が弧を描き、染めているのか否かほんの少し赤みの強い黒髪を風に靡かせる写真の少女の表情は、なかなか清楚で可愛らしい印象を受ける。彼女の視線はカメラとは全く関係のない方向へと向いていた。

「そろそろ、迎えに行くからね」

 それは狂った愛情だった。
 それは真摯な愛情だった。


 * * *


 私は、自分の机に面と向かって、まだ真新しいノートにペンを走らせていた。その内容は「奴」についてだ。

 間田さんの一件から数日間――私はどうにも落ち着かなかった。彼の脅威はもうなくなったというのに、落ち着かないのだ。無理もないだろうと、自分でも思う。何故ならば、あの一件からここの所毎日毎日、「奴」の視線を感じるのだ。これという確証はないが、私は中学の青春もすべて棒に振ってしまうほど「奴」に三年以上も付きまとわれていたからこそ、「感じ分ける」事ができた。
 承太郎さんや仗助君達に、《スタンド》という存在を教わってから、改めて私は「奴」の事を考えるようになった。以前ならば絶対に思い出そうともしなかったけれど、この杜王町に来て様々な《スタンド使い》と知り合う内に私の中で何かが変わっていった気がする。こうやって、自己分析できるほどまでメンタル的にも余裕があった。昔だったら絶対に出来なかった事だ。――仗助君達がいる、と感じているからこその余裕だ。
 改めて「奴」の事を思い出すのはおぞましいが、これからの為に、トラウマをゆっくり振り返って行こうと思う。
 まずは、「奴」の能力について考察しようと思う――とは言っても、これは結構分かりかけている内容だ――。「奴」の能力はざっくばらんに言えば「人の体を乗っ取って操る」ものだ。けれど、「操り方」にもまちまちな事が、最近になって気づいた――本当に、心の余裕があってこその発見だ――。
 違いというのは、人物の「操られ方」だ。仗助君達の前ではまだ「一人」しか操っている所しかみせていないが、実は、「奴」は一気に「複数人」操作する事が可能である。前に一度、「十人以上」で襲われた経験がある。あの時は、本当に怖かった。私の実家が山奥だったので、土地勘を活かしてなんとか逃げおおせたが、もう二度と味わいたくない。あの迫られる時に胸を占める圧迫感がきつい。
 話がそれた。戻そう。
 私はその「複数人」を操って襲われた時の経験があってこそ、「違い」を発見することができた。たった一人だけ、「奴」の気配が強い者がいたのだ。「そいつ」は「奴」と同じようによく喋り、確か「指令」も出していたと思う。他の「複数」はやや「奴」の気配が薄かっただけでなく「行動や言語」も単純だった。このことから、おそらく、「奴」が完璧に「操作」する事が出来るのは「たったの一人」であり、そして他複数の人間を操る場合は「司令塔」を作ってでないと操れないという事が推測される。もしそうならば、「奴」を叩くときは「司令塔」を叩く方が手っ取り早い。おそらく、《スタンド》もその「司令塔」の中にいるだろう。
 もうひとつ、考えなければならない事がある。それは、「奴」は人の「精神」を乗っ取るのか、「肉体」を乗っ取るのかどちらなのかである。もし「肉体」の方であれば、仗助君の《クレイジー・ダイアモンド》の「治す」の能力を使って「対象」を傷つけずに取り出す事が可能だ。しかし、「精神」であるとそう簡単ではなくなる。仗助君の能力は、物理的なものであって精神的には作用しないのだ。

「あーもー……」

 苛立ちの声が小さくあがる。そして、私は額をコツン、と机の上に落とした。
 視線を感じる。近いようで遠くに感じる。きっと、「誰か」を通して私を見ているのだろう。また、罪もない人・関係のない人を自分の私利私欲の為だけに操っているのだと思うと、胸の内からメラメラと燃え上がる物を感じる。これは、一体なんだろう?
 実を言うと、この「感じ」は初めての物だった。仗助君達に出会う前は、ただ逃げたいと思い、ただ見えない「奴」に怯え、生まれてこなければと責任を感じていた。それが、今はとても馬鹿馬鹿しく思える。未だに、他人をも巻き込んでしまっている事に罪悪感があるが、それ以上に今は、「奴」に対して……なんだろう、「怒り」という物を抱いている。巻き込まれてしまった人々や、傷つけられた大切な人々の為に、「奴」を何としても自分の手で倒したいという気持ちが芽生えたのだ。

(もしかして、これが、私が今まで発現できなかった《スタンド》を出せるようになったキッカケなのかな?)

 何が原因かは未だに良く分からないが稀に姿を現す私の《スタンド》。それは、きっと私の心境の変化で、漸く姿を現し始めたという事なんだろうなあ。
 椅子の背もたれに体重の半分以上を預けながら、私は頭の後ろで腕組して天井を見上げた。

(……今度、このノートを承太郎さんと仗助君達に見せてみよう。何かいい案を作れるかもしれない)

 私は、自分の記憶から導き出した「奴」の能力についての考察をさっさと纏めると、大事にスクールバッグに仕舞った。明日、まずは仗助君達に相談してみるつもりです。
 歯磨きとトイレは済ませたので、廊下に出て適当に「おやすみなさい」と言い、背中に「おやすみー」というお母さんの暢気な挨拶を背負ってベッドに直行した。ぼふん、と勢い良く倒れ込んで、そしてモソモソと布団の中にもぐる。みんなには内緒だが、私はこの行為が好きだった。なんというか、この布団のモフモフ感を味わいながら潜るのが好きみたい。
 枕へと頭を乗せて天井を仰ぐと一気に眠気が襲ってくる。まどろみに抵抗もせず、私は意識を落としていった……――。


 翌日の朝――。いつもの時間に外へ出れば、仗助君が丁度家から出てきた所だった。いつもの様に「よう」と片手を上げて挨拶してくる彼に、「おはよう」と返すのが私のスクールライフの始まりだった。いつも話が面白い仗助君との登校はとても楽しい。おまけに本日は朝から晴天で、実に爽快な気分だった。
 しかし、私は、敢えて……そう、敢えてこの瞬間に、彼に相談しようと思う。いや、今の気分でなければ気分が急降下して沈みかねない。だから、会話が一区切りして一瞬の沈黙が訪れた瞬間、私は「相談がある」と切り出して、カバンから一冊のノートを取り出した。不思議そうに高い位置から見下ろしてくる彼の視線を受けながら、私も彼を下から見上げる。

「どうしたんだよ、急に」
「うん……相談っていうのはね、「奴」の事なんだ」
「……あの、「ストーカー野郎」か?」

 頷くと、彼も私が何を言おうとしているのか、なんとなく察したのか、次の言葉を待ってくれる。私は、自分の胸に手を当てて、心の準備が出来た事を確認し、話し始める。

「あのね、今まで逃げる事で一杯一杯だったけれど、仗助君や承太郎さん達のお蔭で……私、漸く気持ちに余裕が出てきたの。だから、最近《スタンド》っていう存在も知ったし、「奴」の能力について少し自分なりに分析してみようとしたんだ」

 私は、これまでの経験(主に暗黒時代な中学校ライフ)から、「奴」がどんな能力で、どんな手口を使ってくるのかを話す。今まで「悪霊」と思って恐れてきた「奴」の力、もとい《スタンド》は、腕のみなら何度も見た事がある事も話した。それと、きっと一人では「奴」には対抗できない。だから、一緒に対策を考えて欲しかったり、もしこの情報が「奴」の正体を知る手がかりとなれればいいという事も伝えた。
 まだ少し、頭の中では整理できておらず言葉がチグハグだったのか、私の話を聞いて難しい表情を浮かべる仗助君は、口をへの字にして虚空を睨む。心配する私は、たまらず、彼の名前を呼ぶ。

「仗助君?」
「……意外だぜ」
「へ?」

 私は、思わぬ彼の返答に、茫然としてしまった。いま私、相当間抜けな顔になっているだろう。
 意外って何が、と問う前に彼が言う。

「お前、全然そーいう素振り見せねーだろォ〜? 中学ン時も、なんつーの?……強かに「ストーカー野郎」とタイマン張ってたのかと思ってたぜ」
「え……いっイヤイヤイヤ!! 無理無理無理! あんなのと四六時中張り合ってたら私の精神崩壊しちゃうってっ!」
「そこなんだよォ〜〜、桔梗、そーいうとこ」

 どういう所ですか。
 仗助君も、なんと表現したらいいのか困っているのか、結構考え込んでいる。

「あ〜〜、なんつーか、俺の偏見みたいな言い方なんだけどよォ〜〜……お前の話聞く限り壮絶な中学時代だろ? そんな経験して、今みてーに普通に過ごしてられねーって思ってたからよォ、見た目に合わず強えーんだなと思ってたんだが、よ……」

 途中から何が言いたいのか自分でも分からなくなったらしく、少々歯がゆそうな顔をして頬を指でポリポリと掻く。――意外だと思った。仗助君が、まさか私の事をそんな風に思っていたとは考えもしなかったからだ。
 私は、ついつい苦笑がもれる。

「仗助君が思ってる程、私はそんなに強くないよ。結構怖がりだし、いつも逃げ腰だし」
「そうかァ? 億泰の奴とじゃれてる癖によく言うぜ〜〜」
「いやあ、何と言うか……億泰君はどうにも弟にしか見えなくて」
「おいおい、あいつ入れる前に既に4人いンだぜ? さらに増やす気か?」
「億泰君で5人目という事ですね!」
「妙にいい笑顔でいうなよっ!」

 私と仗助君は思わず噴出す。青々とした空に私達二人の笑声が響く。
 億泰君は、本当に弟にしか見えないのだ。彼がそういう気質なのかは定かじゃないけれど、彼を見ているとどうしても手助けしたくなってしまうし、時々妙にからかってみたくもなる。手作りお菓子をあげて号泣されたときは吃驚しすぎて若干引いてしまったけれど、どことなく可愛いと思ったりもした。

「はっ話がそれたけどっ、とにかく、この事は承太郎さんにも相談した方がいい、かな?」

 まだまだ笑い足りない震える喉で、精一杯に言葉を搾り出しながら言うと、仗助君も未だ笑いで体を震わせながらも頷いた。

「はーっ、笑ったぜ……桔梗って妙な所でおもしれーよな」
「それ、褒めてるの? 貶してるの?」
「褒めてるってーの」
「あやし〜〜」

 ジト目で見上げると、ニヤリという不敵な笑みが返ってくる。くっ、この顔はきっと後者の方の成分が強いと考えた方がいいぞ!
 私は、フンス、と不貞腐れた表情をして前を向き、歩き始めた。暫く歩いていくと、ちらほらと学生達が見えてくる。その中に、ふと、よく見知った人物を見つけ、迷わず声をかけた。

「はぁなちゃーんっ!」
「あ、桔梗ちゃん」

 化学の授業以来、仲良しになって親友と呼べるような仲になった「花ちゃん」。本名「朽木花子」。彼女は余り下の名前を呼ばれるのが好きではないらしく、「あだ名で花ちゃんはどうだろうか?」と尋ねてみた所、喜んでOKしてくれた。それ以来、私は「花ちゃん」と呼んでいる。家の方向が逆なので、一緒に登下校する時間は本当に僅かではあるものの、すくすくと私達の間では友情が育っていったのです。ムフフッ。
 仗助君が、「相変わらず仲いーなお前ら」と少し離れたところで言う。君と億泰君もなかなかに仲良しだと私は思っておりますぞ?
 そんなこんなで、私の楽しい高校ライフが始まるのです。


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