鉄壁の少女 | ナノ

22-2






 岸辺露伴は急いていた。彼の背中には、《チープ・トリック》という、新手の《スタンド》が取り憑いている。東方仗助とチンチロリンをやっている最中、不運にも起こった火事で焼けた家の修復を頼んだ一級建築士である乙雅三、彼のスタンドである。しかし、本体はその存在に気づかず、ただ『背中を見られてはいけない』という恐怖だけがあった。
 本人が知りえない事は、いくら露伴の《ヘブンズ・ドアー》をもってしても知る事は不可能。この《チープ・トリック》は取り憑いている人間を本体とし、その本体が背中を誰かに見られると、本体の背中を引っぺがし殺す。そして背中を見た者を再び本体としていく能力を持つ。しかし、《チープ・トリック》の能力はそれだけだ。あとはただひたすらに言葉をしゃべるだけである。大きなパワーもない。けれども露伴が急いているのは、おそらく親友だと思っていた康一に危険を知らせたが信じて貰えなかった事だろう。

「この岸辺露伴、こんな屈辱は初めてだ……憶えてろ貴様、憶えてろよ……」

 背中にいる《チープ・トリック》にそういうと彼は写真のある部屋へと戻った。これらの写真は、社会人に溶け込んでいるだろう『吉良吉影』に何か繋がりそうなものはないかと思っての事だ。誰かに成り代わった彼を探すのなんて雲をつかむような話だが、通勤途中の中に紛れ込んでいるという可能性もなくはない。
 そうして集めていた写真を、この《チープ・トリック》は『焼いて』という。つまり、中に『吉良吉影』が成り変わった男の写真があるという可能性があるという事。ますます焼くわけにはいかなくなった。
 かと言ってこの状況、一人で打破できるものだろうか。何か打開策を考えねばなるまいが、時間はかけられない。小うるさい《チープ・トリック》のお喋りに付き合っている暇はないと、彼は耳栓をしてそこに絆創膏をべったりと張り付けた。絆創膏をはがすパワーすらない奴だ、これで喧しい声を聞く事はなくなった。

(彼女なら……)

 考えていると、不意に一人の人物が頭の中をよぎる。康一の次に連絡をしようと考えた人物だ。
 山吹桔梗、彼女ならば話を信じて協力してくれるかもしれない。どんなにからかっても、どんなに上から目線に言われたとしても、苦笑を浮かべては頷く彼女ならば。仲間と思った人間ならば、簡単にほいほいと人を信じる事をする彼女ならば――
 しかし露伴は首を振る。確かに彼女なら信じるかもしれないが、相手は女の子である。おまけに『吉良吉影』が誘拐するようなマネにでるような子だ。彼女には何があっても頼めない。

(絶対に、燃やすものか、絶対に……)

 耳栓をしており、喧しい《チープ・トリック》の声が聞こえない。あるのは、一定のリズムで刻む己の心音くらいだ。
 とくん、とくん、とくん――人間が最も安心する音は心音だと言う。まだ赤子、いや人間と呼ぶには足りないものが多すぎる細胞レベルの頃から、ずっと、彼らに聞こえてきたのは母親の心臓の鼓動だからだろうか。
 とくん、とくん、とくん……。疲れがたまっているのか、はたまた静寂の中にある退屈な一定のリズムの所為か。つい、気づかぬ位置にうとうとと――

「は!?」

 露伴は、自分が座る椅子が大きく揺れた事により眠気を吹っ飛ばされる。まさかと思い、振り返れば見覚えのない顔、顔、顔――
 よくよく見れば消防士や配達人とうとう。しかし、彼には彼らを呼んだ覚えはない。慌てて絆創膏と耳栓をとると矢継ぎ早に金を請求される。どうやら、彼らは《チープ・トリック》によって《呼ばれ》たようだった。露伴の背中を誰か一人にでも見させ、そうして乗り移ってから写真を焼き払おうとしていたのだ。
 つりはいいからさっさと帰れ、露伴はある金を適当に渡して早々に退散させる。

「火事は!? 火事はどこです!?」
「知らないよ! 家政婦紹介所へいけ!」
「それ、家事ね」

 相当焦っているのか、露伴は消防士に向かって言う。いや、彼には見えていないのだろう。そんな彼の背に取り憑く事の発端である《チープ・トリック》はしっかりと自我があるようで冷静に露伴のボケに突っ込んだ。

(もうこれは人に馬鹿にされるとか言っている場合じゃあないぞっ)

 露伴は、決意する。バカにされてもいい、とにかく、そう史上最強の《スタンド》を持つ《空条承太郎》のもとへ行かなければ。彼の《時を止める》力ならばなんとかしてくれる。そう思い立つと、彼は殺人鬼につながる大事な情報である写真を全てまとめると鞄につめ、家を出たのだった。


 * * *


 私は不思議な光景を見た。唐突に何を言い出すんだと思われるかもしれないが、本当に不思議な光景を見たのだ。
 今日も学校は無事に終わったのだが、億泰君が明日に出す課題が終わらないと――提出できないと宿題を居残りでやらされる挙句、先生の手伝いをさせられる――泣きつかれたので教えてあげて、それから仗助君と彼と帰宅して、母に頼まれた食材を買い出しに行ったその帰り。たまたま通った露伴先生の家の近くにて、それは起こった。

 ――露伴先生が、変な歩き方している。

 具体的に言うと、木や壁に背中をくっつけて誰もいないのを狙いながら次の壁や木に進んでいる。まるで、背中を見られないようにしているみたいだ。ゴルゴ13かよ。
 まえまえから変な人だとは思っていたけれど、ついに先生は漫画の事を考えすぎるあまりに頭のねじを二、三個落としてしまったらしい。なんてこったパンナコッタ。
 でも、先生の表情がとても切羽詰まったもので、ただ事ではない事だけ理解した。先生は、確かに一般の人から見れば奇人変人に見えるかもしれない。けれど、彼の行動にはちゃんとした理由がいつもあって、漫画のためだったり自分の信念だったり、根拠なく動くような事なんて絶対にしない。
 だから、今も何か理由があるんだ。なにかは分からないけれど、あんなに焦っているなんて絶対におかしい。

(もしかすると、新手の《スタンド使い》の攻撃を受けているのかも)

 奇妙な出来事や不可解な事件に遭遇したら、まず《スタンド使い》だと思え。あと、男が近づいたらな。そう仗助君に最近耳にタコができるくらいに言われて自然と思考に染みついたのだろう――流石に男のくだりはないと思うけど――。私はそう考えると露伴先生の後を追った。

「桔梗さん?」
「へい?」

 不意に後ろから声をかけられて、振り返るとそこには小さな友人である康一君がいた。こんなところでどうしたの、と聞かれたので私も「君こそ」と返す。

「露伴先生が気になってね」
「康一君も?」
「ってことは桔梗さんも露伴先生に呼ばれたの?」
「え?……ううん、私は買い出しの帰りに偶然みかけて気になったから」

 スーパーの紙袋を掲げてみせると康一君はなるほど、と頷いた。小声で「いい奥さんになるよ」というのは自分の身のためにスルーしておこうと思う。

「康一君はどう思う?」
「どうって?」
「今の露伴先生……ちょっと、いやだいぶ変じゃない?」
「確かに……」

 康一君は、私に彼と露伴先生の間にあった今までの経緯を話してくれた。突然呼ばれたと思えば背中に《スタンド》がいると言われた。見せてというと見せられないと返され、見ようとすると頑なに背中を隠す。本体だと言われて見た物はからからに干からびた人間のような小さな人形。どれもからかっているようにしか思えなかった康一君は、そそくさと先生の家を出て行ったという。
 けれどここにいるのは、少し気になったから。それを聞いて私は、「由香子さんが惚れるのもわかるわ」と納得してしまった。康一君、さすがいざという時に頼れるだけでなく人を思いやってくれる優しい人だ。

「それじゃ、調査しなくちゃね、おかしな先生のためにも」
「そうだね」

 私と康一君は頷き合うと、背中を見られないように必死になって進む露伴先生を追った。





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