鉄壁の少女 | ナノ

21-4






 未遂事件(何のとは聞かないのが紳士ってもんさ)の夜から翌日の放課後――
 私は居残りにさせられた仗助君の見張り役として教室に残っていた。頭を抱えながら机の上にあるプリントに向かい合う仗助君の前の席に座って様子を見守っている。まあ簡単に言うと私も居残りと言う訳だ。何故居残りをさせられているのかと言うと、宿題を忘れたからである。
 よりにもよって数学の内山先生の宿題を――内山先生は、宿題忘れに非常に厳しく、全てやり終えるまで家には帰さない。それは仗助君も知っており内山先生の宿題だけはやってきていたのに、今回は何故か忘れてしまったらしい。なんとなく心当たりがあるような……ないような。
 別のクラスの億泰君も、内山先生の宿題を忘れた為に私達とは別の教室で居残りをしている。しかも、先生の監視という学生にとっては冷や汗もののオプション付きだ。ではなぜ私が仗助君の見張り役なのかというと、所謂『優等生』って奴だからだ。更に仲がいいのならばこんなに便利な監視は無いだろう。いつか先生に報酬を頂きたいものだ。

「う、う〜ん……なんだぁ、こいつぁよォ〜〜」
「ああ、それはねーこの公式を使うんだよ」

 言いながら、私はノートの端にささっと公式を書いた。すると、まるで珍獣でも見るような顔をされた。

「おっおめーこんな複雑な公式よく覚えてられるなぁ、頭ン中どうなってんだよ」
「失礼な。加法定理を覚えるくらい訳ないよ。sincos cossin と coscos sinsin だよ」
「それ日本語か?」
「日本語です。要はごろ合わせって奴さ。そうじゃなきゃあやってらんないね!」
「だよな!」

 そんなこんなで宿題は一向に進みません。仗助君、もっとやる気を出して! と言っても、彼は直ぐに机に突っ伏してしまって手を動かすどころか目で字を追うことすらしない。もう外は赤黒くなっていっているというのに、プリントの4分の3の解答欄は真っ白である。流石に私も飽きれるしかない。

(先生も酷いよ、昨日の事だってまだ意識してるってのに二人きりにするなんてさ……せめて誰か置いて行って欲しかった)

 昨日の出来事なんて先生が知る由もないのに、私はこの動かない現状に憂鬱となってしまい先生に八つ当たりしていた。

(……まあいっか、別に勉強を見るくらい兄弟で慣れてるし)

 やる気のない所は木賊や蒲公英と似ている。ならばソレと似たような扱いをすればいいだけの事。私はぼけーっと用紙を見ているだけで鉛筆を動かさない仗助君の額を突っついた。けれど彼は一向に動かない。「はい、問題よむ! そして考える! わかんなかったら聞く!」「……桔梗っていつもそうやって兄弟の勉強見てんの?」「まあね。分かったらほらほら手を動かしましょー!」そんな会話を展開していたがやはり彼は動かない。

「やる気がない時に無理矢理やったってよー、進むもんも進まねーぜ」
「う〜ん……その意見には一理あるなあ。私も気が乗らない時はやらないっていう事もあるし」
「だろ? っつーわけで帰らせてもらおうぜ!」
「でも、人間やらなきゃならない時がある。と言う訳でやりましょうか」
「キビシー奴だな桔梗」
「君の為でもあるんだよー」

 なんとかうつ伏せになる彼の上体を起こさせて、プリントに向かい合わす。そんな彼をジト目で監視する私。
 威圧感とかってどうやって出すんだろう。私はおちょぼ口になっている仗助君を見ながら思った。正確に言うと仗助君の柔らかそうな唇だ。……あれ、私変態じゃあないか。

 ――奪っちゃえば良いんだよ。

 不意に花ちゃんの言葉を思い出す。

(いやいやいやいや! あかんてッ、流石にアウトでしょッ!)

 目の前で頑張っている人間がいるにも関わらず、なんとも不埒な事を考えている私、なんて奴だ。我ながら恥ずべき行為だ! とちょっと紳士的思考をしてみて自分を落ち着かせるようにした。しかし、不意に高鳴った胸の鼓動はなかなかに収まる気配を見せず、ある一定のところでトクトク、トクトク、と通常よりも早い。
 気を紛らわそうと窓へと視線を投げてみた。ああ、夕焼けは眺めているとナイーブになりそうだ。止めよう。もう一度、鉛筆の走りが遅い彼へと視線を向けた。自力で何とかしようとしているのか、教科書をぱらぱらめくりながら公式を探している。仗助君がやると睨めっこしているみたいだ。少々焦っているのか、落ち着きなくプリントと教科書に視線を交互に行ったり来たりとさせている。ああ、そんな事していたら――

「あ」
「あ」

 仗助君の手が滑ったのか、音を立てて机から滑り落ちてゆく数学の教科書。ソレを見て頓狂な声を上げた私達はほぼ同時に手を伸ばす。まず私の手が教科書を掴み、次に仗助君の大きな手が私の上から覆いかぶさる様にして重なってきた。どくん、と私の胸が高鳴る。昨日のことが走馬灯のように脳裏を駆け抜けていき、体を火照らせる要因になる。思わず上げた目の前には紫水晶しか見えず、瞬間、頭が真っ白になった。
 どれほど彼の瞳に見入っていたのだろう。いつまで見ているのだろう。そんな事を頭の片隅で思いつつも全く目を逸らす気のない自分。ふっと重くなった瞼を逆らう事なく閉じると、唇に柔らかいものが重なった。

(由香子さんの言ってた事、分かった気がする……)

 唇から伝わるぬくもり。何も言葉も合図もないのに、彼の思いを理解できた感じ。頭ではなく、心で理解した奇妙な感覚。今にも離れてしまいそうなくらいに軽い触れ方。けれど、一向に離れる気配のない雰囲気。なんだかアンバランスだ。
 パタン、と床に何かが落ちる音が遠くに聞こえた。それが合図だったかのようにどちらからともなく離れる。私はそのまま俯いた。

「……桔梗」
「……はい」
「これ全部終わらせたらもう一回させてくんね」
「……ほっぺならいいよ」
「分かった」

 そう言った仗助君は早かった。キスをする前は一体なんだったのかと思う程に彼は早かった。やる気がなかっただけでやればできる人だったのだ。ものの10分で終わらせてしまった仗助君に、私は感心するよりも呆れてしまった。

「終わったぜ〜〜ッ」

 ぐっと体を伸ばして気持ちよさそうにしながら言う仗助君に、私は苦笑しながらお疲れ、と労いの言葉をかけた。

「桔梗!」
「……はいはい」

 まるで餌を間近にした犬のように笑顔を爛々とさせる様子を見ていると、本当に耳としっぽがあるような錯覚をおこしてしまう。私は苦笑しながら大きな子犬に顔を近づけた。右の頬にそっと唇を当てる。たったそれだけの行為なのに、この気恥ずかしい気持ちはなんだろう。照れている仗助君を見ていると余計に恥ずかしさが増した。

「じゃ、おれも」
「……え、あ」

 ありがとよ、という感謝の言葉と共に、仗助君の唇が私の頬に押し付けられる。たったこれだけの行為な筈なのに、この満ち足りた感覚はなんだろう。あれだ、きっと何十人という仗助君ラブな可愛い女の子にでもなしえなかったほっぺチューが出来て優越感を感じているのだ。
 早くできるなら最初から本気出してよ、ご褒美がないとやる気出ねぇよ、ほっぺチューでやる気でたんだ、口の方だったらもっと出た、何それスケベ、男はみんなスケベなんだぜぇ――なんて会話をしながらじゃれていると不意に視線を感じた。

「……」
「……」
「……先生」

 仗助君と共に横を見ると生徒用椅子に跨り背もたれで腕を組みながらジト目で凝視して来る数学の内山先生と目があった。

「先生、いつからいたんスか」
「お前らがほっぺにちゅっちゅしているあたりから」
「いるなら声をかけて下さい!」

 目撃されてたとか恥ずかしすぎる。穴があったら入りたいという状況というのはまさにこの事だ。恥ずかしすぎて机に伏せている私とは対照的に何故か満ち足りた表情で出来上がったプリントを先生に渡している。凄いよ仗助君、恐れ入ったよ。

「全く見せつけてくれちゃってよォ、一人身には寂しいぜ。てめーらさっさと帰っていちゃついてろコノヤロー」
「先生、軽口が過ぎますよ!」
「ういーっす」
「仗助君も応えないッ」

 プリントをひらひらとさせながら颯爽と去ってゆく。全く、一人身だからって、最近頭の毛が薄くなってウスラー仲間になってしまったからって、八つ当たりはよくないんだぜ! 人の事言えたような立場じゃあないけれどね!
 ふん、と私は鼻から息を噴き出すと、おもむろに窓の外を見た。そろそろ帰らなければ日が暮れてしまうだろう。夕焼けが赤から黒に変わりつつある。けれど、私にはまだちょっとした用があった。ついさっき思いついたちょっとしたことだ。簡単に言うと悪戯である。
 私は目の前で上機嫌な様子の彼の名を呼んだ。すると、人懐っこい笑みが帰って来る。みるからに無防備な彼に私はニヤリと口角を上げると、狙いを定めて――

 ――ちう。

 ふっくらとした仗助君の唇に自分のを押し当て、すぐに離した。

「奪っちゃった」
「……グレート」

 うしし、と笑って私は鞄を手に取り立ち上がる。ぽかん、とした表情の仗助君は口癖を呟いたのち硬直する。そんな彼を振り返りいつものように一言。

「早く帰ろうよ」

 いつも振り回されているから今回はちょっとした仕返しとして、なんて言ったら笑われるだろうか。正直言うと自分でも結構恥ずかしい事をしたと思っている。熱を持つ顔は夕焼けがなんとかカバーしてくれていると期待して、私は未だに放心している仗助君の手を引き、億泰君のクラスへと向かった。きっと彼は未だに終わっていない。





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