廊下を歩けば、かつかつ、とヒールが高く響く音が遠くから聞こえた。もちろん自分のものではない。
もしかしてと思いその音を辿ってみると、やはり見慣れた人影が目に入った。


「ベラさん、こんにちはー」
「ああ……アンタかい」


角を曲がった時、丁度目が合った。口紅のひかれた唇が僅かに緩んだのを見て、少し嬉しくなる。
走り寄れば、彼女の香水に混じり、何か甘い香りが微かに漂っている事に気がついた。まるで、お砂糖みたいな甘さ。


「今日は何だか甘い香りしますね」
「アンタの事だから、どうせすぐに気づくと思ったよ。……ほら、手出しな」


呆れたように言いながら、彼女は杖を取り出し、私の手の平の上で一振りした。
すると綺麗に包装された、手頃なサイズの箱がぱっと空中から現れて、そのまますとんと両手に落ちる。
一体中身は何だろうと首を傾げていると、「アンタの好物だよ」とベラさんのぶっきらぼうな声。

私の好きな物、と言えば。


「あ。分かった、お菓子! これ、頂いても良いのですか?」
「誰に持ってきたと思ってるんだい。まったく、甘ったるい香りがローブに染みついて腹立たしいったらない……」


ぶつぶつと文句を言いながら顔を顰めるベラさんのローブからは、今もお砂糖の匂いが漂う。妖艶な雰囲気を持つ彼女にはまるで似つかわしくない。少し面白い。


「えへへ、ありがとう御座います」


有り難く受け取って、ぺこりと頭を下げた。この行為に馴染みの無い彼女は不思議そうな顔をしたけれど気にしない。
歩き出した彼女の隣に並んで、口を開く。


「ベラさん、この後お暇だったりします?」
「生憎と忙しいよ、アンタと違ってね。今から我が君にご報告をさせて頂くんだから」
「え。その言い方だとまるで私が暇人みたいな……や、まあ否定は出来ないのですけど」


廊下に出ていたのは、案の定、暇だったからヴォルデモートさんの所へお茶しに行こうと思っていたからである。
我が君にご報告、か。
それなら、少し時間を改めてからまた行こう。そこの所、最低限の空気は読めます。

それでも少しお喋りを楽しみたくて、ベラさんと仲良く並んでヴォルデモートさんのお部屋までご一緒させて頂く事にした。


「あれ、……」


扉の前で、誰かが佇んでいるのが見える。幾らか白髪の混じる黒髪と、遠目でも分かるくらい、気品のある立ち姿。


「おや、ブラックじゃないか」


隣に居るベラさんが声をかけた。どうやら知り合いらしい。
こちらに気づいた彼は私を見るなり、思い切り顔を顰めた。もう慣れっこです。眉間に皺を寄せるのは良いけれど、そろそろあとが残っても知らないですよー。
あれ、ブラックさんの背後に何か居る。


「……あ」


長身のブラックさんの背の後ろにちらりと見え隠れする、同じく黒髪の少年。横に並ぶブラックさんとよく似た灰色の瞳はきらきらと輝いていて、そのままじっと見つめているとぴったり目が合う。
互いに無言で見つめ合う事数秒、彼の方から先に目を逸らした。

彼とは以前、ノクターン横丁で会った覚えがある。
危ない人に追われている所を、彼が助けてくれたのだった。名前は確か、レギュラス・ブラック君、でしたっけ。
あの時より時間が経って居るとは言え、とても大人びた雰囲気を感じるのはなぜだろう。

近づきながら、隣に居るベラさんに向けて、小さな声でひそひそ話をする。


「ねえベラさん、あの子って確かレギュラス君ですよね、知ってます? どうしてここに……」
「気高いブラック家の長男が、あろう事かグリフィンドールに入った出来損ないって話は有名さ。そこであの男は、我が君のご信頼を損ねないよう慌てて次男を連れて来たんだろうよ」


彼女は嘲笑うように教えて下さった。その声が内緒話にしてはあまりに大きなボリュームで、私は冷や冷やしながらもなるほどと納得する。しかし私から話を振っておいて何だけれど、願わくは本人達に聞こえていませんように。

さて扉の前で鉢合わせると、ブラックさんはチッ、と盛大な舌打ちをかまして下さった。


「こんにちは、ブラックさん」


彼の機嫌がよろしくないのを承知で、わざと満面の笑顔を浮かべてお辞儀した。私と彼が顔を合わせると、いつもこんな挨拶になっている気がする。でも仕方ない、喧嘩を売りつけてくるのはいつだってブラックさんだもの。私はそれを買っているだけなのです。

苦虫を噛みつぶしたような表情をちっとも隠さず、眉間の皺を濃くする彼に、ベラさんは意外そうにしつつも、にやにやと意地悪な笑みを浮かべる。


「何だい、偉く仲が良いようじゃないか」
「ベラトリックス。黙れ」
「おお怖い」


ブラックさんの地を這うような声の低さが、その機嫌の悪さを表している。楽しそうにからかうベラさんとは対照的だ。しかし、どうやらこの二人は顔見知りらしい。


「我が君にお目通りは済ませたのかい?」
「お前には関係無い」


一蹴した彼を、なおも挑発するようにベラさんは小さく笑い声を上げた。
お二人のやり取りを少しはらはらしながら見守るけれど、さすがにヴォルデモートさんの書斎の前で何かをやらかすつもりは無いらしい。この位の軽口の応酬は日常茶飯事なのかもしれない。
むしろ仲が良いのはベラさん達じゃないですかー、ちょっと安心。


「レギュラス、外で待っていろ」


彼に聞かせられないお話でもなさるのか。
レギュラス君は、しっかりしているとは言えまだ幼い。
例えブラック家の次男と言っても、あまり重要な作戦とかを聞かせる程の信用は未だ無いのでしょう、きっと。


「はい、父上」


初めて言葉を発したレギュラス君は、静かに頷いて踵を返した。革靴の音を響かせて。やけに利口な子だな、とその凛とした背を見送る。まあ、ブラックさんは教育に厳しそうですし。


「えーと、それじゃ私も失礼します。あんまり喧嘩しちゃだめですよ!」


ひらひらと手を振って、私もその場を後にする。先程去ったばかりの少年の姿を、思い浮かべながら。



廊下の先を行くレギュラス君の背中を見つけて、呼び止める。


「こんにちは、レギュラス君!」
「え……?」


お目当ての人物を見つけて、にっこりと笑いかけた。ブラックさんと同じ灰色の、けれど幾らか穏やかな瞳が戸惑ったように私を見る。


「……あの、僕に何か?」
「改めてお礼言いたくて。ほら、私の事覚えてないですか? ノクターン横丁で……」
「ああ、あの時の……お礼なんて結構ですよ」
「えー、でもそれじゃ私の気が済まないっていうか……じゃあ、一緒にお茶しましょう」
「……え?」


突然の提案に、レギュラス君は目を丸くする。その様子は年相応で、少し可愛い。


「ほら! タイミング良く、ここに美味しいお菓子があります」


これはもうお茶をするしかないでしょう、そうでしょう。
そう笑って、持っていたクッキーの箱を取り出して見せた。

この世界に来て、一つ学んだ事がある。
誰かと仲良くなりたい時は、まずお茶とお菓子の準備から。



父上が、と渋るレギュラス君を半ば無理矢理、部屋に引っ張って来た。しつこい私にとうとう諦めたのか、「分かりました」と椅子を引いてくれる。彼の父であるブラックさんとは違い、だいぶ紳士なようだ。

ベラさんに頂いたクッキーをお皿に飾り立てる。
それから、紅茶。今日はうんと甘くしよう。
杖を振ってダージリンを淹れると、マスカットの甘い香りがたちまち部屋に広がる。レギュラス君はその様子を見て驚いていた。


「firstname様は、魔法がお上手ですね」
「えへへそれ程でも、ってあれ、どうして私の名前……」


私、自己紹介しましたっけ。
カップに紅茶を注ぐ手を止め、首を傾げながら記憶を辿る旅に出る。
そんな私の様子が可笑しかったのか、彼は硬かった表情を少しだけ緩めた。


「父上から、お話は伺っています。それと、ノクターン横丁の店で会った時に」
「あ、そっか」


レギュラス君も、覚えていて下さったらしい。少し嬉しい。
今思えば、あまり良い初対面ではなかったかもしれない。

ブラックさんが息子であるレギュラス君に、何をどうお話しになったのか、なんて嫌でも想像がつく。あんな小娘ごときがーとか、マグルのくせにーだとか、幾らでも。
けれどそれにしては、レギュラス君の私に対する態度は少々温和過ぎる気がしなくもない。や、単に憎しみを隠しているだけかもしれないけれど。どこかのルシウスさんみたいに。

でも、仲良くなれたらいいな。なんて言ったって、同年代のお友達は貴重だ。死喰い人さんは、やっぱり大人の方が多いもの。

白い湯気の立つティーカップ。それを彼に差し出しながら、気になっていた事を聞いてみる。
先程ベラさんが聞いていたけれど、結局ブラックさんは答えて下さらなかったから、気になっていたのだ。


「あの、レギュラス君……ヴォルデモートさんと、会ったんですか?」
「ええ」


彼は小さく頷き、紅茶に口をつける。


「ヴォルデモートさんってすごく怖いでしょう、大丈夫でした?」
「いえ、ただ、…………素晴らしかった」


カップをソーサーに置いて、彼は口元を三日月みたいにして笑った。


「あのお方程、優れた魔法使いは居ません。今の僕は未熟ですが、いずれは誰よりもお役に立つ事が出来たら……いえ、立ちたいと思っています」


その賛美は、まるで子供が夢を見るかのように純粋。
灰色の瞳は、きらきらと輝いていた。
ヴォルデモートさんとお会いした時の事を思い出しているのか、その目は私を映していない。

興奮した様子のレギュラス君に何も言わず、私は紅茶を一口飲む。目を伏せると、カップの中に自分の顔が浮かんでいるのが見えた。薄く眉間に皺が寄っていた事に、初めて気がつく。無理矢理、唇に笑みを作る。顰め面なんてしていたら、ブラックさんみたいに怖い顔になっちゃう、なんてくだらない冗談など心の中で呟いてみる。面白くも無い。


「それは何よりなのです。……あ、ちなみに左腕の具合とか、いかがな感じですか?」


闇の印、と口に出すのが少し憚られ、わざと抽象的な言葉を選んだ。私が軽々しく口にして良い物だとは、ちょっと思えなかったので。


「左腕……ええ、平気です」


レギュラス君が少し眉を顰める。刻まれた時に伴った痛みを、思い出したのだろうか。


「よかった」


ちらり、と彼の左腕に視線を移す。衣服で隠された下、その肌には、黒い蛇がひっそりと息づいているのでしょう。

ヴォルデモートさんが刻みつけた、忠誠の証。
主人としもべという、いたってシンプルな関係性の表れ。
それはどうやったって消える事の無い、彼との絶対的な繋がり。

どれをとっても。
崇高な物のように思えるのは、どうしてでしょう。


「レギュラス君は……死喰い人になる事を、迷わなかったのですか?」
「なぜ?」


愚問だと言わんばかりに、瞬時に問い返される。


「……なぜ、って。……分かってらっしゃるんですか? だって、」


だって、あなたの行こうとしている道は、暗く苦しいものですよ。
そう言おうとしたけれど、レギュラス君の瞳の真っ直ぐさに、思わず閉口した。


「我が君の為に……そしてブラックという家の為に、僕の生涯はありますから」


家の為に。彼がそう口にした途端、つい先程まで煌めいていた灰色の瞳が輝きを失った。


「……それは、本当に?」


どう聞いても自己犠牲全開なその言葉は潔く、いっそ美しかった。
けれど彼から急に消えてしまった笑顔に、迷いがまったく無いようには、なんとなく思えなくて。


「折角のレギュラス君の人生なのに、誰かに縛られて生きるだなんて、若いうちから夢も希望も無い事この上無いですよ」
「firstname様?」


訝しげに咎める声。しかしお喋りな私の口は止められないし止まらない。


「ね、レギュラス君、迷いは無いって、本当に?  ぶっちゃけ私から見れば、今のレギュラス君はただ周囲に決められた人生を、」
「決められたので無く、僕自身が決めたんです。……失礼ですが、会ったばかりのあなたに何が分かるんですか?」
「……、」


じっと睨まれて、はっとする。
私、今何て言った?


「あ……ごめんなさい。えっと……今の、は。忘れて頂けると、嬉しいです……」


なんて馬鹿な事を言ってしまったのか。
私に、彼の生き方を否定する権利なんて無い。よく知りもしないのに、失礼にも程がある。
けれど悔やんでも、言ってしまった事実は消えない。


「ほ、本当に、ごめんなさい。あ、あの、クッキーどうぞ! ベラさんから頂いたので、多分美味しいと、思うのです、けど……」


苦し紛れにクッキーなどすすめてみたけれど、レギュラス君は首を横に振った。ですよね。クッキーとか食べる流れじゃないですよね、これどう考えても。


「あは……」


渇いた笑いは、やたらと虚しく響いた。
どうしようこの空気。自分で撒いた種だから、余計に嫌になる。
とにかく何かを言わないといけない気がして、口を開く。


「……ごめんなさい。私、きっと、レギュラス君が羨ましいのです」


独り言を呟くように言うと、彼は目を丸くして私の言葉を待ってくれた。……あんなひどい事言ったのに。


「自分の行く道を、ちゃんと決めてて……それが、私とは大違いだったから」


我が君の為に、生涯を。
そうやって、ヴォルデモートさんの為に尽くせる事が羨ましい。例えそれが虚しいものだとしても、だ。
だって私は、彼に何も望まれていないから。

救いようのない馬鹿、と自分を罵る。
彼との関係が変わる事を恐れていながら、その反面で彼に自分を望まれたいと、ひたすらに願っているのだ。
傍に居させて貰えるのならそれは十分過ぎる幸せだと、心に決めた筈なのに。

自分の本当の気持ちに気づけば気づく程、自己嫌悪の波がとめどなく押し寄せる。もう自嘲しか出てこない。


「だから……今、レギュラス君に言った事は、多分……みにくい八つ当たり、で」


震える声で、途切れ途切れの言葉を紡ぐ。その様が、彼の目にどれ程みっともなく映っているのだろうかと考えて、いっそ現実逃避したくなった。しないけれど。


「ごめんなさい」


だんだんと俯きがちになってしまう自分を奮い立たせ、彼の目を見て言った。濁りの無い、澄んだグレイ。


「……もういいですよ」
「え、」
「あなたのような人の言葉で傷ついたりする程、僕の意思は軽いものではありませんから」


優しくも冷たいその言葉。
綻ぶように薄れていく罪悪感に、心の中で自分を嘲る。

何も言えずに居る私に、レギュラス君は僅かに頬を緩めて笑ってくれた。私に向けられるには少々もったいないかもしれない、なんて思うほど綺麗な笑み。
……ああでも、はじめに思った通りだ、


「ごめん、なさい。……ありがとう、レギュラス君」


彼の眼差しは、笑顔は、諦観に満ち過ぎている、と。



“だって、あなたの行こうとしている道は、暗く苦しいものですよ。”
それは、誰に向けた言葉なのか。

 



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