ヴォルデモートさんが発ってから何日か過ぎたけれど、そろそろ本格的にぼっちの食卓が寂しくなってきた。
暇なせいか、ふとした事ですぐに彼の事を思い出す自分に、もう彼なしでは生きていけないんじゃ、なんて独り言を零して自嘲してみたら、案外心にずしんときて笑えなくなった。
このままではいけないと、頭の片隅で危険信号が鳴り響いている。
そうして、一人で居るとろくな事を考えないと気づいた私は、無理を言ってルシウスさんを午後の紅茶に招いてみた。
招いた、といっても、やはり紅茶を淹れるのもお菓子を用意するのも彼なのだけれど。根っからの貴族である彼は、席に着くのが私だけと理解していてもやはりティターイムに妥協を許したくはないらしかった。
しきたりにのっとってテーブルに並べられるのは、お茶もお菓子もカップも、洗練された品だけ。
今日のお菓子は、私の好物である苺とクリームのケーキで、つい顔が綻んだ。例え、私を喜ばせる為に選ばれた訳ではないとしても、だ。
「これおいしいですね、さすがルシウスさんです!」
「……光栄です」
「あ……はい……」
紅茶とケーキを交互に頬張る私と対照的に、ルシウスさんは、紅茶にすら一切手をつけずに座っている。そもそも、私が無理に誘ったのだから当たり前か。
案の定、ポーカーフェイスを張り付けながらも猛烈に帰りたがっている。けれど、それには気づかないふりで紅茶を飲んだ。
すべてわざとだという事に、きっと彼は気づいているのでしょうけれど、と口元に笑みを浮かべる。
何に対し笑って居るのか自分でも分からないが、とりあえず場を和ませようという私の粋な計らい。
「firstname様」
「……っ! ん、けほっ」
急に名前を呼ばれ、飲んでいた紅茶が喉に詰まりそうになる。
息を整えてから、こほん、とひとつ咳払いをしてカップをソーサーに置き、ルシウスさんを見る。アイスブルーの双眸が、私を真っ直ぐと貫いている。その瞳に、小さく唾を飲み込んで言葉を待った。
「なぜ貴方は、そうして笑って居られるのです?」
「……え」
驚いて目を見開いた私に、そのアイスブルーは少しも色を変えはしない。
これは皮肉なのかと少し疑ったけれど、瞳の真髄さに気付いてひっそりと息を呑んだ。
醸し出す張りつめた空気に、少し嬉しくなった。今、彼のこの目は、言葉は、作り物じゃない。
きっと、本心。
いつぞや彼が私に杖を向け、怒りを露わにした時の事を思い出す。
あの時私は、ちょっとした命の危機に焦りながらも過度の我慢は良くない!などという苦言を呈したのだけれど、結局はこの様なのだからいっそ笑いすらこみ上げてくる。
少し考えて行動さえすれば、全部が上手く行くと思っていたのだと。
きっとあの頃の私は、ルシウスさんをただの登場人物の一員として見ていた。だからいつも心のどこか余裕があり、そしてそのちっぽけなものを彼の言葉によって木端微塵に崩されたあの日、少しずつ知った。
自身の浅はかさを教えてくれたあの日の出来事を、疎ましくも大切に思う。きっとこうして、大切な思い出というのは増えていくのだろう。
だから私は、心から微笑んだ。この気持ちがどうか、彼に伝わるようにと願いながら。
「仲直りを、したいと思うからです。……また前みたいに、笑ってお茶を飲めたらいいな、って……」
それだけです、と言い切った時、なぜか胸の中がすっと晴れたような気がした。言いたかった事を言葉にするのは、なんだか気持ちが良い。
思えば昔から、彼の事は好ましく思っていたのだ。
初めは物語の登場人物として。次にヴォルデモートさんに仕える死喰い人さんとして。
そして今、ただの人として。
ルシウス・マルフォイという名を持つこの人を、私はこの先どうやっても嫌いにはなれないだろう。
ルシウスさんがどれほど私を傷つける言葉を吐いても、それが有りのままの彼、なのだから。
だから私は、それでいい。
「……firstname様。遅くなりましたが、失言を……深く、お詫び致します」
重い声は低く、地を這うようだった。眉間に皺を寄せたその表情は、とても苦しんでいるように見えて、私も苦しくなる。声が震えないよう気をつけながら、静かに口を開く。
「……今の言葉は、ルシウスさんの本心だと……信じても、良いですか?」
響いたそれはまるで、信じさせて欲しい、と願うようなものになった。
彼はどんな返答をするのだろうか。少し、怖くなる。
誰かに拒絶されるのはとても怖い。その人が自分にとって大事であればあるほど、その恐怖心は増す。
けれど、自分から手を伸ばすだけで、相手にこの手を掴んで頂ける可能性があるのなら。
恐れや迷いすらも抱きながら、私は何度でもちっぽけな手を伸ばしたい。
……いや、違う。きっと最初に手を伸ばしたのは、彼だ。
脳裏に過る、クリスマスカード。あの一通を、彼は一体どんな気持ちで選び、送っただろう。
そしてルシウスさんは、何も言わずに笑みを浮かべた。
初めて見るそれはとても穏やかで、緩んだ目蓋のふちにゆっくりと染み込んだ。
きっとまた、以前のように向かい合って、楽しくお茶を飲める時が来る筈。
静かなお屋敷の一角、紅茶と砂糖の甘い香りと、この暖かな陽だまりの中で。
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