ソファーに寝転がりながら、蛙チョコレートを食べていた。
夕食を終えた後、寝る時間までヴォルデモートさんのお部屋でのんびりと過ごすいつも通りの晩。ある程度騒がしくしなければ彼は私を追い出さないし、その沸点のラインも心得ている。
だからこそ大人しく読書に勤しんでいたのだけれど、唐突に発された言葉に、私は本から顔を上げた。


「……え?」
「明日から一週間、留守にする」


こちらをちらりともせずに、ヴォルデモートさんがおっしゃった。彼の白い頬には深いクマが出来ていて、悪役オーラが二割増しである。せっかくの美形が台無し……と言いたい所だけれど、相変わらずイケメンなのが腹ただしい。


「い、一週間ですか……それはまた長いですね、随分と」


気落ちしている事がバレないように、再び本に視線を落としながら言った。
今まで彼が不在にする事は何度かあったけれど、それも二、三日程度だ。それなのにいきなり一週間だなんて。寂しくないと言えば、嘘になる。

彼からの返事が返ってこなかったのでちらりと一瞥してみると、いくつもの分厚い本と睨めっこをしていた。既に、私の事など頭にないようだった。

最近、ヴォルデモートさんはとっても忙しそうにしている。睡眠をあまりとっていないらしく目の下のクマはだんだんと濃くなっていくし、お屋敷に出入りする死喰い人さんがたも、ちょっとせわしない。
それでも、変わらず食事を共にする事が出来ているのは、もしかしてもしかすると彼も私と同じように嬉しく思っていて、無理して時間を作っているから、とか……や、ナイナイ。ちょっと……ものすごく、自分に都合の良い発想をしてしまった。我ながら、恋する乙女の妄想力は恐ろしい。


「案ずるな、firstname。私が留守にしている間、お前の事はルシウスに任せてある」


低い声で発せられたその言葉に、心臓がびっくりする。


「……え。今なんて?」
「二度も言わせるな」
「ご、ごめんなさい……や、マジですか」


信じられない、と聞き返そうとしたけれど、ヴォルデモートさんにじろりと睨まれたのですごすごと口を閉じた。あの目怖い。


「何が不満だ。言ってみろ」
「えっ! や、不満なんてそんな……これっぽっちも無いです」


そう言い慌てて片手をひらひらと振って笑うと、彼は目を細めた。その瞳は一体何を考えていらっしゃるのか。

さて、現役ばりばり死喰い人のルシウス・マルフォイさんと言えば、少し前に、色々とあった仲である。
彼の事を思い出す度に苦い気持ちを味わうからと、なるべく考えないようにと意図的に思考をずらしていたので、こうもいきなり名前が出てくると胃に悪い。

あの時私はヴォルデモートさんにルシウスさんとの間に起きた事を言わなかったし、彼が自ら言うとも思えないので、あの日の事はきっと私達しか知らない。だからルシウスさんに私の世話を任せる事にこれと言った他意は無いと思うけれど、恐らく少しは勘付いている筈だ。凄まじく勘の良いヴォルデモートさんの事だから。
だからと言って何かする訳でも無いと思うけれど、なんていうか、気まずい。果てしなく気まずい。

あれ以来姿を見かける事はあったけれど、一言も話していない。事実上避け合っている。多分、お互い意図的にそうして来たと思う。
しかしヴォルデモートさんの居ない一週間、ルシウスさんとはこれから毎日顔を合わせる事になるのだろう。


「はあ……」


沈んだ気分を回復させようと、手の中でうごめいている蛙チョコレートの足を二本ちぎって、口に放り込んだ。
いつもなら美味しく感じるその甘ったるさも、今の私には苦いものだった。




誰も居ないヴォルデモートさんの部屋で、何度か深呼吸をする。これから一週間、毎日が修羅場だ。ちょっとした戦場だ。

朝一番、朝食も取らずにいつもより更に険しい顔つきでローブを纏ったヴォルデモートさんに、「いってらっしゃい」を言って見送った。彼は行ってくる、とは言わずに「大人しくしていろ」とだけ返してくださった。まるでお留守番を任された子供のような扱い。

さて、そろそろ自分の部屋に帰らないと。きっと今頃、厨房でルシウスさんが私の朝食を用意して下さっている筈だ。
廊下に出て自室への道を足早に歩いていると、角を曲がったすぐ先に懐かしい後姿が見えた。少しの乱れもない、プラチナブロンドの長い髪は、彼のトレードマークだ。
一瞬迷ったけれど、声をかけてみる。


「あ、あの、ルシウスさん!」


それまで廊下に響いていた、コツコツという彼の靴音が、私の一声でぴたりと止まった。


「……おや、familyname様」


振り返り私の名を呼ぶ彼の目は、冷たく鋭い。アイスブルーのその色と相まって、まるで氷のようだった。
その目を見た瞬間、踵を返して逃げ出したくなったが、両足を踏ん張ってどうにか堪えた。

一瞬私の声を無視されるかもと危惧したが、そういえば、くだんの時から時間が経っている。お互い頭が冷えて、もしかしたら今が仲直りのしどきなのかもしれない……なんて、まるで現実逃避のような思考が浮かんだ。ばかばかしい。

彼が押している台車には、一段目二段目、どちらも美味しそうな料理が並んでいる。……しかし、朝からフルコースというのはいかがなものか。ささやかな嫌がらせですかこれ。
食べきれるかどうか、少し心配になってきた。ヴォルデモートさんなんかは、出した時と同じようにして残った食事をいつも魔法で消しているけれど、私はやっぱり、出された物を残すのはあまり好きじゃない。気持ち的な問題で。


「え、と……たくさんご用意して下さって、ありがとう御座います」
「我が君より仰せつかっておりますので」


別にお前の為じゃない、我が君に従っているだけだ勘違いするな、というルシウスさんの心の声が今にも聞こえてきそうだ。セリフだけ見ると一見ただのツンデレなのだけれど。


「お部屋にお運び致します」


無駄な会話は不本意のようで、彼は再び口を固く結び歩き始めた。話しかけられる雰囲気ではないので、私も三歩程後ろを黙ってついて行く。廊下に響き渡るのは、台車の車輪が回る音と、二人分の靴音だけ。
彼の歩みに合わせわずかに揺れるプラチナブロンドを見ながら、憂鬱な気分が私を支配する。
私のお世話なんか、死ぬほど嫌だったでしょうに、ルシウスさん。それも一週間も。彼の大きな背中に心の中だけで問いかけた。

そうして、恐れていた苦味が蘇る。彼が口にした、穢れた血という侮辱の言葉。時間が傷を癒してくれたのか、言われた時程のダメージは少ない。けれど確かに胸の内に突き刺さったその言葉は、きっとこの先どうやったって忘れないのだろう。
けれど、あの時とは違う感情も抱いているのも事実だ。


「失礼致します」
「あっ……はい」


考えているうちに、部屋に着いていたらしい。ルシウスさんが私に断ってから扉を開け、先に入るよう促された。彼の言動はあくまで紳士的で、誰が見ても恐らく何一つ申し分ないものだったけれど、腹の中では何を考えているのかを思うとあまり嬉しくはなかった。
テーブルに杖を一振りしてクロスを敷き、そのまま配膳までもスマートにやってのける。
ヴォルデモートさんの命令とはいえ、嫌いな相手にここまで出来るなんて、偉いというかなんというか。百点満点だ、本当に。


「では私は失礼させて頂きます」
「ま、待って下さい」


ご丁寧なお辞儀をしてから部屋を去ろうとする彼を呼び止める。
どう切り出そうか迷いながら、慎重に言葉を選ぶ。


「その、……あの時の事」


言葉を濁したけれど、きっと何の事についてか彼は分かっているだろう。
ルシウスさんがおっしゃった拒絶の意。直後は、びっくりして悲しくて、とにかくショックだった。
どうあの場を収めるか、最善の術を知らなかった私は考える事を放棄し、ヴォルデモートさんにただ縋った。
けれど、


「前に……本心で接して下さった事が嬉しいって、ルシウスさんに言いましたよね。私、本当に、嬉しかったのです。……その気持ちは今も、変わってません」


恐る恐る、けれどしっかりと彼の目を見て告げた。


「……firstname様」


彼の唇が、確かに私の名を呼んだ。その音は私の胸に響いて、静かな嬉しさを呼び起こす。
そして一瞬、無を貫いていたルシウスさんの表情がぴくりと動くのを、見逃さなかった。しかしそれはすぐに平静に戻り、彼はもう一度黙ってお辞儀をして、部屋を出て行った。


「はあー……」


扉越しに革靴の音が遠くなっていくのを感じ、盛大な溜め息を吐きだした。それに混じっているものは安堵か、それとも、何だろう。

好きの反対は無関心、なんて言ったのは一体どこの誰だっけ。
ルシウスさんは、それを地で行っていると思う。

今日のような本心を見せずに居る態度はお互いに楽で、一週間なんて、びくびくしながらただ恐れて居ればきっと簡単にやり過ごせる。彼もそうするつもりだろう。
けれど、私はそうしたくない。
ルシウスさんとこのまま何も無く終わってしまうのだと考えたら、とても寂しい。
きっとこれは、最後のチャンス。

ヴォルデモートさんがいらっしゃる手前、死喰い人さんはどうしても表面上は私を手厚く扱わなければならない。
私の存在を影でせせら笑う死喰い人さんが圧倒的に多い中で、面と向かってはっきり言って下さった事は、単純に嬉しかったのだ。

もしかしたら、私がヴォルデモートさんに告げ口をするかもしれないのに。しかしそんな事を歯牙にもかけずに居た彼に堂々と杖を向けられた時、確かに尊敬に似たものを抱いた。
それは例え穢れた血と罵られようと、変わらないのだ。

……と、こうして冷静に思えるようになったのは、あの時傍に居て慰めて下さったヴォルデモートさんの優しい瞳や腕のおかげだと、思う。
あの温もりが無ければ、私はきっともっと逃げていた。

未だ拭いきれていない僅かなもやもやを飲み下すように、スープを口に運んだ。ルシウスさんの用意した暖かいそれは、私の心まで染み渡り、渇いた喉を潤した。

ちらり、とドレッサーのほうを見やり、一瞬、思いをはせる。クリスマスの日の事を。
考えが巡るよりも早く身体が動き、私は席を立った。食事中だけれど、ここにはこの行儀の悪さを咎める人はいらっしゃらないのでノープロブレム。

鈍い金色をした取っ手に手をかけ、そっと引いた。引き出しの中に仕舞っておいたのは、一枚の素敵なクリスマスカードと、それを受け取った時の私の気持ち。
どちらも大事に胸に抱き、目を閉じる。


「……いつから、でしたでしょうか」


この世界で会う人々に、物語の登場人物に対するもの以上の感情を抱くようになったのは。
それが良い事なのか悪い事なのかも、まだ私には分からない。

けれど、あの時確かに、私は。
 
 



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