屋敷を出てもう随分経つというのに、まだ足下がふわふわと浮き足立っている。
そんなわけないのに、今にこの床がぐねりと曲がってしまいそうな感覚。
普段、運動不足なこの足のせいだ。絶対にそうだ。
そうだと言って下さい、ヴォルデモートさん。
「なんといいますか……個性的なお味でしたね」
この国のメシマズが魔法界にまで及んでいたとは。
最期のお魚なんか、なかなか強烈な一皿でしたね。
「あなたは私に皿を押しつけて殆ど手をつけていなかったでしょう」
「あの……すみませんマルフォイ様、僕の代金まで」
「お気になさらずレギュラス君」
「その台詞を言うのは支払った私だと思うのですがfirstname様」
それでもここは英国。
悪夢の料理が夢かのように食後の紅茶はおいしく、綺麗に飲み干した。
店を出た途端ルシウスさんはフードを深く被り、レギュラス君にもそうするようにと促した。
「私もしたほうがいいですか?」
「……お好きに」
だって、知り合いに見られたくないからそれやってるんでしょう。
とりあえず、私も倣って顔を隠してみた。
……この三人組、すごく怪しい。
奇妙な一行は石畳を歩いていく。
まずはクディッチ用品店へ。
欲しい訳じゃなくてとりあえず変身術の勉強に見てみたいだけ、と伝えると、ルシウスさんに面倒くさそうな顔をされました。自分の家に箒くらい山ほどあるのに……と言いたげなね。
そんなわけで着いて早々ルシウスさんは興味なさそうに一言、「店の外に居ますのでお早めに」。
それなりに繁盛しているらしく、店内には同年代の子の姿が見受けられます。男子が多いのかなと思ったら、女子もわりと居ますね。皆さん活き活きしてて楽しそう。
しっかりした足取りのレギュラス君についていくと、あっと言う間に箒コーナーに辿り着く。
あちこちに色々な箒が並べられてて、なんかワクワクしてきた。横を見ると、レギュラス君も珍しく楽しそうなお顔です。
「あ……あそこにあるの、レギュラス君が話してた……」
「ああ、本当ですね」
「かっこいいですねー……」
ショーケースに飾られてひときわ目立っている、柄がぴかぴかと輝いた立派なレギュラス君の相棒。
さすがブラック家のお坊っちゃま、イイ箒乗ってますねえ値札のゼロが多いったら。
「私も一本くらい欲しいかも……」
箒を見上げながらぽつりと呟くと、
「えー。キミ、箒を持ってないの? 一本も?」
なぜか近くに居た男の子に驚かれた。
「家に一本くらいないの?」
「え……たぶんない、かな」
「もしかして乗ったこともない? もったいないなあ、あんなに楽しいのに!」
びっくりしてる間にマシンガントークかまされる。若干偉そうな言い方なのにあんまり嫌味を感じないのは、かけている眼鏡の奥にある彼の目がきらきらとしているせい、でしょうか。
てか魔法界の子って、もしかして箒乗れない奴はマグルでいう自転車乗れない奴みたいな扱い?
どうしようちょっと恥ずかしいかも。
「……だって、箒見たのも今が初めてで」
「初めて見たって!? 驚きだなあ、いったいどんな生活してたのさ?」
「……はは」
食い気味なメガネくん。
でもこういうハイテンションな人との会話、なんだか懐かしい。
「とにかくキミはこの機会にニンバスの一本や二本買うといい」
「それあれでしょう、あそこの高いやつ」
「だね。僕が欲しいくらいだ。キミどのくらい持ってる? 折半で買う?」
「いやノーセンキュー」
「残念だなあ、いや、でもホントさ、箒は素晴らしいから、とりあえず乗ってみるといい。後悔はしないよ、高所恐怖症じゃない限りね。それだけは保証する」
「あなた、よっぽど箒がお好きなんですね」
「もちろんさ」
自信満々に断言する彼がなんだか微笑ましくて、笑みがこぼれた。
「でも、私は……いいんです」
「なぜ?」
「なぜ、かなあ……なんとなく?」
箒に乗っている自分が想像出来ない。今まで乗ったことが無いのだから当たり前かもしれない。
乗り方だって分からない。教えてくれる人がいなきゃ、怪我をしそうだし。そんな痛い思いをしてまで一人、箒に乗る意味もなく。
だいいち、
「箒に乗っても、どこにも行けない」
思わず口をついて出た言葉。
今まで熱弁をふるっていた彼が、眼鏡の奥で瞳を丸くしている。
気分を悪くさせてしまったかも。
謝ろうと口を開くと、
「そんなことはないね!」
「えっ」
肩を掴まれる。
てか近い。顔が近い。
「乗ってもいないのに知ってるのかい、キミは」
「あ、いや」
何だろうぐいぐい来られる……。
これ以上彼のペースに持っていかれないうちにレギュラス君探そう。
「初めはそりゃ不安で乗り気になれないかもしれないけどでも誰しもそうだし一度乗ってみれば分かる筈なんだ僕だって一年生の時は」
マシンガントークをよけながら、横目でちらちらと店内を探る。
あ、見っけ。
わりと近い、箒磨きセットの棚に、近頃見慣れた後ろ姿。
「あ、私……もう行くから」
「ああ、ごめん」
思ったよりあっさりと解放してくれる。ええ悪い人ではないのです。ただ箒オタクなだけ。
周囲を気にしつつ、その背に声をかける。
「レギュラス君」
「あ、すみません、お傍を離れてしまって……」
「いえーそれより私の方はもういいんですけど、レギュラス君は」
「僕は平気です」
「遠慮しなくてもいいのに」
「でも……待たせてしまっていますから」
「そうですね。ルシウスさんの血色悪いお顔がさらにヒドい事になる前に、出ましょうか」
「ええ。……でも、よろしいのですか?」
「なにが……?」
「…………いえ、行きましょうか」
「……」
お店を出て待っていたルシウスさんと合流し、来た時同様裏道を使って書店に向かいます。
「ね、お買い物終わったらアイスクリーム食べに行きませんこと?」
「貴方は私に何か恨みでも?」
振り返り眉をひそめる彼の顔色がいつも異常に青白いのは、町の雪化粧のせいでしょうかそれとも外で待たせたからでしょうか。
「やだルシウスさんたら、恨まれるようなことをなさって?」
「しかしこの寒さですから、アイスクリームはあまり……」
「あ」
そうでした。ヴォルデモートさんの魔法で私は暖かいけれど、ルシウスさんとレギュラス君、寒いよね。
「じゃあその辺にあるカフェでいいや」
「寄り道はあまり感心致しませんな」
「わたしアイスクリーム食べに来たのにこれはひどい」
「えっ」
「……は?」
「……冗談ですよ?」
「びっくりました」
「本当に冗談だと思うのかレギュラス」
私信用ないな。どう思われてるんだろ。悲しい。
書店に着いたら着いたで、ルシウスさん今度は店の裏で待ってるとか言い始める。もうあなたの好きにして。
「いらっしゃい!」
店内は紙の匂いでいっぱいです。
魔法界のお店って本当におもしろくて不思議で、このお店もただの本屋さんじゃありません。そこで怪物の本とファイトしてる店主さんとかね。頑張れ。
しかし、
「あ、これいい! あ、こっちもなかなか……」
面白そうな本ばっかり!
ヴォルデモートさんのお屋敷にある本ってほんと怖い奴か難しい奴か両方兼ね備えた奴かしかないから……。
平和なタイトルの本、とっても新鮮。
横でスタンバイするレギュラス君に本を手渡しながら、また新たな本を発掘。というファインプレー。
「レギュラス君も気になる本があったら遠慮なく」
「ありがとう御座います」
「支払いはルシウスさんが持つから」
「はい……え?」
「おっと。これもよろしくです、きのこの本」
「要りますか? きのこの本」
「五百種も載ってたらいい暇つぶしになります」
だてにアウトロー満喫してないよね。
「……暇つぶし、ですか」
「レギュラス君とお勉強会する以外に予定ないですから……今のとこ」
「外出なされたり、は……しないのですか」
「まったく。遊びに行く場所も、一緒に行ってくれる人も居ないもので」
軽く笑いながら言ったはずなのに、レギュラス君はなぜかシリアスな顔になりました。
「そ、そんな明らかにコイツ寂しいヤツだな、みたいな顔されるとへこむんですけど!」
「すみません」
「謝られるとさらにへこむから!」
なんか、今になって自分の状況がかなしくなってきた。
だって、今までの私にとって、こっちに来たことは思わぬ長期休暇みたいなノリで。
まあでも、もう決めたんですけどね。
彼のそばに居たい、って。
その為に、頑張る。
私はまだ、頑張れる。
「firstname」
「! ……レギュラス君?」
その一言で、思考を戻される。
まるでヴォルデモートさんに名前を呼んでもらったみたい、でした。
……私をそういうふうに呼んでくれるのは、ヴォルデモートさんだけ、だから。
「どしたの……突然。レギュラス君?」
初めての名前呼び。
「普段の態度では他人に不審がられるから今日は友人のように、と」
「……まあ、言いました、けど」
でもこのお店そんなに人居ないし装う必要あるのかなあとか、いきなりの呼び捨てはびっくりしちゃうなあとか。
「突然すみません。あなたが……もしかしたらお疲れかと思って」
「え……そんなこと無いですよ」
「……でも、」
「でもなんだか、レギュラス君に呼び捨てにされるのって新鮮というか……なんか慣れないというか……ここあんまり人居ないですし、普通に戻しちゃって下さい。……ね、無理しないで。レギュラス君もそっちのほうが、」
「では、firstnameさんと呼びます。代わりに一つ、言わせて頂きます」
「……え?」
「言わせて頂きます」
「はい」
彼は妙に真面目な顔でした。
レギュラス君のこんな表情は、初めて見た。
「なぜ、無理をしてまで笑おうとするんですか」
三秒くらい思考停止してから。
やっと彼の言葉を理解したように、私は首を傾げる。
自分を守るために。
「え、……と?」
きょとん、て。
そんな擬音がお似合いだろうな、と思いながら。
「どうして、そう思うの?」
「ご自分でおわかりの筈です」
全然わからないよ。
だって私、無理になんて笑ってない。
笑いたいから笑ってるだけなのに。
「わかりました。百歩譲って、私が無理をしているとします。……たぶん、たくさん歩いて疲れちゃって」
「そういう事を言ってるんじゃありません」
「……もう、話が見えないですね」
私は溜息をつき、困ったふうに肩を落とす。わざとらしくても、そうしなきゃやってられない。
そんな私の不遜な態度を見て、彼も一つ溜息をついてから、そのまま睨まれた。
「では簡潔に。そんな辛気くさい顔で作り笑いをされると鬱陶しいんです」
「……」
「気分が落ちてるのはあなたの自由ですしそれを取り繕うのも自由だ。でも、それを心配するくらい、……」
苦々しく眉を寄せ、彼は吐きだす。
「僕の、自由だ。あなたを勝手に友人だと思うのも」
「…………ん?」
いまなんて?
え……なにそれまるで、レギュラス君が私のこと友達だと思ってるみたいだよ。
あのレギュラス君が。
どうして。
「……もういいです」
しびれを切らした彼がまたため息をつき、この場を離れようとする。
行ってしまったら、きっともうだめだ。
埋まる溝も、永遠に埋まらなくなる。
迷う間もなく、その後ろ姿に手を伸ばした。
「……firstnameさ、」
「ごめんなさい!」
私だって、このままは嫌なのです。
「……レギュラス君と友達になりたいです」
あ、間違えた。
ここは友達だと思ってるよ、って言うべきでした。
でも、そんな出まかせはもう通じないか。彼には。
「……」
「……心配してくれるのも、嬉しいよ。ただ……何もないの本当に。だから気にしないで下さい。ごめんなさい」
「謝らないで下さい。……狡いです」
「……」
「あなたは狡い人です。僕に言う前に、無理をしているのはあなたの方でしょう。今日だって、あなたは一度でも笑いましたか?」
「……そんなことないよ!」
「今の間は何ですか。説得力が皆無ですね」
「……レギュラス君とおまけにルシウスさんとおでかけ出来て、私今日最高に楽しいですよ!」
「でしたら楽しそうな顔をなさって下さい」
「……、してたよ。見えなかった?」
「見えません」
レギュラス君が振り返って、目があった。
私の顔を見て、その手が伸ばされる。指先が頬にふれそうになった時、彼が口を開く。
「……コホン」
咳払いと同時に、視線を感じた。レギュラス君も気づいたようで、二人でちらりと横を見る……と、店主さんがさっと新聞で顔を隠した。
「……えっと」
「……ひとまず、出ましょうか……」
「……同意見」
お互い気まずい感じの店主さんに本を預け、お会計を済ませる。
紙袋に入れられたそれを受け取る時、ひょいと横からさらわれた。
「自分のくらい持てますよ」
「そうですか。ではこちらをお願いします」
素っ気なく差し出されたのは、レギュラス君が買った本。二冊だけなので私の袋より相当軽い。迷っていると押しつけられてしまったので、仕方ない。彼の立場もありますし。
「ありがとう」
「……」
先を行く彼の背中に投げかける。
さっきした口論の名残が、微妙な距離を空けさせた。
「ねえ……レギュラス君」
出口の一歩前。
お店を出たらきっと彼はすぐにルシウスさんを見つけて、もうこの話題を口にしないだろうことは、分かっていました。
たぶん最後のチャンスに、私は口を開く。
「何ですか」
「……明日からまた、勉強頑張ろうね」
「あ」
「……うん?」
「すみません言い忘れていたんですが」
すまなそうな顔で振り返るレギュラス君。
ひしひしと、イヤな予感。
「休暇が終わるので戻るんです。学校に」
え、まじで。
「……エイプリルまだ先だよ?」
「すみません」
「謝るくらいなら行かないで、……ほしかった」
「無理ですみません」
「レギュラス君冷たい……」
「……手紙でも書きましょうか?」
「……手紙?」
ホグワーツから?ふくろう便?
出来るんでしょうかそんなこと。
ていうかヴォルデモートさんが許してくれるかな。
でも、
「……じゃあ、待ってるね」
そんなこと出来るわけないって思うのに私はもう今から、帰ったらどうやってヴォルデモートさんにおねだりしようか、ってそんなことばっかり考えていたのです。
……ね?全然無理してない。
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