絶対に、見つからないように。

暗い森の中を、ひたすら走る。右手に杖を、左手には小さな彼を引いて。
村が遠くなってきたせいか、辺りは嫌になるくらい静かだ。そのせいか、二人分の荒い息がやけに大きく聞こえる。時折後ろを振り返ると、彼の不安そうな顔が月灯りに照らされて見えた。


「町の方向は本当にこっち?」
「うん……でも暗くて……よく見えないよ」
「……む」


どうしよう。灯りを点ける事は出来るけど、見つかる可能性が高くなってしまう。でも道を間違えてしまったら何にもなりませんからね。やむを得ないです。


「ルーモス」


杖先に光が宿る。狭い道を照らすように杖を掲げると、真っ暗で見えなかった木々の向こうまでしっかりと見えた。


「わあ……」


その光を見て目を輝かせる彼は、なんだか昔の自分を見ているようで少し微笑ましい。
まだこっちに来たばかりの頃は、私も彼の様に、魔法がすごく新鮮だったものです。

初めて魔法が使えた時だって、言葉に出来ないくらい嬉しかった。
呪文を一つ一つ覚えていく事も、楽しくて……きっと、ヴォルデモートさんが教えて下さったから。私もあのスパルタによく耐えたものです。
それにしてもこんなことがあるなら、箒の練習でもしとけばよかった。あ、今度レギュラス君に教えて貰おうかな。

……ヴォルデモートさんに教えて貰った魔法で、マグルの子を助けるなんて。
何が起きるか分からないですよね、ほんと。
ヴォルデモートさんが知ったら、やっぱり怒るかな……怒るよね。


「……こっちで合ってる? 次の道は?」
「うん、大丈夫……あっち」
「よし、いい子いい子。私が町まで送り届けてあげるからね、絶対」
「……」


返事の代わりか、不安からか。彼は黙って握った手に力を込めた。
私も口を噤んで前を向く。

我ながら、自分に吐き気がする。

ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
誰に謝りたいのかも分からないまま私は、自分よりうんと小さいその手をぎゅっと強く握って、森を駆け抜けた。

……ヴォルデモートさん、怪我してないといいのですけれど。



***

「も、もう邪魔はしない、絶対に! だから、……頼む、頼むから、見逃してくれ……ひ、一人くらい、いいだろ? なあ!」

顔を引き攣らせ懇願する男を見下ろし、ただ歩を進める。一歩近づくごとに男は四肢を震わせて後ずさりをし始めた。無駄だと分かっていても本能がそうさせるのだろう。

踏み出した靴の下で、硬質の音が鳴る。視線を落せば、それはつい先程まで自身に向けられていた物だ。
この男の杖を踏みつけていたらしい。無残に折れたそれを見て、所持者は絶望に暮れた瞳をする。取り返す機会でも窺っていたのか。哀れな。
悲愴に満ちた弱者はなぜか皆同じ顔をする。

再びその男が口を開く瞬間、私は杖を向け呪文を唱えた。

とうに火の手が収まっていた周囲は、嘘の様に静まり返っている。
マグルは勿論、闇払いの連中はとうに片付けていた。
恐らく、ベラを始めとした死喰い人が己の役割を果たしたのだろう。あれは私から見ても優秀な女だ。

背後で、見知った魔力の持ち主が姿現しをして現れる。


「こちらにいらしたのですか、我が君。ご無事で何よりでございます」
「私を誰だと思っている」
「も、申し訳ございません! いえ、我が君を見くびっていた訳ではなく、わたくしは……」
「御託は良い。話せ」
「は……失礼致しました。少々予定は狂いましたが、この村で生き残っている者は我々以外におりません。ベラトリックス様も間もなくこちらに」
「ならば予定通りだ。そこの闇祓いを屋敷まで運んでおけ」
「畏まりました。思わぬ収穫でございますな」
「ここまでのこのこやってきた揚句、命乞いなどする輩だ。……この期に及んで駆り出された地位だけの無能という事も有り得るが。いずれにせよ期待はしておらん」
「この頃は闇祓いが不足しているようございますから」
「まったく、闇祓いの減退も深刻だな」
「仰せの通りでございます、我が君。ところでこの男を運んだ後は」
「ベラに任せておけ。お前達はもうよい。私はまだするべき事がある」


あいつの事だ。物陰に隠れていてもおかしくはない。

死喰い人を下がらせ、ひとまず広場へと戻る。ここに着いた時には既にfirstnameが姿を消していたことに、気づいては居た。
少しの間周辺の魔力を探っては見るものの、やがてこの場に居ない事を悟る。

firstnameに渡したあのローブには魔法がかかっていた。杖で防ぐことが叶わずとも、あれを纏ってさえいれば、殆どの魔法から身を守る事が可能だろう。

無事だという事は知っている。
こういった事態の予想はしていたし、現に今、居場所の見当さえついていた。

どこで何を考え、何をしているのかさえ、手にとる様に分かるのだ。


「ならば、この私からお前を迎えに行ってやるとも……firstname」


だからこそ、これ程までに。



ああもう走りすぎて息が苦しい。
若干、ペースも落ちてきた。引いている彼の手さえ重い。小さな身体は、私より辛そうに荒く呼吸を繰り返している。それでも休みたいとか疲れたとか、一切口にしない辺りちょっと尊敬します。
小さな少年の、小さな強さ。

けれど、森も抜けて、随分走って来たのに、まだ町に着かないなんて。まさか、道を間違えたとか……や、悪い方向に考えちゃ駄目。信じないと。

大丈夫だよ、きっともうすぐだから……そう励まそうと口を開いた時。
暗い夜の中、ぽつんと浮かぶように建物と灯りがいくつか前方に見えた。


「町だ!」


私より先に、後ろで彼が希望に満ちた声をあげる。私もほっとして、ぎゅっと彼の手を改めて握り直した。
よかった……。

町はずれに辿りついて、私は足を止めた。


「どうしたの……?」


怪訝そうな顔をして、彼は私の顔を覗き込む。それと同時に握っていた手をぱっと離した。とうに慣れてしまった温もりが急になくなって、手の平は少し寂しさを訴える。
私は石畳に膝をついて、彼と目線を合わせた。真っ直ぐにこちらを見つめてくる碧眼が眩しい。


「ねえ、よく聞いて」


こくり、と彼が頷いた。


「ここから先、……近くて、出来るだけ良さそうなお家に行って、村で起きたことを大人の人に話すの。そしたらもう大丈夫だから……言えるね?」
「…………うん」
「よし!」


彼の頭を撫でる。金色の髪の間から、ぱらぱらと藁が落ちた。まだ残ってたんだ。くす、と笑って私は立ち上がる。


「……お姉さん、行っちゃうの?」
「……うん……ごめんね、一緒に行ってあげられなくて。私、もう戻らなくちゃいけないの」
「どうして……? お姉さんはやっぱり、あいつらの仲間だったの?」
「……ごめんね」


本当の事を言う訳にはいかないし、謝ってもどうにもならない。
それでも、謝罪の言葉を口に出さずにはいられなかった。

例えば、もし。
もしも私がヴォルデモートさんを今夜、止めていたら、あの村は平和なままだったのだろうか。

……何考えてるんだろう。馬鹿みたいだ。
もしもの話なんてありえないのに。

もう、何もかも遅い。


「…………」


俯いた彼の表情は見えない。でももう行かなくちゃ。私は、ここに居ちゃいけない人間だ。
それでも最後に、と口を開く。


「私のこと、信じてついてきてくれてありがとう」


君は賢いね。と微笑んでから、背を向けた。歩き出そうとした時、


「お姉さん!」


ぐい、と腕を引かれて、身体を屈ませられた瞬間、頬に柔らかい物が触れた。一瞬の出来事。
驚いている内に、少年はその目に涙を溜めて私を見上げてくる。


「ありがとう、お姉さん」


私は良い人なんかじゃないのに。
どうして、そんな事が出来るの。
でもぶっちゃけ、すごく嬉しい。

そう。私は死喰い人とは違う。違うのですよ。あんな酷い事出来ないし、したくないもん。
まあさすがに、これくらいで良い事をしたとは思ってないけど。それはさすがに、おこがましいけど。

ただ、目の前の小さな少年が存在している事を嬉しく思うくらいは、許して欲しいのです。


「……バイバイ」


思わず頬を緩ませながら、私も別れの挨拶をした。今夜限りでもう会うこともないでしょうから。
うん。この選択は、やっぱり間違いじゃない。胸を張って言えます。ええ、後ろにいる方にもね。

振り返ってはさよならと手を振る彼の背を見送りながら、私は結構前のくだりからずっと、背後に佇む彼の魔力を感じていたりしました。


「firstname」


木の葉がひそやかに揺れる音にまぎれて、その心地良い低音が響く。
振り返ると、ヴォルデモートさんはその鋭い双眸で私を見つめていた。

例えヴォルデモートさんに何を言われようと、私は間違ってない。
だから、怖くなんかない。

……けれど、どうすればいいんだろう。
彼に駆け寄る事も、走り出して逃げる事も出来ない。
ただ、私を射抜く赤い瞳からは目を逸らせなかった。

やっぱり怒ってらっしゃるんでしょうか。
それなら、私もう帰れないのかな。それは嫌だなあ。そこまで覚悟して来たわけじゃないもん。ただちょっとばかり、人として当たり前の行動を、しただけで。

……いったいどうしてヴォルデモートさんは、ここまで来て、きっとしようと思えば簡単に始末できたのに、あの子を見逃して下さったの。
なんて、聞けるわけないけど。

真っ直ぐな眼差しに耐え切れなくてとうとう俯いた時、彼が私の肩を抱き寄せた。
強く引っ張られて、成す術もなく身体は彼の腕の中に納まる。


「……あ、の、」


表情を窺おうと見上げた瞬間、彼が姿現しの魔法をかけようと杖を振り上げる。慌てて彼にしがみついたけれど、振り解かれはしなかった。

大好きなヴォルデモートさんの香りに包まれながら、ただひたすら怖くて、泣けるものなら泣いてしまいたかった。

 



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