「暑いわ……」

顔をしかめて呟いた。
近頃は急に気温が上がって、どこに行っても暑いのでうんざりだ。
早足で、日差しから逃れるように木陰に避難する。
それでも暑いのは変わらないのだけれど、幾分かはマシだろう。

木の根っこに腰を下ろし、幹に背中をあずけ持っていた本を開く。
背伸びをして姉の本棚から持ち出してみたのはいいけれど、まったく読む気にならない。
ぱらぱらと流し読みしてみても、小さな文字が延々と羅列するだけで挿絵すら見つからない。
つまらないにも程がある。
暑さのせいも相まって、私はため息をついた。


「何か面白いことでもないかしらね……」


うとうと、お昼寝でもしようかと考えていると、ちらりと視界の隅に白っぽいなにかが見えた。
慌てて背筋をしゃんとさせて、目をこらす。

どうやらそれは人らしい。
背格好からみると、どうやら男性だ。
けれど、おかしいことに、頭にはなぜかうさぎの耳が生えている。
少々寝ぼけ眼だった目をごしごしと擦り、再度目をこらす。でも、やっぱり耳が生えている。


私は直感した。
私が待ち望んでいた面白いことがやってきたのだと!


「……」


まるで本物のうさぎのように、私がこの場に居る事に気づかれると逃げられてしまうような気がして、身をひそめた。

けれど、私の心はすでにパーティー状態。
きっとこれから始まるであろう『面白いこと』に、胸がときめいて仕方ない。


身体を動かさずに、じっと彼を観察してみる。
太陽に反射してきらきら光るプラチナブロンドの髪を、黒いリボンできゅっと結っている。
遠目でも分かるくらい仕立ての良い服を着ている……という事はかなりのお金持ちなのだろう。


それにしても不思議だ。
姿はどこもかしこも人間なのに、うさぎの耳が生えているだなんて、やっぱり彼は人じゃないのだろうか。

とってつけた物だとしても、あまりに自然すぎるし、時折ぴくぴくと動くのだから、まさか神経が通っているの?
現実的に考えて、こんな人が居るなんて信じられない。

……それとも、これは夢?
けれど、夢にしては感覚がずいぶんとリアルだ。

思考を巡らせつつ見つめていると、その、『うさぎの耳を生やした人間っぽいなにか』がこちらを向いた。


「……!」


しまったと思ったけれどもうすでに手遅れで、彼は驚きに目を見開いていた。
どうしよう?どうしよう?
焦ってうまく打開策が見つからない。
と、とりあえず挨拶でもしてみようか。
声をかけてみてそれで、もし彼が言葉を理解できた又は喋れたなら、きっと分かり合えるはず。そう、何事も話し合いは大切だ。


「あ、……」


こんにちは、と口に出そうとした時。

声を発した途端、彼が勢いよくぱっと走り去る。まるで私から逃げるかのよう。
こうしちゃいられない。
せっかく面白いことが起きたのだから、ぜったいに追いかけないと!


慌てて立ち上がり、私も走り出した。
どうやら足が速いらしく、私が全速力で走ってもぐんぐん距離をつけられてしまう。
それでももちろん、諦めなたりなんてしない。
必死で足を動かした。

「って、あら?」

不毛な追いかけっこをしながら庭を出て、橋を渡り、いつの間にか森の近くまで来てしまった。
しかも、どこを見渡しても彼が居ない。完全に、見失ってしまった!


「どうしよう……」


諦めて家に帰ろうか。
そういえば姉の本を置きっぱなしにしたままだ。
知られたら、確実に叱られる。
姉は怒ると怖い人だし、ああでも諦めたくない。
情けない気持ちになりながら、縋るような気持ちで辺りをうろつく。


「あら……こんなところに、穴?」


草花に紛れるようにして、大きな穴が空いている。
人ひとり、余裕で通れそうなほどの。

まさか彼はここに入ったのだろうかと、ばかげた考えが浮かんだ。

「……そんなのありえないわね」

いくら彼がうさぎの耳を生やしていたとしても、そういった動物ではないのだから、こんな穴に入ったりしないだろう。

やっぱり帰ろうかと思いながらしゃがんでみると、きらりと、何か光るものが見えた。

不思議に思ってそれをよく見てみると、どうやら一本の髪の毛のようだった。
拾って目の高さまで持ち上げて眺めてみる。
プラチナブロンドに光るこれは、


「さっきの彼の……?」


彼の髪の毛がここに落ちている。
だとすると、やっぱり、彼はこの穴の中に入ったのだろうか?
淵に手をついて穴の中を覗こうとしても、当然真っ暗で何も見えない。


ものすごく深いかもしれない。
落ちて、死んじゃうかも。
でも、


「そんなのやってみなきゃ分からないわ」


ぽつりと呟いて、うん、と頷く。

座って本を読んでいるだけじゃ、ファンタジーはやってこない。


時には危険に飛び込むことだって、必要不可欠なのではないかしら。


どきどき、心臓がうるさく興奮を伝えている。
まるで私は、童話の主人公のようだ。
この穴の中に入ったら、一体どんな物語が始まるのだろう。
怖くもある。
けれど、それ以上に楽しくてわくわくする。



「それでは、勇気を出しましょう」


未知への恐怖と平凡な日常にさよならをして、飛び込んだ。



 

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