名前も知らないイケメンさんに謝罪してから別れ、また、振り出しに戻ってしまった。 こんな広いところで、どこを探せばいいのか、見当すらついていないままに。 無謀だという事は、知っていたけれど、やはり、こうも現実を突きつけられると辛いものがある。 それでも私が、一人で、やらなくてはいけないのだ。 今更、誰かに頼る事なんて出来ない。 賑やかな通りに戻ろうと足を踏み出そうとして、ふと、誰かが楽しげに笑う声が聞こえてきた。 表通りの方からではなく、薄暗い路地の方から。 一体、誰だろう。 アハハとかウフフとか笑い声に混じって、時折叫び声すらうっすらと聞こえてくる。 それと、軽快な楽器の音。 「あれ、」 ふと、視界の端に白っぽいものがちらつく。 見ると、浴衣姿の少女が、古びた廃墟の中に入っていく姿が目に入った。 「あの子、何してるんだろ……」 こんな所で。 足音を立てないようにして、その建物に近寄る。 小さく「ルーモス」と唱え照らしてみると、余計に酷かった。 扉の木は全体が黒ずんでぼろぼろだし、壁に取り付けられたランプなんて、今にも崩れ落ちてきそうだ。レンガの色はくすんで、相当年季が入っているのだと分かる。 先程から聞こえる、あの賑やかな声や音はここから聞こえていた。 それどころか、扉の隙間から明かりが漏れている。 一体誰が、ここで何をしているのか。 気になる。 杖の明かりを消して、そっとドアノブに手をかける。 これだけでも、ギィ、と耳障りな軋んだ音が響いた。……崩れ落ちてしまわないか、ものすごく心配です。本当に大丈夫か、この建物。 音を立てないように、そうっとそうっと、扉を開く。 隙間から覗くと、あれは……。 透明に透けた人達が、笑い、歌い、奏で、遊び、踊っていた。 そして中央のテーブルには、目を向ける事すら躊躇うほどの、腐った料理やお菓子のフルコース。 というか。 「くさっ!」 何、この異臭! この部屋臭うよ……! かなり昔に流行った某消臭剤のCMなどを、つい思い出してしまった。 それ位、酷い。 うっかり眩暈すら起こしそうなほどだった。 手で鼻を覆って改めて視線を上げる、と。 「あ……」 透明な人達……おそらくゴーストさん達は、目を丸くして私をじっと見ていた。 「そうか、迷い込んだのか!」 「遠慮しないで、あなたもどうぞ」 「え、え、え、」 普通に嫌だ。 大体、玄関に居るだけでも辛いのに、中に入るとか怖い。幽霊怖い。 ていうか、腐った料理達に顔を近づけてうっとりとしている、美人なゴーストさんが一番怖い。 絵づら的におかしいでしょ。 くるりとUターンをすると、すぐ目の前にゴーストさんが現れた。 「ひいっ……!」 「大丈夫、怖がらなくていい! そして君も仲間に入るといい!」 イクナイよ。やめて。 お願いだからほんとやめて。 恐怖から、慌てて後ろに後ずさりすると、ふわっと何かが身体を通り抜けた。 や、その何かが何なのかは分かっている。ただ、現実から、目をそむけたいだけで。 私の身体をすり抜けたゴーストは、そのまま宙に浮かんで、高笑いをする。 「アハハハ! 間抜けな顔だなあ!」 失礼な事を言うなこのやろう。 けれど本当に間抜けな顔をしていたと思うので、何もいえない。 「ねえ、かぼちゃジュースはいかが?」 色々なことに呆気をとられ呆けていると、すぐ隣で綺麗な声と、すっと、ゴブレットを差し出す手。 見ると、声に違わず、姿も美しい女性だった。 黒いロングドレスを着ていて、涼しげなショートヘアと、口紅をたっぷり塗った魅力的な唇が印象的だった。 美しいけれど、やはりその姿はややぼやけ、透けている。 そして極めつけに、差し出されるゴブレットの中身が、もう、飲める飲めないのレベルじゃなかった。 頭おかしい。 「これ、は……かぼちゃジュースなんですか? 本当に?」 とても受け取る気にはならず、顔をひきつらせつつ微妙に後ずさりをする。 そんな私の様子をものともせず、その女性は笑い、なおゴブレットを差し出した。 「当たり前じゃない」 当たり前らしい。 一体何をどうすれば、認めたくはないけれど、かぼちゃジュース……が、へどろのようなものに変身するのか、作文など提出してはくれないでしょうか。 「すみません、あの、喉渇いてなくて……」 「あらそう?」 少し残念そうな顔をして、肩を落とす。ああその仕草だけは可愛らしいというのに。 じゃあお料理は、と彼女が言ったところで、慌てていりませんと叫んだ。 「アンジーったら、忘れたの? 私達と生きてる人達の好みは違うのよ」 また別のタイプの美人さんが、長い髪をなびかせ、ショートヘアの……アンジー、さんの隣に立った。 アンジーさんははっとした顔をして、「ごめんなさい」と、申し訳なさそうに私に謝る。 「死んでから74年も経つものだから、すっかり忘れてたわ、私ったら」 おいさらっと爆弾発言すんな、いえしないで下さい。 「さあ皆、客人も来たことだ、パーティの続きをしよう!」 ゴーストの一人が叫ぶと、私達に集まっていた視線はなくなった。 私が来る前と同じように、ゴーストさん達は笑い、歌い、奏で、遊び、踊りだす。 本当に楽しそうだ。 生きてる人達だって、こんなに生き生きとした笑顔はしないのでは、とすら思う。 「なんだか、皆さん、生者より生者らしいです、ね」 言った後で、失言したと気づいた。 けれども、アンジーさんはまったく気にすることなく笑う。 「だって、楽しいんだもの」 死んでても生きてても、案外違いなんてまったくないのよ、素敵でしょう? 彼女は歌うようにそう言って、ゴースト仲間と踊りに行った。 歩き回ったせいで足が痛かったので、「ゆっくりしてけ」という有難いお言葉に甘えて、椅子を貸して頂く。 気づかれないようにほっと溜め息をつくと、椅子の背に背中を預けた。 目を閉じると、どっと疲労が襲ってくる。 ただでさえ運動はあまりしない性質なのに、泣いたり走ったり歩き回ったりしたせいなのでしょう。 出来る事ならずっとこの場にとどまりたい、そんな思いが浮かんでは、無理矢理消していった。 「ヴォルデモート、さん……」 屋敷に帰る時は一緒だと、そう、約束をして下さった。 それは、私を安心させる為の嘘などではない事を、私は知っている。 だからこそ……。 「ねえあなた、平気?」 ぱちっと目を開けると、すぐそばにアンジーさんが居た。 心配そうに私を見ている。のは嬉しいのだけれど、残念ながら彼女の手には異臭を放つゴブレットが握られていた。 思わず心配そうにそれを見ると、彼女はけらけらと笑う。 「やだ、飲ませたりしないわよ」 という事はそれご自分で、あ、はい。 何も聞かなかった事にするのが一番ですね、わかります、本当に。 「今名前を呼んだ人、あなたのボーイフレンド?」 なんだかずいぶん禍々しい名前してるのね、とアンジーさんが言ったので、ヴォルデモートさんが私のボーイフレンドだとかいう、あまりにふざけた誤解を否定しようと口を開きかけたのに、吹き出してしまった。 禍々しい名前。確かにね。 あの人のセンスが分からない。 「ボーイフレンドなんて、そんなんじゃないです」 半ば苦笑しながら言うと、じゃあなあに?と、彼女が視線だけでたずねるので、何だろう、と私は考え込む。 どちらかといえば、好きだと思う。 けれどこれが恋愛感情か、と問われれば、違う気もする。 でも。 あの時、抱きしめられて、まったく嫌ではなかったのは、それはもしかして、もしかすると。 「……分からない、です」 「ふうん、」 私がヴォルデモートさんに対しておもうこの気持ちには、一体何と名前がつくのだろう。 家族愛とか友情とかだったら、なんか笑える気がする。 「でも、」 何気ない風で、アンジーさんが口を開いた。 「あなた、その人のこととっても大切なのね」 ……大切。 なかなか、しっくりくる言葉だ。 「ええ、」 笑って、はっきりと答えた。 なんだか、背筋がしゃんとなった気がする。 ヴォルデモートさん、無事だろうか。 もし、もうダンブルドア校長と戦っていたりしたら、なんて、嫌な妄想が浮かぶ。 ばっと立ち上がる。 隣に立っているアンジーさんが、私のほうを見た。 にやりと、猫のように笑っている。 口紅を塗った美しい唇が、三日月のようだ。 「もう行ってしまうの」 「はい。少々、やる事があるので」 どうもありがとう御座いました、と頭を下げる。 出来れば、ここにいらっしゃる皆さんにご挨拶をしてから行きたいけれど、その時間すら惜しい。 「ああ待って、わたし、あなたの名前も知らないわ」 「nameです、name・family name」 「やっぱり東洋人だったのね。name……素敵だわ」 また逢いましょう、とアンジーさんは笑った。 私も迷わず、ええまた、と答え、扉を開ける。 中の喧騒とは程遠い、真っ暗で寂れた路地が、変わらぬ様子でそこにある。 数歩歩いたところで、後ろを振り返ると、ゴーストさんの奏でる音楽と、オレンジ色の明かりが扉の隙間からこぼれていた。 |