「っわあ!」 「いてっ!」 意識と視界が鮮明になった途端、肩に衝撃を感じ、よろけた。 どうやら、誰かと激突したらしい。 患部の肩を擦りながら声のした方を見ると、ぶつかったであろう少年も、同じように苦痛に顔を顰めていた。 私の姿現しに巻き込まれた事は、明確である。 申し訳ない。 「ご、ごめ、あっ……、」 謝罪を口にしようとすると、唐突に襲ってくる吐き気に、思わずしゃがみ込む。 ああ、姿現しはこれだから……。 でも仕方なかったのです。あの場合は、ああするしか。 もっと姿現し練習しよう。そうしよう。 「ったく一体何だよ……あ?」 「え、」 明らかに機嫌の悪そうな声が頭上から聞こえ、顔を上げると、向こうも私を見ていた。 黒髪。整った顔立ち。外国人。で、やっぱり浴衣。 ……思わず見惚れてしまいそうになるほどのイケメンさん。 というか。 どこか、懐かしい感じがする。 まさか、どこかでお会いした事があるとか……や、絶対初対面のはず。こんなに印象的な人だもの、一度会ったら忘れていないと思うし……。 「何だよ、俺の顔に何かついてんのかよ?」 「え、あ、や、違います、ついてないです」 「だったら何でじろじろ見てるんだよ」 「あー……えっと……」 どこか懐かしい気がしまして、とか。 確実に変人だと思われてしまう。それか電波。か、この暑さで狂ったクレイジーとか、その辺。 そんな事思われたくない。まして初対面の方に。 どうしようかなあと視線をそわそわ泳がせて居ると、黒髪の少年が無邪気に笑って、 「何だよ。俺に見惚れでもしたか?」 「なっ、み、見惚れてなんていませんっ!」 何ですかこの人ナルシストですか。ナルシストの方でしたか。うわー。無いわー。 いわゆる残念なイケメンですね、わかります。 って、そういえば私、しゃがみ込んだままだった。 立ち上がろうとして足に力を入れた……けれど、襲ってくる吐き気に負け、へなへなと地面に手をついてしまう。 先程よりかは幾分かマシにはなったけれど、大声で叫んだせいで、未だ気分が良くならないみたいだ。 ああもう、姿現しの馬鹿野郎! 急がないと、ベラトリックスさんが追いかけて……ううん他の死喰い人さんに見つかってもやばい。 いつまでも一箇所にとどまっている訳には行かない。 なのに、身体が言うことを聞いてくれない。 なんたる皮肉。なんたる屈辱。 唇を噛んで俯いていると、ぐいっと腕が引っ張られ、半身がふわりと軽くなる。 「え、な、何してっ……!」 「お前、立てないんだろ? 肩貸してやるよ」 そう言って残念なイケメンの少年……ううん、もう残念なイケメンじゃない。 文句無しで最高のイケメンですよ! 「すみません、ありがとう御座います」 「別に、気にすんな」 そんなこんなで、右腕が少年の肩に回され、かなり身体が密着している。少し恥ずかしい。 ああでも、そんな事思ったら少年に失礼だ。 純粋な親切で肩を貸してくれているのだから。しかも何気に、少年の肩に回されている腕は、先程ぶつかった肩とは逆の方。 こんな細やかな気遣いも出来るなんて、なんていい人なのでしょう。私涙出そう。1リットル位。 「あ、胸当たった」 「ちょっ!」 やっぱさっきの前言撤回。 ナルシストで変態でイコール残念なイケメンの少年に肩を貸されながら、そこそこ賑やかな通りを歩いていく。 少年のおかげもあり、吐き気はだいぶ収まった。今なら、なんとか歩けると思う。が、未だこの体勢のままである。 「重いでしょうし降ります」と言ったのだけれど、「いや、遠慮すんなよ」と彼が仰るゆえに。 「もしかしていやらしい事考えていませんよね」 「ばばばばかやろうそんな訳ねーだろ!」 「嘘つけ」 極力胸を当たらせないように努力しつつ、腹立つので肩に回している腕で少し首を締め付けてみた。 結果、「俺が悪かった」と謝る残念なイケメン。推定年齢15歳。たぶん。 あ、そういえば名前を聞いていなかった。 「あの、私、name・family nameっていいます、貴方のお名前お聞きしてもよろしいですか」 彼と私が歩くたびに、ゆらゆらと、揺られながら問う。 「何か変わった名前だな。東洋人か?」 「ええまあ」 「ああ、俺はシリウスだ。シリウス・ブラック」 え。 今、この方、なんて仰った。 「シ、シリウス、ブラック、ですか? ほ、本当に?」 「あ? だからそう言ってるだろ。何度も言わせんなよ」 え、うそ、マジですか。 わーいシリウスに会っちゃったよー。 だからこんなにイケメンなんですね! どこか懐かしい感じがしたのも、私が以前ノクターン横丁で、彼の弟のレギュラス君と会ったからかもしれない。 なるほど、謎は解けました。 「つーかお前、その堅苦しい喋り方やめろよ」 「え、そ、そう言われましても……」 「もっと普通にしろよ、普通に」 「これが私の普通ですよ、ブラックさん」 「げっ! 止めろ、その呼び方も!」 「ど、どうして?」 「むずむずする!」 背中の辺りが痒くなりそうだ、と身震いするブラックさん。 対して私は、おおーなんて明るく健全な、テンポのいい会話!とか、ちょっと感動していたりする。 ヴォルデモートさんのお屋敷では、ヴォルデモートさん以外に、お姉様、時々ルシウスさん、そして本当に本当に時々、ブラックさん……としか、ほとんどお喋りをした事が無かった。 だからこんな風に、嫌味とか腹の探り合いとか突然無言になるとかそういったものが一切ない、ごく普通の会話が、ご無沙汰だった。懐かしいなあ、元の世界に居た時を思い出します。 「えっと、じゃあ、何てお呼びしたら」 「普通にシリウスでいいだろ。俺もnameって呼ぶし。いいな? これでおあいこだ」 「わ、わかりました、シ、シリウスさん」 「……まあいいけどよ」 いい人だなあ。 ぶつかった相手がシリウスさんで良かった、とか思ってしまう。 もし怖かったり、悪い人にぶつかっていたりしたら……例えばヴォルデモートさんみたいな。 って、そうだよヴォルデモートさんを止めるんだよ! 「ちょ、あのっ、ど、どこに向かって」 「ん? ああ、俺と、俺の仲間がやってる出店だよ」 「えーっとあの私もう大丈夫なんで降ろし、」 「ほら、着いたぜ」 待って話聞いて! と言う暇も無く、彼は数ある中の、一つのテントの中へと入っていく。 ちらりと見えた看板には、悪戯ナントカとか書かれていた。きっと、悪戯専門店とかそのあたりじゃないかと予想してみる。 外観は小さなテントだったのに、中はかなり広いようだ。 四方八方取り付けられた棚には、怪しげな色をした液体の入ったビンが所狭しと並べられ、またその隣には、ガラクタのような玩具のようなものが数え切れないほど、ショーケースの中で自分たちの出番を待っていた。 一番近くにあるテーブルには籠やバスケットが、これまた所狭しと載せられている。それぞれ中身は、飴玉のように丸い大きな球体だった。球体はカラフルで、ビビッドカラーから、パステルカラー、透明なものまで勢揃い、といった風。 思わず、見惚れてしまっていた。 そうしてぼうっとしている内に、商品を見定めているお客さん達の間を通り抜けて、シリウスさんは私を支えながらどんどん奥へと進んでいった。 辿り着いた一番奥は、木製の大きなカウンターがあり、二人の少年が忙しく会計をしている。 優しそうな顔をした少年が、てきぱきと素早く代金を受け取りお釣りを渡し、もう一人の気の弱そうな少年はおろおろ慌てながら、少々危なっかしい手つきで品物を紙袋の中に詰めていた。 「リーマス、ピーター!」 人ごみの中、二人の少年の姿を捉えたシリウスさんが声を張り上げながら、歩を進めた。 店内は騒がしいので、そうしないと声がかき消されてしまうのでしょう。 お客も多いし、中々繁盛しているようだった。喜ばしい事です。 ……というか、今、リーマスとピーターって、仰いましたよね。 やっぱり、悪戯仕掛け人がやってるお店なんだ、ここ。まあ、予想は出来ていた。シリウスさんが仲間、と言うのだから、そりゃ、この人達以外に居ないだろう。 「シリウス! どこに行ってたんだい?」 優しそうな顔をした少年が、代金を箱にしまっている手を止め、顔を上げて言った。 品物を紙袋に詰める作業に集中していた隣の気弱そうな少年は、その声でようやく顔を上げる。 どちらも、シリウスさんに支えられている私を見て一瞬目を丸くしてきょとん、といった顔をした。ちょっと可愛かった。 「悪いな、ちょっと……」 「ちょっと、と言う割には遅かったじゃないか。お陰で僕らは休憩なしで働かされてるよ」 「あー、すぐ交代する。と、その前に、こいつを奥の部屋で休ませてやってくる。すぐ戻ってくるからよ、それまで頼む」 「何かあったのかい?」 リーマスが、眉を顰めて私の方を見る。 純粋に心配をしてくれているのでしょう。まったく知らない人なのに。いい人だ。 「俺がこいつとぶつかったから、そのせいで」 「え? や、違うんです、姿現しをして酔っただけですから、シリウスさんのせいじゃありません!」 「でもお前、しゃがみ込んでたろ。俺のせいじゃねーか」 「だから違うんですって!」 「俺のせいだろ!」 「あーもー、だーかーらー!」 「……とりあえず君達、早く奥の部屋行って来なよ」 延々とループしそうな言い合いに終止符を打ったのは、リーマスだった。 そして、彼等の仰る奥の部屋に連れられ、半ば強引に椅子に座らされている、私。 シリウスさんといえば、片っ端から棚やチェストの引き出しをがさごそ引っ掻き回している。 いささか乱暴な動作なので、ただでさえ散らかっていると言うのに、シリウスさんが探し物をする度に、辺りはどんどん足の踏み場のスペースすら無くなっていった。 その探し物というのが、私の具合を治す為の魔法薬なのだから、さっさと席を立って店を出て行く事も出来ない。 おかしいな、この辺に置いといた気がすんだけどな、などと呟きながらガラクタの山を掻き分けていくシリウスさん。 「あの、私もう本当に大丈夫ですから」 気にしないで下さい、と言うと、シリウスさんはぴたりと突然動きを止めた。 私の方に背中を向けているので、どんな表情をなさっているのかは分からないけれど、折角親切にして下さったのに、もしかしたら気分を害してしまったのでしょうか。 そう思い、謝罪の言葉を口にしようとする。 「シリウスさ、」 「あった!」 突然、彼が叫んだ。 見ると、シリウスさんの手には、細長い箱が握られていた。 所々埃をかぶっていて、黄ばんでいる。 「ずっと前になくしたと思った、ゾンコの期間限定販売の『しゃっくりキャンディ』! ここにあったのか!」 嬉しくて嬉しくて、本当にたまらない! といった顔をしてシリウスさんが叫んだ。 先程まで真剣に魔法薬を探していたのに、というかしゃっくりキャンディってなんだ。 しかも期間限定販売のレア物無くすなよ、とか、色々言いたい事はあった、けれども。 本当に、犬のような可愛らしい顔をして喜ぶから、少々顔を引きつらせつつ「よ、よかったですね」と言うのが精一杯だった。 「早速ジェームズ達に知らせないとな……あれ、俺何探してたんだっけ?」 きょとん、として首を傾げ、心底不思議そうに言うシリウスさん。 ……もはや、何も言うまい。 それから、魔法薬の事を思い出したシリウスさんの「もう少し休んでいけよ」という非常に有難い申し出をお断りし、体調は大丈夫かと心配しつつもリーマス、ピーター達は「また遊びに来て」と仰り、お土産だと言って商品を分けて下さった。 少ししか時間を共にしなかったけれども、私達は笑って別れた。まるで、古くからの友人のように。 頂いたお土産は、二つもあって、一つはあのバスケットに入っていたカラフルな球体を、硝子瓶にありったけ詰めた物。聞けば、どうやらキャンディらしい。 もう一つは、花火の詰め合わせセットだった。お得である。 硝子瓶を空に掲げ月明かりに照らしてみると、それらは宝石のように煌々と瞬く。 お土産を、巾着袋の中にそっと仕舞った。 荷物は少し重くなったけれど、心の中はとても軽くなった気がした。 とても、晴れ晴れとした、清々しい気持ち。 もしかしたら私、何でも出来るんじゃね?とかそんな事まで思ってしまう。 人混みの中を早足で歩きながら、ヴォルデモートさんの事を思い浮かべる。 今頃、どこで何をしていらっしゃるだろう。 お姉様は……あー、考えたくない。 申し訳ないという気持ちはあるけれど、仕方ない。仕方ないのです。 だって私は、誰も不幸な気持ちにさせたくはない。 少なくとも、このきらきらと輝く、深い夏の夜のもとでは。 すれ違う方々の、はじけんばかりの笑顔を目で追いながら、私はそう思った。 |