耳を疑った。
ヴォルデモートさんが老いぼれ爺と呼ぶってことは、つまり、


「ダンブルドア校長を倒しにきた、ってことですか……?」
「奴の名前を出すな。そして、倒しにきたのではない。殺しに来たのだ」


ヴォルデモートさんが、愉しそうに訂正した。


……信じられない。
そんな、嘘だ……!

ちょっと待ってよ、今何年?というか原作にこんな話は無かったし、一体、どういうことなの。
まさか私がこの世界に来たから、物語の流れが、歪んでしまったとか。

ヴォルデモートさんが、ダンブルドア校長と戦う?
そうなったら……そうなったら、ヴォルデモートさんは、一体どうなるのでしょう。


ヴォルデモートさんは強い。
帝王の名は伊達じゃない。
けれどもしも、万が一。

彼が負けてしまったら。

ううん、そんなの想像出来ないし、ましてしたくない。
でも、ダンブルドア校長だって、そんな彼と渡り合えるくらいに、もしくは勝るかもしれないくらい、強いのだ。

だから、ヴォルデモートさんが、もし、



頭が真っ白になる。


「そんな、そんなの……!」
「心配するな、name」
「し、心配するなって……」


するに決まってる。
だって、だってヴォルデモートさんが、もし、もしも負けてしまったら……!

最悪の想像をしてしまって、思わず涙がこぼれ落ちる。
それを拭う事もせずに、ただ、声を張り上げる。


「そんな、なんで、どうして今なんですか……! も、もっと、後でだって、大体、なんでこんな時に、」


ああ、だめ。
こんなんじゃ、ヴォルデモートさんを説得出来るわけが無いというのに。

上手に言葉が出てこない。
舌をかんでしまいそうになる。
いつの間にか身体が震えていた。
涙も、止まらない。

それなのに、尚も口を開こうとする私をたしなめる様に、ヴォルデモートさんの指先が瞼に触れる。


「name、」


そのままゆっくりと、未だ零れ落ちる涙を拭った。

何度も。
何度も。
それでも涙は止まらず、とうとうヴォルデモートさんが手を離した。

寂しい。
はなさないで、ほしい。


「……っ!」


顔を上げると同時に、ふわりと風を感じて、全身に温もりが広がった。

ああ、抱きしめられている、のか。
ぼんやりとそう思いながら、私もゆっくりとヴォルデモートさんの背中に手を回して、浴衣をぎゅっと握り締めた。


あたたかい。
彼も、私も、生きている。

この体温が消えてしまったら、私は、生きていけないかもしれない。
縋るようにして、ヴォルデモートさんの胸に顔を埋めた。


「今夜、奴に挑み、そして私は勝利を手にする。それは既に、決められた未来だ。私が負ける等、それこそ有り得ないだろう?」


そんな事を言われても。
絶対なんて、ある訳がないのに。


「私はルシウス達と行くが、お前はベラトリックスと共に居ろ。必ず、迷子にはなるなよ。分かったな?」


やさしい声色で、諭される。

こんな風にして抱きしめる癖に、私は置いて行くの。


「嫌、です……」


恐る恐る、声を絞り出す。
ヴォルデモートさんの浴衣を握る手に、力をこめた。


「……name」


棘のある声色で名前を呼ばれ、少しだけ怯みそうになる。
それでも。
怒られたって、呆れられたっていい。


「嫌です……っ! 私も、連れて行って下さい! ……だってっ、」


今ここで別れて、もし、二度と会う事が出来なくなってしまったら。
私は、そう選択した事を一生悔いるのだろう。
後悔をするのは、嫌だ。


「っ、私、まだまだ弱いし、あ、足手まといになっちゃうと、思います、けれど、でも!」


どうか、傍に、居させてください。

ヴォルデモートさんの、傍に。


「……」


涙で視界が歪んで、表情がよく見えないけれど、喜んでいない事は十分に分かる。
やっぱり、だめだと言われるのでしょうか。
それでも、何回だって、


「ヴォルデモートさ、っ!」


何かを言う前に、口を塞がれた。
頬を伝った涙が唇の端に行き着いて、しょっぱい味がする。

いつもなら、付き合ってもいないのにキスするなんてやめて欲しい、とか思うのに。
いつもなら、拒んでいるのに。

けれど私の気持ちとは裏腹に、呼吸が苦しくなる前に、唇は離れた。


「……ヴォルデモートさん」


ヴォルデモートさんが、浴衣の袂から杖を取り出す。
そして私の首筋にぴたりと当て、


「ポータス」


呪文が唱えられた瞬間、首の辺りに何か、硬い感触を感じた。
たしか、この呪文は。


「屋敷へ帰る為の、ポートキーだ」
「っ……!」


そんな、どうして。

涙が今まで以上に溢れて、堪らずに叫ぶ。


「いや、嫌です! 私死んでも帰りませ、」
「話を最後まで聞け」
「……っ」


ぴしゃりと睨まれ、思わず口を噤んだ。


「念の為、だ。まあ、計画通りに事が運べば使う事は無いだろうな」


そんな、不安になるような事言わないで下さい。


「そんな、そんなの、明らかにフラグじゃないですか……っ」


嫌だ。
そんなの嫌だ。


「安心しろ。これを使う事は無い。この祭りは、すべて私の手中にある。私の計画にミスなどないし、お前は何も心配する事は無い。いいな?」


燃えるような紅い瞳が、ただまっすぐに私を見つめる。
逸らしたいのに、逸らせない。
今すぐこんな事やめて、帰ってアイスでも食べましょうって、出来ることならそう言いたいのに。
ヴォルデモートさんは、ひどい。


「分かったら返事をしろ、……name」


逆らえないことを知っていて、仰るのだから。


「…………っは、い……」


私が頷くと、ヴォルデモートさんの身体が離れていった。
そっと首元に手をやると、そこには、いつかのチョーカーが巻かれていた。
たしかこれは、私がノクターン横丁にお使いに行った時の物。
ヴォルデモートさんの魔法具を壊してしまったんだっけ。
懐かしさに浸っていると、背後で姿現しをした時の、乾いた音が聞こえた。
振り返ると、いつの間にかお姉様がヴォルデモートさんに跪いている。

お姉様も、今日これからする事を、知っているのでしょう。ヴォルデモートさんと同じように、とても愉しそうな歪んだ笑みを浮かべていた。
……ヴォルデモートさんが絶対勝つって、信じていらっしゃるんだ。不安で不安で仕方ない、私と違って。きっと、他の死喰い人さんも、そうなんだろう。
私も、出来ることなら悪い想像なんて、したくないけれど。


「ベラトリックス。くれぐれも、頼んだぞ」
「仰せのままに……我が君、どうかご無事で」
「私を誰だと思っている」


どうしてそこまで自信満々になれるの。
お姉様も他の死喰い人さんも、皆、どうして、止めないの。
……ううん、違う。止められるような立場ではない事は、知っているのに。
そうしたら、ヴォルデモートさんを止めるのは、私しか、居ないのではないですか。
たった今突き放されたばかりだけれど。彼の言葉に頷いたばかりだけれど。
彼を止める事が、私にしか出来ないのであれば。
私が今するべき事は、


「name、」
「……はい?」
「屋敷へ帰る時は、私と一緒だ」


……まるで、飴と鞭。
私が一番欲しがっている言葉を、どうして、ヴォルデモートさんは。


「……わかりました」


まだ不安は残るけれど、それでも、私はその言葉が、そう仰ってくれた事が嬉しい。


「約束、ですよ」


そう言って私がわらうと、ヴォルデモートさんも、ふわりとわらった。





   



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