さあおなまえ、支度は出来たの? ブラックさんたちがいらしたから一緒に降りましょうね。きちんとご挨拶するのよ。何せあなたの未来の旦那さまになるんですからね。いいこと、あなたは大きくなったら、立派なお家に嫁ぐのよ。ママもとってもうれしいわ。女の子の幸せが約束されたようなものですもの!


「っん……」


独特の、つんとした鉄のようなにおい。
身体を長いソファに預けて、仄暗くよく見えない天井の隅をぼうっと見つめていたら、首筋に募る痛みが増した。暗闇に目を凝らして見なくたって、自分の身体に何が起きたのか分かる。
リドルが、つよく強く牙を突き立てる感触は、よく知っているの。


「は、……あ、」
「何を、考えた」


彼が私の首から顔を上げると、杭を失った傷口から血液があふれるのをなんとなく感じる。首筋を伝って流れていくそれは少しくすぐったくて、傷口はじんじん痛むのに、おかしいの。


「気になる……の?」


ゆるく首を傾げて、出来るだけ可愛らしく尋ねてみる。
彼にはこんな小手先通じないって知ってるのに、恋する乙女はそうせずにはいられない。
そしてやっぱり、彼がくれるのはやさしいキスではなくて、見惚れるくらいの綺麗な嘲笑。


「血の味が変わっただけだ」


笑みを浮かべたくちびるから私の血を滴らせながら、彼は腕を伸ばし、既に寛げていた私のシャツのボタンをもう一個外した。みどりのネクタイは、とうに外されて足元に落ちている。
私の首筋から流れてる赤い川はどんどん広がって、あと少しで下着に落ちてしまう、というところで、彼の舌がそれを舐め上げた。


「っふ、……あ、もう、くすぐったい」
「服に付くのは嫌だと駄々を捏ねたのはお前だろう」
「だって……同室の子とかに心配されちゃうの、怪我じゃないと言ったら、おなまえは病気なんじゃないかって」


言いながら、肌をくすぐる彼の黒髪にそっと手を伸ばす。
さらりとした感触は、愛猫を撫でているみたいで気持ち良い。


「その通りじゃないか。君は僕から離れられない、自分の血を呑ませる事に快感を見出す頭のおかしい病気だ」
「ずいぶんな、っ……言いようね」


彼の舌が肌に触れるたび、その熱さにびっくりしながら、彼の肩においた手に力を込める。上等な仕立ての服が皺になっても、気にしない。


「……そんな、頭のおかしい病気にかかってる人間の血を呑むほうが、よっぽど、おかしい人じゃない?」
「僕は人間じゃないからね」
「ああ、既に人でなしなのよね……痛っ」


流れる血を舐めとって居た筈の彼が、鎖骨の上に牙を喰いこませた。


「そこ、嫌い、いたい……」
「そう? お喋りを黙らせるには良いみたいだけど」
「うぅ、……」


本当に痛いからひとまず大人しくすることにして、お仕置きが終わるのを待つ。
窓の外を見ると、すっかり帳を下ろした宵闇のなかで、月が浮かんでいる。

彼と出会ったのは、私がもっと幼い……二年生の頃だっけ。
ホグワーツで過ごす日々がなんとなく退屈で、校内散策に勤しんでいた時、おかしな部屋を見つけたのがきっかけ。
不遜で口の悪い彼だけど、さすがに初対面で血を奪われることはなかった。
時間の問題だったけれど。

……こんな不気味な場所に通いつめて喜んでる私はやっぱり頭がおかしいかもしれない。

それでも今、こうして居られたらいいの。


「私の血は……美味しい?」


問いかけを無視して、彼はまた首筋に舌を這わせた。
弄ぶように舌先で湿らせてから、その場所に牙を立てられる。


「っん、……」
「は……気になるなら君も味わうといい」


そんなことどうやって、と呆けた頭で考えているうちに、綺麗な顔がすぐ近くにあった。暗闇で光る星のような赤い瞳もほんとうにきれいで、本当はそれをずっと見ていたいのだけれど、恥ずかしさに耐えられない私は瞼を閉じてしまう。

薄く開けていた私のくちびるから、さっきまで肌を這っていたものが簡単に口内に入りこむ。熱くぬめりを帯びたそれが私の舌を捕まえて絡められると、鉄のような味がした。

彼の気が済むまで自分の血を味わい終えた私は、懸命に酸素を取りもどす。


「感想は?」
「あんまり、美味しくない……」
「そう」


ひどく愉しそうに彼がわらった。
この味を、彼は美味しいと感じているのだろうか。
私は……とてもそうは思えない。

それは、私と彼の決定的な違い。


「あのね」
「……今日はお喋りだな」
「どうぞお食事しながらで聞いていいからそんな顔しないで」
「まるで僕が性急な男みたいだ。話くらい出来るよ」


やれやれというふうに彼は身体を離して、すぐ隣に足を組んで座った。
私も身体を起こして、ほんのすこし間をおいてから話しはじめる。


「私……明日卒業なの」


そしたら結婚するの。幼いころから決まっていた人なの。別に好きではないけれど。でもお家は良いところみたいだから、私、結婚したら秘密の部屋をつくるわ。誰にもないしょにして。私とあなたの、内緒にして。そしたら、


「リドル、一緒に来てくれる?」
「……へえ。なるほどね」


肘をついて私を見る彼は、のら猫みたいにわらってる。
あなたが頷いてくれるかどうかで、私はこんなに鼓動が高鳴るのに。


「悪くはない話だけど、あまりそそられないな」


心からつまらなさそうに、彼は言った。


「……どうして」


そう聞かずには居られない。


「……絶対に、誰にも知られないよう気を配るし、その自信もあるわ」


私、彼を失って、どうやってこれからを過ごして行くのだろう?
あなたが居てくれるなら、それこそ興味のない結婚だって我慢できると思ったのに。
それに彼は私を失ったら、きっとまた一人になるはず。


「老いて死ぬ君を見たくはないし、血の味だって年を追うごとに落ちる可能性がある」


彼の隣には私が、いつまでも傍に居てあげたいのに。


「……」


言葉が浮かばなくて、俯いた。
噛みあとから零れ落ちた血が服や下着を赤く染めても、もうどうでもよかった。

そんな様子の私を見ながら笑みを浮かべたままの彼は、ふいに私の顎に手を掛けて、


「でも、いい方法があるんだよ」


突然、私の耳に囁いた。


「僕と同じになろう、おなまえ。そしたら君はすべて僕のものになるし、煩わしい時間の制約なんて無くなるんだ。どうかなおなまえ、君の考えよりずっといいだろう?」


血液を失ってぼうっとする頭で、必死に彼の言葉を理解する。

彼と生きていく。
それは人でなくなる、ということ。


「でも、そうしたら……私の周りはどうなるの? 家族に迷惑がかかるわ」
「なぜ?」
「うちの家族は皆、私が結婚するのを楽しみにしていて、とくにママなんて……相手の方にも失礼だし、それに……」


顔を逸らして、服を抑えながら立ち上がろうとした時、


「っあ……!?」


彼に肩を押された私は、簡単にソファへと逆戻り。


「リドル、なに……痛っ」


鎖骨の上をつよく噛まれ、あまりの痛みに涙が滲む。
肌をすべる黒髪のあいだから、赤く光る瞳が細められているのが見えた。

痛がる声をあげても私のことなんてお構いなしのようで、傷口に舌が這わせられて吸い上げられると、指先が震えた。
彼の肩に手を置いて逃げようとすると、そこを舐めながら彼が低くわらう。


「やだ、」
「無理に押し退けたら、傷口が広がって……もっと痛いだろうね? おなまえ」
「ん、……っ!」
「ふ……いい子、だね」


言う通りにして抵抗をやめると、嬉しそうに髪を撫でられる。


「は、あっ……」
「まだ終わりじゃないよ。これからだ、おなまえ」


胸元の、心臓が脈打つあたりを撫でながら、謳うように口ずさむ。


「おなまえ」


滲んでいた涙が、瞬きの瞬間にぽろ、と零れて頬を伝う。彼は嬉々として、いつも血を舐める時そうするように、ゆっくりそれを舐めとった。


「変わった味だ。血とは違うけど、これも悪くない」


身体が、胸が、心が熱く、疼くように、痛くて、


「い、たい……っ」
「泣いた顔も堪らないね。とても美味しそうだ」


もう、どこをどうやって噛まれたかさえわからずに、それでも身体から相当の血が流れでていることだけ、血の足りない頭で実感しながら、それを飲み干す際に動く喉や啜る音ばかりに、思考は溶かされる。


「君が生まれ変わって目覚めた時に、血の味が変わらないことだけ祈ってるよ」


きっとこの世で一番きれいな真紅の瞳が笑んでいるのを見つめながら、血に染まる私は思いだす。
出会った時からずっと、彼と言う生き物のうつくしさに、囚われていたこと。
 



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