シーツのさらりとした心地よさに寝返りを打つ。窓から注がれる淡い陽光がとても優しくて、再び眠気に襲われる。このまま二度寝も悪くない。

瞼を閉じるとあの夜のことが鮮明に思い浮かんだ。寒くて暖かくて、深く降り積もった雪が美しかった夜。仄かな蝋燭と雪の明るさに照らされながら過ごした。
いつもみたいに軽口を叩いて、甘ったるいプディングを食べていた彼の無愛想な横顔を思い出すと、今なお嬉しくてたまらない。

唐突に渡された思いがけないプレゼント。
でも、一体どういう意図があって、ヴォルデモートさんは私にこれを下さったのだろう。
それとも、深い意味なんて一切なかったのでしょうか。私が考えすぎているだけで。

……まったく我ながら馬鹿みたいだ。こうしてグルグルのた打ち回っても結局答えなんて見つからないのに。

あ、プレゼントといえば。
ドレッサーの引き出しの奥に仕舞った、センスのいいクリスマスカードの存在を思い出す。
クリスマスの寒い朝、やたら毛並の整った一羽の梟が持ってきたそれ。
差出人は、なんとなく察しがついていた。多分、あのイニシャルが無くても。
彼が私に何をしたいのか、そして受け取った私は何をすればいいのだろう。いいや、きっと現状維持が最善の選択なのだと思う。けれどどうしても、気がかりで仕方ない。


「私は何も送らなかったのにな……」


というより、意図的に思い出さないように過ごしていた。
時たま頭の隅を掠めるたびに、後悔の念を抱く。あの時私は彼に何がしてあげたのだろう。

無意識の溜め息を吐くと同時に、規則正しいノックの音が聞こえた。
イエスともノーとも言わないうちに、カチャリと扉が開く。その行為で、目を向けずともなんとなく誰だか分かった。ノックは必ずするくせに、返事は待って下さらないのだからまったくもう配慮しているんだかしてないんだか。


「……まったくお前は、だらしのない」

未だナイトウエアのままでベッドに居る私を見て、顔を顰めたヴォルデモートさんがおっしゃった。身体を起こして乱れた髪を手で撫でつける。


「今日はお休みの日なのですよ。ゆっくりしてたっていいじゃないですかー」


仕方なく体を起こし、ぐっと腕を伸ばした。ぽき、と小さく骨の音が鳴る。体が鈍っているようだ。少しくらい運動でもした方がいいかもしれない、と思いつつ十中八九やらないお年頃。


「お前はいつも休日だろう、怠け者め
「……む」


痛いところを突かれ閉口する。怠け者、と言われてしまうと何も言えない。実質そうですし。

でもヴォルデモートさんだって結構なアウトローですよ、と言いそうになって口をつぐんだ。口は災いの元なのだと、ここに来てから何度も痛感している。酷いときはクルーシオとか飛んでくるからタチが悪い。きちんと外して下さるけれどそれもギリギリだし、命の危険を感じずにはいられない。自業自得だけれど。なぜ日常生活で命のやりとりをしなければならないのですか。

そしてマイペースな私に業を煮やしたのか、ヴォルデモートさんはクローゼットを開いて勝手に私の上着やらシャツやらを選んでいった。
ぽいぽい私の顔面目がけて投げつけながら、衣服を一通り揃え終えたところで振り返る。


「着替えを済ませて私の部屋に来い」
「はーい……あ、ヴォルデモートさん」


のそのそとベッドを降りて、手の平の指輪を見せて首を傾げる。


「これって、どこにつけたらいいんでしょう?」


辺りの空気が一瞬で静まった気がした。
黙り込むヴォルデモートさんに首を傾げる。素朴な疑問をぶつけただけなのだけれど。
暫くして、すっと赤い目を光らせ細めた。彼の表情が読み取り辛いのは慣れているけれど、いつも以上にその思惑が読めず、私はただ黙って口を開いてくださるのを待つ。

……あれ、待って。
これってちょっと……かなり、なんと言いますか際どい質問なのではないでしょうか。

「伸縮自在の魔法をかけてある。好きにしろ」
「えっ、あ、はい……ありがとう、御座います……」

予想していなかった無頓着な返答をかえされて、逆にこっちがしどろもどろになってしまう。
そんな魔法があるんですか、とか、そんな事言われても、とか。口を開いては声にならずに消えてゆく言葉たち。ヴォルデモートさんが部屋から出ていく音を聞きながら、呆然と指輪を見つめた。好きにしろ、とかおっしゃられても困る。
伸縮自在。ということはつまり、私が指に嵌める事を見越してこれを与えたのでしょうか。だとしたらその期待……か何かに応えて堂々と指につけるべきなのでしょうか、これは。


「どうしよう……」


深い溜め息をついて、とりあえず着替えようと釦に手をかける。ヴォルデモートさんを待たせると、後が怖いもの。





ヴォルデモートさんの言う通りに身支度を済ませて来ると、そこには白い湯気を立ち上らせる朝食が待っていた。
わくわくしながら席に座り、恒例である『頂きます』の儀式をした。最初は不信がられたこの行為も、今ではヴォルデモートさんも慣れきったようで華麗にスルーしている。
ていうか、相変わらず豪華な朝餉。朝はあまりお腹が空かない日もあるけれど、美味しそうな食べ物を見ると、途端に食欲が沸いてくるのは不思議だ。
薄く切られたかりかりのバゲットと、ほかほかのかぼちゃスープを交互に楽しむと、身体がどんどん温まっていく。ヴォルデモートさんが杖を一振りして用意する料理は、どれも出来たてで美味しいことこの上無い。便利な魔法だし、近いうちにコツを聞いて私も練習してみよう、かな。


「あ、これも美味しい。いつもながら、見事なお手並みですねヴォルデモートさん」


えへん。わざと偉そうにして指先についたベリージャムを舐めると、行儀が悪いとのお叱りが飛んでくる。今のは私に非があるけれど、食事中に睨まないでくださいめちゃめちゃ怖い。

朝食を終えた後、共に食後のティータイムを存分に堪能する。
紅茶に砂糖を落としてかき混ぜながら、無意識に口元が笑ってしまっている。なんだか心地いい。
ヴォルデモートさんもこの時間は嫌いじゃないらしく、脚を組んで私よりずっと優雅に過ごしている。その右手には紅茶と、左手には日刊預言者新聞。
未だに違和感を覚えずにはいられない、動画みたいな写真をじっと盗み見る。載っている事柄はたいがい私には関係のない時事なのだけれど、なかなか面白い。視線を移すと、上のほうの記事の見出しに『例のあの人』の文字を見つけ、ごく自然な動作で私は目を逸らした。何も見なかった。何も。

静かに紅茶を楽しみながら、ヴォルデモートさんに強請って出して頂いたパウンドケーキを口に運ぶ。一口サイズで食べやすく、しっとりとした生地のそれはチョコレート味で、口に運ぶ際にふわっと一瞬香る。品の良いこげ茶色の見た目もさることながら、味も申し分なかった。紅茶によく合う甘さだ。
夢中で頂いていると、いつの間にか残りは一つだけになっていた。それに手を伸ばしかけて、躊躇う。
そういえば、ヴォルデモートさんは一つも食べていない。というより、今まで何度もお茶をしたけれど、パイやらマカロンやらリクエストしては私だけが食べてしまっている気がする。口に出したことはないけれど、ヴォルデモートさんだって食べたいかもしれないのに。いやでもそれなら普通にとって食べるかも。

悩んだ末に、お皿をかかえて立った。所在無げに一つだけ残ったケーキを見て、もっと早く気づけばよかったと後悔しながら。

「あの、ヴォルデモートさん」

これ一つ、いかがですか。
そう笑ってパウンドケーキを差し出すと、彼はちらりと横目でそれを見る。


「お前が食べればいいだろう」
「えー、でももうたくさん食べちゃいましたから。それに」


ひとり占めするには惜しくなる程の美味しさだったのです。


「ね、一口だけでも」


パウンドケーキを指先で優しくつまみ、ヴォルデモートさんの口元に持っていってみた。それを冷やかに見つめるだけの彼に、少々強引過ぎたかなと後悔する。手を引っ込めようかと悩んだ時。ぱく、と形のいい唇がケーキを食んだ。そのままもきゅもきゅと咀嚼し、何事もなかったかのように紅茶で喉を潤してから、新聞の字を追い始める。
まさかこれ程あっさり食べて下さると思わなかった。


「……えっと、美味しいですか?」
「まあまあだ」
「そ、そうですか……それは何よりで」


自分でやっておいて言うのも何だけれど、なにこれすごく恥ずかしい。
今更ながらに火照る顔を、下を向いて隠した。

紅茶のお代わりを二つのティーカップに注いで椅子に座り直す。時間が経っても淹れたてであり続けるそれに口をすぼめて息を吹きかけると、琥珀色はゆらゆら揺れた。
一口飲んで、心を落ち着けてから改まって言う。


「あの……」
「何だ」
「指輪、大切にしますね。ずっと……多分、向こうの世界に戻っても」


そう何気なく笑うと、ヴォルデモートさんがぴくりと小さく体を揺らした、気がした。何かまずい事を言っただろうか。まあ、いいや。きっと寒かったのだろう、もういい歳ですし。
紅茶に映った自分の顔を見てみると、ずいぶんと髪が伸びていることに気が付く。一房つまんでまじまじと見つめる。この世界に来てからかなり、月日が経っている。今までわりと楽観的にいったいいつどうやって帰るのだろう。
もしも、このまま帰れなかったら。

その考えが頭を掠めた途端、背筋がいっきに冷えるのを感じて息を呑んだ。
ううん、きっと大丈夫。根拠はないけれど恐らく……何とかなる。何とか。


「きっと心配かけちゃっているんだろうなあ……」


溜め息を吐くようにしてぽつりと呟いた。
月並な言葉だけれど、何の変哲もない日常がどんなに幸福なものかとしみじみ思う。
甘美なまでに自堕落で、それでいて縛られないこの生活もわりと気に入っている。時折怖くなることは別として。


「果たしてお前のような馬鹿をどれほどの者が覚えているだろうな」


私の独り言を耳にしていたヴォルデモートさんが、吐き捨てるような意地の悪い嘲笑をした。
失礼極まりない発言にむっと顔を顰め、自信満々に言い返す。


「い、居ますよ、たくさん。……や、それなりに」


たくさん、はちょっと誇張したかもしれない。けれど人並みには居るはずだ。でないと悲しい。


「一体なぜそこまで言い切れるか理解に苦しむな。人の情ほど不明確で脆いものはない」
「……それは」


確かに、そうかもしれないけれど、でも。
うまい反論が見当たらず言いよどむ私を彼はせせら笑った。徹底的に私を馬鹿にした、見下した目で。
それに。ちょっとした言い合いや軽い口げんかは、今まで数えきれないほどしてきた、しかし。


「……なんですか。今日はやけに突っかかってきますね」


ぴりぴりとした空気が肌を刺すのを感じながら、声を絞り出した。
膝に置いた手を、まるで感情のやり場を探すようにぎゅっと握りしめる。爪が食い込んで少し痛かった。

ヴォルデモートさんのおっしゃりたい事は、よく分かるし、それを否定する気もない。私自身一理あると思っているから。移ろいやすくて脆い、そんなの私だって知っているつもりだ。
私がのんきに構えすぎているのかもしれない。

しかし、多くの場合簡単に崩れるものではあるけれど、そうでない時も確かにあると思う……のに。そう、伝えたいのに。
どうせこの人は、一蹴するだけで聞く耳をもたないに決まっている。きっと私が何を言ったって徒労に終わるのだ。

ぎゅっと固く唇を結んでうなだれた。それでも彼は容赦なく追い打ちをかけるのだ、鋭く尖った刃物のような言葉を私に突き刺そうとして。


「お前の唱えるそれがどれほど愚かな考えか、」
「やめて、下さいっ……」


遮った声は、しんとしたこの部屋ではっきりと響いた。これ以上耐えられない。

「……もう、聞きたくないです」

余計な捨て台詞を思いつかないうちに乱暴に席を立つ。一瞬だけ、ヴォルデモートさんを睨みつけた。今の私は彼の赤い瞳にどう映っているだろうか、なんて大体想像がついた。きっとひどい顔。眉間に皺を寄せて今にも泣きそうで、みっともない。
ぱっと顔をそらして、足が震えそうになっているのを気づかれないようにして部屋を出た。荒々しく開けた時に木製の扉が悲鳴を上げても、気にも留めずに。
こういうのはたぶん立ち止まったら負けなのだ。
わざとやかましく靴音をたてて歩きながら、熱いものが胸の内からこみ上げてくる。唇を噛んで耐えようとするけれど、そろそろ強がりも限界かもしれない。

意地を張らないで今のうちに謝っておいた方がいい、と頭の中で声がした。
しかしすぐに心がそれを否定する。謝ることなんて無いのだ、私は自身の意見を主張しただけで彼のように押し付けた訳じゃない。


「ヴォルデモートさんが……あんなこと、おっしゃるから」


だから私は悪くないと、自身に言い聞かせる。
けれど、胸の内が晴れる事はなかった。

 


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