音一つ聞こえない、沈んだ朝。
カーテンで遮らずとも、空いっぱいに広がる雲のせいで、この部屋には少しの光も入ってこない。
そういうわけで、ベッドの中の少女も、未だぐっすりと眠っているまま。

コツ、コツ。

いつの間にか入り込んできた、黒い男が靴音を響かせベッドに近づいた。
切れ長の、ルビー色をした瞳。すっと通った鼻筋と、形の良い唇。からすの濡れ羽色のような髪が、男が動く旅に優雅に揺れている。
見る者すべてを虜にする、確かな美丈夫。
しかしそんな男の足元には、いささか不似合いな一匹の大蛇。
ベッドの中の少女を捉え、可愛らしくちろりと赤い舌を出した。


「ナギニ、腹が減ったのか」


どこか愉しんでいるような低い声が響き、それに答えるように蛇が短く鳴き声をあげた。
その蛇は男の腕を伝い、しゅるしゅるとベッドに横たわる少女の首へ巻きついた。
息苦しさを感じたのか、寝返りを打とうと微かにもがくが、蛇が邪魔をしてどうにも身動きがとれずにいる。

「……ん、」

予期せぬ睡眠妨害に顔を顰めながら、少女はやっとのことで瞼を開き、とうとう見てしまった。
そうして真っ先に目に飛び込んでくるものは、目と鼻の先の距離で大口を開ける、大蛇を。


「ひ……いやああああああああっ!」


朝一番、静寂を切り裂くような金切り声がこだました。






ヴォルデモートさんがうるさそうに顔を顰め、飛び起きた私を睨む。

「まったく、朝から騒々しい奴だ」

その間にも、首元にいらっしゃる蛇さんは元気に私の首をシメようとしている。

「ちょ、待って、え、本物? 魔法? 本物? うわあああああのヴォルデモートさん助けて! 眺めてないで助けてえええ!」
「……チッ」

あれっ今の舌打ち?あれ?何で?

「ナギニ」

ヴォルデモートさんが少し声をかけると、蛇さんはぴたりと動きを止め、ゆっくりと離れていった。
少し離れているだけでもうご主人様が恋しいのか、真っ直ぐヴォルデモートさんの所へ戻っていく。あの、残念そうに振り向いて舌出すのやめてください。
慌てて布団を引き寄せ盾にしながら後ずさり、出来るだけ距離をとる。


「って、あれ……今、ナギニって仰いました?」


どこかで聞いた事あるお名前です。


「ああ。……今日から下僕として飼う」
「は?」


混乱する私を横目に、下僕という単語に相槌を打つかのように大蛇がひと鳴き。こいつら以心伝心してんの?
ていうか何でそんなに仲いいの?
呆然と目を丸くしている私に、ヴォルデモートさんはにやりと悪い笑みを返した。

「ペットが欲しいと言っていただろう?」
「……あ」

つい先日の、他愛の無い会話を思い出す。
そういえば、そんな事を言ったような……。
けれど、私は決して蛇を飼いたい等と零した覚えは無い。
どうせ飼うならもっと、こう、見ているだけで癒されるようなゆるふわな動物がいい!とか言ったはず。

や、蛇をディスってる訳じゃなくてですね、ほら、癒し系とはちょっと違うかなって、だから、


「元の場所に戻してきなさい!」
「死ね」
「ごめんなさい」


これ以上ないくらい鋭く睨まれるのと、地を這うような低い声のタッグにあえなく敗北。
ふん、と満足そうに(そして偉そうに)勝ち誇った笑みで、ヴォルデモートさんは足元に居た腕に蛇を巻きつけた。
蛇の表情なんて分からないけれど、どこか嬉しそうにシャーシャーと鳴きながら、大人しく頭を撫でられている。
……何なんですかこの違い?私の事は絞め殺そうとしたのに……。


「えーと……それで一体何の御用ですか? こんなに朝早くから……」
「お前が遅いのだ。正常な人間は既に活動している時間帯だ」
「えっヴォルデモートさんが正常な人間がどうとか語っちゃうんですか? それちょっと説得力に欠け……いえなんでも無いです、すみません」


再度ぎろりと睨まれ、慌てて謝罪する。
すると、蛇さんまで私に威嚇し始めた。

……だから何でこいつらこんなに仲良しなの?何なのもう結婚しなよ。


「私は出掛ける。お前は精々ナギニに遊ばれていろ」


そう言い放ち、ヴォルデモートさんはお菓子や本で散らかったテーブルへと近づいた。
あっという間に杖を取り出し、

「エバネスコ」

すごーいあっという間にお菓子が消え……って、ちょっと!

「ひ、ひどい……」

そう愚痴ってみても後の祭り。テーブルにはキャンディ一つ、ガム一つ残されていない。しかも、ご丁寧に本だけは無事である。
最愛のお菓子達との別れを悲しんでいる私を尻目に、ヴォルデモートさんが杖を振ると、まるで吸い込まれていくかのように本は綺麗な曲線を描き、本棚へ直された。ブラボー。
そしてまたまた杖を振り、なにやら呪文を唱えた。

途端、ぱっと、テーブルにはクロスが敷かれ、パンの入ったバスケットやらジャム瓶やらスープにサラダ……豪華な朝食が用意される。


「わあ……美味しそうです!」

思わずベッドから這い出し、ヴォルデモートさんの隣に近寄ろうと足を踏み出すと、

「シャー!」
「わっ!」

蛇……ナギニちゃんが飛び出してきて、慌てて飛び退く。

「な、何で……?」

どうやら、ものすごく嫌われているらしい事に、少なからずショックを受ける。
……なんだか最近こんなのばっかり……人にも蛇にも嫌われるって……。
そう心の中で呟いた時、頭の隅に、とあるプラチナブロンドの貴族がちらりと顔を出した。
あまり思い出したくない、人物。


「あっ! ていうかさっき、ナギニちゃんに遊ばれろとか仰いました!? 普通逆ですよ!」

私が遊んであげる、又は面倒を見るほうです!

「どうだかな」

むっとして、小馬鹿にしたような目つきのヴォルデモートさんを睨んだ。

「……いつお帰りになるんですか」
「夜には終わる」

また、マグル狩りとかかな。


「……いってらっしゃい。早く帰って来て下さいね」


待ってますから。
静かに言うと、ヴォルデモートさんは驚きつつ、なぜか怪訝そうな顔をした。


「どうかしましたか?」
「………………いや、」


首を傾げ問うと、もごもごと口を閉じては開きかけ、また閉じて……と、ますます挙動不審になる。
終いには、まるで苦虫を噛んだかのような顔をして黙り込んでしまった。

……明らかに、様子がおかしい。
何か悪い物でも食べて……ま、まさか病気とか?
でもヴォルデモートさんに限って……そんな事……や、でもヴォルデモートさんも一応人間だし、風邪をひいたり熱を出したりする……んでしょうか……?

「ちょ、ちょっと失礼します!」

うんと背伸びをして、片手をヴォルデモートさんの頭まで持っていく。
あまり他人に触れられるのは嫌だろうから、指先だけをその額に滑らせ……、私はまた首を傾げた。


「あれ? 常温ですね……おかしいな、」
「……fist name」
「はい?」
「何の真似だ」

あ、やばい怒ってらっしゃる。

「だ、だって……何だか様子がいつもと違うみたいでしたから、熱でもあるのかな、って思って……」
「この私が病などにかかる訳が無いだろう」


言われて納得。
確かにそうかも。だって殺してもしぶとく生きてそうなヴォルデモートさんが病気になったりしたら、何かもうそれこそ世界の終わりだよね。不吉すぎます縁起でもないです。
でも、

「じゃあどうして、様子が変なんですか」

素朴な疑問を口にすると、ヴォルデモートさんはまた苦々しげに顔を顰めた。
私は彼を何も言わずに見つめると、やがて意を決したように口を開き、


行ってくる。


顔を背けながら、少々ぎこちなく、しかしそれでもしっかりと、ヴォルデモートさんが小さく呟いたのが聞こえた。

「え……、」


そ、それだけ?
まさか……具合が悪いとかじゃなくって、慣れていないから、なかなか言えなかっただけ、とか?


「……あはっ」

何だか可笑しくなって、ついつい笑い声を零す。
突然笑いだした私を、不機嫌そうにヴォルデモートさんが見ている。
そんなヴォルデモートさんが、なんだか少し可愛いというか、愛しく思えるような……、

その時、


「シャアッ!」


ナギニちゃんが、私に向かってなぜか、再度威嚇を開始する。
ヴォルデモートさんと私の間に割って入るようにしてその身体を揺らし、私を睨みつけてくるナギニちゃん。

……ああ、ようやく気づきました。
この、私と彼女の間に流れる、微妙にぴりぴりとしたもの、これって何て言うんでしたっけ、えーと。
あ、そうだ。

修羅場。


「……えっと……お気をつけて下さい」
「……ああ」


私の言葉に頷き、ヴォルデモートさんは姿くらましをしてこの場から消える。

そして、部屋に残されたのは、私と、


「そんなに睨まないで頂きたいですねー……な、ナギニちゃん?」


彼女の名前を口にすると、呼ぶな、とばかりに低く唸る、戦闘態勢に入ったばかりの大きな蛇さん。
じゃあどう呼べって仰るんだろう……や、とにもかくにも、このままじゃあ今にも咬みつかれそうだ。とりあえず避難した方がいい気がする。
努めて冷静に、言葉を選びながら後退する。


「……ま、まあ、仲良くやりましょう? 一応、同性同士ですし……あ、メスでしたよね?」


間違えてしまったらいけないと思い何気なく尋ねると、彼女の眼つきが更に鋭く光った気がした。どうやらわりとピンチな私。
とりあえず防御手段として杖を準備しておこう。
しかし!
ポケットを探ると、何にも入っていなかった。
ああそうだ、ベッドサイドのテーブルに置いたままだ。ポケットに入れたままだと折ってしまいそうなのが怖くて、昨夜そうしたんだった。何てこと……!


ごくり、生唾を飲んだ。
ナギニちゃんは真っ直ぐに私を見据えたまま、行動を起こさずに居る。
何を考えているのか全く分からない、獲物に一直線!な瞳は、既にこの場には居ない彼女のご主人様にそっくりだ。

「……」

そのまま静かに見つめ合う事、少し。

変わらない状況に飽きたのか、彼女はぷいっと踵を返して、扉を頭で押し開け、振り返りもせずに至極淑やかに部屋を出て行った。

ひとまず、命の危険は免れたらしい。

安堵の息を吐き出して、ぐったりソファーに倒れこむ。
目を覚まして早々、どうして命の危機に遭遇しなければならないのか。どういうことなの?
ああそっか、ここがヴォルデモートさんの居城だからですか。あーあ。
でも、私は少なからず好きでここに居るし、他に行く当ても無いから、文句は言えない。居候の身は辛い。
というか、


「……行ってくる、って……」

クッションを抱きながら、思わずふふっと笑みがこぼれる。

なんだか、ヴォルデモートさんらしい言い方だ。
偉そうで、上から目線で、態度無駄に大きくて。
でも、そんな彼との会話を、私は結構楽しんでいるのだけれど。
きっと、慣れてしまったから、なんだろうな。
以前は、少しばかり腹が立ったりもしたけれど。

「住めば都、ですね……」

人間の環境適応能力は、甘く見たらいけないみたいです。
頑張ったらサバンナでもやっていけるんじゃ……や、ちょっと見栄張りすぎた。さすがに無理。

「友達とか、元気かな……」

や、元気だろうなー。絶対元気でやってる。賭けてもいい。だって私も元気だし。
ていうか、私、向こうで行方不明扱いになってたりするんでしょうか。わりと気になるところ。
もしそうだったら、向こうに帰った時おまわりさんに色々聞かれたりしちゃうんですか。なんて面倒くさいの。

それに、帰ったら勉強の遅れも取り戻さなきゃいけないし。
……ただでさえついて行くのがやっとなのに、これ以上…………考えるのやめた。
こういう元の世界での煩わしい事を考えると、時折、もう少しこっちに居てもいいかな、とか少し考えてしまったり。
や、いずれはきちんと、帰るつもり、だけれどね。現実逃避したくなるといいますか。
ああそれに、

「心配も、かけてますよね……」

色んな人に。
皆にも会いたいし、やっぱり、出来るだけ、早めに帰らなくちゃいけないなあ……。


「……さて、ご飯、食べよう!」


色々考えたから、お腹が空いた。

放置していたせいで、すっかり冷めきった紅茶を頂きながら思う。
きっと、ヴォルデモートさんが魔法で用意してくれたこの豪華な朝食も、おばさんが手間暇かけて作った平凡な家庭料理にはかなわないんだろうな。

ていうかそろそろお米が食べたい。
日本人の性、ですね。


 


[main] [TOP]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -