今日も例によって暇なので、青空の下、優雅に散歩などしていた。
イギリスの空が青く澄む事は、この季節だと珍しい。
日照時間は短いし、肌寒くなるにつれて霧が出やすくなるため、こういった天気の良い日には外出しないと非常にもったいないのである。

冷えないようにと羽織ってきたカーディガンの裾を揺らしながら、さくさくと草を踏み歩く。
ここらへんで可憐な花の一つでも咲いていれば良かったのだけれど、あいにく雑草ばかり元気に育っている。
けれどこんな辺鄙な場所にあるお屋敷の寂れた庭を、わざわざ手入れしようとする人など居る筈もなく。


「せっかくこんなに広いんだから、魔法の一つや二つかけて、綺麗にすればいいのに」


そう一人ごちてみて、すぐさま自分でやればいいのだと気がつく。
しっかりとポケットに忍ばせておいた杖を取り出し……たけれど、やめた。

肝心の呪文を知らない。
まして、どんな魔法をかければいいのかすらも分からない。

仕方ない、今度ヴォルデモートさんに頼んでみよう。
二十分くらいごねれば、きっと折れてくれるはず。
機嫌がいい時を狙えば……五分もかからない、かな。

そんなことを企みながら、歩を進める。
迷子にならない程度に、めちゃくちゃに歩いていたら、正面玄関が見えてきた。
どうやらお屋敷の周りを一周したらしい。
一見ちょっと地獄の門っぽい、ごてごてしたデザインの大きな扉に手を添えて力を込めようとした、時。

急に、扉が目の前まで迫ってくる。
反射的に目蓋を閉じた。
そしてゴン、という鈍い音と共に、額に硬い感触。


「いたた……な、なに!」

額に手をやりながら涙目で見上げる。

長く伸ばされたプラチナブロンドの髪。不健康な白すぎる肌は、不審者丸出しな黒いローブに包まれている。
そして二対のアイスブルーの瞳が、私を見下ろしていた。

「あ、ルシウスさん……」

彼は一瞬、驚いたように目を丸くし、次の瞬間にはすっと目を細め、冷めた表情に変わった。
私が挨拶をしようと口を開く前に、ルシウスさんは無言で横に退き、人ひとり通れる程度に扉を開けて、招き入れる仕草をした。

紳士的でスマートな気遣いは、さすがイギリス人と言おうか。
あと、この人の育ちが良いから、もありますけれど。

「あ、ありがとう御座います」

小さく会釈をして、中に入る。

まだ外よりは暖かいけれど、人気の無い雰囲気のせいか、寒々しい。
肩をぶるりと震わせて、身体を縮こまらせる。

もう、すぐに冬が来るんだ。
季節ってこんなに早かったっけ。
少しばかり郷愁に浸りつつ、振り返る。


「あ、そうだルシウスさん、って、あれ、」

彼の姿がどこにも見当たらない。
気づけば扉は閉められて、玄関ホールには私一人。響く声がむなしさを増させる。
もしやと思い扉を開けると、背を向けて早足で門へ向かっているルシウスさんの後姿が見えた。

「ちょ、ル、ルシウスさん!」

声を大きく跳ね上げてみるも、彼は振り向く事はおろか、立ち止まりもしない。
まだこの距離なら、私の声はちゃんと聞こえている筈なのに。
堂々と無視するとは、やってくれるじゃないですか!

衝動に任せ、勢いよく走り出す。
向こうは早足といえども歩いているので、距離はすぐに縮まり、追いついた。
けれど、彼は正面を見据えたまま、まるで私が見えていないかのように歩き続ける。
どうやら、徹底的に無視するつもりらしい。
それならこっちだってしつこくしてやる。


ちょっとルシウスさん、ルシウスさんてばっ」

名前を叫んでみるけれど、華麗にスルーされる。
スルースキル高いなルシウスさん。侮れない。
こうなったら奥の手……!


「……と、止まらないと、ヴォルデモートさんに告げ口しちゃいますよ!」


一段と大きな声で叫ぶと、ようやく彼は足を止めた。
……今度から何かあったらヴォルデモートさんの名前使おう。すごく便利。


「何かご用がおありで?」

素っ気無く返された冷ややかな声に顔をしかめる。

「何かじゃないです、もう、なんで無視するんですか!」


いつになく彼の機嫌が悪いらしい事に気づかないふりをして、いつも通りに話しかけた。
けれど、何の返事も返ってこない。
変、なの。

嫌味の一つや二つくらい、いつもなら、


「……まあ、いいですけれど。えっと、今度、一緒にお茶しませんか。あ、ベラさんも誘おうと思ってるんです、ほら、やっぱり人数は多いほうが楽しいですからね! でも、ルシウスさん、最近お忙しいみたいだから予定を、きいておこうとおもって、」


壊れたロボットのように喋りまくりながら、だんだんと舌がもつれていくのが分かる。
ここまで話しかけているのに、彼は一向にこちらを見ない。
ハイパー気まずい雰囲気をひしひしと身体全体で感じとりながら、それでも言葉を紡ぐ。


「そうだ、よかったら、なんですけれど、お茶菓子はルシウスさんに準備して欲しいなって、だって、前にルシウスさんの持ってきてくれたお菓子、全部おいしかったんです! ケーキとか、クッキーとか、パイとかも、あ、あとお茶は何にします? ルシウスさんの好きなお茶ってたしか、……っ!」


口内に鋭い痛みが走った。
喋りすぎて、舌を噛んでしまったらしい。
うっすらと血の味が、口内に拡がっていく。

痛みのせいで目にかすかに涙を滲ませながら、ルシウスさんを見上げる。
綺麗で冷たい瞳が、体温の感じられない表情で私を見下ろしていた。
その、宝石のような澄んだ瞳に浮かぶのは、哀れみと蔑みを混ぜたような色。


「いい加減にして下さいますか」


鋭い棘を含んだ氷のような声色。


「、え……」


先程言葉を使いつくしてしまったようで、唇からは、間抜けな声しか出てこない。
そんな私を、ルシウスさんは無表情で見下ろしている。


「穢れた血である貴方のお遊びに、一体誰が付き合うというのですか? それも、つい先日まで一端のマグルでしかなかった貴方に」


穢れた血。
久しぶりに耳にしたその言葉に、額に皺を寄せた。

それと同時に、私はようやく理解する。
今この場に居るのは、ルシウスさんと私ではなく。

純血の者と、そうでない者。


「……どうして、そんな……」

やっとの思いでしぼり出した声は震えていて、情けないものだった。
私はこの人に、何を言えばいいのか分からない。
言葉にできない代わりに、なぜ、と疑問をこめて彼の瞳を見つめる。


「私は、常々うんざりしていたのだと言っているのですよ。もっとも貴方は、そんな事すら考えが及ばないのでしょうが」


これだから私はマグルが嫌いなのです。


身体がさっと冷え、手足が小さく震え、涙が出そうになる。
ああでも、この人の前で、ましてこの状況で泣くことなんて出来ない。我慢を、しなくちゃ。

そう頭に何度も言い聞かせるけれど、身体は正直なのか涙腺が緩み、視界が滲んでくる。その事を知られたくなくて、私は俯いて足元を見つめた。


「では、私は失礼します」


もう話は終わりだとでも言うように、彼はさっさと背を向け、至極優雅な足取りで歩き出した。
彼が絶対に振り向かない事を分かっている私は、目に涙を滲ませたままで、少しずつ小さくなっていく後姿を見つめる。


待って下さい、どうしていきなりそんなことを。

そう、声をかけられたなら。
彼と私の間にある距離は縮まるのだろうか、いいえ、きっともうそんな事ありえない。

ふと、彼とお茶の時間を共にしたことを思い出す。
高級なティーセットも、甘いお菓子も、希少なお茶も要らないのに。

彼の姿が見えなくなって少ししてから、私は静かにお屋敷の中に戻った。
扉の隙間から空の色を伺うと、あんなに晴れていたというのに、太陽は雲に隠れて見えなくなっていた。






「何かあったのか」

声をかけられて、びくりと身体が反応する。
目を丸くしながらヴォルデモートさんのほうに顔を向けると、先程まで本を読んでいたのに、いつの間にか目の前に座り私をじっと見ていた。


「……え?」
「明らかに、様子がおかしいだろう」


訝しげな視線をよこし、彼は服の内ポケットから杖を取り出して、私に向けて何やら呪文を唱えた。
何をしたのだろうと首を傾げ、ようやく気づく。

「あ……」

きちんとティーカップを持っていなかったせいで、傾いたカップから紅茶が零れ服を濡らしていたらしい。
慌ててカップを持ち直し、とりあえずソーサーの上に置いた。

けれど、せっかくヴォルデモートさんに頂いた、綺麗な服を汚してしまった。
どうしようかと顔をしかめていると、先程彼がかけた魔法の効果なのか、紅茶の染みは少しずつ薄まっていく。
あっという間に、綺麗に消えて無くなった。


「子供か、お前は」
「う……すみません」


ヴォルデモートさんが杖でティーカップを二回叩くと、カップの底から新しく紅茶が沸きだす。
同時に、ゆらゆらと湯気が立ち上り、甘い香りが部屋に充満した。
この色と香りは多分、アッサムのミルクティーだ。
ヴォルデモートさんや他の人とお茶の時間を共にしていくうちに、段々とわかるようになってきた。

ああ、お茶といえば、


「……」


今日の事を思い出し、物悲しい気持ちになる。


『穢れた血である貴方のお遊びに、一体誰が付き合うというのですか? それも、つい先日まで一端のマグルでしかなかった貴方に』


以前から、ずっとそう思っていた、と。
……まあ、そう言われてしまうのも無理はない。
彼の言ってる事はすべて正しい。事実だ。
私は彼の大嫌いな……非魔法族の生まれですし、今思えば少し……や、かなり失礼な事も、してきた。
だから、仕方ない事なのだ。
それに、初めから分かっていたはずだった。
彼に杖を向けられた事だってあったのだから。

それでも。
私は、本の登場人物に会えて嬉しかったし楽しかった。
だから、ひどい言葉を言われてしまった今だって、嫌いになんてなっていない。

今更こんな事を考えたって意味が無いけれど、私は傲慢だったのかもしれない。

ルシウスさんと同じく、非魔法族が大嫌いなベラトリックスさんと仲良くなれて。
もしかしたら他の死喰い人さんとも、少しは仲良くなれるんじゃないかな、とか。
そんな、馬鹿げたこと。


「fist name」


ヴォルデモートさんに名前を呼ばれ、はっとする。

「あ……な、なんですか?」

ぼうっとしすぎた。
いくら頭を働かせたって、意味などないのに。


「話せ」


有無を言わさない、といった様で一言告げられる。
紅い瞳がまっすぐと私を見ていて、いたたまれなくなる。
こういった時のヴォルデモートさんの目は苦手だ。
心の奥底まで覗かれてしまうのではないかと、少し不安になる瞳だから。
目をそらして口を開く。


「何もないです」


私に何かあったのだとヴォルデモートさんが見抜いている事を知りながら、それでも嘘をついた。

ヴォルデモートさんに、先程の事を話すのは嫌だ。
告げ口をするみたいだし、第一、私と彼のいざこざにヴォルデモートさんは関係ないのだから。
それに、


「話せ、と言っている」


昼間彼に向けられたものと少し似ている、氷のような眼差し。

絶対に話したくはないけれど、ヴォルデモートさんが本気で怒りそうだ。
こうなったヴォルデモートさんは頑固だし、観念するしかない、でしょうか。
でも、


「……ヴォルデモートさんには関係ないこと、です」


俯いて小さく呟くと、ヴォルデモートさんが荒々しく立ち上がった。
やばい、地雷踏んだかも。
そう思った時にはもう、遅かった。

乱暴な手つきで顎をとられ、無理やり上に向かされる。
予想通り、怖い顔をしているヴォルデモートさんとしっかり目が合った。


「言え、」
「……いや、です」
「言え!」
「い、やですっ……!」


言いたくない。
言いたくないんです。
他の誰にばれたっていいけれど、せめてヴォルデモートさんだけには、言いたくない。
だってヴォルデモートさん、もし言ったら、貴方は、


「私に隠し事をするなと言っただろう! お前は誰の物だ? なぜ、隠す必要がある!」


言えない理由は何だ、と怒鳴られる。


「……だって、」


眉を寄せ唇をぎゅっと噛み、私はヴォルデモートさんの胸に顔を埋めた。


「言ったら、ヴォルデモートさんは、私、を……」


声が震える。
今日の事を話して、それで、ヴォルデモートさんになんて言われるか。
曲がりなりにも闇の帝王なのに、ヴォルデモートさんが私にとてもやさしく接するから、日頃忘れてしまいがちだけれど。

ヴォルデモートさんはマグルが嫌いで、私はつい最近まで魔法が使えないマグルだった。
それに、純血じゃない。純血主義ですらない。

素直に話したとして、ヴォルデモートさんがどんな反応をするか。
そんなこと考えたくないけれど、なんとなく分かる。分かってしまう。

他の人なら、何て言われたっていいけれど。

ヴォルデモートさんにだけは、穢れた血と言われたくない。
あんな蔑みの目を向けられたくない。
生まれがマグルだったからといって、私を否定しないでほしい。

何よりヴォルデモートさんに、あんなふうに拒絶されたくない。

だから、お願いだからこれ以上何も聞かないで下さい。


目に涙が滲む。
ヴォルデモートさんの服を掴む手が、震えてしまう。
喉の奥から熱いものが込み上げて、呼吸すらままならない。


「fist name」


先程と打って変わって、やさしく宥めるような低い声。


「もういい」
「……え、」
「今は、何も言わずともいい。……だから、泣くな」


そっと、驚くほど穏やかな手つきで、頭を撫でられる。
その手が優しすぎて、私は先程よりもずっと泣きたくなった。


「……泣いて、ない、ですよ……」


素直にありがとう、と言うことが出来なくて、震えた声でそう言うのが、今の私には精一杯だった。

けれど、何にも例えようのない暖かいものが、心を満たしていくのを確かに感じている。
私はゆるく目を伏せ、ヴォルデモートさんの腕に甘えた。









(それでこの時、誰かさんのきれいな顔が歪んだ笑みを浮かべていたことに、誰かが気づけたら良かったのに)


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