fist name、
悲痛な声が幾度も私の名前を呼んでいる。
なんだか懐かしい。
こんなことが、前にもあった気がする。
こんなふうに、誰かに呼ばれたような気がする。


いったい誰に、いつ、どこで?


頭が勝手に思いだそうと働きだすと同時に、意識がゆらりと浮上していく。

不思議な気持ちを抱きながら、そっとまぶたを開けた。
いちばんに視界に飛び込んでくるのは、夜空よりもはるかに真っ黒に塗られた天井。

おかしいな。
私の部屋の天井はこんな色じゃなかったはず。
力の入らない四肢は、真昼の日差しのように真っ白なシーツに包まれている。
と、いうことは。

ゆっくりと状況を把握していると、右手が温かい何かに包まれている事に気づいた。
寝ぼけ眼で視線を動かすと、誰かがベッドサイドに座り、私の手を強く握っている。


「……ヴォルデモートさん?」


ベッドに横たえていた身体をなんとか起こしながら小さく声をかけると、彼は驚いたのか、肩をぴくりと揺らして顔をあげた。


「fist name……!」


いつも目つきの悪い赤い瞳を丸くして、驚いた表情をしている。
そんな様子をのんびり、珍しいな、と思っていると、突然上半身に重さと温かさを感じ、私は無理矢理に仰け反った体勢にさせられた。

えーと。
何が起きてるんだろう。

なんだか知らないけど背中に回された腕とか、視界が黒一色に染められていること(ヴォルデモートさんの着てる服が黒いため)とか、ああつまり。

抱きしめられてる。


「あ、あの、」


掠れた声で抗議しようとすると
、ぱっと両頬に温かい手が添えられる。


「今、私の名を呼んだか……?」
「え? は、はい」


そりゃ、呼びましたけれど、それがどうしたんですか。
何か変だ。
や、ヴォルデモートさんは常に普通じゃないけれど、何か……。

いつもみたいに、ヴォルデモートさんどうしたんですかいつもよら頭おかしいですよ、とか茶化せる雰囲気じゃない、というか。


「……では、私の事を覚えているな?」
「は」

さっきから何なの。

「呼べ。……もう一度、呼べ。fist name」
「あの、どうし」
「呼べ! 私の名を、覚えているのだろう、」


声を荒げられ、私はびくりと身体を硬くする。
あーもう、何がなんだかわからないけれど、とりあえず呼べばいいんでしょう呼べば!


「ヴォルデモートさん、さっきからどうしたんですか」


彼の名前を口にすると、先程よりも真っ直ぐと瞳を射抜かれる。
あんまり見つめられるものだから、気恥ずかしさを感じて、私は俯いた。
ていうかなにだんまり決め込んでるんですか、ヴォルデモートさんが呼べって言ったのに。
なにかリアクションして下さい。
心の中でつらつらと文句を並べると、頬に添えられている手に、無理矢理上を向かされる。


「もう一度呼べ、」
「え、」
「もう一度、私の名を……」


その表情を見て、言葉を失う。
苦しそうに額に眉を寄せて、唇をきつく噛みしめている。
とても悲しそうなのに、どこか安堵したようにも見え、私は無意識にヴォルデモートさんの目元に腕を伸ばした。

涙なんてこの人が流す筈がないのに、ヴォルデモートさんの表情を見たら、どうしてもそうせずにはいられなかった。
体温の低い白い肌に、そっと指を這わせると、彼は目を丸くする。


「ヴォルデモートさ、っ……!」

いきなり、頭の奥にきりきりと鈍い痛みが走った。

ああそういえば、私、羽根ペンと羊皮紙を借りに来て倒れたんだっけ。

顔をしかめ痛みに耐えていると、ヴォルデモートさんが不意に身体を離した。

「あ、……」
「これを飲め」

そして、ずいっと差し出されるのは、高級そうな装飾の施されたゴブレット。
ベッドサイドのテーブルに用意しておいたらしい。
お水でもくれるのかな、中身をちらりと覗いてみた……のが、間違いだった。
ゴブレットになみなみと注がれていたのは、おどろおどろしい色をした、濁った紫とも黒ともとれる、や、むしろその中間のような色をした……沼の底の泥のような液体が入っている。


「……え?」
「飲め」
「や、あの……」
「飲め、と言っている」
「いやいやいや……あ、あの私思うんですけれどこれはかなり人間が口にしていいものではないかと思われ、」
「服従呪文で無理矢理飲まされたいか」
「いえ喜んで飲みます」


なかば押しつけられるようにして、というか押しつけられ、恐る恐るゴブレットを受けとる。爆発したりしないよねこれ。
それにしても、近くで見ると余計に酷い。
これは酷い。


「えっと、これってどういう毒薬なのですか」

ていうかこれを飲めってどういう事ですか。
つまり、要するに、私に、息絶えろと?

「魔法薬だ。私直々に調合してやった。有り難く思え」
「それ余計に恐ろしいですよ?」
「単なる魔法薬だと言っているだろうが」


いわく、これを飲んだら元気百倍になるらしい。本当かよ。

ぶっちゃけ飲みたくない。
でも、よく考えたら、私が倒れた時に介抱して下さったのは、ヴォルデモートさんなのですし。
わがままを言ってまた倒れたりして、余計な迷惑をかけたくはない。


「fist name」
「……う、」

そうしてヴォルデモートさんの鋭い眼光に脅され、私はゆっくりとゴブレットを口元へと持っていく。
と、そこでストップさせて、においを嗅いでみる。無臭。ますます恐ろしい。
口元に持ってきただけで、一向に飲もうとしない私にヴォルデモートさんが追い打ちをかける。

「早くしろ」

他人事だと思って!
でもこうなっちゃ仕方ない。女は度胸。私はやらないだけでやればできる子。

意を決してゴブレットの縁に口をつけた。





「うえぇ……」

死地を見たような気がする。
だってあれまずいとかまずくないとかまずそういう次元じゃなかった果てしなくまずかった見た目通りどろっとしてて喉越しは最悪だし量は無駄に多いしぶっちゃけ走馬灯が流れてくるんじゃないかと思った、だからとりあえず。


「みず、くだ……さ、」
「この程度で大袈裟だ」

む、むかつく。
だったらヴォルデモートさんも飲めばいい。
ご自分の魔法薬の腕を疑うことになるでしょうから。

そう言いたいのを我慢して、ベッドの中で身悶えながら水を受け取り、かつてない程の勢いでごくごく飲み干した。
まるで生き返るようです。
知らなかった、水ってこんなに美味しかったんですね。

「お、かわり、くだ、けほっ」

空っぽのグラスを差し出して懇願する。
あの魔法薬って絶対毒薬だと思う。ていうか毒薬だった。あれは絶対毒薬だった。
水を飲んでも、しぶとく喉にこびりつく気持ち悪さが未だに拭えない。無駄に効果時間長いらしい。

時折咳をする私を冷たい目で見下ろしつつも水のお代わりを下さるヴォルデモートさん。飴と鞭。
自然の恵みに感謝をしながら二杯目もありがたく飲み干して、やっと一息つく。
まだ喉の違和感は消えないけれど、とりあえずは落ち着いた。


「身体の調子はどうだ」

そう言われて、ようやく気づく。
いつの間にか体調が良くなっている事に。
魔法薬ってすごい。もう二度と飲みたくないけど。

「あんまり言いたくないけれどありがとう御座います」
「もう一杯魔法薬を飲むか?」
「ごめんなさい本当に感謝してます」
「そう遠慮するな」
「いやあの勘弁……、」

あれっと思い、言葉が途切れる。

ヴォルデモートさんが目を細めて、楽しそうに笑っている。
いつもの嘲笑や悪役丸出しのあくどい笑みじゃない、普通の人が、日常的にそうするように。

思わずぼうっと見つめていると、すぐにまた、いつもの仏頂面に戻ってしまった。

「……」

あれ、なんか顔が熱くなってきた。
おかしいな。熱でも出たのかも。だとしたら、絶対あの魔法薬のせいだ。

お互いに黙ってしまうと、途端に気まずい微妙な沈黙が訪れる。
なにか話題を探そうと頭を働かせていたら、ヴォルデモートさんが先に口をひらいた。


「私の部屋で何をしていた」
「あ……」

本人の居ない間に勝手に入ってしまった事を思い出して、後ろめたさに目を泳がせる。

「その、ちょっと……ちょっとだけ、羽根ペンと羊皮紙を貸して頂けないかな、と」
「そんな物、お前には必要無いだろう」
「お手紙出そうと思って。ベラさんと、ルシウスさんに」


ヴォルデモートさんが顔をしかめる。
あれ、もしかして怒らせた?
や、でも今の会話に怒るところなんてちっとも見あたらないけれど。

「手紙を出して、それでどうする」
「今度一緒にお茶しましょーって、お誘いするだけです」

私の返事を聞くと、ヴォルデモートさんの眉間の皺がますます深く刻まれた。
それと同時に私の疑問も増すばかり。
どうして怒ってるの。


「ヴォルデモートさ」
「好きにするがいい。ただしあれは、お前と違い暇人ではないからな。返事すら返って来ないだろう」

最後は嘲笑を含めながらそう吐き捨てられ、少しむっとする。

「どうしてそういうこと、」
「出かける。お前は大人しく寝ていろ」
「あ、待っ……」

反論も呆気なく遮られ、ヴォルデモートさんは姿くらましをする。
乾いた音と共に、一瞬で消えるヴォルデモートさんの姿。

広い部屋に一人残された私は、ため息をついた。

「いってらっしゃい」くらい、言わせて欲しかったのに。





       


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