幸せな夢を見ているようだった。

私は赤いエプロンドレスを着て、椅子に座ってお茶をしてた。
広いテーブルいっぱいにケーキやクッキー、マカロンが並べられていて、甘い砂糖やバニラの香りが私と辺りを、やわらかく包んでいた。
私の目の前にゆらゆらと白い湯気が立ち上らせているとても綺麗な琥珀色をした紅茶を一口飲んで、うっとりとその場の雰囲気に酔いしれ。
もはや本能的に、近くにあったカップケーキに手を伸ばし、かじった。
案外かたい生地に、口内に広がる、あま、い…………?





「いい加減にしろこの馬鹿がっ……!」


いきなり聞こえた罵声に、ぼんやりと浮上する感覚。


目を開けると、顔をしかめているヴォルデモートさんが居た。

「……?」

何でヴォルデモートさんが私の部屋に……首を傾げながら起き上がろうとして、ようやく気づく。

ここ、ヴォルデモートさんの部屋だ!

そういえば……ヴォルデモートさんが私の上に乗っかったまま寝てしまったから、私もつい、あのまま寝ちゃったような。


「……あれ……その手どうしたんですか?」


彼の右手の甲に、歯の跡がついている。赤くなっていて、とても痛そうだ。

きょとんとして問う私を、ヴォルデモートさんはまるで人一人くらい殺しそうな瞳で睨む。

冗談ぬきでちょう怖い。これなんてイジメ?
正直逃げたかったけれど、ベッドの上なので不可能だし、だいいち後が怖い。
逃げて、捕まった時にはどんな恐ろしい事が待っているのやら、考えるだけで嫌だ。
ていうか、ここまで怒られるだなんて私は、何か彼の逆鱗に触れる事をしてしまったのでしょうか。


恐る恐るヴォルデモートさんの顔を見上げてみると、目が合った。
途端に、にっこりと不気味な笑顔を返される。

ああ知ってる、こうやって笑う時は、


「いつまでも寝ぼけたその頭を、この私が永眠させてやろうか」


ああやっぱり。
かなり、怒っていらっしゃる。



「……わたし、ねてるあいだになにか、しちゃったんですよね……?」


寝起きの掠れた声で問い掛ける。


そうだとしたら、いったい何を仕出かしたのか。
寝相が悪かったとか?ありえる。
寝言がうるさかった?これもありえる。

まさかどっちも、とか……。


「fist name」

「は、はいっ」

「貴様が私に何をしたか知りたいか?」

「あ……ええと……知りたいような知りたくないような……」

気まずさに目をそらしながら答えると、頬にふわりと風を感じ、

「ならば教えてやろう」



がぶり。







「い、」



「ったああああああああああああああっ!」




絶叫。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。

じくじくと疼く首筋の壮絶な痛み、そのあまりの痛さに涙目になっている私を至極満足そうに見下ろす、ヴォルデモートさん。


私は、この人に噛み付かれた、らしい。



「な、なん、で…………っ!」

「私がお前にされた事を返してやっただけだ。何か文句があるのか?」


う、と言葉につまる。

ヴォルデモートさんの言葉から察するに、どうやら私は寝ぼけてる間に彼の手を噛んでしまったらしい。
とても痛かったのだろう事はわかる。

けれど、


「倍にして返しすぎじゃ……!」


反論している間にも、首筋はずきんずきん、痛み続けている。
鏡が無いので、傷口を見る事は出来ないけれど、相当酷い事になっていると思う。


「……は、いい顔だな、fist name」


ヴォルデモートさんが私の隣に腰掛けたせいで、ギシ、とベッドが軋んだ。
また何かされるのだろうかと身構える私を見て口端を歪ませながら、そのまま彼は首筋に手を伸ばし、傷口に触れるか触れないかのところで、皮膚をなぞった。その手にはまだはっきりと、痛々しい噛み跡が残っている。


「っ、ヴォルデモート、さん、」


くすぐったい。
そして痛い。

二つの感覚に揺らされながら、多分私はさっきよりも情けない顔をしているのだと思う。


「ああ、血が出てきたな…………紅い」


楽しそうに傷口を眺めながら、そうおっしゃるヴォルデモートさんに少し恐怖を抱いた。
けれど、なんだかその行為が彼らしい気もして、すぐにそれが薄れてしまう。

わたし、ここと、このひとに、だいぶなれてきたかもしれない。


未だ呆けた頭でそんな事を考えながら、いつ終わるのだろうと思った時、


「いたっ……!」


傷口の真ん中に、ヴォルデモートさんの指が触れた。

滲み出る血をすくいとり、そのまま白い指を自らの口元に持っていき、


「な、ちょ、ヴォルデモートさんっ!」


あろうことか、ぺろりと舐めた。
私の血が付いたままの、それを。


「な、なにして、痛っ!」


再度、ヴォルデモートさんの指が傷口に触れ、痛みに声をあげ、両肩をびくりと震わせた。

逃げようと私が後退りをするのを、もちろん彼は許さず、強い力で肩を掴まれ、ついでに視線を合わせられる。


私の血なんか劣るくらいの紅い紅い瞳の中に、泣きそうな顔の私が映っていた。


どうしてこの人の瞳は、こんなにも、惹きつけられるの。

そして、たまに泣きたくなるのだ。

綺麗なその紅の中に、悲しい色が宿っているように、見えて。





「−−むっ、ん」


紅い瞳に捕われていると、口内に突然異物が入ってくる。
じわじわと、舌の上に、鉄のような何とも言えない味が広がっていく。
口の中のそれがヴォルデモートさんの指だと分かり、抵抗を試みてみるものの、……叶うはずもなかった。

指先に付着した血液はすぐに溶けていったけれど、ヴォルデモートさんはまだ私の口に指を入れたまま微動だにせず、私を見下ろしている。

いっそ、噛んでしまおうか。

そんな悪巧みを思い付いた時、察したのか、開心術でも使ったのか、「噛んだらどうなるか、分かっているだろう?」と釘をさした。


「……う、」


しばらくして、ちゅ、と小さなリップ音と共に指が引き抜かれ、安堵したのもつかの間、紅い瞳と綺麗な顔が降りてきて、咄嗟に目をつぶる。


「んんっ」


唇にやわらかい何かが当たったのと同時に、口内に、生温いものが侵入し、驚きながらもキスされているのだと気づいて、私はじたばたともがいた。


しかしそんな必死の抵抗もやはり易々と押さえ付けられて、後頭部に手をそえられる。そのせいで、口づけがより深くなった気がして、息苦しさに熱い涙がじわりと溢れてくる。


「は、……んっ……!」


どうして、私とヴォルデモートさんが、こんなき、き、キスを…………!

そんな、そんなのいやだ、考えたくない!認めたくない!




「ん、っむぅ! は、あ……」


私の気持ちとは裏腹に、ヴォルデモートさんは、私の抵抗すら楽しんでいるかのように見えた。

何度も角度を変えられながら、口内を湿った舌で荒らされたり、戯れのように、唇を舐められたりする。


涙がひとすじ頬を伝い、それを見たヴォルデモートさんは唇を離し、ゆるやかに零れるその雫をゆっくり舐めとった。

「ヴォルデモートさ、……も、やめ……んっ……!」


やめて下さい、という懇願の言葉すら聞いてくれずに、再び荒々しく口づけられる。


どうして。


どうしてこんな事を。


どうしてなの、ヴォルデモートさん。




少しずつ意識が遠くなっていくのを感じながら、ヴォルデモートさんのシャツをぎゅっと握りしめる。


紅い瞳の中には、やっぱり泣きそうな顔の私が映っていた。

















「fist name……」


光の射さない部屋で、気を失った少女を撫でながら呟いた。
後の事を考えずに、己の本能と激情をぶつけ無理をさせてしまった事に、少なからず罪悪感を感じる。
だがしかし、この少女は己が最も欲していたものであり、また己にしては珍しく、とうに諦めていたものでもあった。
そんなものが手に入った事に、至上の喜びを感じるのも確かである。

これから先、何があろうとこの少女だけは決して手放さないだろう。

艶のあるこの髪も桜色に熟れた唇も白い肌もやわらかい四肢も規則的に動き続けるこの心臓ですら、すべては私のものなのだ。

たとえお前が泣こうと喚こうと私から逃げる事は、許さない。


「fist name……お前が死ぬ時は、私がお前を殺した時だ」


髪を一束手にとり、口づけをする。
ふわりと、シャンプーとfist nameの香りが鼻腔を刺激した。
もうすぐこの香りも、私のもので染めてやろう。



「お前の生は、私の為だけにある。そうだろう? fist name……」








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