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置き忘れた足音




旧体育館のステージ裏。最初は体育教師からの頼まれ事で寄ったのだが、気づけば良い感じの昼寝どころになっていた。教師には見つからない、人はこない、ある程度綺麗である。これらの条件を満たせばオッケーだけど学校には意外とその様な場所には鍵がかかっている。
堅い床はいやだけど、破れかぶれの垂れ幕は、いい具合の遮光効果を発揮してくれているし、ある程度掃除をすればここもなかなか隅に置けない。
今日も混雑した購買の人混みを掻き分け、やっとで買ったいちごみるく片手に横たわる。
堅い床に寝そべり、ポケットに忍ばせている少し古いウォークマンに触れようとしたとき、大人数と思われる足音が聞こえた。
よい穴場を見つけられてしまったという、わずかな落胆。しかし、一向に楽しげな、姦しい話し声は聞こえてこない。
次の瞬間、乾いた音が閑散とした体育館に響く。もう長らく使われてないであろうバスケットボールのゴールが、心なしか、軋んだような気がした。




「人の彼氏とっておいて何様のつもりよ!」

「私、何も言ってな……」

「はあ!?」

非常に驚いた。
いきなり姦しくなったと思いきや、
女子のいじめだった。ボロ布の隙間からみたあの茶髪の女の子は、さっきまでかわいらしく、意中の彼の話しを友達にしていた。オンナの二面性なんて今に気づかされたことではないが、正直ひるんだ。
いや、驚く所はそこじゃない。茶髪の女子にぶったたかれて、座り込んでいる少女。おどおどしい喋り方は、あの時とは結びつかないが、珍しい金髪は、明らかに彼女であった。彼女、鏡音リンは床に這いつくばったまま頬を抑えてうつむいていたわ。



「や、あの、や、山本さんは、単なる友達で……」


その声は確実に、あの時、橙の教室で聞いた声だった。
おどおどとした、弱気な声は、明らかにあの時とは違った。鏡音リンも流石に女に囲まれれば恐れるものだろうか。




いやいや、彼女はこんななよなよはしていない。図太くて、頑固で、計算高い。実に女性的だ。しかし、危うくて面倒くさくて、自己中心的で、自己陶酔が激しくて。まあ、鏡音リンはそういう女だった。そういう女のはずだった。
なんだか、ここで女の世界に飛び込むのはあまりの馬鹿か無鉄砲だ。ぎゅっと身体をちぢこませ、身を潜めていた。そんな助けるなんて馬鹿みたいなことが出来るのはクラスの女子たちが読んでる少女漫画や携帯小説の中だけだ。
昼休みが終わる何分か前に、息を乱した女子が興奮気味に、この体育館から背を向けた。
足音がなくなり、垂れ幕をめくろうとした瞬間だった。破れかぶれの部分から覗きこんだ鏡音リンの姿があったのは。



「うわ!」
「覗き見なんて趣味悪いですよ」
「もともと僕がいたんだよ」
「知ってます」


敬語は相手と距離を取りたいとき、縮めたくないときに用いるものらしい。詰まるところ、彼女も僕と距離を取りたいということなのか。いや、物理的な距離は彼女から縮めた。やはり彼女はおかしな女だ。



「いじめられてるの?」
「いいえ。味方はたーくさんいますから。大丈夫です」


心配、ありません。したたかさを滲み出させながら微笑む。雨嵐の女の中で優雅に泳ぐためには、こいつのしたたしも、図太さも、あって当たり前なのだろうか。図太いというか、自己に酔っている気もするが。
黒いアイラインが引かれた大きな目がすっと細くする。ひきつるように、桃色の唇が弧を描く。そうすれば、笑顔になることなんて女はみんな知ってるのだろうか。
疑問符ばかりが浮かぶ。やっぱり僕に女を理解するなんて未来永劫に無理だ。


「辛くないの?」
「寧ろ好都合です」
「はあ?」
「殴ってくれたお陰で、痣が残りましたから」

二の腕をすらりと、ためらいなく露出させる。華奢な左腕は、真っ赤に腫れていた。若干、紫に変色している部分もあった。ああ、痛そうだ。と思うと同時にざまあみろと鼻で笑いたかった。


「痛くないの?」
「痛いです」
「ばかなの?」
「馬鹿なのは巡音くん。君です。少しでも、相手に暴力を振るったら被害者じゃないんですよ」

足を彼女のほうに進める。体育館独特の、高いスモール音がやけに響いた。目の前まで近づいて、彼女の二の腕を掴む。少しばかりの力を込めると、彼女は眉を潜めた。
痛いです。抗議の声ではなした僕は、きっととんでもないへたれだ。離した瞬間の後悔。もう少し強く握ってれば良かった。春のように訪れた感情に、胸の奥がしんと冷えたのを感じた。最近こいつと一緒にいると、こういう滅多な感情が浮かび上がる。ああ、怖い怖い。


「黙らないでください」

鏡音リンの言葉ではっとする。離したまま、宙をさまよう左腕。僕は右利きなのに、なぜ左手で掴んだんだろう。そんなどうでもよいことを悩んだふりをしてみても、霧散することもなく、はたまた確かな根を生やすこともない、そんな密かな思いがぷかりと宙に浮く。鏡音リンは長い睫をはためかせ、僕を怪訝そうな目でにらむ。



「鏡音」
「なんですか、巡音くん」
「世間は、案外バカじゃないんだよ」


その言葉を聞いた鏡音リンは、また、黒いアイライナーを引いた目を細めた。ベージュのカーディガンから延びた白い指が、僕のブレザーの袖に微かに触れた。鏡音リンは、そんな動作の中、密かに口角を上げ、扇状的に唇を動かした。


「巡音くん、」

彼女が次の言葉を言おうとした途端、予鈴が邪魔をする。
そうだ、この場所の難点をもう一つ上げるとしたら、チャイムの音がうるさいことだった。
微かに彼女は唇を動かす。頭には古びたチャイムの音しか届かない。
彼女リンは、閉口したあとにくるりと僕に背を向ける。そしてすらりとし背筋を延ばし、一歩一歩扉に踏みしめていった。振り返ることもせずに。たんたんと、たんたんと。






彼女の後ろ姿の余韻を感じつつ、僕を大きく呼吸をした。僕しかいない古びた体育館には、窓から鋭い日の光が陰ることなく差し込んでいた。










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