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6月に死んだきみのはなし





ここはとても甘やかにおいがする。しかしけして下品ではない、趣味のよい木蓮の香りは微かに鼻腔を擽る。
飽きもせず、必死に瞬きを繰り返すと、向こうにいる彼と距離はあるものの、彼の表情、しわなどの顔の細部まで見ることが出来てしまう。美しい、中性的な顔は焦燥にまみれ歪んでいた。男性で肩幅のある癖に細っちい肩を揺らし、形のよい唇からは喘ぐように息を吐き出される。そしてこれまた華奢な腹からは、鈍く煌めく異様なものが刺さっていて、赤く染まりつつある黒い布地も目に入った。



「どう、ルキくん」

「残念ながら、なんの感慨も沸かないね」

「へぇ」

「しいていえば、カッターナイフでも、あんな深く刺さるんだ」

「そこかよ」


床で転げているそれと彼は、とても良く似ていた。しまった語弊だ。顔の造形の全てが同一であった。しかし表情に違いがありすぎるためか同一人物にはどうにも見えない。眉毛、口、目
、全て等しく同じ造形なのに、隣にいる彼と、床に転げているそれとの差に吃驚した。ホコリや塵がある汚い床に汚い血痕をつけて寝転ぶそれと、嫌に小綺麗で、潔癖なほどに汚れひとつない彼。全く違った。まあ、彼の場合小綺麗すぎて逆に不安定で未完成にも感じた。まあ、そんなところも大好きだけど。未完成なものは素晴らしい。未来がある。しかし、そんな彼は清潔性が欠けている湿った鉄臭い部屋にはどうも似合わなかった。
隣を覗き見ると、彼はセピアがかった自分の瀕死の姿を、その艶消しの桃色で見ていた。
とろりと虚ろなそれは、今にも融けてしまいそうで、素晴らしく甘美な表情だった。しかし背筋に走る恐怖感。そしてそれはあまりにも生気がない。
たくさんのifが氾濫するこの世界で、ルキくんはなにを思ったのだろうか。凍結された瞳は、いったいなにを。


「お前、すごいな」

ルキくんは目の前の惨劇に目線を向けたまま、私の手を力なく触れた。目は生気をなくし、感情なんて存在しないようにぼんやりとしていたが、手は汗ばみ、震えていた。恐怖か、それとも緊張か。どれでもよかった。ただルキくんの生を感じる。それだけで私は至極安心できたのだ。不安だった。今の彼の瞳に生なんて感じられないから、死にそうだから。ルキくんが死ぬのが、怖いから。
私は骨っぽく硬いルキくんの手を力を込めて握る。セピア色の世界の中で、私たちはやけに色彩に富んでいて、やけに異端で、浮いていた。


「好きなやつのこと、殺せるんだもんな」

「まあ、妄想のなかだけど」

「それとも、僕のことを好きではないか」

「・・・ルキくんが懇願したから着たんだけど。ほんっとひどい言われよう」


全握力を使って握りしめているルキくんの手は、青白く、血の気が引いていた。要因は私だけれど。だって私の手だって、白いのだ。


「戻る?」

「いやだ、まだみる。だからリンもここにいて」

「暴君」

目の前で起きるセピア色のそれらは、惨劇を遠い世界のことのように繰り広げていた。物が割れる音、金切り声、絶叫。すべて本物で、ひどく生々しいはずなのに、何故かとても遠かった。台拭きできれいに拭かれたテーブルの上には砕けたガラスが散らばり、床にはルキくんの瀕死であろう身体が転がっていた。全て生々しくて、いやにリアリティーのあるくせに、やはり遠かった。


「もしも」

「ん?」

「あんな惨めに死ぬくらいなら、お前を助けるために死ぬ」


ひどく苦しそうな、切羽詰まった声だった。うまく息が出来ない。過呼吸に近いそれ。耳に届いた瞬間、私はルキくんをこの両腕で包んであげたくなった。だって、私には息が詰まるほどに、苦しい懺悔の告白にしか思えなかった。


「どうして」

「お前の意識の隅に、少しでもいいから、残りたいんだ」

「嘘つき」


本当だとしても、ルキくんが私を助けて死んだとして。
きっと一年間落ち込んで、次の年は前を向いている。前後不覚なんかではなく。きちんと前を。
けして、それは愛情の量ではなく。前を向かなければならないように出来ているのだ、人間は。
きっとルキくんが消えても、私は私であり続ける。
後追いなんてしないし、できない。私は外的要因で自分自身を殺すことはできない。
私はそういう人間なのだ。
姑息で、酷薄で、そして屈強。
それが、私なのだ。



「じゃあルキくん」

「ん?」

「さっきそこのルキくんを殺して金切り声を上げているあのルカさんと、この私。死にかけているとしたらどっちを助ける?」

暫しの私たちの間だけ沈黙。
セピア色の中では、ガラスの割れる音がしている。



「・・・そんな質問ズルいって」

「ルキくんがとんでもな法螺吹くからイジワルしただけ」


笑えない。実に笑えない。こんなに笑えない事柄もなかなか無い。
でも私は笑わないといけない、とひどく焦った。無理矢理口角を上げ、真実味の乏しい笑い声を上げる。そしたらルキくんがこれ以上無い位私の手を握り締めて、正直痛かった。しかし自分の死んでる光景を観る方が精神的な暴力を受けているんじゃないかと思い、口をつむぐ。


「じゃあリンは、僕とレンが死にかけてたら、どっちを選ぶ」

「レン」

「即答かよ」


気づくとセピア色の演目は終わっていた。まわりは静止し、微かな吐息すら聞こえない。どちらかが終わったね、と言って、どちらかがそうだね、と言った。そして、どちらかが手を離した。互いに握り潰そうとしているとしか思えない握力で握っていた片腕は、当たり前のように白く変色していて思うように動かない。セピアの世界の秩序は、崩壊に向け呆気なくヒビが入る。ばらばらと。ルカさんが落とした花が指してあった花瓶みたいに、一斉に割れた。それと同時に私の拙い妄想事も残骸となっていく。
光も音も人も物も、全ては等しくガラクタになり得た。


「」


だいすきだよ、てどちらかが言った気がした。







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