目につくのは、真っ白な空間といくつもの薬品。
それと、自分についたいくつもの傷、青あざ、頬の腫れ。
――呆れたような表情をして、傷の手当をしている保険医の顔。
「いってぇ!」
「男なら、これくらい我慢しろ」
「もっと優しくできなぇのか?! 似非保険医!」
「自業自得だ。ったく、喧嘩は控えろつってんのに」
「うるせぇ」
怪我をしている理由が、あんたに会うためのものだと知ったら、あんたは怒るだろうか?
それとも今みたいに、バカだな、って呆れるだろうか?
世間体ばかり気にする親に吐き気を覚えた俺は、いつからだったか夜の街に出かけるようになった。
ただ行く宛てもなく街中をぶらぶらと彷徨い歩き、適当な頃合を見計らって家に帰るということを繰り返していた。
何日も出歩くようになり、反抗的なもので髪の毛を金色に染めあげれば、不良と呼ばれているであろう連中たちに、いつしか絡まれるようにもなった。
絡まれるだけやり返してしまうと、喧嘩も強くなっていき、いつの間にか不良チームなるものができるようにもなってしまった。
正直、チームとかそんなものはどうでもいいし、夜の世界でしか馴れ合っていないので、とやかく言うつもりもない。
しかし面倒なことに、夜な夜な街に出かけては喧嘩をしていることが親にバレ、腫れ物を扱うかのように全寮制である男子校へと入れられた。
それは世間体のためであろうことはわかっていたし、むしろあの親たちの視界に入らなくて済むとわかると幾分か気分がラクだ。それでも縁を切らないのは、やはり世間体を気にしてだろうけどな。
「なんだ、お前、怪我してんのか?」
聞こえてきたのは怒るようなものでも、呆れたものでもなく、ただ面倒だと言いたげな色が篭ったセリフ。
視界に映った白を視線で辿れば、どこか気だるげな瞳をした白衣に身を包んだ保険医の姿がそこにあった。
きっと俺はこの時、すでにコイツの瞳に囚われていたのだろう。
高校に入ってからも俺を見る周りの眼は、親と変わらないものだった。腫れ物を見るような、面倒事には一切関わりあいたくないと言いたげな眼。
別にそれを苦痛に感じたことはないし、馴れ合いなど求めていなかった俺としては、逆にありがたかったけど。
ただ、街に出ていた頃のままの格好で過ごしていたら、以前よりも不良に絡まれるようになったのが面倒だったが。
喧嘩を売られるだけ買えば、誰にも寄り付かれることはなくなった。それでも喧嘩は売られるが、教師だってなにも言ってこないのでラクだったからよかったけど。
「こんな怪我してまで喧嘩するとかバカだろ」
「……あんたには、関係ねぇよ」
文句を言われないことはラクだ。そう思っていることは今でも変わらない。
けれど、一人だけ浮き出たような扱いをされるのは、今でも腹立たしく感じる。原因は自分だとわかっているのに、それを考えるのが億劫で、ほとんど毎日喧嘩三昧だった。
呼吸の仕方さえ忘れてしまうのではないかと思ってしまうほど、息苦しさを感じる日々の中で、保険医に出会った。
きっと高校に入ってからまともに話をしたのは、この保険医くらいだろうか。基本話かけてくるような奴なんて、喧嘩を吹っかけてくるような奴ばかりだしな。
だから正直、声をかけられるとは思っていなくて、内心びびってしまったのは内緒にしておいてくれ……。
「あーあ、治りかけの傷の上から新しく傷ができてるから悲惨なことになってんな」
「別にこれくらい大したことねぇよ」
「でもぶっちゃけ、風呂とか辛いだろ? これかなり染みるだろうし」
「……まぁ、少しはな」
「それでも喧嘩するとか……不良ってそんなもんか?」
「さぁな、他の奴なんて知らねぇ」
「それもそうか。不良ってのは馴れ合わないだろうし」
傷の手当をされる中、交わす会話は在り来たりなものなのに、なぜだか新鮮なものに思えた。
らしくない、これほどまでに他人との馴れ合いに餓えていたのだろうか?
自分で望んでいないと切り捨てたはずなのに、この気持ちはなんなのだろう。
自分のことであるはずなのに……わからない。
「お前も喧嘩はほどほどにしとけよ」
「心配してんのか?」
「まさか。仕事増えるから言ってんだ」
「保険医がなに言ってんだ」
「俺はな、別に喧嘩を止めようなんて思ったことは一度もねぇよ」
「……なんで」
「ガキが喧嘩をすんのはな、ただ迷っているからだと思っている」
「迷い?」
「そうだ。どうしていいのかわからず、でも上手く言葉にすることはできない。だから喧嘩することでそれが正しいことだと思い込み結果、それでしか発散できなくなってしまう」
「……」
「ガキの喧嘩なんてな、まだ可愛いモンだ。大人なんて権力を使ってまで自分を正しいものとするような奴だっているし」
――ただ、なんでも喧嘩すればいいとも思ってねぇけどな。
なんて笑いながら言う保険医に、俺はたぶん、そう言ってもらえることを待っていたのだと頭の片隅で思った。
親に、大人たちに、無言で訴えても意味がないとわかっているのに、他の方法を見つけ出すことなんてできず反発した。
きちんと向き合うことができたなら、きっと違う今を歩むことがでていたのだろう。
今更そんなことを思ったって過去を変えることはできないし、後悔なんてしていない。
「喧嘩をすることがいいことだとは言えない」
「……」
「でもま、それしか見つからねぇなら仕方ない。ただ、なるべく怪我すんなよ?」
「……仕事が増えるからか?」
「それもあるが、心配してんだよ」
髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜながら言われた言葉に、心がふわふわと温かいような気持ちに浸った。
心配されるのも、心配だって言われるのもすべてが初めての体験で。
どう反応をしたらいいのかわからなかった。
ただわかったのは、俺は、この手をずっと求めていたんだってこと。
その日から俺はなにかと事をつけて度々保健室を訪れるようになった。その都度怪我をして。
「また怪我したのか?」
「……少し、な」
「ってく、ほらここ座れ。手当てしてやっから」
呆れながらもちゃんと手当てをしてくれる。
怪我をしたら保健室に来いと言われていたが、本当は来るつもりはなかった。
だけど、初めて会った時の手の温もりを忘れることができなくて。
だから態と怪我をして保健室に訪れた。それくらいしか、保健室に来る理由を見出せなかったから。
「い゛っ!」
「おい、動くんじゃねぇよ」
「それ液体付けすぎじゃね?」
「気のせいだろ。大人しくしてろ」
「ぜってぇ付けすぎだって。滴ってんぞ、それ」
「怪我するお前には、これくらいのが丁度いいんだっての」
「理不尽」
消毒液がたっぷりと染み込んでいるであろう脱脂綿を、傷口にぐりぐりと塗りたくられ思わず顔をしかめた。
自業自得ではあるが、こっちは怪我をしているのたしもっと優しく手当てをしてくれてもいいと思うのだが。
だからと言って、喧嘩をすることも怪我をすることも止められない。
怪我しか方法が碌に思いつかないとか、もう終わっているのだろう。
しかし、俺らしいと言えばそうではないだろうか。
まぁ、理由もなく保健室に出入りできるような関係になりさえすれば、問題はないだろうけどな。
それはただの口実です(それが精一杯のアピール)
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