■ 渡さない、渡したくない
※廉頗がまだ趙にいるころの捏造です
「姜麗」
私は李牧様のいらっしゃるという屋敷の前に立っていた。
横にいるのは私が仕えている慶舎様。
初めてこの軍に配属された時はどうなることかと思ったが、慶舎様は思ったより優しい方だ。
と言ってもほとんど話しかけて下さらないし、私からも話しかけられないので、慶舎様の横に黙って立っているだけなのだが。
屋敷の前で慶舎様は私のほうを見た。
『はい、慶舎様なんでございましょう』
「私は李牧様と会ってくる。お前は隣の部屋にいろ」
私は拱手をして頷いた。
今日は李牧様と慶舎様で大事な話があるという。
私は警護のために付いてきたが、慶舎様は腕もたつので別に私は必要ないと思っている。
しかし、李牧様がいつもカイネを連れているように、慶舎様は(使い勝手が良いのだろうか)いつも私を連れてきてくださるのだ。
屋敷に入ると、物々しい雰囲気が私と慶舎様を覆う。
私はちらりと横にいた慶舎様を見た。
表情は変わらない。
『慶舎様』
「ああ、ただの話では無さそうだな」
『私も共に』
「よい、横に控えろ」
ぴりぴりとした緊張感が扉の奥からでも伝わる。
この奥には絶対に李牧様の他に誰かがいる。
しかも、将軍格の人物が。
慶舎様に控えろと言われて反発する訳にはいかない。
私は先に隣の部屋に入った。
部屋には簡易的な茶器一式と机、椅子が三脚。
その一つにはすでに座っている人物がいた。
『き、姜燕様!』
私はすぐに跪いて拱手をした。
その人物、姜燕様は私が慶舎様に仕える前に仕えていた人物。
私はこの人物から育てられたと言っても過言ではない。
姜燕様は跪いた私を立ち上がらせる。
「畏まらずとも良い。久しいな姜麗」
姜麗、と名前が呼ばれただけで私の胸に温かいものが広がる。
『お久しゅうございます。ということは隣の部屋にいらっしゃるのは廉頗様なのですか』
ああ、と隣の部屋に繋がる扉を見遣る姜燕様。
「趙王のことで話したいことがあるとか」
『はあ、趙王様のことで』
私には上のことはわからない。
なにかが起こっているのだろうか、私は扉を見ている姜燕様の横顔を見つめた。
やはり、とても精悍な顔つきだ。
私は姜燕様に恋慕にも似た感情を抱いていた。
それは恋慕とはもちろん違うものの、姜燕様と共に過ごすだけで私の毎日は本当に満たされていた。
配属が変わった時は本当に寂しかったものだ。
でも今ここで会えて。
『本当に、会えて嬉しいです』
私ははっと口を押さえる。
言ってしまった。
姜燕様は少し驚いた表情を見せるが、すぐに軽く微笑む。
その様子すら私には美しく感じる。
「私も、お前に会えて嬉しい」
そして姜燕様は私の頭を軽く撫でる。
私も吃驚したが、それが心地よくて私は目を閉じた。
姜燕様の手が私の髪にかかる。
そしてそっとその手がうなじに触れた。
少し擽ったいと思ったが、その手を黙って受け入れる。
せっかく、会えたのだから。
そのときだった。
ばんと、隣の部屋に続く扉が開かれる。
私はすぐに目を開く。
姜燕様は私の首近くの手を除ける。
そして二人でその方向を眺め見た。
『慶舎様…』
「姜麗、今何をしていた」
『えっ』
私は先程の姜燕様との行為を思い出す。
もちろん厭らしいことをしていた訳では無い。
懐かしい姜燕様に頭を撫でられていた、だけ…。
「姜燕、李牧様の到着が遅れるらしい。一旦廉頗様の元へ」
慶舎様はすこし姜燕様に向ける目線をきつくする。
珍しい。
私にも分かるようにその表情が変わるとは。
「ああ分かった、すぐに向かおう。では、また会おう姜麗」
『あっ、姜燕様』
姜燕様は慶舎様の横を通って扉を抜けようとする。
しかし横切る瞬間、少し姜燕様が立ち止まった。
「そうだ、慶舎。気になる相手がいるのであれば近くにおいて大事にするのではなく、行動に移してみるべきだと思うが」
「お前に言われずとも」
「そうか?そうは見えんがな。……泣かせることは許さんぞ」
小声で聞き取れない。
慶舎様はさらに眉間に皺を寄せたようだ。
姜燕様は慶舎様に何を言ったのだろう。
姜燕様はちらりとこちらを見て、にこりと笑う。
私は嬉しくなった。
『また、書を送ります!』
私が叫ぶと姜燕様は手をすっとあげて、廉頗様のいらっしゃる方向へと歩いていった。
「嬉しそうだな」
『ええ、昔仕えていた方ですので』
「それだけには見えん」
慶舎様の一言に疑問を抱く。
そうだとしても、慶舎様には関係の無いはずだ。
なぜ姜燕様と仲良くすることを慶舎様は嫌がるのだろう。
慶舎様は机の上にある茶器に気づく。
「茶を」
私は、はいと言い、茶の準備を始める。
一人分の茶を用意し、姜燕様の座っていた椅子に腰を下ろした慶舎様の元へ運ぶ。
「…共に」
『え?』
「私だけではなく、お前と共に茶を飲みたい」
慶舎様の一言。
私はきょとんとする。
そしてすぐに意味を理解した。
『えっ、す、すぐに準備を』
かちゃかちゃと震える手で一人分の茶を用意する。
そして私も椅子に腰掛けて、自分の煎れた茶を飲む。
『美味しい』
胸の鼓動が大きく聞こえる。
慶舎様が私を近くに置く理由が分かったからだ。
慶舎様はこちらをじっと見つめているが私は見つめ返すことができない。
『あの、いえ、なんでも』
恥ずかしいから、見ないで欲しい。
そう伝えようとしたが、私が言うべき内容では無い。
慶舎様は茶を机に置く。
「これからも、姜麗に傍に付いてほしい」
直接、慶舎様の口から紡がれた言葉。
私は茶器をぎゅっと握って、小さく頷いた。
back
(表紙へ戻ります)
※章内ページ一覧へは
ブラウザバックでお戻りください