簡易的な陣が作られ、慶舎はその中に入った。
私は入口に座り込み、剣を抜いて右手に握りしめる。
警護は慣れている。
何年李牧様の近くにいたと思っているんだ。
配給の水と干し肉が手渡された。
慶舎用に酒と少し豪華なご飯もある。
「これは慶舎様に」
と渡されれば渡さない訳にはいかないではないか。
私は袋に入れた食料と水を手に、陣幕に手をかけた。
幕を開けようとしたときだった。
勝手に幕が開き、私はそこから出てきた人物の胸に顔からぶつかる。
『いったああ』
一番痛い鼻頭を押さえながらしゃがみ込む。
食料と水はなんとかぶちまけずに済んだ。
「すまない、大丈夫か」
中から出てきたのは。
『慶舎、なんでお前が出てくるんだ!』
てっきり甲冑を脱いで休んでいるとばかり思っていた。
確かに甲冑は脱いで、室内着になってはいるが、どうして自ずから出てくる。
『はいこれ、食料と水。慶舎の分』
私は袋を慶舎に押し付ける。
慶舎はここまで何も喋らずにその袋を受け取る。
そして、そのまま私の手を握りしめた。
『慶舎、どうした』
慶舎は何も話そうとしない。
ただその瞳で私を見つめている。
慶舎の瞳はとても綺麗だ。
慶舎がまだ小さかった頃から思っていたが、その眼は吸い込まれそうな魅力を持っている。
見蕩れていると、慶舎は黙って私の手を引いて陣の中に引き込む。
陣に入るか入らないかの瀬戸際で踏ん張っていると、副官がこちらに気づいた。
私が目で助けを訴えると、副官はふっと笑って「お盛んですね」と口を動かした。
お盛んなわけなかろうが!!
しかし向こうは男。
私の力ではかなわない。
私は敢え無く陣の中に引き込まれた。
そして気づけば慶舎は私の手首を寝台に縫い付けている。
『あの、慶舎』
慶舎は黙り込んでいる。
その様子が少し怖くて、私は暴れた。
『慶舎なにか喋って!怖いから!』
足をばたばたと動かすが、慶舎は少したじろいだだけで、退こうとはしない。
そして、慶舎は私の顔に近づいてくる。
唇が触れるか触れないか、そんな時だった。
「慶舎様!李牧様からの書状が届いております」
外から声が聞こえる。
慶舎の手が緩んだ瞬間を見計らって私はそこから逃れた。
そして伝令から書状を受け取りに外に出る。
動悸が止まらない。
心臓の音がうるさい。
私は平静を装った。
『ありがとうございます。慶舎様は今食事中ですので私がお預かりいたします』
伝令は安心したように私にそれを手渡す。
伝令に軽く手を振って見送ると、意を決して陣幕の中に入る。
そこには寝台の上で固まっている慶舎がいた。
私は距離を取り、書状を慶舎の側に置く。
『さっきのは無かったことにしてあげるから、何がしたかったのか言ってほしい』
もちろん、何をしようとしていたかわからない程生娘ではない。
そういう経験がないわけではないし、男に言い寄られたことが無い訳では無い。
ただ、あの状況は初めてだ。
慶舎はゆっくりと書状に手を伸ばす。
そして一言絞り出すように言った。
「悪かった」
あんなことをしてしまったのは
やっと素直になれたからで、
お前を怖がらせたかったのではない。
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