*死ネタ
また一つ、戦士の気配が失われた。
また少し、体から力が失われた。
また僅か、世界が混沌に傾いた。
秩序の聖域には変わらず、穏やかな光が満ちているが、空は失われた戦士を悼んで小さく呻いた。
秩序の女神は、これ以上力が零れることを防ぐようにか、それとも倒れそうな身を支えるようにか、自分の体を両腕で抱えた。
空が墜ちないように、大地が飲み込まれないように。
懸命に意識を巡らせる。
バランスの取れる位置を探す。
ひた。
そこに小さな足音が届いた。
血にまみれた旅人だった。
顔と髪は固まった血液に茶色く汚れ、肘下をぶらりとさせた左腕を、右手が押さえていた。
ずるように進んでくる足は殆ど焦げていた。
「…」
女神は彼の名前を呼ぼうとして躊躇った。
伸ばそうとした右手を左手で押さえた。
「良かった、コスモス、無事だったんだな」
彼はいつものように、屈託なく笑った。
それは女神がどの輪廻でも、誰の顔にも見てきた表情だった。
彼女はそれらを全て思い出すことなど出来ないけれど。
旅人は笑ったまま膝をついて、それから倒れた。
ぱしゃ、と、薄く張られた水を散らして、旅人の体は俯せになった。
力の無い指先が、揺れる水面の下で歪む。
拍子に落ちた彼の飾り珠の青が一つ沈んだ。
「まだ、光の戦士がいるからさ、大丈夫だよ」
しかし自分が倒れた自覚も無いように、旅人は女神を慰める。
倒れた彼の体から、光が少しずつ零れ出す。
ふわ、と一息に短く昇って、消えていく。
彼の輪郭が薄れていく。
眠そうな声が、ぶれていく。
コスモス、大丈夫だから
かなしみが女神の喉で張り付いていた。
ともすれば遠退く意識を繋ぎ止めて、失われていく旅人を見ていた。
滲む視界が許せない。
しかし駆け寄ることも、ましてや膝に抱き上げることも出来ない。彼女は女神だ。
大丈夫だよ。
虚ろに優しく、声は響く。
旅人の、透明感のあった目が、もうゆっくりと閉じられた。
彼から立ち上る光が、その量を増していく。
潰れた形の唇は開いたまま、朦朧と慰めが彷徨う。
大丈夫だよ。
溢れる光が目映いばかりとなった。
光の繭が彼をくるんでいるようだった。
もう女神から、旅人の姿は見えない。
光の塊が輪郭を煙らせ、今度は幾つもの長い尾を引いて宙に散っていく。
するすると消えていく。
溢れた光は、消えていく。
後にはもう、何もない。
屈託のない笑みも、沈んだ指先も、落ちた青い珠も。何もない。波紋もない。
ぐらりとした喪失が、女神を襲った。
世界がほんの少しだけ揺れた。
この喪失には見合わない、僅かなものだった。
大丈夫だよ。
何がだ。
この世界が好きだと言った貴方を失って、どうして大丈夫だと言えるのか。
コスモスは自身の中に、確かに熱い絶望を感じた。
怒りよりも黒い熱を感じた。
しかし、彼女は女神だった。