学校じゃ気軽に話せる友人もいないし、家に帰っても親は仕事で一人ぼっち
そんな日常に突如入り込んできたのは、変な顔の先生だった

「本日からここのガッコーの先生になります!花澤三郎です!よろしく!」
新任挨拶で長ったらしい挨拶が続いた中、その一言だけで終わらせた彼は、すぐに生徒の人気者になった
先生と言ってもほんとに新人のようで、先生らしいところを見たことはない
用務員さんと一緒になって廊下の蛍光灯を替えてたり、花壇の土いじりをしてたりと、先生らしくないことばかりしていた
休み時間になると彼の周りは生徒でいっぱいだった
私はそれを遠くから見てるだけ
正直、あーいう先生は苦手だった
能天気で馬鹿っぽくて、なに言われてもヘラヘラしてて
見ててイライラした
それでも何故か気になって、いつも見かけると目で追ってしまう自分がいた

私はいわゆるいじめられっ子なんだと思う
トイレに連れ込まれて水ぶっかけられたりなんてしょっちゅうだし、教科書の落書きも日常だ
教室にいたくなかったから、朝のHRだけでたらあとはずっと保健室で過ごしてた
それが日常


いつものように保健室に来たら、先生がいなかった
勝手知ったるなんとやらで、ドアを開けて中へ入った
一番奥のベッドの下にカバンを置いて勢いよくダイブすると、「ぐえっ!」という変な声が聞こえて慌てて離れた

「いってぇな…ん?お前たしか…」
「げっ」
そこに寝ていたのは苦手なタイプの先生…花澤三郎その人だった

「思い出した!名梨!名梨七子だろ!」
「…なんで知ってるの」
「なんか目立つからな!」
勢いよく身体を起こした先生は、首を鳴らしてのびをしたあとこちらを見た
「あ、オレがここにいたことは内緒な」
「は?」
「サボってんのバレたら給料下げられちまうからなー」
な!と笑った先生に、私はただ頷くことしか出来なかった

「じゃーな名梨!ぜってー誰にも言うなよ!」
「誰にも言わないったら…しつこい」
ドタバタと保健室をあとにした先生
その温もりがまだ残るベッドへ横になった
うっすらと煙草のような香りと、太陽の匂い
(苦手なのに…なんでこんな…)
人が使っていたベッドなんて普段は使いたくないのに、この匂いだけで安心して、瞼が重くなって
何故かいつもよりぐっすりと眠ることができた



それから、保健室でサボる先生とよく会った
「また寝てる…そこ私のベッドなんだけど」
「ん〜…むにゃむにゃ…ふへへ」
(バカみたいな顔…)
いつも寝顔が面白くて、それを見るのがいつの間にか日課になっていた
「せんせー、起きてよ」
その大きな身体を揺すると、「んぁ?」と間抜けな声を出して目を開け、しばらく瞬きを繰り返したあとこちらを見た
「おー…名梨か。くあぁ…あーよく寝た」
「おはよ、せんせー」
「おはよーさん」
ニカッと笑った先生につられて笑うことも増えた
保健室は私と先生の秘密の空間になっていて、そこで色んな話をした
先生が高校の頃どんな人だったのかとか、その時ついてたあだ名の由来とか…先生の話は面白くて、声を上げて笑ったりすることもあった
「ふふ、せんせー面白いね」
「そーか?」
「うん。面白いよ。私こんなに笑ったの生まれて初めてかも」
「冗談だろ!」
先生に言ったこと、あながち嘘でもない
母親と、再婚した父親
その間に子どもができてから私はあんまり笑わなくなった
最初の頃はいいお姉ちゃんになろうとしてたけど、両親は私を見ることはなかった
だから、先生に顔を覚えられていて名前まで知られてたことが、今思うと嬉しかったんだ
「せんせ、ありがと」
「あ?なんだよ急に」
「言いたくなっただけ」
「ふーん?どーいたしまして」
そう言って無邪気に笑う先生に、また私はつられてしまった


先生と話すようになって、半年ほど経った頃
いつものように保健室を訪れると、これまたぐっすりと眠っていた
(いい加減バレてもおかしくないと思うんだけどな)
そう思いながらもほっぺをつついたり、頭を撫でたりする手は止まらない
どんな夢を見てるんだろう
この間話してくれた『ボーヤさん』の夢でも見てるのかな
幸せそうなその頬をゆっくりと撫でた
(キスしたいな)
そこまで考えて、ハッとした
「なんでそんなこと考えてんの私…こんな変な顔の…しかも先生だし…好きなわけが…」
『好き』という単語を口にして、一気に顔が熱くなった
(好き?私、先生のこと…好きなの?)
少し顔を近づければすぐに届く距離
先生はまだ寝息を立てている
「せん、せ…」
(起きないで、お願いだから)
心臓の高鳴りを感じながらゆっくり顔を近づけていく

「名梨」

いきなり聞こえた声に肩が揺れた
恐る恐る顔を上げると、見たことない真剣な顔をした先生がこっちを見てて
「…ぁ、あの」
「それは、だめだ」
「っ、…ごめ、な…さ…」
拒否の言葉を口にした先生をこれ以上見ることができなくて、拒否されたのが悲しくて、走って保健室を飛び出した
同級生からどんなに酷いことをされても零れなかった涙が、何故か溢れて止まらなかった



先生は次の日から保健室には来なくなった
冷たいベッドに横になって目を閉じても全然眠れない
(私、嫌われたんだろうなぁ…)
相変わらず、校内で先生を見かけると目で追っている自分がいた
「はぁ…」
あの日から心なしかため息が増えた気がする


ようやくウトウトしはじめた時、騒がしい声が聞こえた
それは私が寝ているベッドに近づいてきて
カーテンが開けられた音がした
(…あ、これやばいやつだ)
そう思った時には遅く、強い力で手足を拘束されてしまった
目を開けると、息の荒い男どもとニヤニヤと笑いながら遠巻きに見ている女がいた
いつも水をぶっかけられたり、教科書に落書きされた私を見てその反応を楽しんでいる女は、私と違って先生達から『優等生だ』とお墨付きをもらっている
私がこの女に酷いことをされたと言っても、誰も信じないだろう
(いつかこうなるだろうと思ってたけど…あーぁ)
今から酷く犯されてしまうんだろうな、そう思ったとき何故か先生のことが頭をよぎった
(先生も、きっと他のやつらと同じ…いや、もうどうでもいい)
男どもの手が、制服の下から侵入してきた
生暖かい息が耳元にかかって気持ちが悪い
強く握られた手首が痛い
(…なんで、こんなことされてるんだろ…)
這い回る手が嫌で、それを少しでも見たくなくて、必死に顔をそむけた
「っ、や、だ…やだよ…たすけ、て…………せ、んせ…せん、せぇ…」
助けなんて来ない
こんな私のこと助けに来るお人好しなんているはずないって、分かってるのに
呼ばずにいられなかった


「なぁ、なにしてんだオメーら」
ふと窓の方から聞こえた声に、男どもが固まるのが分かった
不思議に思ってそこを見ると、ちょうど先生が窓枠を飛び越えて部屋に入ってきた
のしのしと男どもに向かって歩いていく先生の顔がいつもの顔じゃなくて、少しだけ怖かった
でも、こっちを向いて「今からやることは秘密だからな」と悪戯っぽく笑う先生に安心して、小さく頷いた

「ホントはやっちゃダメなんだけどな。まあ今回は仕方ねーよな」
そう呟いた先生は、男どもの1人に強烈な蹴りをお見舞いした
あまりに一瞬の出来事で、呆然とそれを見ていただけの取り巻きに「おめーらもこうなりてーか?」と低く告げた先生
その声で取り巻きは脱兎のごとく逃げ出してしまった
残された女が「他の先生に言いつけてやる!」と喚いているが、先生は何処吹く風だった
「そうしたけりゃそうしろ。オレはなにも間違ったことなんてしてねーからな。逃げねーし隠れもしねー」
先生がそうきっぱり告げると、女は「覚悟しとけ!」と捨て台詞を吐いて保健室を出ていった


「あー、オレの教師生命…」
がっくりと項垂れたその背中に、なんと声をかけていいかわからなかった
「っ、せん、せ」
「ん?どした?」
振り返った先生は思ってたより落ち込んでなくて拍子抜けした
「ぁ、の…ご、ごめん、なさい…私のせいで」
それでも謝らずにはいられなくて、ひたすらごめんなさいを繰り返した
「気にすんなって。オレの大事な生徒を守れたんだ。辞めることになったって後悔してねーぞ。たしかに蹴りはちょっとダメかなとは思ったけどよ」
そう言っていつものように明るく笑う先生に、我慢していた涙がポロポロとこぼれて止まらなくなってしまった
「お、おい泣くなよ…どっかいてーのか?」
オロオロしながら私の頭を撫でる大きな手
久しぶりに触れたその温もりがとても愛おしくて、それから離れたくなくて
目の前の大きな身体に抱きついて堰を切ったように声を上げて泣いてしまった
一瞬固まった先生だったけど、ずっと「もう大丈夫だからな」と優しく背中をさすってくれていて、私はいつの間にか眠ってしまっていた


(……?…あったかい)
「お?起きたか?」
「っ!?」
起きた時、先生が抱きしめてくれてることに気づいて、慌てて身体を離した
「うおっ!?」
「きゃっ、!」
その拍子にバランスを崩し、2人でベッドにダイブする形になってしまった
「あ、せ、せんせ…」
傍から見たら先生に押し倒されてるようにも見える
そう思ったら恥ずかしくなって、赤くなった顔を見られたくなくて、必死に逸らした
「ンなかわいい顔すんなよ…オレ淫行で捕まりたくねーぞ」
困ったように呟いた先生の言葉に思わず笑ってしまった
「せんせ」
「ん?…っ!」
布団の中という密室で先生の太い首に腕を回して、その薄い唇に自分のそれを押しつけた
「ばっ、おまっ!な、なにしてんだ!」
ガバッと起き上がった先生の顔は真っ赤
「予約しておこうと思って」
「予約?」
「うん。先生のお嫁さんになる予約」
「七子?お前なに言って…」
「だから、私が卒業するまで待ってて」
「へ?」
間抜けな顔を見せた先生ににっこりと微笑んで「だいすき」と囁くと、先生はふたたび顔を真っ赤にした

その後、このことがきっかけで優等生の行っていたいじめの数々が露呈して地位も転落、逆にいじめられるようになったり、取り巻きだった不良たちが先生に対してだけ丁寧な挨拶をするようになった。
そのおかげで先生は教師生命を絶たれるどころか『手に負えなかった不良たちを更生させた素晴らしい教師』だと絶賛されることになったのは別の話。



「せんせ」
「お…七子。卒業おめでとさん」
「ありがと…」
「七子…あのな」
「…先生がだめっていうなら、諦めるよ」
「……ンな泣きそうな顔で言われても説得力ねーぞ」
「っ、しょうがないじゃん…だって、好きなんだもん…」
「…分かった。そこまで言うならオレも覚悟決める」
「え」

「今はこんな指輪でカンベンな。お前が20歳になったら、ちゃんとしたやつやるから」
「うんっ、うん…!」


おしまい




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