小学生のときからずっと片思いしている人がいる。
その人は友だちである光穂ちゃんのお兄さんで、顔はちょっと怖いけどそんなことがどうでもよくなるくらい優しい。
初めて会ったのは、光穂ちゃんのおうちに遊びに誘われたとき。
お兄さんはたまたまリビングでテレビを見ているようだった。
光穂ちゃんが大きな声で「ただいまー!」と言うとようやくこっちを見て、そして私の存在に気がついて少し驚いた顔をした。

「お、おじゃまします」

怖そうな顔に緊張しつつ、小さく頭を下げた。
顔を上げるとお兄さんは光穂ちゃんの方を見ていて、なぜか少しだけ寂しかった。

「……光穂、お前友だちいたんだな」
「普通にいるし。義兄ィってホントしつれーだよね…だから彼女できないんだよ」
「そこはカンケーねーだろ!」

光穂ちゃんとお兄さんのやりとりが面白くて思わず笑うと、2人が同時に似たような表情でこちらを見て、それにまた笑ってしまった。



「親御さん心配するだろうからあんまり遅くまで遊ぶなよ」

お菓子とジュースを持って光穂ちゃんの部屋をノックしたお兄さんは、ぶっきらぼうな様子でそれだけ言って階下に戻っていった。

「義兄ィ顔怖いでしょ」

イタズラをする時のように笑って言った光穂ちゃんに「そんなことない」と慌てて否定して首を横に振る。
彼女はそんな様子を見てますます笑みを深くした。

「あたし兄ちゃん4人いるけどさ、1番かっこいいのは政兄ィなんだよね」
「まさにぃ?」
「3番目の兄ちゃんなの!さっきの義兄ィは2番目」
「よしにぃ…さん」

「みんな名前の最初に光って漢字がつくんだー」と光穂ちゃんはいつも楽しそうにお兄さんたちのことを話してくれる。
一人っ子の私にはそれがとても新鮮で面白くて、そんな話ができる光穂ちゃんが羨ましくもあった。
気がつけばもう外はオレンジ色になってきて、帰らなきゃいけない時間になっていた。

「光穂ちゃん、もう…」
「え?あ、もうこんな時間かー…また明日遊ぼ!」

光穂ちゃんの家から私の家は比較的近所だ。
彼女は玄関まで送ってくれた。
来た時にリビングでテレビを見ていたお兄さんは今はいなかった。
光穂ちゃんによると「犬のお散歩に行ってる」らしい。
会えなかったのは残念だったけど、これ以上遅くなるとお母さんが心配してしまうので、「また明日ね」と玄関先で手を振ってる彼女に同じ言葉を告げて手を振り返した。


友だちと別れて一人歩く帰路はいつもどこか寂しい。
一緒にいた時間が楽しかったときは尚更だ。
とぼとぼとゆっくりになる足は、それでもしっかり家へと向かっていく。
(また会えるかなぁ)
頭の中は、まともな会話も出来なかったお兄さんでいっぱいだった。
はぁ、とため息をついて俯いたまま歩いていると、誰かにぶつかってしまった。

「あ、ご、ごめんなさ…」
「いや、こっちこそ…大丈夫か?って、たしか光穂の」
「えっと、よしにぃ、さん…?」
「…おう」

ぶつかった相手はまさしく思いを馳せていた人で。
緊張とぶつかってしまったショックで言葉が出ない。
お兄さんは少し黙ったと思ったらおもむろにしゃがみこんで、大人しく待っていた犬を抱き上げた。

「わふっ!」
「わぁ!」
「アサシオってんだ。俺のダチはみんなコイツのことブサイクって言うけどよ。かわいいだろ」
「っ、」

ニッと笑うお兄さんにドキリと心臓が高鳴った。
顔が見れなくてアサシオに目を向ける。
たしかにチワワやトイプードルに比べればブサイクかもしれないが、愛嬌があって人懐っこくて、かわいい。
手を差し出すと小さい舌でペロリと舐められたので嬉しくていっぱい撫でた。

「とってもかわいい、です」
「そーだろ!」
「わんっ!」

お兄さんとアサシオが同時に返事をしたので小さく笑うと、彼は恥ずかしそうにしながら「…散歩のついでに送ってやる」と言ってくれた。

「光義ってんだ。俺の名前」
「みつよし…さん?」
「おう。弟たち以外に義兄ィなんて呼ばれると気恥ずかしくてな」
「光義さんって呼べばいいですか?」
「おー」

それで頼むわ、と笑う彼の横顔にまたドキリとした。
(私、好きなのかな。お兄さんのこと……だって、こんなにドキドキしてる)
赤くなった顔はバレてないだろうか。
彼は光穂ちゃんと同じで、兄妹の話ばかりしていた。
家に着くまでの時間は光穂ちゃんといたときくらい楽しくて、ずっとこのままならいいのに、なんて思ってしまうほどだった。


家に着くと、もちろん彼は帰ってしまうわけで。
でももう少しだけ一緒にいてほしいと思うより先に手が伸びていて、彼の服をキュッと引っ張っていた。

「?どーした」
「ぁ…、え、えっと…あの」
「ん?」
「みつよし、さん」
「なんだ?」

少ししゃがんでほしい、と言うと彼は素直にしゃがんでくれた。
そっと彼の耳に顔を近づける。

『 好き で す 』

思いを伝えてすぐに離れた。
恥ずかしくて顔が見れない。
「送ってくれてありがとうございました!」とだけ早口で伝えて、玄関まで走った。
ドアを開ける直前に彼を見ると、少し驚いた様子で固まっていた。
それでも目線が絡まると彼の顔は一気に顔が赤くなり、逃げるように走って行ってしまった。

(……言わなきゃよかった、かな)

自分の行動に少し後悔しながら部屋へ向かう。
明日はどうやって光穂ちゃんと話せばいいんだろう。

「はぁ〜……」

ベッドに倒れこみ、大きなため息をついた。


次の日の放課後、光穂ちゃんに再びお家に来るよう誘われた。
でも、あの日以降彼に会うことはなく。
会えない度にまた会えなかった、嫌われたんだと枕を濡らした。

そんな淡い初恋に弄ばれ、気がつけば中学生になっていた。


中学2年になった。
光穂ちゃんとは相変わらずよく遊ぶ友だちだが、学年が上がってクラスも別になったので話す機会は減っていた。
高校くらいはいいところに行きなさい、と親が言いだして塾に通わされるようになった。
このせいで、放課後光穂ちゃんと一緒に帰ることが難しくなった。

「はぁ……」

元々勉強は好きだが、自分のペースで進められない進学塾は嫌いだ。
(もう行きたくないなぁ…)
講師の言っていることは半分も理解できない。
重いため息は留まるところを知らない。
塾が終わるのはいつも9時半ごろで、家に着く頃には10時を回ることもあった。
疲れた足取りで帰路につく。

「はぁ……」

これで何度目のため息だろう。
こうやって1人で歩いているとどうしても思いだすのは、初めて恋をした日のことだ。

(たしか俯いて歩いてて…)

今は思い出の中でしか会えないあの人。
思い出すだけでこんなにドキドキしてしまう。
叶わない初恋だ。
だって、その日以来会えてないのだから。

「おい」
「え?きゃっ…!」

いつの間にか俯いて歩いていたようだった。
低い声が聞こえたと思ったら大きななにかにぶつかった。
思わず目をつぶって尻餅の衝撃に備えたが、一向にやってこない。
おそるおそる目を開けると、目の前にいる男の人が手を掴んでくれていた。
男の着ているパーカーには大きく『月光』と書いてあり、その顔の左目辺りには額から頬にかけて斜めに傷が入っている。

「大丈夫か」
「あ…!はい…あの、ありがとうございます」

慌てて姿勢を正して礼を言うと、男はそれまで掴んでいた手を容易く離した。

「ぼーっと歩いてたら危ねーぞ」
「あはは…そうですね。ちょっと、疲れてて……気をつけます」

乾いた笑いをこぼして告げると、小さく息を吐いた男は「送ってやる」と言って、背中を向けて歩き出した。
歩くスピードを合わせてくれる彼に少し好感を持ちつつ、疑問が生まれた。
(…なんで私の家の方向知ってるんだろ)
不思議に思いつつも黙ってついていく。
歩きながらずっと考えていた。
しかし思いだすのは初恋のあの人だけ。
あの頃の記憶しかないので確証が持てず、いつの間にか隣を歩く男の横顔をじっと見つめていた。

「……あんまり見るな」
「えっ、あっ、すいません」

見つめていたことが恥ずかしくて思わず俯くと、男はおもむろにパーカーの中に突っ込んでいた右手を出した。
その手に握られていたのは棒付きキャンディーで、キョトンとしていると「俺のお気に入りだ。美味いぞ」とだけ告げて少し笑った。
(あ、笑った)
ドキリと心臓が高鳴った。

「あ、りが、とう…っ」
「おー」

震える手でそれを受け取り、ぎゅっと握りしめる。
あの笑い方、雰囲気。
間違いない。

「あ、の…もしかして、光義さん…ですか」
「…………気づいてなかったのか」

今の今まで気がついていなかったことを知った彼は少し落ち込んでいた。

「嫌われてると思ってました…」
「別に嫌ってたわけじゃ…ただどんな顔すりゃいいか分からなくて」

好きだなんて言われたの初めてだし……とブツブツ呟く彼は、人相はだいぶ変わってしまったがあの時のあの人そのままで。
ふふ、と小さく笑うと「笑うな」と拗ねた声が返ってきた。

「最近はうちにこねーからどうしたのかと思ってな」
「あ……塾に通うことになって、光穂ちゃんと帰るタイミングが合わなくなっちゃったから…」

ほんとは一緒に帰りたいんだけど、と笑うと、彼は黙ってその大きな手で少し乱暴に頭を撫でてくれた。

「喧嘩とかじゃなくてよかった」

そう言って笑う彼は変わらず兄妹思いの人で、私も変わらず光穂ちゃんが羨ましいと思った。

「いつもこの時間に帰るのか?」
「はい。大体この時間に…」
「塾は毎日か?」
「そうですね……土日以外は…毎日……はぁ…」
「そーか…大変だな」

よしよし、と撫でてくれる彼の手があったかくて優しくて。
疲れて涙腺の緩んだ目には刺激が強すぎた。
ポロポロとこぼれる涙を見せないように乱暴に拭って、俯いた。
彼は少し前を歩いて、私はそんな彼の服を少しだけ引っ張った。
泣いていることなんてとっくに気づいてるはずなのに、気付かないふりをしてくれる彼。
不器用だけど優しくてあったかい。
(ああ、好きだなぁ)

「好きです…だいすき……」
「っ、!」

好き、と嗚咽混じりで呟く私に何かを言おうと振り返った彼だったが、あまりにひどい顔だったからだろうか何も言わずにまた背中を向けてしまった。


そうこうしているうちに家に着いてしまった。
涙は止まったが目が腫れてしまっているのは鏡を見なくても分かる。

「落ち着いたか?」

彼の優しさが今は苦しい。
できればこんな姿見られたくなかった。
首を縦に振ると「よかった」とまた頭を撫でてくれた。
そして手が離れていき、次に訪れたのは額に感じる柔らかい感触。
驚いて顔を上げると、真っ赤になった彼の姿があった。

「元気出るかと思っ……い、今のは忘れてくれ!」

恥ずかしさからなのか顔全体を手で覆う彼がとても可愛く見えてしまい、疲れも何もかも吹っ飛んでしまった。

「光義さん」
「…ンだよ」

名前を呼ぶと少し不機嫌そうな声色で返事が返ってきた。
それすら可愛いと思ってしまうあたり重症かもしれない。

「好き、です」

あの日と同じ、2度目の告白。
あの日よりは、伝わっただろうか。



結局その日は返事をくれなかった。

でも、その日からの帰り道は『偶然』居合わせる彼と一緒だ。
一緒に帰って、別れ際には必ず「好き」と伝える。
そのたびに顔を赤くする彼のその口から、いつ同じ言葉が出るのかとドキドキしながらその日を待つのだ。

低くて心地いい声で、真剣な目を向けて。
「好きだ」なんて言われた日には。
きっと私は嬉しすぎて気絶してしまうかもしれない。


そんな未来はもうすぐそこに。



おしまい。




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