高校に入ってすぐいじめが始まった。
昔からいじめの中心人物だった幼なじみの彼はいない。
それでもいじめは無くならなかった。
中学2年に事件を起こして転校しても不登校ぎみになっていたから、不良が多い学校に行くしかなかったというのも原因の一つだけど、その不良たちに逆らう気持ちがそもそもなかった。
だからいいカモにされて、お金を取られることが日常化していた。
お金があればそれを取られて、なければ殴られる…そんな学校生活を送っていて、一時期は自殺も頭をよぎった。

でもそんな生活を変えてくれたのは、誰でもない昔いじめられていた幼なじみの彼とそのお友達だった。

彼の顔に消えない傷をつけたのに、彼はそれを怒るどころか「そこまで追い詰めてしまって悪かった」と謝ってきた。
それを聞いた途端涙がこぼれて止まらなくて、公園のベンチで隣合って座っていた彼にひたすら「僕こそ、ごめん…ごめんなさい」と謝った。
彼はしばらく黙ったままだったけど、「あーもう泣くな!俺がいじめてるみてーだろーが!」と乱暴に僕の頭を撫でて、驚いて思わず彼のほうを見た時バッチリ目が合って、不機嫌そうだった彼の表情が一転して「よし、止まったな」と満面の笑みに変わったその瞬間、大きく心臓が高鳴るのを感じた。

それからは学校のことを少し話して、彼にアドバイスされて、その後不良たちへ拒否を示したあと何度か殴られたけど頑張って耐えた。
その日を境に不良たちからいじめられることも無くなったし、高校は違うけど友達もできた。
同じ高校にも彼と下宿先が同じ人がいて、その人とも仲良くなれた。
そして気がついたらアドレス帳に入ってた『迫田武文』の文字に、家に帰って何気なく携帯を開いて気づいた。
ベッドでもんどりうったのは言うまでもない。
よく遊ぶのは寅ちゃんだけど、彼ともよく遊ぶようになった。
遊ぶといっても学校帰りにファミレスでご飯食べたり、一緒に洋服を買いに行ってくれたり……まあ男女同士だったらデートと呼べるようなものなんだろうけど。

普段はメールのやり取りだけど、たまに電話がかかってくるとドキリとする。
彼の低い声が耳に響くたび心臓がうるさくて、弱い電流が背中を流れていくような感覚がして落ち着かないし、おかげでいつもどもってしまう。
そのたびに彼は笑って、その優しい声色でまた心臓がうるさくなる。
その頃にはこの感情がどんなことを意味するのか気づいてた。
でもそれに気づいてしまうとうっかり言ってしまいそうで。
気持ちを言ってしまうと、この関係が崩れてしまうんじゃないかと怖くて仕方なかった。
だからひたすら気づかないフリをしていた。



そんなぬるま湯みたいな関係が1年経つか経たないかという頃。
世間は女の子のためのイベントが近づいていた。
ここ最近は彼も忙しいらしくなかなか連絡がつかないのを寂しく思いつつ、その日は妹に頼まれた義理チョコを買いに近くのスーパーへ買い物に来ていた。
大量に並べられた豊富な種類のチョコを横目に見ながら、お徳用と大きく書かれたチョコを手にとり持っていた買い物かごへ入れた。

(僕も作ってみようかな…)

陳列された棚には手作り用のレシピと必要な材料もあった。
そういえば出かける前に妹の雑誌を盗み見たら友チョコというのもあるらしいから、これならなんの疑いもなく彼にチョコを渡せるチャンスだと心の中で小さく決意した。

どうせ作るなら下宿先の人みんなにも渡したいので、彼のものだけ別で作ろうと決めた。
みんなには個別に渡せるようチョコのカップケーキ。
彼はきっと甘いのは苦手だろうと思い、別で作ることにした。
最初は何度も失敗したが、なんとか形にはなった。
だけど見た目が悪くて、でももう作り直すだけの材料も時間もなかった。
プレゼントするための箱に、間違えないように別で入れて、急いで学校に行く準備をして家を出た。


『今からお家行ってもいい?』
『いいぞ』
『じゃあ向かいます』
『おー』

放課後彼とメールでそんなやり取りをしたあと、一旦家に帰って作ったチョコを持ち出した。
到着したのはメールして30分ほど経ったころ。
着いたと連絡してもしばらく緊張で玄関の前で固まってると、勢いよくドアが開いて慌てて避けた。
ドアを開けたのは彼本人で、「久しぶり」と笑うと「おう。…まあ入れ」と少し照れくさそうに部屋に上げてくれた。

「んで、今日はどうした?」
「うん…えっとね、これ」
「なんだこれ……チョコ?」

彼の部屋に行く前にみんな用に作った方を渡して、「梅星さんと武文くんたちに。友チョコだよ」と伝えると、彼は首を傾げた。

「なんで急に」
「え?だって今日、バレンタインだし……」
「……………………あっ!!」
「忘れてたの?」
「…だってもらったこともねーし…そもそも鈴蘭は男子校だからそういうのねーしな」
「あぁ、なるほど…」

とりあえずありがとな、と彼は笑い、そんな彼の表情にまたドキドキと鼓動が速くなる。
「リビングに置いてくるから先に部屋行ってろ」と言われ、彼の部屋まで来た。
ドアノブを捻って1歩進めば中に入れるが、どうしてもその1歩が踏み出せない。

(ドキドキする…うう、がんばれ!僕!)
「何突っ立ってんだ」
「ぅひゃあっ!?」

いきなり後ろから声をかけられて素っ頓狂な声をあげてしまった。
バクバクする心臓を抑えながら後ろを見ると不思議そうな顔をした彼が立っていた。
「入らねーのか?」と聞かれてようやく握りしめていたドアノブを捻って扉を開けた。

ベッドに座って落ち着いたところで、彼のために作った方を差し出した。

「武文くん。これ…あげる」
「ん?なんだ…これさっきのやつとは違うのか?」
「う、うん。武文くんには、特別」
「特別?俺ァ特になにもしてねーだろ」
「仲直りもできたし、僕のこと助けてくれたし、友達もできた。武文くんのおかげだよ。それに僕、……」
「なんだ?」
「……な、なんでもない」

言いかけて、慌てて口を閉じた。
『好きだから』なんて絶対言えない。
単語を思い浮かべただけで顔に熱が集まる僕を気にすることなく、彼は呑気な口調で「食っていーか?」と聞いてきた。
首を縦に振りつつ「見た目は悪いけど…」と苦笑いしている間に彼は箱を開けて中身を手に取り口に運んでいた。

「ん…あんま甘くねーな」
「甘いの苦手だと思って…口に合わない?」
「いや、すげー美味い」
「そっか。よかったぁ」

嬉しい感想にホッと胸を撫で下ろすと、彼がおもむろに残った分を差し出してきた。
やっぱり美味しくなかったのか、と内心落ち込みつつ「お、お腹いっぱい?」と尋ねると、彼は変な顔をして「口、開けろ」と告げた。
よく分からずもとりあえず言われた通りに口を開けると、いきなりチョコを押し込まれた。

「んっ、んぐ!」
「美味いだろ?」
「っ、う…はぁ、びっくりしたぁ……」

ふふん、とまるで自分が作ったかのように自慢げな彼。
口の中に広がるほろ苦いカカオの風味はどんな試作よりも美味しくできていた。

「お、美味しい…じゃなくて!…武文くんに食べてほしくて作ったのに僕が食べちゃ、」
「ほれもう一口」
「えっ?あっ、んん!んぅ、っ…」

反論する間もなく再び口元にチョコを近づける彼。
口を開いた隙に先ほどと同じように口へ押し込まれたが、今度は勢い余って指の先端が少し入ってしまった。
彼の指が唇に触れたのは一瞬で、ゆっくりと離れていく。
気がつけばケーキは無くなっていて、さっき食べたのが最後と気づいた。

「、ぁ…最後の一口…」
「気にすんな」

指先に残ったチョコを彼は何事もなかったようにペろりと舐めとった。
僕はといえば、さっきからドキドキしっぱなしだ。
視線はずっと彼の口元に釘付けになっていて、頬に熱が集まる。

「どうかしたか?」

いつのまにこちらを見ていた彼の問いかけで我に返り、慌てて「なんでもない」と返して俯いた。

「…結局、僕がほとんど食べちゃった」

やっぱり口に合わなかった?と尋ねると、彼は「美味いっつったろ」とやれやれという風にため息をついた。

「でも、」
「…お前と一緒に食べたかったんだよ」
「え」

言わせんな、とそっぽを向いた彼の様子に、むずむずと心の奥から愛おしさが込み上げてきた。
彼の頬に手を伸ばしこちらを向かせると、やっぱり顔はほんのりと赤くなっていて。
「武文くんかわいい」と呟くと小さく舌打ちが聞こえたあと「うるせー」と言われ、思わず笑ってしまった。

「笑うな」
「ごめ、だって…ふふ」
「……」

すると、不意に彼の頬に当てていた手を取られ、ずいっと顔を近づけてきた。
いきなりのことに何も出来ず固まっていたが、どんどん迫ってくる彼に慌てて身体を離した。
だけどうっかり手を滑らせて、結局押し倒されるような形でベッドに倒れ込んでしまった。

「歩巳」
「な、なに…ん、ぅっ!、ぁ、は…」

ゆっくりと唇を塞がれ、何度も角度を変えながら徐々に口付けは深くなっていく。
肉厚な舌が口腔内にねじ込まれ貪られるたびにビクビクと身体が震えてしまう。
酸素が足りなくて苦しくなり、自然と涙がこぼれた。
生々しい水音に耳を犯されながら、押し返そうとしていたはずなのにいつの間にか縋りつくように彼のシャツを握っていた。
もっと欲しくなって、気づけば自分から舌を絡めていた。
混ざりあった唾液が口の端から流れるのも気にせず、ただひたすら唇を重ね合わせた。

「ん、は…ぁ、はぁ…たけふみ、くん…?」
「…チョコの味がする」

甘い、ようやく唇が離れたのを名残惜しく思いながら名前を呼ぶと、そう言われた。

「いっぱい、たべたから…」
「それもそうか」
「それ、より…武文くん…?あの、なんで…こんな」
「あ?なんでって……」

いきなり唇を塞いできた彼の行動を不思議に思い尋ねると、彼は普段と変わらない口調で一言、言った。

「好きだから」

「……、え…………………………えぇっ!?」

一瞬なにを言われたのか分からなかったが、徐々に頭が理解に追いつくと急激に顔に熱が集中した。

「なっ、なん…っ、だって、だってずっと……僕、いじめられ、」
「……、それに関しては悪かったと思ってる。……今思うと俺もどうかしてた」
「…?」
「守るってずっと思ってたんだけどな…他のやつと仲良くしてんの見てたらスゲームカついちまって…」

ごめん、と謝る彼に、なんとも言えない感情が胸に溢れて、覆いかぶさったままの彼の首にゆっくりと腕を回した。

「たけふみくん、…」
「あゆ…、ン…ッ」

目を丸くした彼に、今度は自ら唇を重ねる。
軽く、啄むようなキスを何度も、何度も。
どのくらいそうしていたんだろう。
気の済むまでキスをしてようやく彼を離した頃にはお互いすっかり真っ赤になっていた。

「……顔、真っ赤だね…」
「………お前もな」
「ア、アハハ…」

あークソ…、と小さく悪態をついた彼は、自身を支えていた腕を解放したせいで全体重がのしかかってきた。
「ぉ、重い…たけふみ、ぐん…っ」と訴えたけど、彼は聞く耳を持たないどころかさらに体重をのせてきた。

「た、武文くん…?」
「……なんだよ」
「あの、ね…まだ僕、武文くんに言ってないことがあって」
「?」
「……本当は、言うつもり無かったん、だけど」
「なんだ?」

僕の言葉に彼は身体を起こして、真っ直ぐ目を合わせた。
その視線にドキドキしつつも、ちゃんと言わなきゃと己を奮い立たせた。

「あのね…、えっ、と」
「……」
「僕」
「おう」
「武文くんのこと」
「おう」
「…………、き」
「あ?聞こえねー」

小さく呟きすぎて聞こえなかったようで、今度はしっかり耳元で囁いた。

「す、き」

小さくだったがしっかりと告げて、目を閉じ彼の反応を待った。
だけど何も言わない。
さらにはのしかかっていた重みも無くなったのでどうしたのかとゆっくり目を開けると、彼は身体を起こしてさっきよりも真っ赤になった顔を覆っていて、まるで何かを耐えてるようだった。
僕も起き上がって「どうかしたの?」と尋ねても、黙って首を横に振るだけで何も言わないし顔を見せてくれない。

「武文くん?」
「………………る」
「ん?」
「かわいすぎる」
「え、」

予想外の答えが出て一気に顔へ熱が集まり、固まってしまった。
そしてようやくこっちを向いたと思えば、「…頼むから、他の誰にもそんな顔すんなよ」と妙に真剣な顔で言われてしまった。

「そんな顔って?」
「…………」

大きくため息をつく彼を不思議に思いつつ、「でも、」と続ける。

「素直に打ち明けてよかった」
「あ?」
「なんだかとってもスッキリした気分」
「……」

えへへ、と笑うと彼がゆっくりと近づいてきて、優しくキスをされた。
素直に目を閉じて受け入れる。
そのまま再びベッドに押し倒され、甘い空気が部屋に満ちる。
ちゅ、ちゅ、と小さく聞こえる音で絶妙に欲を掻き立てられて、もっと求めてほしいと強く抱きついた。

「んっ、ぅ、は…ぁ、んぅ、っ」
「、…ん」

触れるだけのキスを何度も。
離れるころには息も上がってしまっていた。

「今日は泊まってくんだろ?」
「え、…えーっ、と」
「なんだよ」
「今日、は……帰ろうと思ってたんだ、けど…」
「明日は休みだろーが」
「う、ん…」

じゃあ決まりだな、と満足そうに笑う彼。
着替えもなにも持ってないのに…とは思ったが、彼と両想いになって初めての夜と考えただけで、イケナイ想像が頭をぐるぐるしている。

(母さんに電話しなきゃな……)

そう思いながら、再びのしかかってきた彼の首に腕を回した。





その日の夜が眠れないものになったのは言うまでもない……よね。


おしまい。



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