好きになったきっかけは分からない。
気がついたら目で追うようになっていた。
同じ下宿先に住む同居人で、口元に特徴的な傷があって、大柄で、よく怒って、よく笑う。
喜怒哀楽がハッキリしてて、とてもわかりやすい。
観察していると、視線に気づいてこちらを見ることもあった。
そんな時は大体人相が悪くなって、低い声で「なに見てんだ」と口を尖らせる。
嫌われてるなぁとは思いつつ「なんでもないよ」と笑って返すと、「…ふーん」と不満げに相槌をうった。
そう、多分俺は彼に嫌われている。
嫌われているというのは語弊があるかもしれないが、信用されていないのは確かだ。
何を考えているのか分からない、なんて言われたことは今までに何度もあるし、彼はきっとそういう得体の知れないものが苦手なんだろうと思う。
だからなのだろうか。
余計に欲しいと思ってしまうのは。
ある日、バイト先に向かう途中同じ高校の女子生徒から手紙を受け取った。
いわゆるラブレターというやつだ。
昔から時折もらっていたが、差し出した子に特別な感情を持つこともなかったので今まで全部断りの返事を書いていた。
彼からのものならあるいは、そう考えて笑みがこぼれる。
あの男がそんな可愛らしいことをするはずがないからだ。
彼ならきっと、回りくどいことなんてせずにまっすぐ一言「好きだ」と言うんだろう。
きっと、とても分かりやすい表情を浮かべて。
バイトが終わり、手紙の返事をどう書こうか考えながら帰路につくと、玄関先で部屋着のまま煙草を吸う彼がいた。
此方に気づくと「おかえり」と声をかけてくれた。
「ただいま。何してんだこんなところで」
「…飯作ってるから外で吸えってマリ姉が」
「なるほどな」
小さく笑うと「笑うんじゃねー」と彼は少し恥ずかしそうにしていたが、俺の持っていた手紙に気がつくと「それなんだ?手紙か?」と興味を示した。
「ああ。バイトの前に同じ高校の子からもらったんだ」
「ラブレターってやつか…ケッ、これだからイケメンは」
本当に嫌そうに顔を歪める彼に思わず吹き出してしまった。
また「笑うな」と怒られてしまったのだけど。
「まあ断るけどな」
その言葉に彼は驚愕の表情を浮かべて「なんでだ。もったいねー」と呟いた。
「他に好きなやついるから」
「まじかよ!初耳だぞ!」
今度は一転ウキウキとした表情になった彼に内心ため息をつきながら、「誰にも言ってないからな」と苦笑した。
「どうせ叶わないから」
「あ?なんだよ。珍しくしょげてんな」
「はは、まあな。…相手はさ、俺のこと嫌いかもしれないんだ」
「そーなのか?」
本当に彼はコロコロと表情が変わる。
心配そうにこちらを見る彼に思わず自分の気持ちを吐露してしまいそうになった。
「嫌い…とまではいかないとしても、信用はされてないかもな」
「ふーん…でもお前の顔なら告っちまえばイチコロだろ。女もだけど、真剣に迫られたら男も落ちそうだよな」
ダハハと笑う彼の言葉にドキリとする。
気づいてないくせに、彼はこうやって時々鋭く心を抉ってくるのだ。
「どうしたら振り向いてくれると思う?」
「あ?」
「好きな人。迫田ならどうする?」
動揺を笑顔で隠して彼に尋ねた。
問いかけられた彼はしばらく思案するような顔をして、「俺なら、」とゆっくり話し始めた。
「俺なら、好きだって言う」
「っ、…そうか」
「好きだって言っちまえば、元々興味なくても意識しちまうだろ」
「それも…そうだな」
俺の意見なんて大したもんじゃねーけど、と不貞腐れた彼に「そんなことない、参考になった」ありがとう、と礼を述べると、彼は素直な礼に慣れていないのか照れたように短く返事をした。
夕飯のあと風呂から上がってリビングへ行くと、つまらなさそうにテレビを見ている彼がいた。
「風呂空いたぞ」
向かいの席へ座る前にそう声をかけると彼は短く返事をすると入れ替わりで風呂へ向かっていった。
テレビではよくある恋愛ドラマがやっていて、彼はこういうものも見るのかと少し意外だった。
10分後、半裸で出てきた彼は冷蔵庫から缶ビールを取り出して勢いよく飲んでいた。
普段はツンととがった髪を後ろに撫でつけた彼の、上下する喉仏をなぞるように滑り落ちていく水滴、風呂上がりとアルコールを摂取したことでほんのり赤らんだ顔、無駄のない締まった体躯、その全てが心の奥底で抑え込んでいる情欲を刺激する。
誤魔化すようにテーブルに置かれたポットからコップに水を入れて一気に飲み干した。
彼はこちらを気にすることもなく先程座っていた席へ腰掛け、再びテレビを眺めた。
「面白いか?」
「なにが」
「テレビ」
「別に」
素っ気なく返事をする彼に苦笑しつつ、テレビ画面に目をやる。
ちょうどヒロインと思われる女性が主人公と思われる男性に涙ながらに告白するシーンだった。
『どうしようもなく貴方が好きなの!』と叫ぶ女性の言葉に自分の心情が重なり少し胸が痛んだ。
ふと彼を盗み見ると欠伸混じりでつまらなさそうにテレビを見ていて。
その横顔にどうしようもなく好きなんだと何度したか分からない自覚をさせられた。
「なあ迫田」
「なんだよ」
「さっき言ったよな。好きって言えばそれまで興味がなくても意識するようになるって」
「……ああ、さっきのな。それがどーした?」
「…好きだよ」
「え?」
「迫田が好き」
「…………は?」
「好きだ」
「冗談、」
「なわけないだろ」
「う、…」
普段の会話の中で放り投げた告白はなかなかに衝撃だったようで、彼は文字通り固まってしまった。
「迫田」と声をかけるとハッとしたように立ち上がり、少し赤くなった顔で「も、もう寝る!」とリビングを出ていってしまった。
「逃げるなよ」
「っ!」
彼を捕まえたのは、彼が自室へ入ろうとするまさにその時だった。
見ると顔を真っ赤にして、どうしていいか分からない様子だった。
「迫田」
「…なん、だよ」
俯きがちになった彼の頬に手を添えて顔を近づける。
それにより再び固まった彼の唇に自身のソレを軽く重ねると、ビクリと大きな身体が跳ねた。
抵抗されないのをいいことに何度も角度を変えながら軽いキスをした。
されるがままの彼を可愛いと思いつつ、ギュッと引き結んだままの口をこじ開けようと右手で緩く腰をなぞった。
「っ、あ…んっ、ふ、ぅ」
小さく声を上げたその隙に舌を絡ませる。
くぐもった彼の声と唾液の絡む音に鼓膜を刺激され、さらに欲情した。
ゆっくりと唇を離すと、彼は肩で息をしつつ涙目でこちらを睨んできた。
「な、に…しやがるっ!」
「我慢できなくてつい…ゴメンな」
好きなんだ、何度も告げた言葉を繰り返すと彼は少し困ったように頬を掻いた。
「なんで、俺なんだ」
「好きになるのに理由が必要か?」
「そ、れは…っ、まあ…そうだけどよ」
「拒否してもいい、嫌なら言ってくれ。じゃないと止まらない」
「ぅ……」
言葉に詰まった彼に微笑んで、彼の背後にあった部屋のドアを開けた。
部屋へ入ると彼を壁に押し付けて先ほどよりも深くキスをした。
「は、ぁ…ん、っう…」
足と足の間に膝を割り入れて、身体を密着させる。
するといきなりガクンと彼の膝が折れた。
「大丈夫か、迫田」
「はぁ、はぁ…大丈夫に、みえんのか、ばかやろー」
「気持ちよかったか?」
「うるせーよ!」
悪態をつく彼だったが座り込んだまま立ち上がる気配はなく、よく見ると部屋着の上からでも分かるくらい勃っているのが見えた。
「感じたのか?」
「な、にを…っ、ぁ!」
「ここ、勃ってる」
「〜〜、っ!!」
座り込んだおかげで顔が近くなったので、耳元へ唇を寄せ低く囁きながら彼の主張したモノに触れると、面白いほど反応し声にならない声をあげた。
「迫田、かわいい」
「ど、こがっ…ぅ、あ!ばか、さわっ…ん、なぁ!」
ユルユルと軽く手を上下させるとその都度反応する彼の姿に興奮で震える。
空いた手で汗ばんだ胸板に触れて、その心臓がドクドクと脈打つのを感じた。
触れるたびに我慢しきれず小さく声をあげるその姿が、情欲を煽ることに気づいているのだろうか。
荒く息を吐く彼の顎を持ち上げて触れるだけのキスをする。
目をギュッと閉じて受け入れるだけの彼に、逆に不安になってきた。
唐突に身体を離すと、彼は不思議そうな顔を向けた。
「なんで拒否しないんだ」
「…、あ?」
「なんで…されるがままなんだよ」
随分自分勝手な奴だと内心自嘲しながら「拒否してくれ…頼むから」と彼にすがりついた。
普段のクールな自分はどこへ行ったのかと思う。
拒否されるのも嫌だがただただ受け入れられるのも信じられない、子どものようなワガママだ。
身勝手な自分が情けなくて、鼻の奥がツンとして、ポロ、と涙が零れた。
「あー、えーっと……大丈夫か?」
「……だいじょうぶ」
「大丈夫じゃねーな」
苦笑混じりの声が聞こえて恥ずかしさのあまり顔が熱くなる。
ゆっくりと回された太い腕が温かさも、かけられた言葉も優しい声色も、全てが涙腺を刺激してポロポロと止まらない。
俯いたままの頭を不器用ながら優しく撫でる彼のその手がたまらなく愛おしい。
「泣くなよ。俺がいじめたみてーだろ」
「ごめん…」
グス、と鼻をすすると小さくため息をつく音が聞こえた。
ゆっくりと彼から身体を離すが、立ち上がるのは何となく嫌だったので対面した状態でしばらく沈黙が続いた。
「………」
「………」
「……あー、あのよ拓海」
「…なに?」
「えっとな…その」
かける言葉を探すように口ごもる彼に微笑んで、「なに?」と尋ねた。
「俺は」
「うん」
「別に、お前のこと」
「…うん」
「嫌いなわけじゃ…ねーからな」
「…、うん」
「その…まだ、よく分かってない、から」
もう少し待ってくれ…、と言葉を紡ぐたびに赤くなる顔を俯かせ今度は此方にもたれかかってきた彼の頭を抱きしめた。
苦しい、と訴える彼を解放すると、彼は照れたように頭をかいた。
「迫田」
「…なんだよ」
「だいすき」
「っ…そ、そーか」
ふふ、と笑うと「笑うな」と顔をしかめたのでもう一度だいすきと告げて口端にキスをすると「っうるせー!」と真っ赤な顔で怒鳴られ、軽くゲンコツされ距離をとられてしまった。
「っ、いてーよ」
「うるせー!とっとと出てけばーか!」
「はいはい」
素直に従ってヒラヒラと手を振り扉に向かう。
鍵をかけていなかったことに内心ヒヤリとしたが、本人は気づいてないので内緒にしておこうと思う。
(明日顔を合わせるのが怖いなぁ)
部屋の扉がゆっくりと閉じ昂っていた気持ちも完全に落ち着いて、小さく息を吐くとふとそんなことを思った。
自室に入り、ベッドに身体を沈める。
目を閉じると瞼の裏に浮かび上がるのは先ほどの光景。
上気して赤らんだ頬、普段見せない艶のある表情、全てが焼きついて離れない。
触れた肌の熱さや唇の柔らかさ、息遣いや小さく漏れる声、石鹸と汗の混じった匂い、タバコ味のキス、どれもまだ感触として己の身体に残っている。
「寝れるわけがねー…」
なにしてんだ俺…と今さらながら後悔の波が押し寄せてきた。
でも、と彼に一番触れた手を見つめる。
「また触れたい、な」
しばらくは無理だろうけど、そう独りごちて部屋の電気を消した。
その日の夜はいつもより数倍長かったように思う。
全然眠った気がしないまま朝を迎えた。
花が起こしに来る前に着替えて部屋を出て洗面所へ向かう。
彼はまだ寝ているだろうか、顔を洗いながらそんなことを考えていると、ふと隣に人の気配を感じた。
「よう」
「、あ…お、はよ」
そこに立っていたのは彼で、予想外のことに頭が追いつかず挨拶をどもってしまった。
「今日は早いな」と努めていつも通りに話しかけると、不機嫌そうな顔と低い声で「誰のせいだと思ってんだ」と言われて面食らった。
「…俺?」
「おー…自分で言った通りだったな」
「え、?」
「今、すげーお前のこと意識してる」
彼はそう言ったあと恥ずかしさを誤魔化すように勢いよく顔を洗っていた。
耳まで真っ赤になっていることに彼は気づいているんだろうか。
彼の言葉が頭から離れない。
意識している?彼が?自分を?
その事実だけで天にも舞い上がりそうなほど嬉しかった。
タオルで顔を拭いた彼の顔はまだほんのりと赤く、未だに隣に立つ俺の姿を鏡越しに見てあからさまに驚き、ほんのりと赤かった顔はみるみるうちに真っ赤になっていった。
「なんでまだいんだよ!」
「迫田のこともっと見てたくて」
ダメ?と首を少し傾げると彼は困ったような顔になり、頭を乱暴にかいたあと「あーもう!」とやけクソになったようだった。
「てめーなんかキライだ…」
「俺は好きだよ。大好き」
「うっ、うるせー!」
もう黙れ!と軽く頭を叩かれて思わず笑ってしまった。
訝しげにこちらを見る彼に「なんでもない」と告げると、特に何も聞かずにいてくれた。
リビングに入る前、彼を呼び止めた。
律儀に振り向いてくれる彼の頬に手を添えて、少し背伸びをしてその唇へキスをした。
「迫田」
「て、め…!なにして、っ」
「好きだよ」
昨晩何度も囁いた告白。
その時の彼はただただ驚くだけだった。
「っ…!お、れは……キライ、……じゃない…」
「!…ありがと、迫田」
今日の彼はたどたどしくも今持っている気持ちを告げてくれた。
理想の答えには程遠いがまずは第一歩といったところだろう。
とりあえず今は、湯気が出そうなほどに赤くなった彼の顔をどうやって普通に戻すか、それを最優先に動かなければ。
おしまい。
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