初めて彼を見た時から気になっていた。

毎朝電車に揺られて、HR前に行われる小テストの範囲を確認するのが日課だった。
かわり映えのない日常。
今日も特に変化なく終わっていく。

俺は退屈だった。

そんな日常に、彼は突然現れた。
頭一つ飛び抜ける大きさ。
独特の髪型に面長の顔。
丸いサングラスをかけていて目元はよく分からない。
黒いダボシャツには何か色々書いてある。
その全てが印象的で、強烈に脳裏に焼きついた。
彼が電車に乗り込むと、そこに自然と空間ができた。
彼の風貌と威圧感がそうさせるのだろうか。
確かに見た目は厳ついが、そこまで怖いという印象は受けなかった。

その日から、彼を見つけることが毎日の楽しみになっていた。
乗り込んでくればひと目でわかるが、いかんせん遭遇すること自体が少ない。
見かけなかった日は1日気分が落ち込むが、見つけた日は嬉しくて気分が浮ついてしまって。
彼が乗り込んでくると、必ず聞こえるのが「ゼットン」と「鈴蘭」という言葉だった。
「ゼットン」とはなんだろう。
なにかの名前だろうか?それとも彼のあだ名なのだろうか?
「鈴蘭」は知っている。
うちの学校でも有名な不良の巣窟。
彼はその鈴蘭なのだろうか?
彼に対する興味は尽きない。
勉強以外でこんなに興味を抱いたことは初めてだった。
いつの間にか俺の頭は彼のことでいっぱいになっていた。

「米崎、最近のお前の成績、あまりいいとは言えないな」

毎朝のテストの点数が思わしくなく、放課後とうとう教師に呼び出された。

「お前は周りからもいい大学に進むことを期待されているんだ。少しは自覚したらどうだ?」

少しでも成績が下がるとすぐに呼び出され、毎回同じことを言われる。
期待されている、その言葉が肩に重くのしかかった。

呼び出されたことでいつもより遅い帰宅になってしまった。
外はもう真っ暗だった。
教師の言っていた言葉をボーッと思いだし、開いただけの参考書を眺めながらドア近くのポールに掴まって立っていると、駅に止まってドアが開いた。

『次は〜、〇〇駅〜、〇〇駅〜』

しばらくしてプシューとドアが閉まりそうになった時。
目の前に彼が飛び込んできた。

「っぶねー!間に合った!」

はぁはぁと息を荒くしながらドアに背もたれた彼。
驚きで固まる俺をよそに、息を整えた彼はのしのしと座席に向かって歩いていく。
俺は思いきって声をかけた。

「あ、あの」
「ん?」

彼が振り返ってこちらを見た瞬間、電車が大きく揺れた。

「うわっ」「うおっ!?」

何も掴んでいなかった彼は大きく体勢を崩し、俺のほうへ倒れてきた。
彼は咄嗟にポールを掴んだが、近すぎるその距離に俺は心臓が破裂しそうだった。

こんな気持ち、初めてだ。

「悪い、大丈夫か?」

彼が心配そうに尋ねてくる。
思っていたより低い声で、耳が熱くなった。

「ぁ、…は、はい…だ、い、じょうぶ…です」

俯きながら小さく答えると、ホッとした様子で「そっか、よかった」と笑った。

「いつもなんの本読んでんだ?マンガか?」

不意に彼が尋ねてきた。
「いつも」という言葉に存在を認識されていたことを嬉しく思いつつ、その問いかけには思わずクスリと笑って「参考書なんだ。今度テストあるから…」と答えて、中身を見せた。

「うげっ!?いつもこんなの読んでんのかよ!オレにはぜってームリ!」

見せた途端顔をしかめた彼がなんだかおかしくて、「アハハッ」と声を出して笑ってしまった。
彼は見た目の印象と違いとても話しやすくて面白い人だった。

「名前、なんていうんだ?」

彼から名前を聞かれた時は、天にも昇るくらい嬉しかった。

「オレは花澤三郎!みんなゼットンって呼んでるからゼットンでいいぞ」

にかっと笑う彼…ゼットンに「俺は米崎…米崎隆幸だ。よろしく」と返した。

「ヨネザキ…どう書くんだ?」
「米に…山崎の崎って書くんだ」
「だったらコメな」

ゼットンの言葉に「え?」と顔を上げると、「だってヨネザキってなげーもんよー」と言って笑った。


「よろしくな、コメ!」
「よ、よろしく。ゼットン」

そう言って、お互い笑いあった。
それからはゼットンというあだ名の由来を聞いたり、俺の悩みを聞いてもらったり。
ゼットンは真剣に話を聞いてくれて、それだけですごく心が癒された。
気がつくとあと少しで俺の降りる駅が迫っていて。

「もっと、一緒にいたいな…」

思わずポツリと口に出してしまった。

「ぜってーまた会える!今度はどっかメシでも食いにいこうぜ」

にかっと笑って俺の頭をガシガシと撫でたゼットンの手は、すごく大きくて。
照れと同時にキュッと胸の締まる感じがした。
この感情は、なんというのだろう。

「遅かったじゃないか。先生からも連絡があったぞ…テストの成績がよくなかったみたいだな」

帰宅して玄関に入ると同時に父から投げかけられた言葉。
先ほどまでの楽しい気分が一気に霧散した。

「お前には期待しているんだ。くれぐれも落胆させてくれるなよ」

ポン、と肩に手を置かれ、一瞥くれることもなくリビングへ歩いていく父の背中を、俺はただ見ることしかできなかった。
夕飯もとらず部屋へ駆け込む。
ベッドに飛び込んで彼を想った。

「ゼットン…早く、会いたい」

彼の大きな手から伝わる温もり。
太陽のようなその笑顔。
彼の、彼の…。
思いだすたびに心が温かくなって、周囲からの期待などどうでもよくなった。

割とすぐにゼットンに会うという願いは叶った。
最初に会話をして何日か後、乗り込んだ車両の端のほうから「コメ!」と呼ぶ声が聞こえた。
慌ててそちらに顔を向けると、ニコニコと嬉しそうに笑いながらこちらに手を振るゼットンの姿があった。

「ぐーぜんだな!」

そう言って笑うゼットンにつられて俺も笑った。

「なぁ、今からメシ食いに行かねーか?」
「え?い、今から?」

突然の誘いに戸惑う。
だって登校するために電車に乗ったわけで、向かうべき場所は学校だ。
ゼットンもそれは変わらないはずなのだが。

「おう、今から。お前の顔見たらどっか一緒に行きてーなーと思ってよ」
「でも学校サボったことなんてないし、怒られる…」
「ダメか?」

ゼットンが顔を覗き込んできてドキッとする。
でもその顔がなんだか情けない表情になっていて、少し笑ってしまった。

「ふふ…うん、たまには気分転換でサボるのも…いいかもな」

そう言うと、「さすがコメ!そうこなきゃな!」と途端に笑顔になるゼットン。
その日俺は初めて学校をサボった。
鈴蘭最寄りの駅におりて、キョロキョロと辺りを見渡す。
そこら中落書きだらけで、独特の雰囲気が醸し出されていた。
同じ駅におりる連中はみんなヤンキーみたいな人たちばかりで正直怖かったが、「オレから離れんなよ」とゼットンが言ってくれて、ギュッと服の裾を握った。

そこからは、楽しいことだらけだった。
ゼットン行きつけのお店でオススメラーメンを食べたり、ゲームセンターでゼットンのプレイするゲームを後ろから眺めてたり。
UFOキャッチャーで、ゼットンがクマのぬいぐるみを1発で取ったときは、思わず歓声をあげて周囲の視線を集めてしまい、恥ずかしくなって顔を俯けた。

「これやるよ」

ゲームセンターを出ると、ゲットしたぬいぐるみを渡された。

「でも、悪いから」

戸惑いながら返そうとするも、「オレにそんなもんは似合わねー」と突っぱねられて、結局クマのぬいぐるみは俺の腕の中に収まってしまった。
俺は「…あ、りがと」と熱くなった頬を隠すようにぎゅっとぬいぐるみを抱きしめて、小さく呟いた。
すっかり辺りは暗くなってしまって、駅で電車を待ってる人は俺ら以外にいなかった。

「誰もいないなー…」

しばらくボーッとしていると、ゼットンに「こんな遅くなるまで連れ回しちまって悪かったな」と申し訳なさそうに言われた。
慌てて首を横に振る。

「そんなことない…すごく楽しかった。これも、ありがとう…大切にする」

クマのぬいぐるみをゼットンの前に突き出し、再び腕の中に収めて、笑ってみせた。

電車の中でも2人きり。
座席に座って、ゼットンと夢中で話をしてると、いつの間にか俺のおりる駅に着いていて。
慌てておりようとすると、ゼットンに腕を掴まれた。

「行くな」

驚き固まる俺の目の前で閉まるドア。
そしてゆっくり動き出した電車。
腕を掴んでいる手が熱い。

「ゼ、ゼットン…?」

ゼットンは顔を俯かせていて、その表情は窺い知る事はできない。
恐る恐る掴まれていないほうの手を伸ばそうとすると、電車が揺れた。

「う、わっ!」

バランスを崩し転びそうになるも、掴まれていた腕を思いっきり引っ張られて、ゼットンの腕の中にスッポリと収まってしまった。
急に近くなった距離とゼットンの身体からダイレクトに伝わる体温に頭がクラクラした。

「…行くな」

そして今度は耳の近くで、低く呟かれた。

「っ…う、ん…」

俺は必死に胸にしがみつきながら、小さく首を縦に振った。

駅を出て着いた先は小さなアパートだった。
3階の角部屋、ゼットンが慣れた様子で鍵を差し込みドアを開け、そのまま引き込まれた。
部屋に入ると、部屋の明かりをつけないまま強く抱きしめられた。
胸に当てられた耳から聞こえるゼットンの鼓動がはやくて、こちらも心臓が破裂しそうな勢いだ。

「っあ…ぜっ、とん…?」

ぎゅっと彼のシャツを握りしめて、声を絞りだす。

「…お前んとこの親に怒られちまうなー」

抱きしめたままポツリと呟くゼットン。
でもその声色はなんだか嬉しそうで、俺は小さく笑った。

「…怒られても構わない…お前と一緒にいれるなら、別に」

顔を上げて上目がちにゼットンを見るも、暗くて表情は見えない。

「コメ」

聞こえた声の近さに驚き、次の瞬間唇に触れた柔らかい感触に身体が固まる。

い、ま…なに、された?

その感触は一瞬だけですぐに離れてしまった。
しばらく沈黙が続き、ゼットンの「…あー、やっちまった」の一言でようやく口が動いた。

「ぜ、ぜっとん…?…い、今の…」

ドキドキしながら尋ねると、「嫌だったか?」と不安そうに尋ねられた。

「い、いや、じゃない…けど…い、まのって……キ、ス?」
「おう。そうだぞ」

すぐさま答えが返ってきて、唇をなぞって感触を思いだす。

「な…なんで、いきなり…?」
「ンなもん…す、好きだからに決まってんだろ」
「…、ぇ?」

告げられた言葉に驚きを隠せない。
好き…好き?
ゼットンが俺を?
心臓の高鳴りがさらに酷くなる。

「初めてお前を見つけた時から気になってた。笑ったらもっと可愛いのにとか、本じゃなくてこっち見ろなんて思ってたら、いつの間にか…好きになっちまってた」

はは、と笑うゼットン。
俺は胸が苦しくて切なくて仕方なかった。

「俺、は…ずっと勉強ばっかりだったから、誰かを好きになったことがなくて…。
…だから今感じてるこれがなんなのか、正直分からないんだ。
けど、もっとゼットンに触れてほしいと思うし、離れたくない…。
もっと一緒に…いたい…こんな気持ち…初めてなんだ」

泣きそうになるのを必死に堪えて、ゆっくりだがしっかりと今の想いを伝えた。

「…お前かわいすぎかよ」
「え?」
「それ、好きって言ってるのと変わらねーじゃねーか」
「え、っ!ぁ…そ、そうなのか?」

はー、と息を吐いたゼットンが、「コメ、キスしていいか?」と尋ねてきた。
ドキッとして、「ぅ、ん…」と首を小さく縦に振って身構えた。
ゼットンの顔が近づいてきて目が合った。
「目、閉じろ。キスするときは目を閉じるもんだ」と笑われたので、ギュッと目を瞑ってその瞬間を待った。
再び柔らかい感触が唇に触れる。
角度を変えて何度も何度も唇を合わせた。
息苦しくなって「はぁ」と口を開いたら、ゼットンの舌が口内に入ってきて。

「んん、ぅあ…っ…ふ、ぅ」

歯列をなぞられ、くぐもった声が漏れた。
ぎこちなく舌を絡ませていると、口の端から飲み込みきれなかった唾液が漏れ顎を伝う。
服の中に、ゼットンの大きな手が侵入してきて、脇腹をなぞられたと思ったら。
大きい電子音が部屋に響いて、お互いビクッと身体を震わせた。

「あ、わ、悪いっ!多分親から……やっぱり」

慌ててお尻のポケットに入れていた携帯を確認すると、やはり父からの着信で。

「出ていいぞ。心配してるだろーし」

ゼットンの言葉に甘えて、少し離れて電話に出た。


『何時だと思ってるんだ!さっさと帰ってきなさい!!』
「っ…それはいやだ!」
『お前に求めているのは了承の返事だけだ!それ以外は認めない!反抗は許さんぞ!』
「許さなくていい!俺は帰らない!期待されることなんてもううんざりだ!」

そう叫んで、父の返事を聞かずに電話を切った。

「いいのか?」

部屋の明かりをつけたゼットンがこちらを心配そうに見つめてくる。
その表情に思わず苦笑が漏れた。

「いいさ。俺が都合のいいように動くオモチャじゃないってことを知らしめるチャンスだ。それに…」

ゼットンの胸に飛び込んでその大きい身体を抱きしめて。

「今は、お前とこうしてたい……ダメか?」

胸から顔を上げてゼットンを見つめると、彼はポリポリと照れくさそうに頬をかき。

「…だからそーゆう可愛いことは言うなっての」

ボソッと呟いて、俺の腰に腕をまわしもう片方の手で前髪をかきあげて額に優しくキスを落とした。


「なぁゼットン」
「んー?」
「今日一緒に寝てもいいか?」
「えっ!?あー、えーっとだな…」
「やっぱり、だめ、か…」
「うっ…い、いいぞ」
「ほんとか?ふふ…ありがとな」
「(…理性もつかなオレ)」


おしまい!



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