街の片隅にある小さなバー
夕方から日付が変わる時刻の間ひっそりと開いているそのバーは、ガイの城とも呼べるものだった

「さて、準備完了!今日もがんばるかー」

入口の明かりをつけ、看板を出し、ドアのプレートを[CLOSE]から[OPEN]へひっくり返す
立地のせいか普段からあまり客はおらず、いたとしても店を開けてから顔なじみになった街の人や常連ばかり
それでもガイはこの空間が好きだった
各々の仕事を終え、1日が終わるまでの時間をゆっくり過ごしてもらえる、ここがそんな場所になっていることがガイにとってはこの上ない喜びだった

そして、今日も変わらずまったりと時間が過ぎていくと思っていた
壊れるかと言わんばかりに勢いよくドアが開くまでは


「はぁ、はぁ、はぁ…っ」

すっかり日も暮れた頃、赤毛の少年が飛び込んできた

「お前…」
「おわ、追われてるんだ…っ、た…助けて…っ!」

問いかけようとしたガイの声を遮り、息を切らしながら必死に訴える少年をガイは知っていた

「あんたルークだろう。子爵家の跡取りの」

ほぼ確信していたがあえて尋ねてみると、やはりというかなんというか、少年はゆっくり首を縦に振った

「おねがい、助けて…」

翡翠の瞳から涙が溢れてしまいそうになっている顔を見せられては、ガイには断ることなどできようもない
小さくため息をつき、「…ほら、こっちこい。カウンターの下なら見つからんだろ」と少年―ルークを手招きした

ルークが身を隠すと同時に再びドアが開いた

「いらっしゃい…おや、これはこれは。子爵家の護衛の方々じゃないですか」

ガイはニコニコと営業スマイルを浮かべて、入ってきた集団に声をかけた

「…相変わらずみすぼらしい店だ」

一番偉いらしい男が吐き捨てるように呟き、ズカズカとカウンターまでまっすぐ歩いてきた

「なにか飲みます?ちょうど今朝美味しいお酒が入って…」
「ここら辺でルーク様を見かけなかったか」

ガイの言葉を遮って話を切り出した男に、やれやれと肩をすくめた

「ルーク様ともあろうお方がこんなところに来ると思います?」

ガイの答えに、短い沈黙のあとため息をついた男は「…聞くだけ時間の無駄だったようだ」と足早にその場をあとにした

「もう大丈夫だ。出てこい」

声をかけるとカウンターの下からルークが出てきた

「助けてくれてありがとう」

素直に頭を下げるルークに多少驚きながら、「あれはお前の護衛だろ?なんで逃げてるんだ?」と尋ねた
パッと顔を上げるも、ルークはすぐに俯いてしまった

「…っそ、れは…その…」

言葉を濁すルークの頭を軽く撫でて、「言いにくいなら言わなくていい。…しばらくここにいるか?」と出来る限り優しく問いかけた

「い、いいの…?」

上目がちに見つめてくるルークにドキリと心臓が跳ねたガイだったが、それには気づかないふりをして「いいぞ」と笑顔で返した

「あ、ありがとう、えっと…」
「ガイだ」
「…!ありがとうガイ!」

パァッと花が咲いたように綺麗な笑みを見せたルークに、(あ、ヤバイ)と思ったが最後
ガイはこの一瞬でルークの虜になってしまったのだった

ルークがガイのもとへ現れてからそんなこんなで2ヶ月が経った

「頑張ってガイの役に立つ!」

意気込むルークだったが最初は散々だった
毎日必ず何かしらやらかすルークに「大丈夫だから。最初はみんな失敗するもんだ」と笑いながら、ガイは根気よく一つ一つ丁寧に教えていった
そのうち様になってきたルークを店に出すと、その不慣れな感じが可愛い、とのことでたちまち人気になった
噂が噂を呼び、ガイの店は一気に人気店となってしまった
そうなると心配なのはルークの素性が広がることだったのだが、常連客の口からルークがここにいることがバレてしまわないように、仕事中はバンダナを巻いて髪を隠し、目は色のついた眼鏡をかけて誤魔化していた

出会ったその日から衣食住をともにしていてさらに仕事のことも教えてくれた
ひたすら良くしてくれたガイに、ルークが特別な感情を抱くのは至極当然といえた
ガイが笑ったり話していると心があたたかくなる
この感情は今までルークが生きてきた中で感じたことのないものだった
離れることを思うとキュッと胸が苦しくなって、泣きそうになってしまう
それでも必ずくる別れのことを、ルークは考えずにはいられなかった

(…いつかはここを出なきゃ…ガイに迷惑がかかってしまう…)

ルークはこの生活が長くは続かないと確信していた
そして、その別れはすぐそこまで迫っていることも感じていた


「邪魔するぞ」

低い声が準備中の店内に響いた
いつか見た護衛の男に、ガイは営業スマイルを浮かべ「いらっしゃいませ…と言いたいところですけど、まだ準備中なんです。あと1時間ほど待ってもらえませんか?」と声をかけた

「ここにルーク様がいると情報があった」

威圧感のある声にも、ガイが表情を変えることはなかった

「ルーク様はこんなところにいませんよ」

お引き取りください、と告げる間もなく、ガイは男の部下に取り押さえられた

「捜せ!ルーク様はここにいる!」
「なっ…離せ!クソッ!!」

ガイの抵抗もむなしく、荒らされていく店内
やがて店の奥から「隊長!見つかりました!」と声が聞こえた
部下の男に連れられて出てきたルークは、捕えられたガイを見るとハッとした顔をして、そのまま俯いてしまった

「待てルーク!ぐぁっ…!」
「無礼者。ルーク様とお呼びしろ」

そのまま出ていくルークを呼び止めようとしたガイだったが、護衛の男に殴られそれは叶わなかった

「ガ、イ…」

小さく聞こえた声に顔をあげると、ルークが哀しそうな笑みを浮かべてこちらを見つめていた

「ルーク…?」
「ごめん、ガイ…でも、ここを守るにはこうするしか…」

そう言って再び顔を背け、2度とガイに顔を向けることはなかった

「待てルーク!どういう意味…がはっ!」
「無礼だというのが分からんか。貴様と我々はそもそも身分が違うのだ」

腹を蹴られうずくまったガイの頭を容赦なく踏みつけた護衛の男は、「ルーク様に感謝するんだな。屋敷に戻る代わりに貴様を自由にしろとのご命令だ。…2度と会うことはないだろう」と告げて去っていった
ガイはただただ、己の無力を痛感していた
ぼーっとしながら荒れた店内を見渡し、「…ここまで、か」と小さく呟くと、最小限の荷物をまとめて店を出た
そして店のドアに『長い間お世話になりました』と紙をはり、ガイはそのまま街を出て行ったのだった

1年後、街中に号外のビラが配られていた
『ファブレ家ご子息、ご成婚!』と書かれた見出し
そこには婚姻の儀を1週間後に行う旨が書かれていた
そして1週間がすぎた
ファブレ家の屋敷は、国内外から集まった著名人や貴族で溢れかえっていた
婚姻の儀を1時間前に控え、ルークは沈んだ気持ちだった
この結婚も、そもそも親の都合によって生まれた時から決められていたもので、ルークの望んだものではない
そして、この婚姻の儀が滞りなく終わってしまうと、一生を籠の中の鳥で終わってしまうことがルークにも分かっていた
窓の外を自由に飛び回る鳥を見つめながら、いつか一緒に暮らしていた彼を思い、「………ここから…つれ、だして…」と小さく呟き、ルークは一筋の涙をこぼした

そしていよいよ式が始まる、というまさにその時
ルークのいる控え室の扉が勢いよく開いた

「ルーク様…!」

青い顔で入ってきたのは儀を執り行う司祭
「どうした?」と問いかけると、震えた声で「…儀は、中止になりました」と告げた

「え?」

あまりに突然の出来事に頭がついていかないルークだったが、司祭の後ろから部屋に入ってきた人物を見て目を丸くした

「…え、…………ガ、イ…?」

そこには礼装に身を包んだガイその人が立っていた

「よっ、ルーク」

にっこり笑うガイはかつて見ていた姿そのままで
もう二度と見ることはないと思っていたその姿に、ルークの目から涙が溢れた

「おいおい泣くなよ…ほら、涙ふけ」
「だ、て…だって…もう、会えないと…」

ガイから渡されたハンカチで涙を拭いながら、嗚咽混じりに言葉を紡ぐルーク
そんなルークの頭を優しく撫でながら、ガイは「あの時お前は俺を守ってくれたからな…今度は俺が守るさ」と額に軽くキスを落とした

「共に来てくれるか?」

そう言って片膝をつき手を差し伸べたガイに、ルークは涙を流しながら「もちろん!」と綺麗に笑った


「なんで中止になったんだろ」
「あぁ、俺がルークをもらうって子爵に申し出たんだ」
「ふーん…って、え?なんで?」
「そういや言ってなかったな…」
「なにが?」
「俺も貴族生まれなんだよ。お前が結婚する予定だった相手よりもでかい国のな。伯爵家なんだ」
「えっ…」
「でも俺は跡継ぎなんかになりたくなかったから逃げ出した…それでこの街でバーをやってたんだ。あの時のお前、昔の俺を見てるみたいで放っておけなかった」
「ガイ…」
「でも俺は伯爵家を継いだ。お前をもらい受けるために。…ずっと傍にいてくれるか?ルーク」
「…っ、うん。うん!」


おしまい!



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