連日続く業務に飽き飽きし、部下の目を盗んで街に下りたのが間違いだった。
直後ポツポツと雨粒が肌に当たり、それは次第に強くなっていった。
そういえば、今日は午後から雨だと洗濯好きな側近が呟きながら少し落ち込んでいたのを今更思い出して舌打ちする。

(こうも早く降ってくるとは)

雨のせいもあってか客が入っていない喫茶店の軒先に張り出されたテントに入り、スーツについた水滴を軽く払い落としながら、未だ雫を落とす鈍色の空を睨んだ。

(止む気配はない、か)

スーツの内ポケットに入れていた携帯を取り出し秘書の一人に電話をかける。
3回目のコールの後、出たのは秘書本人ではなく件の洗濯好きな側近だった。
電話口で怒鳴り散らしているため、思わず携帯を耳から遠ざける。
遠ざけてもなお聞こえる喚き声に深くため息をつき「静かにしないか」と低い声で告げると、電話の向こうにいる側近は『……すいません』と小さく謝りようやく静かになった。

『この土砂降りの中、どこにいるんです?』
「表通り沿いの寂れた喫茶店だ」
『またそんな目立つとこを護衛もつけずに…』
「……3分以内に来い。でなければ給料全カットだ」
『え、ちょ、待っt』

側近の慌てた声を無視して電話を切り内ポケットにしまった。
側近は気性が荒くうるさいこともあるが、命令には忠実に従う健気な面も持ち合わせているので、おそらく時間通りには来るだろう、そうなると褒めてやらなければ、などと考えていると知らず気分が浮上する。

「…………?」

不意に小さい黒い塊が視界の端で動くのが見えた。
目を向けると動いているわけではなく小刻みに震えている様子だった。
近づくと小さく「みぃ」と鳴いたので、その黒い塊は子猫だと分かった。
黒い毛だと思っていたがどうやら血が固まって赤黒くなっているようで、雨のせいもあってか少しずつ赤い線が子猫の体から流れ出ているのが分かった。
先程まで小さく鳴いていたが今はただ小さな身体を震わせているだけだ。
周囲を見渡しても母猫は見当たらない。
おそらく死の淵にある我が子をここまで連れてきたはいいが、生き延びる見込みがないためここに捨て置かれたのだろう。

(……フン)

これはただの気まぐれだ、と自分に言い聞かせるように呟き、子猫を拾い上げた。
同時に聞きなれたエンジン音と見慣れた車が喫茶店の前で停まった。
到着した車から洗いたてのタオルを抱えて降りてきた側近に子猫を渡すと、開口一番怒鳴ろうとしていたであろう側近は「へ…あ、え?」と間抜けな声を出した。

「なんです、これ」
「拾った」
「拾った、って……死にそうじゃないですか」
「そうだな」
「……」
「……」
「………………あー、もう!分かりましたよ。オレが世話すりゃいいんでしょ」
「優秀な右腕がいると話が早くて助かるな」

タワーに向かうまでの車内で交わされたやりとりを聞いていたのかは分からないが、子猫はタオルに包まれた状態で弱々しく「ミィ」と鳴いた。





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